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3.三下り半

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市川雷蔵演じる仁吉
今回の歌謡曲テーマは三下り半、離縁状のこと
三行半と書くこともある
中味は決まり文句である
封建時代の法慣習である
主に仕える武士は別ではあるが
庶民は相手に離縁状を渡すことで離婚できる
夫から妻の一方的なものではある
が、そうでない時もあったと言う
しかも、離縁状を書いてくれと言われても書かない男は
男の風上には立てなくなる
男に書かせるのが離縁状だったとも言う
離縁状を書いてくれと迫るのはいつも女性である

三下り半と言う言葉は浪曲によく合う
「吉良の仁吉」と言う演目が女流浪曲師の国本はる乃にある
この若さで上手い浪曲を久しぶりに聞く気がする
兄弟分の義理のために愛妻を離縁してまで喧嘩に助太刀する
喧嘩の相手の桑名の貸元穴太(あのう)の徳次郎が愛妻の兄であるという設定である
愛妻を兄のもとに返すその書状が実は見下り半だったと言うわけである
その45文字をさらさらと書くのは余程の教養がいるはずだ

浪曲に乗って少し穿って考えれば
そんな事態に至れば当然愛妻を現場から避難させておかねばならないだろう
いかに無政府状態でも当時もヤクザの喧嘩は重大犯罪であった
兄が勝つか夫が勝つか・・結果次第で必要なら使えばいい
愛妻の安全のためには担保であり、保険である
結婚したまま仁吉が死ねば未亡人として生きていかねばならない
荒神山のこの集団決闘は慶応2年、仁吉この時28歳で鉄砲で撃たれた
だが残念ながら仁吉には結婚歴はなかった
三下り半についてはほとんどが創作なのである

その創作を前提に話せば三下り半は女性のためのものである
”以後、勝手たるべし”という一札である
不倫という言葉は今とは似ても非なる
女性の不倫は死に値する罪科だからである
それさえあれば晴れて男と付き合えるし、再婚も出来るのである
三下り半をせがんでも書いてくれなければ縁切寺へ駆け込むしか
手段がなかったことは前項で書いた

講釈、講談、浪花節ときて事実が混とんとしている
仁吉もあと1年生きたら明治元年になる
次郎長の弟分であったのは間違いないので次郎長への義理が重かったのかもしれない

♬時世(ときよ)時節は変わろとままよ吉良の仁吉は男じゃないか
♬俺も行きたや仁吉のように義理と人情のその世界

人生劇場の主人公になって村田英雄(佐藤惣之助作詞)をはそう歌う
それが三下り半のことを言っているのかどうかは歌詞だけではつかめない
今回は浪曲に偏った話になった
鯵庵(R5.5.29)

Commented at 2023-05-29 11:16
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by ajiankyoto | 2023-05-29 09:55 | 歌謡曲 | Comments(1)