寺町通・今出川通の交点に近く大原口の碑(道標)がある
ここは出町と呼ばれる
ここから葵橋、御蔭橋を渡り出町柳駅を横目に花園橋を右へ高野川沿いに北上するのが旧の大原・敦賀街道である
八瀬まで叡山電鉄叡山線と並行する
八瀬から比叡山にケーブルカーで登ることが出来る
大原へ向かう途中に花尻橋がある
バス停の前には土井のしば漬け工場とレストランがある
その川向いが花尻の森である

寂光院に隠棲した建礼門院を見張るため頼朝が武士を置いたと言う
ここが大原(あるいは京の)の入り口だからだ
少しこんもりした土地であるが、ここは薮椿の大木が茂る名所である
NPO大原里づくり協会が"春には落椿で一面に真赤に染まります"との立札がある
ここは椿でも落椿の名所なのだ
小生がフィルムカメラを持ってここに始めて行ったのは20年ほど前になる
椿は高野川にかぶっていて清流にも落ちた花も他所にない風情だった
夏はバイクで行ってカワムツを釣ったこともある
落ちた椿がカワムツになるという作り話を信じたくらいだ
思えばそのころは贅沢な椿だった
この頃はそんな看板を出さなければわからないほどに椿の森も褪せている

大原に入れば多くのしば(紫蘇)漬けの店がある
夏野菜を赤紫蘇の葉とともに塩漬けにし日にちをかけて乳酸菌発酵させたものである
だから、生柴漬けは季節で味が微妙に違う
現に今は紫蘇の苗を作ってる頃なのだ
大原の里は都の生活物資の供給源であったが、柴漬けは京都では作られなかった
冬に雪に閉ざされるこの地ゆえのものだという
それが長い間大原の「ちりめん赤紫蘇」の種を守って来たという
大原三千院まで行く満員のバスでもここで降りる人は少ない
しかも橋を渡って椿を見に行く人はほとんどいない
ここからが大原の里
だと思える場所である
写真は石垣ではない、漬物石だ、今は休んでいる
鯵庵(30.4.10)



[PR]
by ajiankyoto | 2018-04-10 01:00 | 路線バス | Comments(0)

京都の世界遺産は点在するので、市バスは有効な足である
特に500円の一日乗車券はその点便利である
中学生の修学旅行のシーズンももう終わった
せっかくの京都だから、グループで乗ったり降りたり地図を見たり楽しんでくれたらいい、が、正直、時に行儀の悪いグループがいる
観光シーズンに市バスに乗る市民のストレスは大きい
小さな停留所でも乗ることは出来るが、小さな停留所では降りることが出来ない

降りられないことが恐怖になる
だが、修学旅行生なら通路を開けてくださいと言えば何とか気にしてくれる

ところが困ったことに、それに加えて外国の人が多くなるシーズンがやってくる
去年のシーズンに、回りほとんどが外国の人という満員バスに乗り合わせた
乗降りの度に乗客と大きな荷物が逆流、いつもなら不愛想な運転手が顔を真っ赤にしている
料金をもらうだけではない、乗車中は運転手がキャプテンだ、しかし、言葉が通じないそのストレスである
乗客がてんでにバラバラ、リーダーのいない群れである
旅は勉強なのに、買い物ばかり・・市バスも自分らが買ったつもりなのかもしれない
運転手さん、安全運転はもちろんお願いします

でも、見て見ぬふりはしないでくださいね
せめて、そんな路線にはもう一人(車掌)乗せてくれたらいいのにね
なんだったら、交通局が奥さんをアルバイトに雇ってやれば・・
お父さんの苦労が分かったうえで、息が合うかもしれないね
真面目な提案です?
観光局の偉い人の家族も毎日バスに乗ろう
そうすれば、「観光都市のためにも頑張ってくれてありがとう」と言いたくなるのにね

修学旅行の中学生でも、しっかりしたグループもあった
時に運転手に代わって乗客の面倒を見ることもある
5人・6人というのは小さくも隊である、自分らで隊長を選ぶ
隊長次第だ、運転手さんにありがとうと言ってバスを降りる
いいリーダーがいると一気に行儀良くなるものだ
修学旅行でそれだけでも学んでもらえば、京都市民も甲斐があるというものなんだが・・

仕方ないよなぁ、言葉だけの問題ではないよなぁ、運転手さん
もちろん女性運転手の場合だって同じこと

辛いけどでも、バスに乗ればやっぱりキャプテンだよ
写真は平安神宮大鳥居、バスでしかくぐれない、歩行者はくぐることが出来ない
鯵庵(12.19)

b0355451_08585458.jpg


[PR]
by ajiankyoto | 2017-12-22 06:13 | 路線バス | Comments(0)

東山七条を東山に上がれば豊国廟(とよくにまたはほうこくびょう)・新日吉神宮(いまひえじんぐう)であるが、実は「京都女子大学」の大キャンパスも
京都女子大学はもともとは明治32年(1899)仏教徒のための女学校・顕道女学校に始まる
時は高等女学校令や私立学校令公布の時に始まる
明治5年(1872)の最初の女学校京都女紅場より27年の後である
それでも京都でもっとも歴史ある私立女学校である

明治43年(1910)の京都高等女学校(西本願寺婦人連合経営)に
大正3年(1914)堀川五条にあった学校を現在地(今熊野)に移転
昭和24年(1949)新制の京都女子大学となる
親鸞の体現した〝無我伝承″を言うが、女子大生にもそれは理解できるものではなさそう
京女(きょうおんな)でなく〝きょうじょ″と読まなければならない
ここが女坂といわれるわけ
b0355451_08413893.jpg
七条通の京都国立博物館前を京都女学院に向かって走るバス
女坂を下ったり上ったり七条通から真っ赤なバスが走る
プリンセスというものだから〝京女(きょうじょ)″のスクールバスかと思いきや実は一般路線バス
「プリンセスラインは公共の交通機関です」って書いてあるから市バスの路線かなと思ったが、京都急行バス㈱という大阪に本社のある会社が運営する路線バスであった
京都駅八条口や四条河原町から専ら京都女子大学までの路線を運用している
路線バスながら京女を目指しているので、停留所が少なくゆえに急行路線であるわけ
もちろん路線バスだから誰でも乗れる
と言いながら、おかげで〝京女″はプリンセスの冠をかぶった
鯵庵(29.12.20)

[PR]
by ajiankyoto | 2017-12-20 08:00 | 路線バス | Comments(0)

b0355451_09031193.jpg
京都府立医科大学は上京区の河原町通広小路上ル、この地は今は梶井町と言う
明治4年までここに天台宗の三大門跡寺院の「梶井門跡」があった
由緒ある寺院で江戸期は御所に近いこの地に置かれていた
明治維新の際、当時の法親王が還俗して梨本宮家を興すことになったため、
仏像・仏具類を大原にあった天台宗の政所に移された
梶井門跡は洛北の大原に移転、大原の極楽院と一緒になった
これがこの時から「三千院門跡」となる
明治13年(1880)この梶井門跡の跡地に移ってきたのが京都療病院(京都府立医大)である
このくだりは「僧侶が作る病院」という題で往生のカテゴリの中で書いた

京都から若狭の小浜へぬける道は鯖街道と呼ばれる
市街地から小浜で100キロである
大原までの京都バスがこの道を行く
京都駅から約20キロ、ほぼ1時間かかる
街から大原へ行く人(観光客)はこの三千院へ行く人と寂光院へ行く人とに分かれる
三千院は上に書いた、し、歌謡曲で有名だ
一方、寂光院は平家物語の最後の舞台だ
建礼門院の往生の姿が偲ばれる

寂光院は聖徳太子の時代に遡るという尼寺である
もっとも今も尼寺ゆえにそれほど大きくない
バス停から道を行けば、大原の里は寂光院と一緒にあったことが分かる
柴漬けもそうである
素朴すぎる漬物であるが紫蘇を使うことが特徴である
赤紫蘇の葉と塩だけで1年以上つけて乳酸菌発酵させる
それが本当らしいが、そんなもの食った人は少ないだろう
そんなものも見てみたいという人は早速に大原へ向かうべきである
ただし、紅葉の季節が終わった頃が一番いい
鯵庵(29.12.7)




[PR]
by ajiankyoto | 2017-12-07 10:02 | 路線バス | Comments(0)

京都は中国にある都市かと思うことばかりであるが、
晩秋の一日を京都で過ごせることはそれはそれで幸せなことである
京都バスの嵐山線は渡月橋の輻輳(ふくそう)をすり抜けて南下、
松尾大社から苔寺(西芳寺)・すず虫寺(華厳寺)へ向かう
ここまで来れば日本の風景が少し戻ってくる
バス終点の前にある二軒の茶店はしきりに休憩を勧めてくれる
名物はとろろ蕎麦(そば)だ、隣は苔寺(西芳寺)である

門前茶屋の女将さんが気を使ってしゃべっている
苔寺は"京都の云々"の世界遺産の一つである
がしかし、思い立って急に行っても入れてもらえない
事前申し込みが必要なのだ
苔を見たいではなく、写経などしてもらいたいという
それも当たり前であるが、当たり前ゆえに拝観料も少し高くなった

苔寺は昔は京都・大阪あたりで不良若人のデートコースだった
苔の値打ちは分からなかったけど、苔など見たことのない都会人には値打ちがあった
しかしそれから、今から40年前(1977)に表門を閉めて今のようになった
もちろん、苔が痛むからだろう、手入れが大変なのは不良どもにもわかるほどきれいだった
だがしかし、若い人が禅宗の心に触れる機会はそれだけ減ったことにもなる
b0355451_22234410.jpg
一時は、このあたりの観光客の激減を心配されたが、
そこで浮かび上がったのが近所にある鈴虫の寺、同じ臨済宗の華厳寺だ
本堂で一年中鈴虫の声が聞ける寺としての人気にかけたのである
しかも、ご住職さんらの説法が上手い
鈴虫の音に禅を感じたことから飼育を始めたという・・
そこのところの説法は分からなくても、鈴虫の音は若い人にもアベックにも分かる
女性に人気のお寺に定着した訳である
ここもしかし、シルバー男性が一人で入れるような雰囲気ではない

苔寺も枯山水の庭だったと言われるが、何度も寺の前の川の水が出て荒廃していた
その所為もあってか、苔に覆われるようになったという
昭和になって、庭園の一般公開を始めたのはその苔のおかげである
表も裏も閉めてしまえば分かり易かった
苔も鈴虫も宗教的動機になることは小生にもわかる
それぞれ古き謂れのある寺である
それを観光に持って行くにはまた別の努力が必要だろうと察せられる
宗教戦略なのか、それとも観光戦略なのか小生には区別がつかない
やがて年中鈴虫の声と外国語の説法が聞けるような寺になるかもしれない
が、かくして、ともかくも京都バスに「苔寺・すず虫寺」行路線も残されたことになる
まだ、地蔵院もある
そう、門前の茶店の"とろろそば"も残ったことになる
鯵庵(29.11.21)

[PR]
by ajiankyoto | 2017-11-21 16:56 | 路線バス | Comments(2)


b0355451_14235209.jpg
京阪バスの山科急行で醍醐寺へ、京都駅八条口から約30分で行ける
醍醐寺は奈良から伏見を経て逢坂の関へ向かう古代からの奈良街道に面してある
醍醐山は修験道の霊場、醍醐天皇の時代に祈願寺となって発展した
修験道は、山岳信仰である
日本独自の宗教感で神仏習合の最も顕著な例でもある
真言宗の修験道はこの醍醐寺がいわゆる元締めである
室町時代には権勢を誇った醍醐寺であるが、応仁の乱で廃寺同然であった
秀吉が三宝院の再興に援助した
それが醍醐の花見である
明治になって、神仏分離の政策によって修験道(修験宗)は廃止された

その秀吉は伏見を隠居城にして京都・大坂と全国に睨みを利かしていた
伏見から醍醐寺までは奈良街道ですぐである
ここは伏見文化圏だとも言える
このあたりは山城の国宇治郡という
宇治川の右岸を宇治郡といった
そのうち旧東海道に近接する旧山科村あたりが東山区から山科区になった
今頃言うが、醍醐の村も醍醐寺も今は伏見区に所在する
だから、取り立てて言えば醍醐まで向かうバスに山科急行の名はズレがある

もひとつこの路線にはズレがある
路線バスだから停留所があるのだが、例の稲荷山トンネルで営業圏が違うのだ
東は山科京阪バスエリア、西は市バスエリア
乗客は同一エリアで乗降りできないのだ
山科エリアで乗った人は山科エリアの停留所では降りられない
その逆も同じだ・・・乗客は必ずトンネルを超えなければならないということになる
これをクローズドドアシステムというらしい
例えば醍醐寺から勸修寺によろうと思ってもこのバスは使えないことになる

それを承知で京都駅から山科への急行バスを走らしている営業努力に市民は喜んでいる
市内中心部は市バス王国でもある、京都駅前には簡単に入れてもらえない
市バス側の条件だろうか?
京都市が以前にも京都バスをいじめて使った手でもある
利用するのはどちらも京都市民なのに要らざる措置だと思うが・・
鯵庵(29.11.16)

[PR]
by ajiankyoto | 2017-11-16 20:00 | 路線バス | Comments(0)

b0355451_09500294.jpg
変な表現だが、市内にあって市内からもっとも遠い寺として常照皇寺(じょうしょうこうじ)を上げた
市内中心烏丸六角の六角堂から車で37キロあることになる
国道162号福王子から高雄を経て、京北周山へ
周山から国道477号で山国まで行くのが仮定ルートである
山国の庄は元禁裏の御料でもあった
臨済宗天龍寺派の名刹常照皇寺は禅宗に帰依した光厳上皇(こうごん・1313-1364)の開山
上皇は96代後醍醐帝の後を引き継いだ帝であった
北朝2代にわたっての院政を行った、が、南北朝の分裂により北朝初代の帝に数えられている
上皇はこの寺の裏山で火葬に付されそのまま墳墓とされた
常照皇寺は光厳帝出家の寺なのである

仮に一番で京都をたって常照皇寺へ行くとしたらということで時刻表を見た
6時50分JRバスで京都駅を出る、周山(しゅうざん)へは8時11分である、1時間21分かかる
周山からは「きょうと京北ふるさと公社」の運営する「京北ふるさとバス」が連絡
8時31分に「山国御陵前」に、そこから10数分、ほぼ9時前には山門に達することになる

北桑田郡(きたくわだぐん)京北町は平成17年(2005)に京都市と合併
それまでの町営バスがこのふるさとバスである
市バスでもなく、民営バスでもなく自家用自動車(白ナンバー)で有償の運行を行う「80条バ」スである
道路運送法78条の規定による、改正前が80条だったので、今も80条バスと言われているわけである
地域のバス事情が苦しいことを物語っている
京都市は年間数千万円の補助金を出しているらしい
市バスは途中の高雄までは運行している
高雄を超えると実は丹波の国(昔の桑田郡)に入る
市内が国境(くにざかい)を越えてしまったのだから仕方ないのかもしれない
南北朝の時代から京都の街とのつながりは深いのがいわゆる京北町である
鯵庵(29.11.11)

[PR]
by ajiankyoto | 2017-11-11 06:00 | 路線バス | Comments(0)

b0355451_09533227.jpg
市内(どこか知らないが)から遠いところにあるのが善峯寺(よしみねでら・西国20番)
小生は寒くないときにバイクで行く
道は分かりにくいし、坂はきつい、冬は滑る
この善峯寺へ行くのが阪急バス
午前を中心に1時間に一本、JR向日町発で約30分、終点から約10分上る

西国20番の札所だから、馴染みある人も多いだろう
平安時代の中頃に源信(げんしん)の弟子源算(げんさん)上人により建てられた
ご本尊は十一面千手観音(じゅういちめんせんじゅかんのん)
江戸期に桂昌院(けいしょういん)の寄進によって再興された歴史を持つ
樹齢約600年と言われる松が横に這っている
右京大原野や、京都が見渡せる
というほどの大きなお寺である

西国参りも順に回ると大変である
19番は革堂(こうどう・行願寺)だから直線距離で14.2キロある
道のりは乗り継いで20キロを超えるだろう
標高差約260メートル、そこから坂を上って石段を這い登っていく
こんなところにお寺がと・・思う人はいつも観光バスで行く現代人だ
麓から巡礼姿でこの坂を上れてここへ来れた時に感じることが出来る
これが信心で、ご利益なのである
要は達者なのである

大原野(おおはらの)というのは京都郊外西山の峰の麓の村である
乙訓(おとくに)郡大原野村が戦後京都市右京区(今は西京区)に編入されたとある
善峯寺(西京区大原野小塩)への谷筋は善峯寺で行きつく
東海自然歩道がつながってはいるが・・行きたい人が行けばいい
昔、道筋に松方弘樹の豪邸があったが、まさに車で行けるのは途中のあの辺りまでであった
京都市内からは隔たっているため、交通は向日市側からつながっている
善峯寺方面への唯一の公共交通である阪急バスさんはご苦労さんというところである
それも、善峯寺への最終バスは14時35分(JR向日町発)である
鯵庵(29.11.7)


[PR]
by ajiankyoto | 2017-11-07 17:03 | 路線バス | Comments(2)