2022年 10月 28日
誤解
京都の人はほぼ誤解の中で生きている
昔、都だった(あるいは国際観光文化都市?)ことを自慢していると言われる
京都人なら「そうどすな」と言えと言われる
京都の市民はそんな言葉は使わない
「そらそや」、「そーやね」、「そやな」、「そうだんな」男女の区別はあるが、
大阪、京都の街中の市民の日常語は混ざって境はない
この頃のテレビは京都というと清水寺や嵐山の土産物店を写す
市民はそのことに嫌気がさしているのを気づいてないのだろう
市民の嫌気は報道番組のディレクターのその感性にある
ニュースも娯楽だし、裏の心は宣伝なのかもしれない
哀しいのは京都の本来の市民がどこにも出てこないことだ
今の京都というのは、京都という舞台を観光客に用意してるだけだと・・
観光行政が作る舞台と言うのは市民を脇に除けて、
そのくせ大道具のように作られた文化を配置しているようだと・・
言うのは私の意見だ
インバウンドがまた始まった
鯵庵(R4.10.28)
by ajiankyoto
| 2022-10-28 14:00
| 鯵庵の辞書
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