2024年 08月 15日
精霊送り/京都の盆の過ごし方
いかに招いた霊であっても所詮一緒に長い間暮らすことは叶わない
16日にはまたあの世に送り返す訳であり、それを精霊送り(しょうりょうおくり)と言う
今は音頭の声が聞こえなくなったけど盆踊りも元来精霊送りでもある
お供えと一緒に川に流したり、松明の火で現世の穢れを清める行事が行われる
が、川にゴミ?を流さないのは現代のマナーであり、雨で川が増水していることもあり得る
と言うことで、京都市では各家庭・各町内やお寺や墓地のお供えの処分もしてくれる
終戦の日と重なるお盆は確かに魂の日でもある
精霊送りはお盆の期間最大の行事となる
それを大がかりにしたのがおそらく室町時代にはあったとされる「送り火」である
送り火は極めて素朴な祈りであるから、昔は多くの地にあったと思う
送り火が見えるところでは、も一度各家庭のご精霊さんもまとめて送ってもらえる
それを「風物詩」と言うと、観光にも都合のいい行事になった感はある
今は京都のお盆の観光は「五山の送り火」が代表する形になった
午後8時に東山銀閣寺の上の如意が岳の大文字が点火される
「妙法」「船形」「左大文字」続いて、一番西の奥嵯峨野の「鳥居形」が点火されるのが8時20分ごろになる
そのころはもう最初の大文字は消えかかっている
私が初めて送り火を見たのは、親に手を引かれ田舎から京都駅に帰ってきた列車の中だった
京都駅のあの辺りからも大文字は見えたように思う
ただ、大文字が見えるのはいつも一瞬なのだ
昔(旧暦の頃)の送り火は天気がよければ満月とセットであった
山の陰の黒と群青の空の色は明らかに違う
月と大文字と精霊流しの灯りを一緒に見ることのできた昔の人の感慨は想像できない
現代の月遅れで行われるお盆の行事では毎年8月16日の月齢は変わる
この時間に東山に上手く月がかかることの方が珍しくなった
それでも、鴨川堤防から見る大文字は絵になりやすい
今出川橋や丸太町橋あたりまで行けばよく見えるかもしれないが
わざわざ出かけていく市民は少ない
実は燃えているのは15分にも満たないからだ
この一瞬の静寂ゆえに、俗っぽい京都のお盆もこの日だけは侘しさを感じさせられる
テレビ中継ではそれぞれの火床の周りの人が映し出される
その人たちにとっては行(ぎょう)なんだと思う
そうなんだ、それでこそ精霊を送る火なんだと思わされる
全ての火が消えてしまって京都のお盆が終わる
地上には現に生きている人だけのまた迷い多き生活が始まる
これで盆が終わるのかと思いきや、京都の夏は24日の地蔵盆に向けての準備がはじまる
鯵庵(R6.8.15)