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女は蝶、完全変態
男はトンボ、不完全変態です、幼虫からそのまんま大人になった
その所為かどうかは知らないが、男は思い切りが悪い
いつまでたっても少年だ、大人にもなりきれない、変身も下手だ
それに比べてサナギの時期を乗り越えた女性は思い切りがよい
また、思い切りの良い女性は美しい、だからこそ女性は美しいと言える

例え話ですので許していただきたい
蝶にもトンボにもオスもおればメスもいる、人間ほどあやふやではないと言われそうな気がする
サナギにならなくてもいいものもいるなら何故サナギになるのだろうか??
それはやはり変体の大きさが違うと言うことだろう
幼虫は栄養を吸収するための消火器のお化け、これをイモムシと言う
ある日幼虫から突然サナギ化するが・・
サナギは先に外形が出来るが中はどろどろの状態らしい、それが、中で固まって必要な臓器が新たに作られると言うことだ
サナギを経たあとは子孫を残すための大人の体に劇的に変身するわけである
成長すると言うより変体するというほうがふさわしい
だから変体としてはサナギになるほうが完全変態と言われるわけである

余談ながら、蝶はそれでもまだ不完全な面もある。
裸のままサナギになるが、蛾は繭を作ってその中でサナギになる、これが本当の完全変態だと言われる
それはさておき、アゲハチョウはミカンやサンショ(ミカン科)の木に卵を産む
幼虫は新芽を食い尽くしてある日突然いなくなる
変体が目的である、別のところでサナギになる不思議な習性を持っている
人もイモムシと言われるほども可愛くないが、貪欲に栄養と知識を吸収した結果は、華麗である
蝶としての運命に逆らうことなく華麗な生き様をしているように思わせられる
いろんなことを合わせて考えてもやはり女性を例えるなら、蝶それもアゲハチョウに例えるのが分かりやすく正しいとも思っている
人の生き方はいかな蝶よりも波乱に富んだものだと思う
その波乱のたびごとに成長していく様を期待して述べているのである
蝶は一度きりのサナギだけど、女性は度(たび)ごとにサナギになればいい
それが人の完全変態の目的である
その反対が男です・・

成人の晴れ着や京都へ来てレンタル着物を着せてもらって変身したなど思っている変態(変体)しない女性のことを言ってるのではありません
変態しなければ女性は肉食のまま・・
余分ながら念のために・・
写真はカマキリ(肉食しかしない女性に例えたりする)
鯵庵(29.8.27改)



by ajiankyoto | 2017-08-27 08:56 | 女紋 | Comments(0)

鞍馬口地蔵の地蔵盆

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鞍馬口地蔵は京都の六地蔵の一つ
鞍馬口は今の出雲路橋の橋詰にあたる
そこから西へまっすぐの道が鞍馬口通りになる
寺町通りと交わるあたりに大きな寺がある、上善寺と言う浄土宗のお寺
そこに件の地蔵が祀られている
ここの地蔵は、平清盛らが木幡(六地蔵)に祀った元六体の地蔵の一つ
街道の出入口と言うことでに深泥池の縁に祀られていたものが明治になって現在地へ移転、鞍馬口地蔵といわれる
前々回訪れた時はちょうど六角の地蔵堂の工事中だった
前回はやはり地蔵堂は完成していた、正面は全面開放地蔵堂である
地蔵菩薩も修理に出ていたものがお帰りになって、鮮やかな彩色であった

地蔵会という地蔵菩薩の縁日は旧暦の7月24日である
今は、月遅れ8月24日に行わる
そのため特に8月の23・24日を地蔵盆という
月遅れで行われている盆の行事に続くことから"あと盆"とも言う
大人は22日からの六地蔵参り・・である
今回、21日に行ったら準備中だった
お寺のご家族や縁日の屋台のという意味である
地蔵菩薩はいつもいつでもお参りは受け付けてくれる
一方、この頃近隣の辻々には子供たちが集まる
今は大人の都合で土日に行われることが多い
いずれにしろ夏休みの仕舞いの子供達の地蔵盆もこの時期にちょうどいい

地蔵は少年の形で現れて人間を救ってくれるいう
それが我が国の地蔵信仰の始まりだった
そこから子供の安全を守ってくれるものとの信仰が地蔵盆の行事に定着してきた
賽の河原で死んだ子を救ってくれるのは地蔵菩薩でもあるが、
子をなくした親にとっては、死んだ子そのものが地蔵の化身だったと思える時もある
地蔵は少年の形で現れるという古い信仰もさもあらんと思う
地蔵は一番身近な、しかもスーパーな佛なのだ
鯵庵(8.23)


by ajiankyoto | 2017-08-23 07:49 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

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親が本当に子供に望んでいるのは成績じゃない、実は子供の性格なんだ、・・と
子供にとっての環境のほとんどは両親と両親との生活空間である
性格などと言うから、多様性なり個性などと言う言葉が乱入して来て分からなくなってしまう
性根(しょうね)と言いかえて見れば理解しやすい
人から金を巻き上げる子
平気でうそがつける子
親の金を当てにして生きてる子
食生活と味覚が歪(いびつ)な子
幾つになっても勉強しようとしない子
異性に興味を持たない子
自分だけは何をしてもかまわないと思ってる子、などなど・・
こんなことを性格などと言ってたら、大人になっても一生治らないよ
性格(せいかく)は遺伝しないかも、しかし性根(しょうね)は遺伝する
親も注意、何故なら子供は必ず親の真似をして親を超えるよ

女性が一人で一生懸命育てた子なのに・・
大きくなったら別れた昔の夫そのままになってしまったなどと言う話は余りにも辛い
女性は夫も子も一緒に育てていくものなのであるという・・
夫を育てられない女性は子供も育てられないと書いてあった
そこまで言われると女性は辛すぎる
ただ、育て方の問題ではない
親にとってはどうしようもない哀しさなのだ
せめて男の子は父親と女の子は母親と暮らす方がいいと言う
20年以上前、離婚が流行り出した頃の本の一節である
親だけが子供を囲い込んで育てたのでは性根は治らないという説である
子供は社会に育てられるというようなテーマだったと思う
今時、、そんな分かり切ったことを書いた本など売れはしないだろうけどね
写真はカエルの親
鯵庵(29.8.21改)

by ajiankyoto | 2017-08-21 11:21 | 家族 | Comments(1)

終活アドバイザー


お盆のちょっと前のことである、いつものことながら暇つぶしにテレビを見ていた
お盆に家族が寄る機会を互いに大事にして・・就活をしておけというのだ
一は預金のありかと額(遺産のこと)
二は誰が介護をするかということ
三は葬儀の仕方のこと、あえて追加すれば誰まで呼べばいいかということ
自分の仕舞いを子供たちと決めておくことこそトラブルを防ぐ方法だとのたまう訳である
うっとおしいものを見てしまった

そもそもお盆にしか会えないのは家族ではない
こんな話に土俵も行司もない
昔は何かとオジキが出てきてくれて欲に突っ張った奴を叱りながら納めてくれたものだが今時の欲張りはこんな時にも理屈を言って人の話を聞かない
せめて人の話を聞けるならそもそも問題が起きない

子供に預金の話をあからさまに出来る親は今は1割もいないだろう
そんなことをする人は生きてる間に地獄を見る
介護のことを子供や嫁にあらかじめ頼んだとて何の保証もない
それどころかなんやかんや言って前金取られる
葬儀に誰を呼ぶかなんて言ったって、そもそも思惑がずれている
来てほしい人は来てくれないことになる
子供にとっては連絡先もわからなければかえって免罪符になる

誰かが言っていた、今の年寄りは隠居さんではないのである
そもそも、相続とは正に子供らに譲らなかったもののことである
親も子もそれぞれ別々の世帯でまるっきり違う家計を営んでいるのである
たまたま法律は家族や家庭に入ってこない
自分の持っているもので施設でも入ってくれ
そうでなければずっと入院してほしい
そうでなければ元気な時に死んでほしい
そこまで言われれば親としては幸福の部である
隠居どころか息子の扶養家族になるわけにはいかん

自分の仕舞いを自分流に出来たとしたら僥倖だろう
それよりも先に老後破産だってあり得る訳である
僅かな年金を頼りに大人になっても離れない大人子供が沢山いるらしい
さっきの話はそんな人の話ではないかという
ボケてしまいたいという人が多い
なおさら、就活アドバイザーに言われるとけったくそが悪い
やりたい人にやれるのは生命保険だけらしい
生命保険はボケる前に入っとくべきだというのはいいアドバイスだった
やはりスポンサーに保険会社が入っていた
現世(うつしよ)は一人旅である
五山の送り火を遠く眺めながら思ったことである
鯵庵(8.17)


by ajiankyoto | 2017-08-17 09:00 | 家族 | Comments(4)

墓掃除する人

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テレビドラマの墓参りのシーンはスマートだ
墓前に花と線香をたむける
人間の善やあるいは後悔を描くいいシチュエーションだ
ドラマだから墓の周りが草ぼうぼうということはない
都会で霊園墓地を買った人はそんな善なる場面に憧れる

小生の大阪郊外の墓地は親が買ったものだ
もう30年になる
あれから長男が死んで親父が死んだ
それぞれの名を刻んである
陽当たりにいい墓である
し、親父も自分でしつらえた墓に入るのだから満足していると思う
その親父の墓を守るために今日は30キロ走ってきて
炎天下、地面をはいつくばって小鎌で草の根を切る
それからやっと墓石を洗って線香に火をつけるころには汗だくだ

帰りに家内が"小生が先に死んだら霊園の墓地の始末をする"と言い出した
一人では墓参りも出来ないし、なおさら墓掃除に30キロも年寄りが走ってくることなど出来る筈がない
我が家は既に、長男も親父も東大谷の御廟に納骨してある
我らもそこであれば困らない
それなら、歩ける限り毎日でもくることは出来る
墓地があるからと言って大阪郊外まで持って行く必要はない

丹波の家内の里では盆前に檀家総出で墓掃除をする
掃除は家を守る婆(ばば)ばかりだ
しかし、お盆には賑やかに家族でお参りする墓であれば報われる
誰も来ない墓が増えている、そんな噂話ばかりだ
うちだって、もうすぐ墓掃除に出る人がいなくなるだろう

テレビドラマとそこが違うのだ
墓掃除する人と墓参りする人とは違うのだ・・?
鯵庵(8.12)




by ajiankyoto | 2017-08-12 07:20 | 家族 | Comments(0)

閻魔大王と小野篁の地獄


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小野篁(おののたかむら・802-852)は平安時代の初期の公卿、学者・歌人でもある
変に気骨のある人であり野宰相(やさいしょう)とも呼ばれるとある
小野氏は幾筋かあるが、名門武士の祖である
野太とか弥太郎とかいう名は小野氏の長男を言っていた
千本えんま堂や六道珍皇寺の伝によれば小野篁は創建に直接かかわったとされる人物である

盆の精霊迎えを六道参りとも言う、六道とは天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道のこと
餓鬼のくせに″私は人間道にいる”などと勘違いしてはいけない
浮世で生きている限り迷いばかりでぐるぐる輪廻(りんね)している
輪廻転生(りんねてんしょうとは)とはぐるぐる回ることだけを意味している
生まれ変わることとすれば人は一生の内何度も生まれ変わっている
地獄は死者の国であるが、現世とは密接につながっており
佛でなくとも小野篁はこの世と地獄と行き来していたとお寺では言う

閻魔大王が冥界の王である所以は、”真理に忠実なものと偽りを語るものを厳密に区別する”ことにある
死してゆくところは他界であるが、他界とは閻魔大王の世界のことを言う
閻魔大王は自分の世界に到着した人の善悪の行為をはかる裁判長である
それは小生らが子供時分から機会あるごとに教えられた閻魔大王の世界でもある
冥界に一番近いというこの寺も言ってるのである
生きた小野篁がこの世と地獄と行き来できるということは大事なことで、地獄はそう遠い世界ではないように思える
しかも、小野篁は閻魔大王の書記を勤めていたと言う
極めて浮世と似た話である、急に地獄が怖くなる
政治家も弁護士も詐欺師も同じように何十枚もの舌を抜かれるだろう
閻魔大王の前では浮世で堂々とまかり通ってきた嘘や善人面は通らないと言える

あの世が遠いところにあれば閻魔もだましても一度上手く世渡りしてやろうと思う輩もいるだろう
この世の裁きは不条理なものであるが地獄では真実だけが通る
人々はそのことに救いを感じるのである
自分もいいことばかりしてきたとは言えない
しかし、いいことばかりしてきたという人も閻魔の厳しい審理に合えば化けの皮がはがされる
地獄もこの世も同じであるが、地獄には真理がある
そのかわり地獄でも我ら凡夫はまた六道を流転するという
地獄の責め苦は輪廻転生である、業が尽きれば人間道に転生出来るかもしれない
上手くすれば地獄と言う闇の国から極楽と言う光の国へ行けるかもしれない
お盆特集、小生の地獄論の一端である
写真は施餓鬼壇(千本釈迦堂いて)
鯵庵(29.8.11改)


by ajiankyoto | 2017-08-11 07:47 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

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(続)日本は土木国家である・・から続く

そんなことできるのは軍隊しかない?
だが、日本の自衛隊にそんなことさせることは出来ない
警察も消防もよく働く、一方人命救助が終わったら自衛隊は帰れと言われる
唯一危機管理の能力を持っているのに・・
後に残ったのは陸の孤島である
それからちまちまと災害復旧の調査をして、割り振りを決めて、設計をして見積もりをして、国の査定を受けて、予算措置をして、地元業者をよんで入札して、入札の調査をしてそれで契約する
そんなときの入札すら既定の平和ボケのままである
国も県も市も町も村も自分らの範囲で同じことをしている
でも、平和国家日本は土木で国土を守る土木国家なのである

日本は災害国である、少なくともそれに関しては十分な国力を持っている
自衛隊以外に自衛隊に匹敵する力を持っていて国土を守れるのはゼネコンだけである
長いこと民(みん)の中に国が培ってきたものである
今ゼネコンを働かすべきである
テレビで見れる範囲では地元の重機はいつも活躍しているように見える
しかし、(見る人が見れば)そんな時ですら空を切っている
人命救助に一番もどかしさを感じるときである
いい指揮者がいないからどうしたらいいのか分からない
それどころかテレビ局が行けないところこそ悲惨なのである
全てがそうだ、十分の一の能力も発揮できていない
被害は人命だけではない、作物被害の話にもなる
農協・漁協もこんな時こそ汗をかけ

日本には危機管理は育たないと言われる
少なくとも危機管理は平常心の訓練で出来るものではない
地元の土建屋しか相手にしたことのない地方の市長や町長に指揮を任せていては速やかな復旧は出来ない
いかな大都市でも同じことである
ともかく持ってるものを皆使うことだと皆が言うことだ
国土を守ることは国を守ることと同じなのだ・・
と思うことがあれから数年たった今も九州や各地でも同じことが起きてい
鯵庵(29.8.9)


by ajiankyoto | 2017-08-09 08:25 | 都市 | Comments(0)

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雨乞いしてるうちはよかったけどいったん降りだすと死者が出る
畑に一雨欲しいと毎日言うてた当方(うち)のばあーさんがテレビを見ながら愚痴っている
皆、口々に何十年の人生で初めての雨だという
数年前の紀伊半島でも豪雨があった
あの辺り大台ヶ原は屋久島に次いで降雨量が多い、年間8000ミリも降った年があるくらいだ
その雨の多さになれた筈の紀伊半島南半分が孤立するほどの災害があった
一番先は人命救助であるのは当然であるが、それにしてもテレビを見ていてもどかしい思いをした
孤立した山麓の集落を救助することは難しい
空から海から救助に向かうのはいいが、結局は道がない、橋が落ちている
重機だとか大量の人員や資材、物資を送りこめない
救援はそのまま復旧なのだ

地域に入るための国道は2、3本しかない
それも山を越え川沿いに谷を跨ぎ延々と続く
例えば3方向からそれぞれ100台のトラックに人員と医者を乗せ大小の重機を乗せ、100台のダンプトラックと鋼材を積んだ100台のトレーラを従えて・・
国道と言ってもそれも通らない
だからこそ仮設の橋を架け、道を削りながら、場合によっては野営をしながら・・3方向から進むべきである
今回こそは道路や橋を戦場のように進む機動部隊を送るべきであると信じた
が、土砂で埋まった川にテレビカメラを据えて監視するだけである
日本は山国である、しかし、何のことはない、所詮紀伊半島は国土の軸の外であったと思わされた
(この項続く)
(29.8.8改)鯵庵




by ajiankyoto | 2017-08-08 15:25 | 都市 | Comments(0)

氷屋はどこへ

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明治以前にはなかったものだけれど、町内の店(商売)でなくなったものに氷屋がある
昭和30年代の町の暮らしには冷氷庫(れいひょうこ・本来の冷蔵庫である)があった
冷氷庫は木製にして2段になっていた
前面や扉には銅版をはってそれなりに豪華なもので玄関を入ったところにおいていた
玄関や土間におくのは理由がある
上段に氷、その冷気で下段の食品を冷やすのである
融けた氷は水になるからである
氷屋がリヤカーに乗せて運んできた氷の塊を1貫目(3.75㌔)から2貫目くらい
注文の大きさに大きなノコギリで切ってくれるわけである

その切れ味に夏を意識した

昭和40年代後半になると家庭にも電気冷蔵庫が流行り出した
三種の神器(さんしゅのじんぎ)と言われた
テレビ「サザエさん」に出てくる電気冷蔵庫は昭和50年代の製品のようだ
その時にはもう氷屋さんは急激に減っていた
電気冷蔵庫が氷を作れるようになって、冷凍庫が当たり前になり、ドアの数が増えて、どんどん機能的になって行った
30年代に何千件もあったようなあの時の氷屋さんはその後どこへ行ったのだろうか

素うどんの会
鯵庵(8.7)

by ajiankyoto | 2017-08-07 06:49 | 翁草 | Comments(3)

スイカの愚痴

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吾輩はスイカである・・?
「サザエさん」でタラちゃんが庭でスイカ割りをする場面があった
懐かしいと思う人がおったら、相当な年配だと思う
が、さりとてスイカを買おうと思うかどうか
今、スイカいくらするのか知っている
直販価格で10キロ未満のL寸で3000~4000円である、やはり高い
京都でも祇園祭が終わった頃がスイカの季節である、が、8月に入ったら少し安くなる

スイカ網って知ってないだろう?
それから一世代、今頃網に入れたスイカをぶら下げている人を見たことがない
家族でスイカを食うシチュエーションがなくなっているのだ
3000円も出せば保証付きのメロンもある
結局スイカは親しみより懐かしみが勝っている
小さなころにスイカを食わされた小生も、田舎で畑のスイカを食ってきた家内も、皆、実は美味しいスイカに当たってなかったのである
実はスイカは甘くて美味しいのだ
世の中にはこんなことは多い、本来の味を知らないままのことが多い

有名産地では必死になって美味しいスイカづくりをしている人がいっぱいいる、その人が悪いのではない
スイカを作ることは出来るけど、美味しいスイカを作るのは難しいのだ
昔から素人が作ったスイカなど美味しくないに決まってる
街へトラックで来て産地直販とかの感覚で、美味しくないスイカを何十年にわたって食わしてきた輩がいるのだ
今更ブランド化したとて切り身で色を見てからしか売れないものになった
美味しくないスイカの祟りなのである
熱中症予防にスイカは持ってこいであるのだが・・

その気になれば美味しいスイカを食えるようになったころには家族がなくなってしまった・・
今の家庭には井戸もなければ丸ごとのスイカを入れる冷蔵庫もないのである
それが結論である、いやいやスイカの愚痴である
写真はサマーセール
鯵庵(29.8.5改)残暑見舞い

by ajiankyoto | 2017-08-05 12:00 | 家族 | Comments(0)