2022年 12月 06日
淀城
戊辰戦争の始まり鳥羽伏見の戦いの主戦場になったのは
幕府側の主要な領地内であった
幕府軍は京街道の千両松でも納所でも持ちこたえられなかったが、
それでも後方に時の筆頭老中稲葉正邦の淀城に入りさえすれば
戦略上十分に京都を巻き返せるはずだったのが、
淀藩の国元侍は幕府軍のために淀の城を開かなかった
淀城の使命は幕府が京都を押さえるためのものでありながら、
見事にその使命を果たさなかった
戊辰の戦争が江戸城を明け渡して、なお東北、函館にまで及ぶこととなった
振り返れば、京都征服者秀吉が淀・大阪を押さえることで、
京都での覇権を維持する戦略は正しかったとも言えるのではないか
ただ、それは京都戦略でしかなかった
京都を江戸や東京に置き換えてしまえば、戦略としての根拠は一切なくなってしまう
徳川体制でもって行かれた京都の覇権を、明治になってもう一度改めて東京にもって行く
ご一新という意味がある
都を守るべき淀城の運命はそれで決まった
伏見も淀も京都市内でありながら京都文化から外されたままになった
鯵庵(R4.12.6)
by ajiankyoto
| 2022-12-06 10:00
| 鯵庵の辞書
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