2021年 03月 29日
葬式のレール(4)荼毘(だび)
おおよそ一日がかりで多くの人力と燃料が必要だった
屍を荼毘にふすということは精一杯の宗教行為であった
親鸞の場合は宗教的にはキリストの磔と同じような意味を持つと思う
肉体がなければ拝まない古代の宗教観を超えた瞬間かもしれない
大宝律令の時代、41代持統天皇は率先して自ら火葬を指示した
現代に至って庶民も、どんなに無縁であろうと火葬だけは行わなければならない
火葬になってはじめて仏になるのだ
火葬は屍を無機の灰と気体に変えてしまうのだ
その無常さを親鸞とその弟子たちは皆に教えたのである
昔、焼き場から上がる煙を眺めて故人を偲ぶ映画のシーンがあった
その気体こそ魂という
今は匂いしない
人は荼毘(だび)によって終わって、荼毘から始まるのが残った人の人生なのだ
荼毘とは火葬のことである
それを・・例えば葬儀の形態で言えば「直葬」とよんでいる
(※ちょくそうというのが普通・音が誤解の元になるが・・・小生は時々じきそうと言ったりする)
死亡届を出して火葬の許可をもらえば、まさに直接火葬場に向かうことも可能である
どんなにみすぼらしいことであっても必要なことはそれだけなのである
ただ、葬儀である限り故人と遺体の尊厳は守らなければならないし、守るべきである
多くの庶民が火葬されるのは実はここ100年のことであるが
実は火葬こそほぼ1000年近い歴史があるのだ
鯵庵(3.3.29)