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京都の12月はすぐきから始まる
京都の伝統野菜の一つである
8月ぐらいから種をまく、約80日で収穫されるとある
特に上賀茂の農家で栽培される
カブを葉で巻いて樽に漬けこむ

紅葉の時期に上賀茂神社にお参りしたとき、
天秤棒に石の重しをぶら下げてテコの原理でつけるすぐきの樽が置いてあった
漬け物である
葉も刻んで食す、カブは半月状に薄めに切って食す

それがまたお正月前の時期にちょうど出回る訳である
昔は上賀茂の農家の女性が街中に売りに来ていたらしい
トラックで店を出しているのがよくあったが、それも今はないかもしれない
生の上賀茂のものは意外と高い
大体目方で売っているので注意
100gで300円程度、一つで中ぐらいのものなら大体千五百円以上はするような気がする
真空パックしたものでいいなら市内の漬物屋でたいてい手に入る

京都の漬物はその野菜の特徴を活かしたこったものが多い
しかも、室に入れて保温し乳酸発酵(にゅうさんはっこう)させる
独特の色合いと味になる
この漬け物の乳酸菌はラブレ菌である

ラブレ菌は塩に生まれ塩に強い植物由来の乳酸菌であるのが特徴である
町内、いや腸内環境に大いに貢献できることが確かめられている
ラブレ菌はこのスグキの漬物から、しかも京都で発見された
上賀茂の地面と空気が持っている菌だともいえる
出来たら本物を扱う店で手に入れてくださいという根拠だ
鯵庵(29.11.29)

by ajiankyoto | 2017-11-29 11:00 | 野菜主義 | Comments(0)

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灰色のハート(後)
誤って削除してしまいました
余りに簡単に消えてしまいました
落胆してます
イイネをいただいた30数名の方にお詫びいたします
もう一度書き直しますがしばらく時間を下さい
明日・明後日は京都を離れます
明日の投稿は予約投稿です
ブログは京都から発信します
鯵庵(29.11.28)

by ajiankyoto | 2017-11-28 17:36 | 大人の恋 | Comments(4)

毘沙門堂のふるさと


山科にある有名寺院毘沙門堂(びしゃもんどう)へ行くとシーズンにはお寺の案内をしてくれる
この毘沙門堂、天台宗の門跡寺院、奈良時代(703)に行基によって・・といわれる
というだけでなく、このお寺の正式寺号は「出雲寺(いずもじ)」ですと教えてくれる
出雲氏の氏寺下出雲寺だと言う
平安時代の前期に天台宗の伝教大師が作った毘沙門天を本尊とするゆえに毘沙門堂ともよばれていた
平安遷都以前からあるお寺である
その後荒廃していたのを徳川家の援助で江戸時代に山科に再建した出雲寺が毘沙門堂門跡である
と、説明される。

鞍馬口というのは鎌倉時代から室町時代に整理された京の街道の出入り口で、
例の豊臣太閤の街づくりの「京の七口」の一つでもある
少しひねって言うと、このあたり正しくは出雲路(いずもじ)という
鞍馬の先は丹波だけれどその先は山陰道の出雲に通じる、というし
このあたり平安京が出来る前の山城盆地の古代豪族出雲(いずも)氏の本拠地でもある
賀茂川のほとりには鴨氏・出雲氏が定住し開墾していた
ここにある怨念の御霊(上御霊・ごりょう)神社も出雲氏の元は氏神であったとするのも定説である

この鞍馬口通が賀茂川を渡る橋が出雲路橋(いずもじばし)という
賀茂川を昔はトントン跳んで渡れた
それからおおむね北に、深泥池(みどろがいけ)の傍(かたわら)を北上して岩倉を経て京都精華大学から二軒茶屋へと通ずるのが鞍馬街道である
今でも鞍馬への道は花脊から丹波の美山から若狭への道でもあるが、実は静原から分かれて大原へ行く別の道でもある

通りの名としてこの鞍馬口(場合によっては関所)が設置されたところに由来する東西の通りのことでもある
京都の地下鉄は烏丸通を通っているが、それはいいんだけど烏丸通と鞍馬口通の交差点に駅を作ったときに「烏丸通鞍馬口」を略して「鞍馬口」と名付けた
〝何とか口″は〝遠いけれどそこへ行ける″という意味でつける
〝京の七口という歴史的符牒″を知らなければつい鞍馬寺観光にはここから行けば便利だろうと思ってしまう
ここで降りたのでは鞍馬へは行けません(直接の交通手段がない旨を)と地下鉄で案内しなければならないことになる
そういう意地の悪さが京都にはある
歴史(正しくは地史)を知らなければ理解できない
難解地名を楽しむのと同じ感覚である
実はそれは人を煙に巻くのではなく歴史に近づく鍵のつもりである
鯵庵(29.11.26)


by ajiankyoto | 2017-11-26 06:00 | 都市 | Comments(0)

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京都のある先生の持論、日本の社会制度は女性原理で出来ているという、そもそも、男性的だと思っていたことが実は女性原理の表現だったりするという
その元は・・、先の敗戦の時に日本の家長制度に女性が虐げられていると占領軍が理解していたことが大きな誤解であったと言っている

ここからは小生の論、つまらんたとえ話をする
どこにいても「アカンもんはアカン」と言い切れる男性が何人いるだろうか
外では会社では男らしく立派なんだが、・・という人もいるかもしれない
それが、妻にも、子供にもきちっと言えるだろうか
それより妻や子供を本当に守れているのだろうか?
自分の配偶者を”奥さん”と言う男性が20年前から出てきた
20年前はそれでもジョークとしてもパイオニア的存在だった
密かに出世が出来ない男性の代名詞に使っていた
が、この頃見ているとテレビでも沢山出てきた
ニューファミリーの2乗と我らニューファミリー世代がからかっていたけれど地位が逆転した
思えば、そう言われていることに抵抗のない女性が増えたということだろう
女性の賢さはいつも数の問題だ
バカである方が受ける風潮に抵抗するのには女性原理が邪魔をする
無理して損することないやんか、と女性陣が団結する
貰えるものなら貰っとけばいい
男は頼りなく優しい方がいいやんかとまた団結する
強いゆえに優しかった男は夜も蚊帳の中に入れてもらえない

日本は狩猟民族に戦争で敗けた
狩猟民族が農耕民族の男の立場を正しく理解できなかったのは仕方がない
という話は理解できる
いやその誤解はむしろ占領政策としては効果的だったと言えるのではないかと思う
ただ、日本女性の出来の良さを誤解していたというのも本当だろう
だけど、誤解を正さないのはそれが女性原理である
誤解は何時か正さなければならないというのが男性原理なんだけど・・
せっかくの家庭平和、今となっては壊したくないよな・・

かくして、ダメなものはダメなどと喚く間がなくなった
それを余生原理(小生の造語)と言う?
写真は叶和貴子、小生の好みで本文とは関係ない
鯵庵(いい夫婦の日だと言うので29.11.22一部改)

by ajiankyoto | 2017-11-22 22:06 | 家族 | Comments(0)

京都は中国にある都市かと思うことばかりであるが、
晩秋の一日を京都で過ごせることはそれはそれで幸せなことである
京都バスの嵐山線は渡月橋の輻輳(ふくそう)をすり抜けて南下、
松尾大社から苔寺(西芳寺)・すず虫寺(華厳寺)へ向かう
ここまで来れば日本の風景が少し戻ってくる
バス終点の前にある二軒の茶店はしきりに休憩を勧めてくれる
名物はとろろ蕎麦(そば)だ、隣は苔寺(西芳寺)である

門前茶屋の女将さんが気を使ってしゃべっている
苔寺は"京都の云々"の世界遺産の一つである
がしかし、思い立って急に行っても入れてもらえない
事前申し込みが必要なのだ
苔を見たいではなく、写経などしてもらいたいという
それも当たり前であるが、当たり前ゆえに拝観料も少し高くなった

苔寺は昔は京都・大阪あたりで不良若人のデートコースだった
苔の値打ちは分からなかったけど、苔など見たことのない都会人には値打ちがあった
しかしそれから、今から40年前(1977)に表門を閉めて今のようになった
もちろん、苔が痛むからだろう、手入れが大変なのは不良どもにもわかるほどきれいだった
だがしかし、若い人が禅宗の心に触れる機会はそれだけ減ったことにもなる
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一時は、このあたりの観光客の激減を心配されたが、
そこで浮かび上がったのが近所にある鈴虫の寺、同じ臨済宗の華厳寺だ
本堂で一年中鈴虫の声が聞ける寺としての人気にかけたのである
しかも、ご住職さんらの説法が上手い
鈴虫の音に禅を感じたことから飼育を始めたという・・
そこのところの説法は分からなくても、鈴虫の音は若い人にもアベックにも分かる
女性に人気のお寺に定着した訳である
ここもしかし、シルバー男性が一人で入れるような雰囲気ではない

苔寺も枯山水の庭だったと言われるが、何度も寺の前の川の水が出て荒廃していた
その所為もあってか、苔に覆われるようになったという
昭和になって、庭園の一般公開を始めたのはその苔のおかげである
表も裏も閉めてしまえば分かり易かった
苔も鈴虫も宗教的動機になることは小生にもわかる
それぞれ古き謂れのある寺である
それを観光に持って行くにはまた別の努力が必要だろうと察せられる
宗教戦略なのか、それとも観光戦略なのか小生には区別がつかない
やがて年中鈴虫の声と外国語の説法が聞けるような寺になるかもしれない
が、かくして、ともかくも京都バスに「苔寺・すず虫寺」行路線も残されたことになる
まだ、地蔵院もある
そう、門前の茶店の"とろろそば"も残ったことになる
鯵庵(29.11.21)

by ajiankyoto | 2017-11-21 16:56 | 路線バス | Comments(2)

大宮駅は土木遺産

四条通の地下を走るのが阪急電車、昭和38年に河原町駅まで延伸された
それまで京都の終着駅だったのが今の阪急大宮駅
西院駅から大宮駅までの地下線路は昭和6年に開通
近畿地方最初の地下線路であり、2000年選定の土木遺産(土木学会)として認定されている
大宮駅は四条大宮、四条通と大宮通(実際は後院通)との交差点にある
繁華街としての地位は烏丸駅・河原町駅に譲ったもの、今も京福電鉄嵐山線や京都市内各方面のバスの乗換駅としての性格が強い
京都市の東西南北の地形的に中心に位置する
余談ながら特別な店構えではないが餃子の王将の1号店が駅前にある
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昭和3年に大阪の天六から今の西院まで走らせたのは京阪電鉄系の新京阪電鉄
その後京阪電鉄に吸収され昭和6年に今の大宮駅まで延伸された
開業の時の大宮駅は「京阪京都駅」と言った
昭和18年に京阪電鉄と阪急系が合併、京阪神急行電鉄となるが、
戦後昭和49年に京阪神急行電鉄から京阪電鉄が分離
しかしながら京阪が作った新京阪線は京阪神急行(阪急のこと)に残り、これが今の阪急京都線となっているわけである
大宮までは京阪電鉄、大宮から河原町までの地下線路は阪急電鉄の仕事
鯵庵(29.11.19)

by ajiankyoto | 2017-11-19 20:07 | 都市 | Comments(0)

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縄文時代の人々は狩猟(しゅりょう)や漁(りょう)が主体であり木の実などを食べていたと思われる
若草の茎や新芽を摘んで食っていたとしたらそれが野菜の始めだろう
弥生時代に入ると農耕文化の伝来により人々が土地に定着する
低いところでは水田を、台地では自然野菜の栽培も始めた
弥生時代の遺跡から野菜が出土することは少ないけれど、壺に入ったクロクワイを出土したことがあるらしい
ソバ・エンドウ・ウリ・スイカなどが栽培されていた形跡がある

漢字検定ではない
記録に残る奈良時代の記述だからカナがなかった?読者の参考のために掲載する
菘菜(すずな)・水葱(ねぎ)・芹(せり)・蘿蔔(だいこん)・旬(たけのこ)・菌(きのこ)・瓜(うり)・胡麻子(ごま)・茄子(なす)・薊(あざみ)・草蒿(よめな)・薤(らっきょう)・茎韮(にら)・苣(ちさ)・蕗(ふき)・葵(あおい)・竜葵(いぬほうずき)・荏(えな)・芋(さといも)・冬薯(やまいも)・売我(みょうが)・蓴(じゅんさい)・荼(おおどろ)・羊蹄菜(しぶさ)・山管(りゅうのひげ)・菱(ひし)・百合(ゆり)・田葛(?)・島蒜(あさづき)・蓮根(れんこん)の記述がある
学者にもわからないものがある
無くなったものももっとあるだろう

日本人の胃がこれらのものがきちっと消化できたということだろうことの証明なのである
他にも、米は穀物であるし、果物類や魚介類・・もある
が、これらは合わせて日本人の体と胃を作っていく材料である
土地に定着する暮らしはやがて狩猟から農耕を中心になっていくのは当然のことだった
その中で多くの野菜が作られ多くの野菜が滅んで行った
歴史がそれを選んできた

余談だが・・野菜の中でも嫌いなものがある、どうしても食えないということもある
好き嫌いや、あるいは猛烈に何かを食いたいと思うときは、それは長い間の遺伝子の作用なのである
山菜取りに熊のすむ山へ入っていく人もひょっとしたら胃の遺伝子が求めているのかもしれない
一方、無理して消化に悪いものを食っていながら、サプリメントで補っているのは遺伝子に反しているのかもしれない
と、思ったりもする
健康を取り戻したいときは体が求めるものを食えと言う学者もいる
肉食動物と草食動物は胃の構造も消化酵素も違うのだ
しかも、肉食動物であっても草食動物であっても偏食は当たり前なのである
先祖が食ってきたものの遺伝子が残されているのだ
鯵庵(29.11.18)



by ajiankyoto | 2017-11-18 12:00 | 野菜主義 | Comments(0)


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京阪バスの山科急行で醍醐寺へ、京都駅八条口から約30分で行ける
醍醐寺は奈良から伏見を経て逢坂の関へ向かう古代からの奈良街道に面してある
醍醐山は修験道の霊場、醍醐天皇の時代に祈願寺となって発展した
修験道は、山岳信仰である
日本独自の宗教感で神仏習合の最も顕著な例でもある
真言宗の修験道はこの醍醐寺がいわゆる元締めである
室町時代には権勢を誇った醍醐寺であるが、応仁の乱で廃寺同然であった
秀吉が三宝院の再興に援助した
それが醍醐の花見である
明治になって、神仏分離の政策によって修験道(修験宗)は廃止された

その秀吉は伏見を隠居城にして京都・大坂と全国に睨みを利かしていた
伏見から醍醐寺までは奈良街道ですぐである
ここは伏見文化圏だとも言える
このあたりは山城の国宇治郡という
宇治川の右岸を宇治郡といった
そのうち旧東海道に近接する旧山科村あたりが東山区から山科区になった
今頃言うが、醍醐の村も醍醐寺も今は伏見区に所在する
だから、取り立てて言えば醍醐まで向かうバスに山科急行の名はズレがある

もひとつこの路線にはズレがある
路線バスだから停留所があるのだが、例の稲荷山トンネルで営業圏が違うのだ
東は山科京阪バスエリア、西は市バスエリア
乗客は同一エリアで乗降りできないのだ
山科エリアで乗った人は山科エリアの停留所では降りられない
その逆も同じだ・・・乗客は必ずトンネルを超えなければならないということになる
これをクローズドドアシステムというらしい
例えば醍醐寺から勸修寺によろうと思ってもこのバスは使えないことになる

それを承知で京都駅から山科への急行バスを走らしている営業努力に市民は喜んでいる
市内中心部は市バス王国でもある、京都駅前には簡単に入れてもらえない
市バス側の条件だろうか?
京都市が以前にも京都バスをいじめて使った手でもある
利用するのはどちらも京都市民なのに要らざる措置だと思うが・・
鯵庵(29.11.16)

by ajiankyoto | 2017-11-16 20:00 | 路線バス | Comments(0)

名優ハクサイ/野菜主義

「アブラナ科/野菜主義」から続く

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アブラナ科のもう一方の主役はハクサイである
冬の野菜である
今の家庭料理には欠かせない食材であるが、
日本でハクサイの栽培が出来るようになったのは100年ほどの前の話である
しかも、普及したのは戦後のことである
その点同じアブラナ科のキャベツとも似ている
冷涼な気温を好むので栽培時期や産地が限られる

当初、ハクサイの栽培は容易ではなかった
漬物・鍋物に最も合うハクサイは中国から伝わってきたもの
実は韓国でも同じような時期である
ただ日本より早く栽培法が確立された
日本が韓国を統治する時代になってハクサイキムチが普及した
ハクサイキムチの歴史は当然ハクサイより新しいのである
日本人が韓国よりもハクサイキムチを好きなのは不思議なことではない

ハクサイは95%が水分で、マグネシュームやカリウムを含むが低カロリーである
カリウムは体内の塩分を体外に出す役割があり高血圧の人にはいい
日本人が鍋物を好きなのはキムチより理解できる
日本人はハクサイの甘さも好きなのである

民間療法の一つであるが生のハクサイを突いてどろどろにしたものを漆かぶれややけどに用いるとあった
鯵庵(29.11.15)



by ajiankyoto | 2017-11-15 01:00 | 野菜主義 | Comments(0)

アブラナ科/野菜主義

1970年代〝だいこんの花″というテレビドラマがあった
ダイコンの花は質素にして可憐な花だというテーマであったけれど、
花が咲くまで待ってもらえるダイコンは少ない
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アブラナ科の特徴は混ざりやすい性格である
だから多くの野菜の元になった
ただ、無防備に種を作ると違うものが出来てしまう
菜の花が咲いて蝶が来たのでは種は別の性格になってしまう
ハクサイづくりの歴史の裏話に孤島で栽培した歴史もあるようだ
それはさておき、アブラナ科の野菜の辛(から)みの原因物質イソチアシアネートは発癌(はつがん)や動脈硬化(どうみゃくこうか)を防ぐ効果が認められる

青物とは野菜のことである、野菜とは食用の草本の総称である
葉や茎、花、蕾、果実を食す
他に香辛類やきのこ類も入る時もある
イチゴ・スイカ・メロンは野菜に分類されることが一般
青物とも言う、従前は蔬菜(そさい)と言っていた
アブラナ科・ナス科・ウリ科・キク科・セリ科・ユリ科・ウリ科などなど・・
イネ科の植物は多いが、代表的なコメ・ムギ・トウモロコシは穀物扱いで野菜(副食系)とは別の分類になる
イネ科のタケノコは野菜の部である

野菜としてはやはりアブラナ科が多い
アブラナ科というのはなっぱ系であるが、根菜(こんさい)であるダイコン・カブも同じである
皆、薹(とう)がたって4弁の花が咲くのが特徴だ
薹は薹でもダイコンの花は食用にならない、食えない・・
薹という字は17画、難しい字だ、下に書く
音読みはタイ、ダイ、訓読みはとう、あぶらなと読む
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(この項続く)
鯵庵(29.11.13)


by ajiankyoto | 2017-11-13 08:35 | 野菜主義 | Comments(0)