風俗という言葉

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そもそも、「風俗」と言う単語は矮小に言葉が変化した
法律に一番なじみにくい性質の言葉だったのに、
着ぐるみ(風俗営業法)を着たみたいで本当の顔が見えなくなってしまった
性風俗だけが風俗と思われるようになってしまった
あえて、風俗と言う言葉を使うべきである

風俗とは、本来、人の営みの歴史みたいな言葉である
人が寄れば醸し出され、社会が出来れば制度・文化に変わるほどのパワーを持った言葉である
服装・飲食・住居・年中行事・遊び・芸能・信仰・身分制度・商業経済・交通通信・教育・保健衛生などなどカテゴリーに限りはない
文学はそれそのものであるし、今時のブログを書く人は皆肌で知っている
風俗という言葉をみんなが使わないと言葉と一緒に風俗が見えなくなってしまうのではないか

小生思うに風俗に一番近い言葉は世相、次が生活である
長い長い時間軸を縮めて述べれば歴史になる
そこにも男と女がいるのは当然のことである
男と女のことではなくてその前のことだと思う
人の時間の軸で述べればどうやって大人になっていくかだと思う
その先どうやって暮らしていくのかということだろう
鯵庵(30.4.19)

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by ajiankyoto | 2018-04-18 21:00 | 大人の恋 | Comments(0)

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灰色のハート(後)
誤って削除してしまいました
余りに簡単に消えてしまいました
落胆してます
イイネをいただいた30数名の方にお詫びいたします
もう一度書き直しますがしばらく時間を下さい
明日・明後日は京都を離れます
明日の投稿は予約投稿です
ブログは京都から発信します
鯵庵(29.11.28)

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by ajiankyoto | 2017-11-28 17:36 | 大人の恋 | Comments(4)

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薄幸の役を演じる女優さんがいる
女優さんだから役にふさわしい雰囲気が必要だ
ドラマとしては美人でなくてはならない
女優が本当に薄幸かどうかは別の問題であることは当然である
美人であるのに薄幸であることがドラマである

ふてぶてしく生きている人が不運なことになったとしてもそれを薄幸とは言わない
それは欲張りである
不運なことは認めてもらえても世間の同情を得られることは少ない
多くの人が知るとおり美人と「幸せ度」は"ほぼ"正比例する
不運である美人を世間はほっておかない
苦情があるかもしれないが、歴史的に証明されている定理の一つである

「強くなければ女でない」というテーマで先に言ったことだけど
やはり女の敵は女なのだ
美人でないのに幸せだと女性に嫌われる
自分より不幸になってくれる同性が多いほど幸せなのである
美人は美人であるだけで元来幸せなのである
それ以上にまだ幸せがついてくるとある女史は嘆いていた
もちろん自虐的な冗談なのだけど、ここで一緒に笑っては誤解される
そんなことでくじけていては女を張っていけないというのが正しい

女性に幸せをやれる男性が男だろう
そういう男に会えたらそれは幸せだろう
幼き時から可愛いと言われ、自分は美人側だと信じて来た人は
美人は美人であるだけで幸せであるという都合のいい定理だけにはまってしまって
男を見る目が養われないという反対の宿命を負っている
美人も幸せも定義できないものだから結局ドラマのような話でないと理解できないことになる
世の中の定理には全て裏が用意されているのである
鯵庵(3.25)

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by ajiankyoto | 2017-03-25 12:00 | 大人の恋 | Comments(0)

大丈夫ですよ

大丈夫ですよ
だから携帯とったんです
そっちこそ大丈夫ですか
いつもメールで言うてくるのに
電話をくれるなんて
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♪お久しぶりね こんな真夜中に
♪あなたから電話をくれるなんて
♪おかしいくらい 真面目な声で
♪あたしに迫るから 眠気も冷めた

鯵庵(2.2)

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by ajiankyoto | 2017-02-01 20:45 | 大人の恋 | Comments(0)

「おさん茂兵衛」落語編

江戸期天和年間(1683)、京都四条烏丸(しじょうからすま)にあった大経師(だいきょうじ)家
そこの嫁・おさんが手代の茂兵衛と不義密通(ふぎみっつう)
丹波への逃避行の末見つかって京で磔(はりつけ)にされた事件のこと
井原西鶴が「好色五人女」に「中段に見る暦や物語」で書いた
それを、近松門左衛門が浄瑠璃の戯曲に書いたのが「大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)」
暦の名ではない、おさん茂兵衛の話である
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話は脇にそれるのでお許しあれ
この事件を揶揄した艶笑噺を桂米朝がしていたのをネットで見つけた
ただこの話はおさん茂兵衛の事件とは直接の関係はない
この話のおさんはただの表具師茂兵衛の妻だ
壁越しで隣の男と付き合っている
ひょんなことから隣の男の物が亭主茂兵衛の鼻にくっついてしまった
世間にも出られないし、医者に頼んでも取れない
ということで京都の奥鞍馬の大天狗に頼みに行くわけであるが・・
一心に祈る茂兵衛の物がいいので天狗もひれ伏すというたわいのない話である
落ちは「わいのは素惚けや」という天狗の言葉である
小生が言ってるのでない米朝が言ってる

もう一度話が飛躍するが・・
1月中旬の大雪で市内でも14センチの雪が積もった
奥深い鞍馬線の鞍馬駅から見える天狗の鼻が雪の重みでとれたという
そんなニュースを聞いてこんな話を思い出した
張りぼての天狗の鼻では大雪の重みで折れることがある
芯を入れとかんといかんかったんではないだろうかという話である
この落語の落ちで使われた「素惚け」という言葉がなんとも柔らかくていい言葉だ
ボケには「呆け」もあれば「惚け」もある、
人を型にはめて医者の言うまま「〇〇性認知症」だとか言う風潮に比べれば人格が残っているではないか

暦の話や「おさん茂兵衛」の事件のことについてのコメントは改めてします
絵はお土産にもらった鞍馬の佃煮店「京くらま林」の包装紙をうつしました
鯵庵(29.1.19)

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by ajiankyoto | 2017-01-19 08:20 | 大人の恋 | Comments(0)

大人の恋は他人の関係


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今回は新聞の人生相談記事からです
大人にも恋はあるのかと問われれば?
「思春期の」、とか、「青春時代に」という言葉が前にきたら・・
その時は、恋をしなくなったときが“大人”と言うことになる
だから、大人は恋しない
でも「若いときと同じように」といわれたら・・
特定の異性に対して、自らを好もしく思って欲しいと願う心があるとしたら、
やはりそれは恋と言ってもええやんか

そんなことなら何歳になっても(ある程度)日常的であるはずである
困ったことにそれでは世間に恋だらけになる
あるかないかと言えばあるが、するかしないかと言えば、必ずしもするとは限らない
新聞の人生相談で読んだ話である
”60歳を超えて夫が亡くなって子供も大丈夫だから、昔好きだったけど親に反対されて結婚出来なかった人”を探したいだって・・
回答者の弁、年月は戻したらダメだよ・・新しい友達を作りなさい
回答者優しいね、もっとキツイ目の方が親切だと思うけど・・まあ、小生もそう思う
成長しない恋はダメ、年寄りには年寄りなりの新たな恋なら賛成なんだが・・

大人の恋は、既に恋ではないかも知れない
大人の心情はピュアの状態ではないのが普通である
恋は汚れる、年とって分かることの一つである
好きとは別もん?別の日に回答者が言っていた
「人を愛することが出来ない人にも恋はある、だから恋は怖い」
そんなこと早く言ってよ、若い時に言ってよ
いやそれより若い人に言ってあげてよ
”人を愛することが出来ない人も恋はする”
私は、・・って、私は好もしく思ってくれる人だけが好きである
こんな性根がダメだったのだろうな


金井克子「他人の関係」
作曲川口真
作詞有馬三恵子
♪初めての顔でお互いまたも燃えるの
♪大人同士の恋はいつも自由でいたいわ・・
と結論
同感?改めて聞きたいと思ったら、ネットでどうぞ


写真は持ち手の欠けた醤油甕、今頃恋しても使い道がないって
鯵庵(11.9)

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by ajiankyoto | 2016-11-09 08:07 | 大人の恋 | Comments(0)

明美はアケビの化身か

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野生ではないが自然のアケビが手に入った
田舎で自生のアケビが結実していたのを見つけた
厳密にいうと樹木等は土地に付属するというから本来持ち主がいるということになる
アケビは蔓で巻きつく植物であるので土地の境界を越えることもある
そんな難しい言い訳をしなくとも問題がない小生の家内の里の話

小生としては種を食いながら種を残して垣根みたいなところに撒いておこうと思っている
アケビの新芽が山菜並みに味わえるということを聞いてから俄然その気になってきた
地方によればアケビの新芽はズバリ「木の芽」というらしい
まだ先のことですがレシピを教えてください

ムベ(郁子)は身が開かないけど、アケビは身が開く
開く実、あけみ(開実)が転訛してアケビになったという話もある
開実がまた転訛して明美になったというのが小生の理論
実が開くということは男にとって嬉しいことだ
「アザミ嬢のグッドバイ」で兎我野町のママの名前が「明美」だったと言った
源氏名で「明美」というのはママになれる名前なのだ?
写真はアケビ
鯵庵(9.7)


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by ajiankyoto | 2016-10-07 07:00 | 大人の恋 | Comments(1)


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余り会話には使われないが曖昧宿(あいまいやど)という言葉がある
表向きは茶屋や料理屋を装い娼婦を置いて客を取らせる店をいうとある
宿の一種だけど、浮世茶屋とか矢場とか置屋とか貸座敷とか言うイメージだ
旅行者の宿泊が主目的ではない、要は都合があって偽装した宿、ホテルだ
また、男女が逢引するための場所だから、偽装が必要な宿と言った方が分かりやすい
追及されたからと言って「偽装と言われても仕方ない」などと謝る必要はない
偽装は客のためにしているので偽装していることが分らないと入りにくい


昔は連れ込みホテルなどと言ったが、それでは偽装にならない
現代用語で言えは、フッションホテルだ
ひと時潰れかけたがこの頃街角にかたまってあるのが繁盛している
侘しさも後ろめたさもカバーしてくれるように偽装している
風俗店も無店舗型でないと許可を貰えないということで??共存共栄しているらしい
曖昧が売りだから夫婦でも入れます
その代り困ったことに外国人旅行者が家族で泊まったりする

二軒茶屋と言う言葉が昔からあって・・
デパートやパチンコ屋ですら二軒並んでいるところが商売になるらしい
ましてやお茶屋やフッションホテルはなお更である
ひっそりでは商売にならない
温泉マークとか逆さクラゲといったのを覚えている人も多いはず
それが今はファッション、この場合のファッションは風俗ということである
風俗とは本来庶民の暮らしそのものを言っていたのに・・


旧都である京都で生まれ、徳川体制の新都である江戸で発展した

もちろんこういうことはすぐに全国に広がる
時代劇では水茶屋とか出会い茶屋とかと言ったりする
その形が発展したのが花街であるが、色事は花街の専売特許ではない
男と女が生きていくことに遠慮は要らないが、今でも仮装は必要である

逆に有名高級ホテルこそ偽装している?そんな意見もある
だから、偽装の必要な金持ちや政治家や歌舞伎役者ら有名人はそちらを使うわけである
読者諸兄はどっち派?

写真は京都府立植物園にて
鯵庵(9.27)


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by ajiankyoto | 2016-09-29 11:42 | 大人の恋 | Comments(0)

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テレビ「鬼平犯科帳」のエンディングにインスピレーションの曲にのせて風鈴売りが歩く江戸の夏のシーン
確かにまともな茶店の作りである
江戸という新しい都は世界有数の大都市、鬼平が活躍するのは松平定信の寛政の改革の時期である
ドラマにも生き生きした江戸文化が表現されている
中央集権国家(武家政治の)の首都として爛熟期(らんじゅくき)を迎えている様のその映像が、京都の街で作られている
さすがの松竹でも東京のスタジオでは〝江戸文化の池波時代劇″が撮れないという
当時の江戸は水の都、その江戸の季節風景は京都にしかないというその矛盾は、京都の街が今でも持っている不思議な力の一つである

ここは今宮神社の参道である、両側には同じような茶店が一軒ずつあって、本家争い?の元祖だ
何しろ平安時代からあるという話だから、茶店と言っても時代劇にもってこいの風情、なかなかのものである
どちらもあぶり餅、一方は「一文字屋和助」1000年〝血續・二十五代″Hさん、

一方は「かざりや」創業400年〝本家・根元″Oさん
血續対根元、ともに言葉と宣伝では一歩も引かぬ勢いが京都らしい
メニューはあぶり餅のみにしてともに一人前500円、定休日はともに水曜日、客引きのために通りの真ん中の石畳みは踏まない、共栄繁盛の見事な調和である
歴史京都らしいと言えばそうかも、どっちの贔屓しようとここまでくれば楽しい本家争いのルーツであるが、2代3代では真似が出来ないはず
喧嘩していればともに終わっていたはず、やはり京都の町人は喧嘩しない?ひょっとしたら、そんな家訓があるのかもしれない
そうでなくってもつぶれることもなく、さりとて大きくもならず、茶店が茶店のまま1000年も続けられたとしたら、善と悪では解けないものがある

「何百年も向かい合わせで店やってて娘も息子もおったやろうに、間違い(恋)の一つもなかったんかいな?」とこんな微妙な関係が何百年もバランスよくは続かんはず、絶対に喧嘩してるはず・・・と素朴な質問を店の人にぶつけた女傑がいる
こんな質問に答える京都人はいない・・今宮神社の信仰が続いたということだろう
ただ、そこまでの歴史があれば、大体権利を振りかざして商売の拡張を図るのがふつうである
現に京都のお茶屋は北野のみたらし団子屋から始まって、遊郭から今は花街上七軒として格式高く?生き残っている
団子や餅を食わすということは相当なサービス精神が必要である、それが水商売である
あぶり餅しかないということがよかったのかもしれないと思う
しかも二軒というのが味噌かもしれない・・と、その女史の論である<
写真はあぶり餅”いちわ”の暖簾
鯵庵(9.16)

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by ajiankyoto | 2016-09-16 07:41 | 大人の恋 | Comments(2)

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ツバメはいつも同じところへ帰ってくると言われている
卵を産んでヒナを育てる番(つがい)になるには必ず共同で巣づくりする
が、ツバメの育児には事故が多い
先ず巣そのものが狙われる、巣ごとヒナが襲われることもあるし、夫婦どちらかがやられることもある
ツバメの夫婦は事故がない限り添い遂げる
ただ、オスがやられたときは急いで新しい相手を探すようだ

ツバメは卵を抱くのもヒナに餌をやるのも交代でする、番(つがい)でないとできない
だから、子育てのためにはやもめ暮らしは出来ないのだ
(筆者註:元来、やもめというのは女性を言っていた。寡婦と書いたが、この頃は逆に男やもめのことを〝やもめ″というようだ)
メスツバメのみでは子育てが出来ないのだ
だから、若きツバメの出番ということになる訳である

群れの中で番(つがい)になれなかった若きオスがそこで登場する
ツバメは気候条件がよければ2度子育てをすることもある
今頃になって古い巣を修理したりする巣作り行為をするのは新しい夫婦なのだ
〝若いツバメ″という言葉を知ってますか?
時々人類の世間では若い男との浮気の例えで言われるが、ツバメにとっては不躾な言葉である
ツバメは子育てのためにのみ再婚するのだ
生態の上で重要視すべきことに一夫一婦制を必死で守っているのはツバメの方である
かくしてスペアーで待機していた若き♂ツバメたちは自分の子孫を残すことが出来るわけである
写真は我が家のツバメ、珍しくユリの蕾で休憩する
鯵庵(28.6.29)


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by ajiankyoto | 2016-06-29 08:26 | 大人の恋 | Comments(0)