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カテゴリ:往生( 31 )

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一時、ゲス不倫という言葉が流行った
不倫好きの人のために弁護すれば、不倫イコールゲスということではないのだ
この場合は「下種がした不倫」ということなのである
下種(げす・下衆・下司とも書く)とは振る舞いなどに品性が感じられないことを言う
そういう振る舞いを言うし、そういう人を言う

昔、職場でこの言葉が好きな上司がいた
仕事の謎が解けないときは、下種の勘繰りこそがが当たるというのが持論だった
こちらが下種になって勘ぐれば、相手の狙いや気持ちや腹の底が手に取るように解るという
下種の勘繰りというのは、ひがんで邪推することなのであるが・・
邪推の方が正しいことが多いというのだ
世間は打算と欲の二つで動いている???
「下種の勘繰りよく当たる」という
サラリーマンの哲学の一つだと小生今でも思っている

物を考えるのにまた人と付き合うのに高き清きところでは誤りの元になる
心構えの始まりは下種なのである
世間のほとんどはまだこの段階(下種)なのだ

そう思えば解ける話が多い
暮らしもそうだし、仕事もそうだった
テレビで見てる話題もそれなら分かる
世間の商売もそうだし、官僚でも政治家でも同じことだ
そこらじゅう・・下種っぽいのだ
下種の寄り合い、下種の忖度しあいである
下種っぽい世間なら下種の勘繰りの方が当たるのはあたりまえ・・だ

下種とは仏教用語である
初めて仏に触れたものに仏が種を下し与えることである
なお、やがてその種は熟し最後に花が咲く
このことを「種熟脱(しゅうじゅくだつ)」という、法華経の教えである

小生に下種の種を植え付けてくれたおかげでこんなブログを書ける
余談ながら・・その上司は田舎へ引っ込んで住職が逃げた寺の守をしている
売れるものは早くに売ってしまった
生活が出来なければ坊主も逃げ出す、「明治の廃仏毀釈がまたやってきた」・・と言っていた
その話も聞きたかったが、その上司ももはや音沙汰がない
鯵庵(1.6.2)

by ajiankyoto | 2019-06-02 18:08 | 往生 | Comments(0)

年功序列

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この頃、サラリーマンしかしたことのない人がシルバーの職場に増えている
小生もその一人である
継続的に仕事のあることは幸運である
シルバーも早いもん順は間違いない

そう言うと、私の先輩は、シルバーに歳の差は関係ないと言う
シルバーの年功序列というのは死ぬ順番のことを言っている
病気もボケも許されない
早いもん順とはそのことらしい
「年功序列に異議があるならボケるのは後回しにせよ」と・・・言っていた
やはり年とってからの仕事は買ってでもせよ?????
鯵庵(1.5.10)

by ajiankyoto | 2019-05-10 08:26 | 往生 | Comments(0)


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この頃街中を歩くと同年輩によく出合う
都会は今はガードマンの時代だ、道路工事に限らずパチンコ屋でもスーパーでもお寺でもそこらじゅうガードマンである
よく見ると、それこそ同年輩が多い
ヘルメットをかぶって少し顔も汚れているが、手入れされた髭の似合う紳士が多いことに驚く
この世代ではガードマンの仕事につけるのはエリート的存在なのだ

同年配の輩(やから)とは昭和20年前後から20年代の生まれというところ
帽子をかぶってリュックを背負って、いかにも街中をぶらぶらしている
もちろん結構いいものを着ている
まー恐らく定年を暫く過ぎて、しかも、仕事は何もしていない
広義で言えば団塊の世代とも言う
団塊の世代はそもそもその言葉が嫌いだけれど、それに代わる有効な単語がない
小生もその仲間だというのに、そんなぶらぶらしているオッサンを見るとこの頃鬱陶しい(うっとうしい)と思ってしまう

昼飯にさる中華屋に入って驚いたことがある
一人でビールや酒を呑んで中華を食っている人に挟まれたことがある
夜勤明けの労働者でないのは誰にでもわかる、それがまた同年輩である
カウンターで両側に大食漢の同年輩に挟まれると席の幅は狭い
必要以上にゆっくり食事する様子はそしり食いの様であった
たとえそれがデカダンスであったとしても・・・
客の若きサラリーマンやあるいは安い時間給で働く店員から見てどう見えるのだろうか


朝から一日街歩きの文化人風老人、昼間からビールで食らう今は遊び人風老人
その他にも、株屋の前で数字の掲示板を見つめて一日過ごす人もいる
この頃のメーデーやデモで大多数を占める元気な老人たち、これ皆街で出あう同年輩である
いずれにしろつい数年前まで都市の経済を支え会社の中で必死で働いて来た人であろう

"憎まれ者世にはばかる"という言葉がある
実は"憎まれてこそ世にはばかる"というのが正しいのではないか?
今もって世にはばかる輩も、今頃になって世にはばかる輩も同じである

その人それぞれの実際の境遇や懐具合はそこからは何も見えやしない
ただ、若い人の目から見れば腹立たしく感じるかもしれないと、この頃思っている

現在(いま)も違う以上に、過去も違う、もっとそれ以上に先のことも違うだろう
ただ、間違いなく、同じような人生(老後)を暮らすことはないように思う
家族にも社会にも何の役割もなくはばかるその姿のまま、あと何年暮らさねばならないのだろうか
ここまで来て犯罪者に転落する人間もいる
不幸でもないのに人を羨ましく思って暮らすのは嫌だ
やはり不健康で長生き出来ない人もいるだろうし、長生きしたとしたら一人で施設で暮らしているかもしれない
何か絡まっているように見えるけど碇(いかり)ほどのものじゃない
60歳を過ぎればアンカーのない小舟なのだ
おそらくイソップ童話の結果とはきっと違うだろうけど、それが誰にも本人にも分からない

のが人生なのだと、思えてくる
鯵庵(1.5.8)

by ajiankyoto | 2019-05-08 08:41 | 往生 | Comments(0)

立夏の頃

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新緑だと言えば"青もみじ"だと言う
「京都ではそう言うんだよ」と逆に富山の友人が教えてくれた
そうか、金沢・富山までは昔から特急サンダーバードが走っていたな
だから、京都の旅は身近だという
JR西日本などの交通観光業界が力を入れているというのが訳だった

なにはともかく国語辞典でもみじを引くと、➀紅葉とある、②に"かえで”とある
かえでを引くと、カエデ(楓)科の総称とある、葉が手のひら状で紅葉が美しいとある
新緑が美しいというのでは足らなくて・・"紅葉が美しい楓の新緑、若葉も美しい"と言おうとすれば"青もみじ”になる?
元々新緑や若葉などと適格な言葉が存在する・・それで十分ではないかと小生は思う訳である

なお・・俳句の季語なら青楓(あおかえで)という言葉が古くからある、そのことやんか
実はそれどころか、「青紅葉(あおもみじ)」という言葉は既にあるのだ
紅葉の時期にまだ緑色を残しているもの、あるいは紅葉の進みを言う

紅葉しているものと未だ色づかないものグランデーションを愛でた言葉である
言葉としては新緑一色よりも奥が深い感慨が得られる

「青もみじ」という青二才的造語は、立夏のこの時も、紅葉の名所に客を導ための言葉である、ことを理解している
京都を売らなければならない業界の努力である
言い換えればこれもサラリーマンの論理なのである
観光というものはすべからくミーさんとハーさんのためにある
語彙(ごい)に飢えている人には青楓(あおかえで)より入りやすいのも事実だ
あえて言えば「青もみじ」と「青紅葉」ではまるっきり意味が反対になってしまう
なお、しかし、観光業界用語「青もみじ」は人生の秋の言葉「青紅葉」を駆逐するだろう


そんなことを言ってると今度は「あお若葉(もみじ)」というのが出てきた
若葉と書いて強引にもみじと読ます・・・・??

鯵庵は言う、つまらんことを言うと「往生しまっせ・・?」と漫才では言う
往生しきれないことを往生しまっせというのだよ
それが分からないと言葉の面白さのが分からないのだよ
鯵庵(1.5.6一部訂正)

by ajiankyoto | 2019-05-03 21:21 | 往生 | Comments(0)


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この頃家を出る時の忘れ物が多くなった
二度も取りに帰ったこともある
忘れ物をしないようにと思うと、他のものを忘れたりする
財布や携帯電話や鍵など忘れなければ何とかその日は過ぎる
それと忘れ物に気づかなければその日は過ぎる

忘れ物でも帰ってくるまで気付かなかったらそれは要らなかったものに近いのだが・・
と言うことでリュックにしたら、リュックが一杯になってしまった

それでも・・何かを忘れているという恐怖感がある
ガスを消しただろうか、本当に鍵をかけて出ただろうか
家内がいなければそんな心配まで増える
そんなことでは一人暮らしになったら外出もできないのでは?

それでも今までも忘れ物ばかり
ボケが始まっている???・・・という人もいるが
忘れ物とボケはやはり違う、忘れてはいけないものが多くなったのだ
開き直って忘れ物があると思って家を出るようにしている
♪青春は忘れ物、過ぎてから気がつく・・と言う歌があった
長い人生ならもっとあっても不思議ではない
余韻も足跡も残せないかもしれない人生、取りに帰ってくるほどのものはないか

そもそも・・平成の忘れ物は取りに帰れない
鯵庵(1.5.3)

by ajiankyoto | 2019-05-03 08:41 | 往生 | Comments(0)

老ネズミ男の妄想


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病気や薬の副作用で出る妄想はやはり病気の所為である
が、それはわかっていたとしても家族にとっては重大事になる
波があることも医者から聞かされているが波の高い低いは家族でもわからない
妄想はおとぎ話は違う
おとぎ話は最初から架空の話だと分かっているが
幻聴や幻覚は現実なのだ

心にも耳にあるような三半規管みたいなものがあるのではないか
その心の平衡感覚が狂い出すのではないだろうか?
心は握りこぶし二つを合わせたものだというけれど
それが離れたからといって倍になる訳ではない
小生は医学の知識もないし、心理学の素養もない
なんとなく気づくことがある

妄想はあらぬことを考えてるのではないのだ
妄想というのはその人の本心なのだ
もともと本心というのはいつも固い殻を被っている
そう訓練されたというのが正しいのではないか
妄想の始まりは人が信じられなくなることだ
自分だけが可愛くなる
求めているものは(下世話に言うと)色と金なのだ
あとは子孫を残す本能かもしれない
本能ボケながらだからこそ人に獲られたくないのだ

本心とは逆の顔をして生きてきたことが壊れるのだ
その皮が壊れたりして本心がむき出しになる
あるいは心が壊れて本能がそのまま出た状態が妄想なのだ
幻聴・幻覚というけれど本人には幻聴・幻覚でないことが問題なのだ
年とって病気になることの怖さがそこにある
病気になってぼろが出る??のである
小生のその正体が根っからのスケベーなネズミ男であったのがばれるのだ
鯵庵(31.4.25)



by ajiankyoto | 2019-04-25 17:24 | 往生 | Comments(0)


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少し前のこと・・”老後の暮らし方に結婚がある”と言ってある女性作家が結婚した
"60代になると老後しかない"と言ってるようではあるが、逆にまだ"現役"だと言ってるようでもある
ただし、この場合の老後とは明確に定義されたものではなく、"やがて来る"と言う意味に近い

誰でも老いる限り老いて後の老後は必ずやってくるわけである
老後は多様である
それよりも貧富の差の方が気になる
人によっては若い時のままであり
人によっては転落している
他人から見ればシルバー一色に見えるかもしれないが、赤や黄や青や黒も、多色である

60代になって初婚だとすれば最初から枯れるわけにはいかない
ゆったりとした老後を得るためには老後への蓄えの一つとして結婚もある
老後という言葉を使える人はそれだけでも仕合せである
老いるということを語れるということである

老人化の過程を一つの人生と考えることが出来ているということだろう
老後が人生の暇つぶしだったり時間つぶしだったら人生が不甲斐ないことになってしまう
と、思いませんか

補注:写真は傅大師、善慧大士とも言う。中国南北朝時代の在俗仏教者。転輪蔵を創始したと言われる。嵯峨釈迦堂にて
鯵庵(31.4.20)

by ajiankyoto | 2019-04-20 17:15 | 往生 | Comments(0)

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家の中に1円玉が増えると認知症の疑いがあると・・という話をする人の話を前にした
日常生活の中にそれらしき症状が現れるものだから、家族の早期発見が大事なことは確かである
件の講師も、80歳前半の人(もちろん生存者)の大体5人に1人だと言っていた
それでも年齢が上がれば割合は進むことになる
他の手引き書でも、認知症の発症は80才以降の年齢で急に上昇し95才以上までなると大体5人に4人にもなる
深刻な数字である

もちろん、認知症と言っても色々な種類があり、どこまでのことを言ってるのか分からない場合もある
現実に、アルツハイマー型の認知症は認知症全体の半分に過ぎない
その他のものについてはあなたも名前も知らないというのが現実だろう
早期に適切な診断がなされないと適切な対処が出来ないのは当たり前である
気になることの一つに、医療体制の都市と田舎の差である
また、治療法が少ないこともこの病気への理解を浅はかなものにしているのではないか
そんな正確な知識は家族にだって求めるのはほぼ無理である

認知症のことも知りたいし語りたいのも事実だが、この件については明らかに経験不足である
ともかく、こんな深刻なこと、風評だけはやめようと思う
この講師の話で納得できたことも沢山ある
ボケと認知症の最大の違い
認知症の人の最大の特長は「自分に不利なことは一切認めない」ということだった
社会生活の基本が欠けてしまうのだそうだ
この言葉が今、小生の中で尾を引いている
本当にただのボケだったらいいのだが・・
鯵庵(31.3.23②)

by ajiankyoto | 2019-03-23 21:43 | 往生 | Comments(0)


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カメラのオートフォーカス機能も今は当たり前である
今も昔もピントを合わす理屈は変わって無いような気がするが、
今みたいに勝手にレンズがくるくる回る方の理屈がわからない
写真を始めたころ、先生がいないので職場のカメラ好き先輩に写真を見てもらったら、
期待に外れて「皆、ピンボケやんかと・・」とボロクソに言われた
レンズというものは必ず焦点が合うところがあるのだが、自分が狙ったところにあっていないことになる
屁理屈をいえば本当はその画面の中でピントがあっているところがある

例えば人間の顔は目に合わせと言われる、眼球の表面にピントを合わせということである
が、鼻が高い人の鼻先にピントを合わすとピンぼけ写真となる筈であるが、が見ることは出来る
光学的にピントが合ってるのは点であるが、写真にしたときその点の前後にはピントがあっていると見られる範囲と言うものがある
それを被写界深度と言う、それを上手く利用するのが写真の第一歩である
小生の先輩が言っていたのはそのことである

当時、マニュアルカメラだから、カメラのせいではなかった
ならばどう違ったのかと言うと、それは絞り値が違ったのである
絞り値が違ったのは、シャッタースピードが違ったからのである
シャッタースピードが違った原因は、フイルムの感度にもよる
カメラの歴史は250年になる、だが、カメラの基本は昔と変わっていない
基本は変わっていないのにどんどんどんどん進化している印象を持っている
それは、ピンボケを少なくする技術なのだ
シャッタースピードをを早くしたり、感度を上げるのも目的は同じである
俄然、デジタルカメラの一番得意のとこなのだ
レンズを短くしてレンズ径を小さくして、そのかわり感度を高めていけばピントが合う幅(被写界深度)が長くなるという理屈なのだ
カメラは元来軍需品なのだ、スパイは大きなカメラを持たない・・そういうことだ

今のデジタルカメラの完成度も高くなってきた
これからの機能は今度は反対の方向(大きくて重くて不便ながら・・)に進んでいる
そうしないと昔みたいに多くのレンズを必要としないからである
そんなこと(歴史)知らないで進んで来た人には、そういう使い方は面倒である、だから、今度は手ぶれ防止がいる理屈だ

最後に残された課題はカメラマンの老化なのだ?
本当のピンボケの原因はやはり年令だったのか?
そういえばシャッター押すのにも体が震えている
息を止めると少しあぶない

京都の街角で日本製の大きなデジタルカメラを持った若い人に声をかけると多くは外国人だった、スパイのように写真を撮りまくる
日本の工業製品でまだしばらく底堅いのはデジタルカメラであると思う所以である

絵は愛器コニカⅡB(1956・S31)、62歳になるこの機械にはフィルム巻き上げがなかった
鯵庵(31.3.17②)


by ajiankyoto | 2019-03-17 11:28 | 往生 | Comments(0)

「資産寿命」が尽きる時


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「老後」というのは使い勝手の良い言葉だ
誰にでもあるけど、幾つになっても進行形である
いくらでも心配できるしいくらでも脅かせる
「健康寿命」など言うのも同じだ
寝たきりでは生きてる値打ちがないと老後を鼓舞してくれる
ケツを押したり足を引っ張ったりどちらでも使える
「資産運用」も使い勝手が良い
ない人もある人も増やすことが出来るならそれに越したことはない
その都合から
「資産寿命」という言葉が生まれたのだろうか
証券会社や生命保険会社が余計な計算をしてくれる
老後の日常生活費は月22万円(平均)
だがゆとりある暮らしは月35万円、その差額は月12万円
老後スタート時(65才想定)の貯金(退職金を含む)3500万円(平均)
3500÷12÷12で24年・・で、90歳を前に底をつく
年3%で運用すれば、105歳まで生きることが出来るという
安全な投資信託などで資産を運用をしないと健康寿命より資産寿命が尽きてしまうぞ
と、脅かす

でもな、10年前のリーマンショックの時だ
投資信託は自分の元本を削って配当してくれていることが分かった
素人は皆、うかうかしてるうちに解約が遅れ大幅な元本割れを起こした
多くの人が退職金と老後資金を減らした
今の銀行や証券会社にはそのころの社員はもういないらしい
それにしても月35万のゆとりある老後生活が出来るとしたら
我が国の経済はそれだけで既に数%以上の成長率を続けていただろう

確かにそういう人もいるだろうな
入ってくるものが有り余るなら毎日宮廷料理でも食えばいい
80になっても90になってもまだそれだけのコストがいるのだろうか
そもそも、老後の生活でゆとりとは何なのだろうか
ほとんどの人が入ってくるものでしか暮らせないのは当たり前である
年金で足らない分を家族で万引きをして暮らす人もいる
そんなゆとりだけは勘弁してほしい

老後というものは多くのものを整理して捨てて生きながらえていくことでもある
資産寿命が尽きた人に宮廷料理のメニューを見せて何をしたいのだろうか
それこそわずかな貯金をまた吸い上げてやろうというのだろうか
写真は塀の外に落ちた椿、踏まれまいぞ、その気持ちわかる?
鯵庵(30.4.13)




by ajiankyoto | 2018-04-13 07:35 | 往生 | Comments(1)