2023年 05月 25日
1.思い出草
♬駅で手紙を出したあと思い切るよに行く旅は京都北嵯峨別れ寺・・・
この歌謡曲のいう寺は二番の”思い出草”という歌詞でわかる
大覚寺を古い住宅の間を北の方に狭い道を進んでいく
行きつくところが直指庵(じきしあん)である
観光地嵐山のあの喧騒とは打って変わった風情が北嵯峨である
ここまで来ると車では不都合である
その所為かこの歌の風情が残っている
だがこの寺決して「別れ寺」ではない
別れ寺という定義があるとすれば夫との離縁を求めて駆け込む寺のことである
寺は妻を庇護し調停してくれる
夫が離縁を承知しなければ足掛け3年を寺で暮らすことによって離縁が成立する
封建時代に幕府によって認められた寺がある
そのためには寺の権威がいる
幕府公認の寺は家康の孫の千姫(上野新田郷「満徳寺」)と
秀頼の娘(千姫の養女・天秀尼・鎌倉の「東慶寺」)が住職を勤めた二つの寺だ
家康の権威によって縁切りが担保されたのである
それを縁切寺、駆け込み寺という
現代に至ってこれらの権威は無用なものになった?
民法は両性の合意なくば婚姻は成立しない建前になっている
離婚の調停(世話)は家庭裁判所がしてくれる
ただ、そうはいかないのが男女の思惑である
離婚は結婚の十倍は難しい
現代でも逃げ込み寺は必要かもしれない
だが、2年も寺から出られないなどと言ったら逃げ出し寺になるかもしれない
もともとも今も、直指庵は縁切寺でも駆け込み寺でもない
この寺を再建したのは幕末近衛家の老女村岡の局だと言われている
明治にかけて付近の婦女子の教育に力を入れたとある
だからと言って尼寺ではない、とお寺がしきりに言っている
再建の建物も焼けたのち再建された
それでも小さな寺だが少し前に門のあたりも整備されたようだ
大きくても直指庵というし小さくも直指庵という
本堂は庵(いおり)というにふさわしい
逃げ込んでも助けてはもらえないだろう
縁を切ることは難しい
けれど失恋や離婚の傷を癒すのにはいい趣かもしれない
こういうムードはアベックには受ける
別れたらまた来たる、その時には歌の気分に浸れるかもしれない
そんな予感を感じさせてくれる
歌は「京都北嵯峨別れ寺」島倉千代子、作詞は西沢爽氏、京都を歌う歌謡曲事情
鯵庵(R5.5.25)
by ajiankyoto
| 2023-05-25 10:40
| 歌謡曲
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