カテゴリ:都市( 76 )

b0355451_09062495.jpg
もう観光地京都を見てしまって、見るとこがないと堂々と言う人が増えてしまった
京都嫌いは構わないのだけれど、市民にしてみれば見てしまったと言われるのはつらい
大したおもてなしも出来ないけどそれじゃうち(我が家)へ泊まってくださいと言いたくなる(言いたくなるだけ)
見るところがないというけど、見るべきところは何処だったのでしょうね

京都はすでに観光客の数には不自由していません
でも、それだけではやっていけないのが観光ビジネスです
鉄道だってホテルだってレストランだって土産物屋だってそうなんです
失礼ながら観光寺院だってそれが経営の上で効果的なことを知ったわけです
業者が用意してくれるものは言い換えればそれは多数という名の客が教えた答えなんです
京都の観光業者の気質は京都に来る人の一番多い期待を読んだものだと思います
しかし、それは必ずしも京都という訳ではないのです

実は業者も役所も学んでいるのです
特に観光業というのは、結局は一番多い悩みを探してその答えを用意するのを業とするものです
読みが当たれば商売が成り立つわけです、毎年その繰り返しで学習した結果なんです
だからそんな京都が嫌いだという人も増えてきました
この頃やっと旅人の大多数が実は個性的な少数派だとわかってきました
それでも、市役所ですら犬が羊を追うように群れを見てるわけです
そこが落とし穴なんです
観光業は観光客それぞれの期待には永遠に応えられない業種なのです
割り切れない一人一人の割り切りを合算して加重平均したものしか用意できないのです

″皆が行きたくて誰もいないところ”を観光業者に探してもらうなんてものは大きな矛盾です
が、結局はあなたの思いとはミスマッチの結果に終わります
店や業者は割り切れない多数の一見さんを相手にそれで商売が出来るのですが
市長や市民までが群ばかり見て浮かれてしまっては気付けないことになります
人生でも同じようなやってませんか
鯵庵(31.2.10)

by ajiankyoto | 2019-02-10 10:26 | 都市 | Comments(2)

b0355451_08152612.jpg
ゲストハウスには自転車完備です
レンタサイクルにもおしゃれな自転車が増えています
自転車屋でも自転車を借りられます

歩いてこそ・泊ってこそ、食べてこそ・・旅行者狙いのレストランや土産物屋に実は京都の人が並んでます
本に書いてあればたこ焼きだってうどんだって並びます
並べる店を探してます
穴場も調べておきます

おもてなしというのはそれぐらいは当然です
京都で暮らしているだけでは京都人ではありません
スミマセン、教えてください
どうすれば京都人と呼ばれるようになるのですか
鯵庵(30.10.24)

by ajiankyoto | 2018-10-24 08:16 | 都市 | Comments(0)

b0355451_09352961.jpg
京都の名菓に"八つ橋"がある
人気があって多くの店が作っている
ここ数十年においてはその生の生地に粒あんを挟んだものがヒットしている

例えば「おたべ」と言い、例えば「聖(ひじり)」と言い、例えば「夕子」と言い、例えば「あんなま」と言いまた「なまやつ」と言ったりである
京都の八ッ橋商工業協同組合には14社も参加しているし、それ以外にもアン入り生八つ橋の商品は多くある
料理やお菓子には特許はない

数年前に京都大学が『私たちはお土産にどの八ッ橋を買えばよいのか』という情報工学的?な調査論文がネットに載っていた
調査結果の中で
「誰もが知っている京都の代表的なお土産である八ッ橋の中でも一味違うところを見せつけていきたい人は仁王門通り○○堂の八ッ橋を・・お土産として買って帰られるのがよいのではないか」と言っている
いかにも工学的な表現で内容の割に非文学的なところが面白い
ここなら自転車で買いに行ったり途中に寄るのにはちょうどのところにある

私は今時の学生や科学者の味覚を信用はしていないが・・
共栄堂は山科が本店だった
鯵庵(30.10.17)

by ajiankyoto | 2018-10-17 09:36 | 都市 | Comments(0)


b0355451_21425717.jpg
最後に私はマイルドセブンの1ミリグラムを吸っていたが
いずれにしろ私が止めた頃の2倍の値段に驚く
それにしても銘柄が多すぎる・・・・

ついでながら・・・タバコ屋は少ななったね
自動販売機はあるが店番のいるタバコ屋は少なくなった
だが、コンビニがタバコを扱うようになったら、逆にコンビニの数だけタバコ屋が増えた計算だ
タバコを買う人が減ってしまったから市場としては縮小傾向にある?
路地の住民にとってタバコは嗜好(しこう)の第一だったけれど、
この頃は路地の住人には手の届かない値段になってしまった
年金では買えない
あれほど税金払っていながら肩身が狭いのには憤慨したが、結局、小生もやめた
やっとやめられた、と言うところ
医者に言わせえば間に合ったかどうかは分からないと言う
だがしかし、パートに行こうとしたらスモーカーでは仕事がない

街角にあったタバコ屋、看板娘でなくとも、親切なおじいさんおばあさんが店番していた
誰でもタバコ屋をやれるわけではない
当時専売公社の専権事項だった
ゆっくり店番しながら、実は近所のパチンコ屋にタバコを納めていた
一箱何円の売上手数料だ
パチンコ屋の景品の一番はタバコだった時代のことである
バーもスナックもタバコ代はたて替えで、つけで飲むときもタバコ代は取られた

タバコ屋をやっていると世の中の景気も分かった
町内の民生委員みたいなこともあるし、情報通でもある、とある人が言っていた
何よりも町のタバコ屋は防犯ビデオだった、と
タバコ屋にとってかわったコンビニも町のよろずやさん
せめて町内に防犯ビデオくらい寄付してもいいのではないだろうか
鯵庵(30.9.21)

by ajiankyoto | 2018-09-21 07:56 | 都市 | Comments(0)

京都駅ビルの雨

b0355451_08240027.jpg
今の京都駅ビルは4代目の京都駅舎である
平成9年に完成した
その後・・
京都観光の出発点でもある
何よりも京都最大のターミナルである
が、何十メーターも上から雨が降ってくる

この前の台風でガラス張りの大屋根の一部が割れた
風が一番きつい時にカラスが落ちてきた
電車は早くから止まっていた
電車は止めても・・
そんなことは想定していないから速やかな修理も想定していない
コンコースの上の天井、どうして?いつ頃?なおるのか気にしている

1枚、2枚のガラスだととらえるべきではない
小さな予兆でもある
観光に浮かれる京都にも想定外が潜んでいる
観光客のためだけにある街ではない
それでなくともこれから起こることは皆想定外のことばかりでもある
鯵庵(30.9.20)

by ajiankyoto | 2018-09-20 08:26 | 都市 | Comments(0)

八幡大菩薩の松花堂

b0355451_07581484.jpg
男山には八幡社に所属する宿坊が四十八と言われるほどあった
これら宿坊も明治の神仏分離で全て毀(こぼ)たれた
生き延びて三代も続けば上手くすれば門前の茶店ですらいまどきは高級料亭と言われるくらいの変化はおかしくないのに、石清水には何も残らなかった
松花堂弁当、石清水八幡宮の社僧であった松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう・1584-1639)の宿坊に名前を由来する
日本全国の皆さんが方々で味わっておられる松花堂弁当は、むしろその後昭和の時代の料亭吉兆(きっちょう)の考案で広まったもの
八幡社の文化とは直接的なつながりはない
食い物の歴史というのは〝仕掛け″の世界だと思う

神仏分離の明治は松花堂昭乗の生きた時代から、270年も後の話
今は神仏分離のそのものの形跡がなくなった
吉兆は別にしても、料理屋の何の変哲もない弁当に松花堂の名前がついている
仕掛けた名前だけが残ってしまった
おかげで、松花堂跡の名前が案内地図にも残った
そんな手こねのいわれは当の松花堂にもいまさら頓着のしようもないって?

京阪特急のハトは石清水八幡宮のハトらしい
鯵庵(30.9.18)

by ajiankyoto | 2018-09-18 08:02 | 都市 | Comments(0)

七条大橋

b0355451_17303489.jpg
七条通り(府道)にかかる全長82メートル鉄筋コンクリートアーチ橋
大正2年(1913)開通、鴨川にかかる大橋で一番古い
京都は水害の街である、何度も鴨川の洪水に耐えた
土木遺産(土木学会・2008)の一つ
橋の下でジャコ釣りしたこともある
鯵庵(30.8.31)

by ajiankyoto | 2018-08-31 17:59 | 都市 | Comments(0)

JR奈良線を行く

b0355451_08355555.jpg
JR奈良線は京都府内を走る
JR奈良線は宇治川鉄橋を単線で渡る
単線のことを一車線という若い子がいた、その方がわかりやすい?

JR奈良線は京都から木津まで34.7キロメートル、奈良線といいながら奈良県には線路が無い
実はこれ古往(むかし)の私鉄路線であったからからだ
今でも京都府内の木津駅は関西線の駅であり、奈良線は木津駅が起点になっている
奈良線が国有化される前(明治40年・1907)は関西鉄道の線路であった
その前は奈良鉄道として明治29年(1895)に京都・奈良間で運転されていた、とある
全線開通120うん年はこの時をスタートとしている

ただ、その頃は京都から奈良へ向かう線路は京都から桃山までは近鉄京都線ルートを通っていた
要は大正10年の東海道線東山トンネルの開通(東海道線に切り替え)によって
それまでの東海道線を稲荷から桃山までつないでが奈良線になった
現在の線形である
レール幅は狭軌(1067ミリ)である

鯵庵(30.8.25)
絵は黄檗山萬福寺の布袋さん
黄檗駅は昭和36年(1961)設置された。ここまで来ると外国人の喧騒から解放される。中国式の禅宗が日本の心を落ちつかせるのが不思議だ。

by ajiankyoto | 2018-08-25 09:14 | 都市 | Comments(0)

滑石(すべりいし)越え

b0355451_09314743.jpg
JR線が東向きに大津に向かって走って行って概ねすぐにトンネルに入る、このトンネルを東山トンネルという
大正10年(1921)に開通、以後京都・山科から逢坂山(おおさかやま)をもくぐって大津(京都から約10キロ)と現在の線で結ばれることとなる
この山が東山36峰の一つ阿弥陀ケ峰である、山頂の標高は196メートル(今熊野阿弥陀ケ峯町)
歴史的にいうと京都と山科を結ぶ道(渋谷越(しぶたにごえ)や滑石越(すべりいしごえ))にあたるところから戦国時代には山城が築かれていたのが残っている
この峯の頂上が豊国廟(ほうこくびょう)、秀吉の遺言によりここに葬られた
ただ、元和元年(1615)豊臣氏の滅亡により壮麗な廟は破壊された

今熊野(いまぐまの)から阿弥陀が峰の南麓を通って山科へ抜ける道が醍醐道(だいごみち)または滑石越(すべりいしごえ)という
山科の大石神社に至る、一部離合(りごう)の困難な個所もあるが府道118号として山科への抜け道でもある
大石神社のあたりに元禄の時代赤穂浪士の大石内蔵助(くらのすけ)が一時の寓居があった
大石の寓居から京の遊郭に通うのはこの道が直線距離で一番近いことになるのだが・・
冬は凍てつき通う大石も滑ったから滑り石(すべりいし)との謂れも言われるくらいの道でもある
当時の道路事情を思えばこの話には少し無理があるような気がする

大石が大望を秘しながら遊所に通った気持ちは聞きようはないが、山科から通った道は別の道(大岩街道?)であり
また通ったのは四条の祗園ではなく伏見(墨染・すみぞめ)の橦木町(しゅもくちょう)遊郭だったと言われる
それならば道としては最も近いことになる
これだと駕代で1万円弱?、当時の大石の懐具合を考えらばそんなものかと思われる

閑話休題(それはさておき)
風俗史から言えば、祇園の遊所が盛えだすのは元禄(げんろく)年間(1688-1704)の討ち入りから4、50年も後の頃であり
ちょうどその頃に赤穂浪士による主君の仇討事件(元禄15年・1702)に材をとった「仮名手本忠臣蔵」という芝居が始まることになる
その後また4、50年の後文化文政(1804-1830)の頃には嶋原をも上回る盛り場となる
仮名手本忠臣蔵の芝居の大ヒットは祇園の遊廓としての地位を一挙に上げたということにもなる
鯵庵(30.8.23)

by ajiankyoto | 2018-08-23 09:36 | 都市 | Comments(0)

b0355451_20063588.jpg
亀岡は京都市に隣接する
維新の頃まで亀山藩5万石、譜代大名松平氏の城下町である
また、園部も2万6千余石、外様大名であるが小出氏の城下町である
京都から亀岡を経て園部まで34.2kmを嵯峨野線の愛称で呼んでいる
小生らが学んだときは山陰本線である
友人どんこ氏の田舎がその先にあって
大昔、京都から出雲市行のディーゼル機関車の普通列車で遊びに行ったことがある
嵐山の渓谷をトロッコ列車のようにくねくね行く

元は二条駅が出発になる
明治30年、京都鉄道二条~嵯峨間開通
その年、二条~京都駅延伸開通、丹波口駅・大宮駅営業
明治32年、大宮駅廃止
明治38年、大宮駅再開業
明治40年、国有化
明治44年、大宮駅廃止
昭和51年、高架化、丹波口駅移転
平成2年、電化
平成6年、梅小路臨時駅を短期間営業
平成22年、二条~京都複線化  
これからのこと
丹波口~京都駅の間に新駅を開業予定

亀岡方面から京都に来る人は気がつきにくい
それなのに大阪方面から京都に新快速で来る人は気が付いている人が多い
梅小路にあんなけ線路が走っているのに
嵯峨野線に関しては線路が一本しかなくなる
ちょうど、タキイ種苗の前あたりである
特急も快速の普通電車も京都駅に入ってくるのに一本の線路で出入りしていることを
あんな巨大な京都駅が営業上大成功だと
鉄道博物館が華々しく開業してそこに新駅ができて
新駅と京都駅の間がいまだ単線でしかもおいそれとは解決しようがない・・??

神戸~大阪間の鉄道は明治7年に開通した
京都の鉄道は西(大阪)から伸びてきた
しかし、なかなか伸びなかった
明治9年に京都駅(大宮仮駅)までが開通した
初代の京都駅は今の京都タワービルの位置にあり今の中央郵便局も線路敷だったのである
今はずっと南下している
そんな経過を知るにつけて嵯峨野線の線路一本分が確保できなかった不思議を感じる

どこかとぎれとぎれの正面通のようで戸惑を感じる
輸送力と鉄道の安全性を考えた時、複線と単線では雲泥の差がある
二条京都間は本当に正面通の行き止りなのである
京都線と嵯峨野線は交通軸と時間軸の違う線路だと思わされる
明治30年からあまり変わってないのかもしれない
大宮駅や丹波口駅廃止の祟りであるとしか思えない
そこに今新駅を作ろうとしているがこの問題の解決にはならない
鯵庵(30.7.15)

by ajiankyoto | 2018-07-15 20:08 | 都市 | Comments(0)