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銅心先生にはここでしか会えない

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私は銅心さんとは呼ばない"先生"と呼ぶ、本名を知らないからだ
先生は私を”お父さん"と呼ぶ
京都の人は親しみを込めて女性をお母さんと呼ぶ
その伝であるが、・・実は同じ世代である

銅心先生に会うにはこの琵琶湖疏水の水音が止まないここでしか会えない
会えば「よう」があいさつである
衒(てら)いなく話好きのいいおじさんである
世間的には互いにお爺さんと言うのが正しい
だが、同世代ではお爺さんと呼ぶのは当たらない

先生は孤児である
孤児としてずーと育ってきて、なお今も孤独である
だから、欲の対象を持たなかったという
だから注文にも応えない、電話番号を客に言ったことはないという
ピカピカ光る何千円・何万円?もする銅線だけが買えればいいという
あんたは仕事も家族もあったのだから欲を持っていて当たり前だと慰めてくれる
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孤児として育ってきたからかもしれないが
30代の時に「欲と人とどちらを取るか」で迷って「人」を取った
家族も師匠も弟子もいない
銅線を引っ張って引っ張って手が血だらけになってしまう
その血が出ない指や手になるまでやり続けてやっと出来ることだという
欲があったらできないことだという

先生が言う「欲」とは”自分”のことであり、「人」とは"他人”のことである
だからと言って、決して仙人じゃない、生身であるところが興味深い
何を書いてもいいと許可を得てるのでまたまた鯵庵のブログネタにさせてもらった
鯵庵(3.9.27)



by ajiankyoto | 2021-09-27 21:00 | 京都の水 | Comments(0)