2021年 04月 22日
葬式のレール(19)葬殮(そうれん・その1)
サラリーマン時代の友人とそんな話になった
我々には自分の生き方(終活)の知恵の一つ、そういう効用もあることはある
私も人の話を聞く
5年ほど前に彼の奥さん、ご自分の母親の骨あげ(収骨)のときに体が動かなくなった、という
気丈でどんなことにも耐えてきたその奥さんがである
肉親の親が焼かれて熱い灰になった
眼耳鼻舌身意・・六感の全てがそこに集中する初めての経験だったのかもしれない
肉体が道端に投げ捨てられていたり、
屍が薪を積み上げて荼毘にふされたり、
今はそんなことはないにしても・・そんな場に居合わせたとしたら誰しも同じことである
大昔から都市は、亡くなった人を手厚く葬ることの他に
屍を衛生的に処理する必要と義務を負ってきた
明治になってから焼き場が建設された
その火葬場も今は、煙の色や匂いを経験することは少なくなっている
火葬場というのは近代焼却炉装置を備えている
おかげで儀式から自然に流れてきて、数時間で灰になってしまう
その時に初めて気づくこともあるのかもしれない
知ることや思うことや諦めることや・・親子の絆などなど
彼には何人も兄がいてオジキがいて、父や母が亡くなった時はただ神妙にしておればよかった
一周忌や年忌に国に帰れば片のつく話だった
奥さんは葬式とか法事というものはそう言うものだと理解していた
のだと私も思う
彼は言う、今まで見たり思ってたことは表面ばっかりだったのではないか、と
この項続く
鯵庵(3.4.22)