2023年 11月 03日
待賢門院の墓守
多くの人生の物語を整理したのが歴史なのだ
歴史はほぼ政治史だが、この時代は生々しい
保元・平治の乱と言うのは日本歴史の大きな曲がり角になった
家族同族骨肉の戦いが特徴である
今回は崇徳院の母、皇后藤原璋子(しょうし)、待賢門院だ
絶対的権力者白河院を養父に、同じく鳥羽院の皇后として
なお、崇徳院や後白河院の母でもあった
崇徳院は鳥羽院の子ではない・・と疑われたところから
崇徳院の悲運が始まり、実の兄弟が争うこととなる
証人は二人の母璋子ただ一人なのである
仁和寺の南、御室から花園へ下ってくると二つの御陵がある
一つは母、璋子(待賢門院)の花園西陵である
少し行けば待賢門院の娘統子内親王(上西門院)の花園東陵
住宅に囲まれて同じ小山にある
共に、最後は法金剛院で最期を暮らした母子である
もちろん比べるもののない美貌の持ち主である
西行の悲恋の相手は20歳近く年上の璋子だったと言う説がある
おかげで璋子が亡くなってから45年も生きていたわけだから
何度か法金剛院や御陵にも参ったことだろう
待賢門院の悲運は自分の亡くなった後にやってくる
実の弟が母を同じくする兄を滅ぼすことが悲運でなくて何だろうか
骨肉相争う・・待賢門院は知らなくとも西行は現世でしっかり見つめていた筈だ
絶対的権力者と絶対的美人の平安絵巻はここで終わるのである
相手を桜に例えるのはそれが悲恋だからである
残念ながら西行は物語を語らなかった
ヒストリーはストーリーを語源にしている?これダジャレ
美しいと言うことから悲しみが始まる人もいる
鯵庵(R5.11.3)