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葬式のレール(8)葬式は誰のために(その2)

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葬儀の自由度という言葉は本人(故人)の気持ちであると、前編で言った
私の父はそのことを言い残さなかった、と言った
病気療養中の父は、言い残す気力かタイミングを失っていたのかもしれない

父の死から20年後に母が亡くなった
私に任せるしかなかった
自分で希望を述べる資格がないとばかり思っていたようだ
実は、母と父の縁は40数年前に切れて、その時から母と私との縁も切れていた
それから40年後、母の最後は母の故郷の病院で生きていた
生きていた母は、私に会っても何も言わなかった
謝りもしなければ、恨み言も言わなかった、ましてや葬儀の希望など何も語らなかった

少し前には実家の墓に入れてくれと言うかすかな希望があったようには聞いていたが・・
70年も前に故郷を出て行った者にそんなことが叶うはずがなかった
そんな母の葬儀を母の故郷で行った
女の人生、もっと言えば女の第2の人生があれば50代に始ると私は思った
人の妻であり私たちの母であるなどと言う変哲のない人生ではない
女性もふんどし〆てかかれば、第2もあれば第3もあるのではないか
そもそも戦争中の満州で女一人暮らしていた
終戦やら結婚ですらすでに第2、第3の人生だったのかもしれない
思えば、母は自分の前半の人生はもう早くから葬った人だったのだ
だから母の後半生の葬儀である

後半の人生の中でお世話になった人だけで葬儀を行った
葬儀社の会館にお世話になりながら僧侶も頼まなかった
私は喪主を務めさせていただいた
母のかすかな遺徳が葬儀の形体と意義を作った
ただ、少し事情があって母の所持金は50万しかなかった
小さな葬儀に母の所持金を全部使ってやった
日向灘に面した小山の上に最新の設備をもって新設され火葬場に送った
没落し貧しい母であったがれっきとした市民であり、
その限りにおいて有名人や金持ちと変わらない扱いをしてくれた
私は火葬の費用数万円は出した、それだけが喪主の勤めだった

まともな看取りは出来なかったが骨を拾う、ということになるのだろうか
あと一つ、勝手に母の戒名(法名)を決めて私はそう呼んでいる
母の葬儀はもうすでに自分の葬儀でもある
葬儀が誰のためにあるのか?
それは言わない方が、あるいは決めない方がいいような気がする
鯵庵(3.4.4)

Commented at 2021-04-04 20:42
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by ajiankyoto | 2021-04-04 17:00 | 葬式のレール | Comments(1)