人気ブログランキング | 話題のタグを見る

葬式のレール(18)中陰(ちゅういん)

葬式のレール(18)中陰(ちゅういん)_b0355451_20530411.jpg
人は死して、七日ごとに七度、裁かれ生まれ変わると言われる
忌明けは死後50日目(四十九日)とされてきた
この間を仏教語は「中陰(ちゅういん)」という
死者が、今生(こんじょう)と後生(ごしょう)の中間にいて輪廻(りんね)している期間、という考え方であろう
まさに、七日ごとの法要も・・死者と仏と残されたものが一緒にいると思えばいい
阿弥陀如来の本願によって臨終とともに極楽に往生するというのは浄土真宗の教えである

天国と地獄の「天国」という言葉は異教の言葉だ、仏教徒には面白い言葉だ
あるとすれば天界の国という意味だと解釈している
仏教では浄土という、その一つが極楽である
その対語にあるのが地獄である
一般人の地獄の概念は地面の下にある暗黒の世界である
なんぼ、地面に埋葬すると言っても暗黒の世界でない方がいい
だが、人の世である限り他人に罪為す人はたくさんいる
極端に言えば、人の世は自分が生きていることが罪の始まりである
生きているときは言い訳が出来ることも死して後は仏が裁く
地獄の世界は金もベンチャラも嘘も言い訳もない世界である
現世の権力も、裁判の判例だって、賞罰だって通用しない
そんなことをしっかり悟ってほしい人も必ずいる

死者の罪を贖うのがこの期間である
四十九日が終わって仏になる、までが一連の葬儀である
この考え方はほぼ定着している
縁者がいないときや少なければ法要は省略されることもある
そのことで不利益はないのが地獄だと思う
法要の勤め方は長老か葬儀屋でも教えてくれる
ただ、月の後半に亡くなると必ずと言っていいほど"三月跨ぎ”など意味なき風習も紛れ込んでくる
そのことはあらかじめ知っていた方がいい
日本の仏教は明治時代の初めに一度滅んでいる
俗な世界を浄化するシステムとしての仕掛けの底が見えてきている
葬式の一連の行事には宗教教義と土地の風習と迷信などが一緒になってしまっている

天台の学僧源信(1017没)が経典の中から地獄・極楽の在り様を表した「往生要集」を書いた
そこから地獄のイメージは発展し変化を遂げている
罪多き人間は極楽への道として地獄を通らなければならない
地獄の裁きは峻厳だ、閻魔大王という鬼は人間の今生の嘘を見抜いて許さない
一番許されないのが"善を繕うウソ”なのだ
そんな信仰がないと金や権力に飽かせて大きな名前と大きな墓を建ててしまう
名もなく正しく美しく・・そんなこと現世の俗人・凡人に叶うはずがない
が、死後の世界は仏の前で皆が裸にされると思うことによって救われるのだ
そのまま死んでもいずれ許してやろう・・と言ってくれてると思えばいい

その内に自分も行くのだ、今さらくよくよしても始まらない
鯵庵(3.4.20)

by ajiankyoto | 2021-04-20 09:10 | 葬式のレール | Comments(0)