2022年 04月 25日
葬式のレール(27)その(2/9)

前項より続く
覚悟はしてたつもりだが、仮にコロナに感染したら・・、上手く入院できても面会もさせてもらえない
入院も出来ぬまま高齢者施設で肉親にも会えずまま亡くなった人も多い
晴天の霹靂(へきれき)とはコロナのことである、こんなことまで想定して覚悟していた人は少ない
人に無常を説いていた高僧もコロナでは死にたくないと閉じこもっている
ましてや覚悟するにはまだまだ間があると思っていた若い人だったらなおさらだ
楽観バイアスに陥って開き直ってるのかもしれない
医療崩壊とは本当のことだった
医療も受けられずに、家族の看取りもない、何も言えないママ死んでいくというのは悲惨だし、極めて残酷である
無念でない筈はない
今回のテーマである終末期医療の理念だとか看護や介護や人間科学の入る余地がない
そんなことも起こり得る
死に直面した状態で医師も本人の意思など確認しようも無くなる
死に対して医者と話し合う、あるいは家族と話し合うというのは極めて適格なタイミングでなければならない
そこまで考えて準備すべきだと言われても、そこまで覚悟出来る人はいない
この項続く
鯵庵(4.4.25)
入院も出来ぬまま高齢者施設で肉親にも会えずまま亡くなった人も多い
晴天の霹靂(へきれき)とはコロナのことである、こんなことまで想定して覚悟していた人は少ない
人に無常を説いていた高僧もコロナでは死にたくないと閉じこもっている
ましてや覚悟するにはまだまだ間があると思っていた若い人だったらなおさらだ
楽観バイアスに陥って開き直ってるのかもしれない
医療崩壊とは本当のことだった
医療も受けられずに、家族の看取りもない、何も言えないママ死んでいくというのは悲惨だし、極めて残酷である
無念でない筈はない
今回のテーマである終末期医療の理念だとか看護や介護や人間科学の入る余地がない
そんなことも起こり得る
死に直面した状態で医師も本人の意思など確認しようも無くなる
死に対して医者と話し合う、あるいは家族と話し合うというのは極めて適格なタイミングでなければならない
そこまで考えて準備すべきだと言われても、そこまで覚悟出来る人はいない
この項続く
鯵庵(4.4.25)
by ajiankyoto
| 2022-04-25 10:00
| 葬式のレール
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