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年賀状が終わるとき

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仕事の先輩の訃報がメールで届いた
OBの連絡網はまだ形が崩れても残ってはいる
いつも年賀状をいただいていた先輩である
改めて見ても年賀状には病気のことも何も書いてなかった
まだ、そんなこと思っても見なかったとしても不思議ではない
急に悪くなったのだろうか
間違いなくしっかり先輩の筆跡だ
あの先輩としたらそれでも年賀状を書くだろう
大人の付き合いかもしれない


昨年8月の末に私の母が亡くなった
40年も離れていた母だ
そんな事情は他人は知らない
母のために喪中だとしたらみな驚くだろう
だから喪中はがきは出さなかった
そもそも母の存在を私は誰にも知らせていない
いつも通りということにした

喪中はがきをもらうことが増えた
確かに面倒な年賀状を省略できるメリットをがある
しかし、それでは年賀状をもらえない
喪中はがきが増えるというのは年齢的に仕方ないが・・
幅を広げすぎると情報としての価値はなくなってしまう

年賀状の意義も何かと薄れてきた
結局私も正直ずいぶん減った
年賀状に代わるものがあればそれでいいし
所詮挨拶なのだからしたくない挨拶は上手く欠礼したい
年賀状が来なくなったのも価値ある交際情報なのである
年賀状だけの付き合いも付き合いなのである
現に先輩の最期の年賀状は私にとって大きな記念品だ

フェースブックなどで自分の情報を発信するのはいいことだが
しかし、人はあなたのことなど知りたくはない
おせっかいにも3年前に亡くなった同級生の誕生日を知らせてくれたりする
あなたが書くのは宛名だけでいい
だがそれもいつか書けなくなる時が来る
せいぜい年賀状ぐらいのことでちょうどいいのではないか
(2.1.24)

by ajiankyoto | 2020-01-24 07:53 | 次は自分の番だ | Comments(0)