2018年 06月 17日 ( 1 )

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故人が生きていたということは理解できる
でも、そもそも、家族こそが一番故人のことを知っていない
それを知っている人の話を聞くなら、それはそれで人を偲ぶことは出来る
ひょっといたらお通夜の意味はそんなところにあったのかもしれない
それでも人の一生は長すぎる
10年も20年も病気してたら、おかしくなって家族に迷惑かけたことだけ人しか思い出せない
とても皆が言うほど厳しかった人とはとても思えない<・・なんてことになる
サラリーマンだって金貸しだって仕事の成果は評価されるが仕事の癖は正しく評価されることはない
そういう癖の悪さがあると葬儀の参列者の一つの楽しみになることもある
が、昔ばなしは要らないと言われるかもしれない

葬儀は誰のためにあるのかと言えば、残された者のためにあった時代もある
喪主の社会的地位が葬儀を作る
それでいいのだが、時に参列者が困ることもある訳である
自分の親がどんな親だったのか説明できない
テレビドラマのように単純でない、しかしドラマほど複雑でもない
笑い話だけどただの女好きだったと言われるほど単純な生き方をした人は存在しない
家族葬ではもはやそれも必要ない
だから親は単に親である、子は単に子である
家族が集まって遺品整理の話ばかりしておけばいい
それは世の常、凡人も別に困るほどのことではない
死人に個性を感じるのはやはり家族だけかもしれない

人の人生は毀誉褒貶である
世の中(現世)というものはでは人間がみんな集まって出来るだけ都合よいように作ったものである
従って、世間は右と左、上と下、白と黒、・・本物と偽物、正と邪、・・似たものばかりで自分と他人の区別も分からない
警察だって裁判所だって裁けないことが多すぎる
世間のことを世間が裁くのが世間たるゆえんであるどっちみち地獄へ行くのは一人だ
そもそも地獄は現世の資産や地位を認めてくれない、極端に公平な世界だ
閻魔だけが評価する?誰もが通らなければならないのが地獄の門である

絶対の地獄の掟である
その時こそ言いたいことを言えばいい、現世での嘘は通じない
地獄でこそ始めて裁かれ、また地獄で始めて救われる人もいるだろう
そのことを知っているものだけが人生の英雄である
死後のことは天に任せばいいし、自分の身は閻魔に任せるしかない
先に亡くなった分だけ仏に近づける?
せめて年とってから罪はしたくないよな、ご同輩
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今回で吾亦紅シリーズを一応終える
18編に付き合ってくれた人およびその家族の老前・老中・老後・往生・後生に少しでも幸あれと祈る
鯵庵(30.6.17)

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by ajiankyoto | 2018-06-17 20:13 | 家族 | Comments(0)