2023年 05月 06日
樹木葬
極めて高貴な人の初めての火葬であったのが歴史にある
だがしかし、往古、京都に都が出来たころ庶民の多くは自然葬(風葬)であった
京都に火葬場が運営されたのは明治になってからで東西両本願寺の運営であった
それが市営の火葬場の前身である
現代は人の屍(しかばね)は焼却しなければならないことになり
日本の火葬率は99.99%に達している
焼却してからの措置を埋葬(まいそう)と言う、埋葬は墓地でなくてはならない
墓地以外のところへの埋葬(散骨)することも、宗教的儀式として許される
何よりも、散骨には明確な動機がなければ後ろめたいことになる
そんなことから、自然葬としては散骨より樹木葬(じゅもくそう)が増えそうだ
お寺が墓地として許可を得る、墓石の代わりに樹木をシンボルとする
土中に埋葬する法体系に合う方法でもある
長男は東山花山で灰になり、そのふもと円山公園に隣する東大谷である
東大谷は京都東山の鳥部野で荼毘に付された親鸞の遺骨の眠る地である
世に何もなさぬままの命を石碑に名を刻むまでのことはない
が、その代わり毎日、全国から墓参りに来た人が息子の分も祈ってくれる
長男のいない辛さは齢とともに深まってくるが、哀しむのは我々夫婦だけのことだ
立派な御廟の樹林の土の一部であればむしろ永遠だと思える
我らには樹木葬も今始まった話ではない
いかな京都でも観光寺院としてやっていける寺院は少ない
土地を売ったり、幼稚園を経営したり、墓地や駐車場の経営をしている
新たに納骨堂を建てて墓地のマンションと言うのもあるが、
インターネットで墓参りが出来るなんてしない方がいい場合もある
それほどの土地も持たない寺院も樹木葬なら墓地の経営は出来る
樹木葬と言うのは合同墓地だから、庭の一角を整備すれば出来る
お寺の庭を墓地として樹木葬を進めていこうというのは有効な戦略だと思う
これからは大きな霊園を作って、これ以上石屋ばかりに儲けさせることはない
その気になればお寺そのものが経営出来る手法なのだ
本来は経営の問題と捕らまえるものではない
しかし、各宗派の本山は京都に集中している
拝観謝絶ながらある寺院では既にペットの霊園を営んだりしている
本山であってもそれぞれの塔頭寺院や寺内寺は独自の宗教経営をしていかなければならない
合同墓地や樹木葬と言うことになれば新しい檀家(固定客のこと)を持つことと同じである
しかも、拝観謝絶(拝観すべきものもない?)の寺院で(合同)法要に参加できるなら、
墓参りの名で京都観光に優越感を感じることも出来る
それなら息子も娘も孫も来てくれるかもしれないと思えば自分の墓作りに希望が出る
なんたって京都(みやこ)ブランドは有利でもある
京都ブランドが現代の都市移民である世代の役に立つかもしれない言う話である
鯵庵(R5.5.6)