2021年 09月 02日
ちびたチョーク/鉛筆は削られるもの(後)
※写真はかめわりの小僧(司馬温公の故事)から作られたものと思う
仲間を救えることのできる(危機管理のこと)子が"かめわり小僧"と言うのが鯵庵の勝手解釈である
ガリ版ズリの鉄筆で削った字をまねてが丸文字ができたという
毎日手や服を汚して汗をかきながらガリ刷りをしているのが先生だった
何かと先生のお手伝いをする優等生だけでなく
悪ガキに先生の言うことだけは聞こうと思わせるだけの効果はある
そんな先生が黒板にいつもチョークで書くその字こそ子供のあこがれなのである
それが・・・鉛筆を使わなくなった世代の人が人が先生になり今度はチョークを使いたがらない
チョークや鉛筆が描く線は、太さが必ず違うのだ
文字に幅や強弱が出る
万年筆や毛筆と同じである
美しい個性的な表現が可能なのだ
それが最大の利点なのだ
ただ、それが最大の欠点だと思う人には向かない
日本の字は字そのものが美しいのだ
文字を記号と扱うようになった国のマネをする必要はない
教科書体は鉛筆やチョークで書く字なのである
上手になればちびったチョークでも文字はかける
先生の字が憧れでなかったら子供は字は上手にならないのだ
自分がマネをしたい人を先生と言うのだよ
先生と人に呼ばれるためには先に生まれただけではダメなのである
子供達が内心軽蔑してることを知らぬ顔ではいつまでも小学校の教育の効果は上がらない
と、これも勝手に思っている
鯵庵(3.9.2)
先生の名前は、サワムラタダシでした。