2021年 08月 15日
京都の盆の過ごし方
千本えんま堂にて
亡くなった人の初めてのお盆は初盆(はつぼん)とか新盆(にいぼん)とか言う
出来るだけ親族皆が寄って灯りをともしお供えをして故人を偲ぶのが優しい過ごし方だ
が、府県界を越えての移動も制限されたのでは、それもままならない
新盆なら菩提寺の閻魔さまの前で祈祷も(?)もしてもらえる
が、お寺さんの顔を見たとて大した功徳にならない
元々、密やかに一人してお参りしたい人もいるだろう
本当は亡き人と自分の近さを感じるには一人の方がいい
お盆を機会に直接に閻魔さんや地蔵菩薩とお近づきを願っておくのもいい暮らし方だ
小生は心ばかしのお賽銭だけで紛れて迎え鐘を2つだけつかしていただいた
それでも音色に遜色はなかった
当たり前のことだけどお盆はお盆である
観光行事がなくなっても迎え鐘や送り火は何処にでもある
お正月はハレの日であるがお盆は日常なのである
京都は街中そこらじゅうが六道の辻であり、地獄の入り口である
昔、迎え火の日にかまぼこ板に釘を打って一人でローソクを灯していた母を思う
観光という大波が来なかったとしたら京都ってこんな鄙びた町だなと思わされる
そこらじゅうに閻魔さまや地蔵さんがいて、思うときはいつでも亡き人と一緒に暮らしている
好きな人でなければならない、それを偲ぶという
昔は家族があった・・
その代わり庶民の盆の始まりはあくまでも俗っぽいのが特徴だ
ぼちぼち子供のために地蔵盆の準備も始めなければならない人もいる
観光という大波さえ去ってしまえばその俗っぽさと侘しさがやっとしっとりしてくる
鯵庵(3.8.15)