2018年 05月 08日 ( 2 )

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醍醐(だいご)にある醍醐寺は真言宗の寺
起源は清和天皇(※858即位)の時代まで遡る
弘法大師の孫弟子理源大師のが〝こんこんと水の湧き出る″この山に二体の観音をまつった
以後20数年醍醐天皇の時代に伽藍が完成したとある
何度も火災にあって荒廃していたのを秀吉の時代に再建された
秀吉の醍醐の花見(※1598)で花の名所となる
こんな由緒の寺も明治維新後の「神仏分離令」や「修験道廃止令」などの廃仏毀釈運動で閉山の危機にも・・
明治22年の陸地測量部の地図によると、奈良街道(伏見街道)沿いに民家があるものの醍醐寺や朱雀天皇陵などを中心とした水田地帯の様子が見れる
今は古都京都の世界遺産の一つでもある
伏見はほぼ秀吉の作った町
江戸政権に変わっても徳川直轄領としてかつ独立した町として存在してきたわけであるが・・
明治になって紀伊郡伏見町となる
昭和4年には伏見市になる
ところが昭和6年(1976)に京都市に編入され伏見区となる
2年足らずであったが伏見市として市政を敷いたことがある
その時周辺の深草村・竹田村・横大路村・納所村・向島村・醍醐村など合わせて京都市に編入され伏見区になった
その後昭和32年に久世郡淀町を編入
伏見区は紀伊郡・久世郡・宇治郡の一部を合わせて3郡にまたがった区となる
十把一からげの物語である
鯵庵(30.5.8)

「醍醐寺は伏見区だけど(市内バス事情③)」も参照されたい



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by ajiankyoto | 2018-05-08 19:29 | 都市 | Comments(0)

山科盆地と伏見街道

京都から山科の方へ行く道の一つ大岩街道はトンネルがなくても東山を超えることのできる道である
明治・大正と東海道線はここを通っていた
今は、名神高速道路がこのルートである
トンネルがある訳でもないので、東山連峰を超えていることに気づきにくい
両側に山が見えなくなったら山科盆地に入った訳である
勧修寺(かじゅうじ)が山裾にある
地名は〝かんしゅうじ″と言っているが、お寺の名前は〝かじゅうじ″と言っていた
京都山科の名所と言えば他にも随心院、大石神社、毘沙門堂など一度は訪ねてみたいところが多い
が、醍醐寺も・・・山科と思いきや実は醍醐は伏見区である
宇治郡醍醐村は昭和6年(1931)京都市伏見区に編入された
山科盆地は旧東海道の近江と山城の国境山科追分から巨椋池までにつながる盆地
この山科盆地を貫いて伏見へ向かう街道がある
都を通らずに伏見は向かうことから伏見街道ともいう

伏見(六地蔵)から南へ進めば府道7号(京都宇治線)で黄檗山万福寺の前を通って宇治へ行く奈良街道
山科盆地は東山山系を挟んで京都盆地と双子の盆地で伏見のところで繋がっている
伏見から山科盆地を進めは直接東海道へつながる
そこに秀吉の伏見城のもう一つの謎がある
都を見晴らすだけでなく、東海道方面・奈良方面・大阪方面の扇の要の地が伏見であった
鯵庵(30.5.8)

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by ajiankyoto | 2018-05-08 09:57 | 都市 | Comments(0)