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我らサラリーマン、何もないところからやっと家一軒持てるようになった
家族はあったが、今は子供たちが同じように自分の家をこしらえている
小生はツバメ派である
ツバメはオスメス共同で巣作りすることで番になる
どちらかに事故がない限り添い遂げる
代々同じことをしていると思えばいい

小生は今は年金もあるがアルバイトの仕事もある
70歳を過ぎても働いてる人の方が多いし、尊敬できる
今となってはである
親の面倒を十分見ることは出来なかったが、そのかわり親に面倒はかけなかった
そんな生き方を選択したつもりだが、それはあくまで自分の都合であった
そのまま置き換えれば子供に子も供らの都合がある
空腹であろうとなかろうと親からもらえるものがあるなら拒む必要はない

息子が先に亡くなった時、小生ら夫婦がともに息子の相続人だったけど
21歳の息子には財産がなかった
サラ金の借金を遠くまで行って返済したくらいだ
後の方になって・・死亡だったら借金は返さなくともよいと教えられた
本人が死亡しても取りはぐれないためのサラ金業者が保険をかけている
不自然な相続は取りはぐれることが多い、だから保険制度があるともいえる

遊び好きの悪ついでに・・そんなことなら子供の一人も残してくれてもよかったと今は思っている
ひょっとしたらと・・と思う話があったけれど・・そこまで気が回らない
あくまでも仮にではあるが・・いい嫁になる前に、好きな男を失った人が一人はいたかもしれない
あくまでも仮定であるが、それを私たちに言えなかった、としたら私たちも未熟だったのかもしれない
20代は未熟である、人生をテレビドラマでしか知らない
今は子供が大人になって始めて自分も大人になれるのだ
あれから20年の歳月がまた流れて・・あれが我が家が滅ぶ前兆だったのだと気付いた
それも仕方のないことだった
鯵庵(30.5.31)

by ajiankyoto | 2018-05-31 20:04 | 家族 | Comments(0)


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人は腹を減らしているときはただの肉食動物だ
テレビの相続話に戻る
死んだ妹の子には死んだ妹の亭主がいる
その亭主の稼ぎを補うことでもある
し、も一度母親のなくなった時に同じことが起きる
思えば、息子にも妻がおり、娘には夫もいる、それぞれに不都合な子がいたりする
そんな中で、残された母親の面倒を見ることでまたもめるだろう
いい顔していたら間違いなくそれが負担になってくる
いい顔しなくとも取り分が変わらないのならいい顔など無用である

親が亡くなる頃に都合のいい暮らしをしている人は一人もいないだろう
相続の問題をきっちりわきまえるにはそれなりの教養もいる
人は腹を減らしているときはただの肉食動物だ
追いかけて行って襲っても食うし死骸も食う
相続の味を一度覚えるとこれほど楽な獲物はないことに気づくだろう
満腹の時と人が変わるのを肉食動物という

しかも、厄介なのは満腹の時でも都合よく自己肯定の論理を構成できる草食性も併せ持っていることである
変な遺言書が出てきたらそこから解決していかなければならないことになる
故人に裏切られる人もいるだろう
話し合いが決裂した方がもらえる額が多くなるというときにそれで辛抱する人はいない
世間の一般的なセオリーで訴訟になるのは額の多少ではなくこの自己肯定の論理(これを人情という)である
長い人生は努力や誠意こそ金額で報われるものだと信じているのだから

肉食動物の分け前は獲物を得るための貢献度に比例する
誰かより分け前が少ないことだけが辛抱たまらないのだ
それが肉食の論理である
そこまで行ったら、相続関係人皆の同意が得られるということはほとんど無理なことである
結局勝っても負けても判決が出たころには誰も故人の墓にすら参ってくれないこと・・も世の常である
それをまた生きているうちにしてしまうのが時に世間の話題になっている
鯵庵(30.5.29)

by ajiankyoto | 2018-05-29 19:51 | 家族 | Comments(0)

遺言か遺書か/吾亦紅⑻


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遺言はあくまでも法律によって定められた方式に従っていなければならない
普通は「普通遺言」である
自筆で書く遺言と公正証書で書く遺言がある
公正証書は公証人という厳格な人が証人になってくれる
公証人役場というものを知っておく必要はある
自筆の遺言状が出てきたからといって開封してはならない
そのまま、家庭裁判所に持って行って預けて現認を受けなければ無効になる
ただ、公正証書なら現認は必要ない、開封しても有効である

遺言状が複数あると、全ての遺言状の現認を受けなければならない
これが極めて手間な話である
現認とは遺言状の存在を全ての相続人に知らせることだからだ
ほとんど相続協議が始まっていることになる
安物のドラマのように、それぞれが自分に都合の良い遺言を持ってきて相続争いをすることはない
あくまでも日付の一番新しい有効な遺言状だけが遺言なのだ

娘たちが病院へ見舞いに来る日数でたびたび遺言状を書き換えていた人を知っている
そんなことでなくとも・・我ら兄弟姉妹にも同じようなものだ
妹は親が末っ子を最後まで均等に扱わなかったと言って哀しんだ
また姉はこの遺言状は父の本心と違うと言った
開封した父の遺言状にはきょうだい仲良く、「姉・妹達にはその都度出来るだけのことをしてやっているから気にするな」と書いてあった
その父の気持ちを含んで小生が相続協議書を作成した
ほとんど場合全員の納得はあり得ないものだとは思った
しかし、一番割り切れない思いをしたのは最後まで父の病気の介護にあたってくれた小生の妻である
遺言はそのことにはふれていないし、姉も妹も最後までそのことへの感謝は口にしなかった
書くならもっと記憶に残る刺激的なことをと、思う
ただ、兄弟仲良くという父の気持ちは心にしみこんでくるが、遺言としての意義はない
この頃はそれももういいのではないだろうかと思う

葬儀の費用の支払いや香典の開示で兄弟のもめ事に巻き込まれることが増えてきたと葬儀屋も言う
親が亡くなった時が兄弟の分かれ目だと思う
親がいなければ帰るところもないし、孫から見ても家族がいなくなってしまうのだから
どうしても遺言したいなら、弁護士なり公証役場なりに足を運ぶことだ
そうでないと人生最後の遺言が無効だったり・・反対のことになったりする
遺言に最後の説教を書いたうちの父親が正しかったのかもしれない

法律用語では遺言は「いごん」と発音する
遺言(いごん)と遺書(いしょ)とは違う、遺書には書式がない
小生のように毎日ブログで遺書(のつもりで)を書いていけばいいのだ
ということでこのシリーズまだ続く鯵庵(30.5.27)

by ajiankyoto | 2018-05-28 08:34 | 家族 | Comments(0)


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相続は相続者(子供ら)の権利だと誤解している人が多い
私有財産は財産所有者の意図があって初めて人に譲ることが出来る
その第一が略取で、第二が詐欺で、第三が売買で、第四が贈与である
第五があれば相続ということになる
これだけが血縁関係を要件として譲渡されることになる
しかし、血縁関係?のないのが配偶者である
配偶者に関して結えば財産は二人で作られたものであるからだ
子に関していえば、子に残してやれるものにして譲りたいのは親の生存本能である
有形・無形もしくは動産・不動産の区別はない、資産はその一つで他人が侵すことのできないものである
その財産には親の親、そのまた親、そのまた親から譲られた財産を含む
何代か遡れば略取から始まっているかもしれないが、それを資産という
資産は家族にとっての共有財産だ

そこに家族という定義が必要なのだ
第一項で書いた30年も顔を出さなかった孫に相続権があるのはそのことによる
家族でないともいえるし、離れていたからとて家族だともいえる
その位置を決めるのは故人である
たとえ、故人がそのことを忘れていたからと言っても、故人にとっての家族であるのは明確である
その孫が生まれた時には故人にも祝福されたのだから・・
だが、叔父にとって30年も顔を出さなかった甥は家族ではなくもちろん相続人ではない
利害が一致する筈は絶対にない

「何も言わず亡くなった故人にとっての家族」と
「何も言わずに生きてた時の故人にとっての家族」とは既に家族の定義が違うのだ
それを少しでも近づけることが出来るとしたらそれは遺言になる
が、しかし、それもまた残された家族それぞれの考える家族の定義とは合致しないこととなる
被相続人も遺言の権利だけあると知るべきである
それが実行されるかどうかを知る権利はないとも知るべきである
実行されなかった遺言ではそもそも成仏できない?
いやその頃には既に仏になっていてそんな遺言状にこだわっていないと閻魔が言っていた
この話まだ続けます、鯵庵(30.5.25)
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by ajiankyoto | 2018-05-27 20:08 | 家族 | Comments(0)

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相続とは本来子供である
が、なおさらに不動産があると分割の方法でもめることが多くなる
特に、都会ではローンの済んだ家が残ることになる
親の代もしくは自分が、都市に出てきて一軒の家を確保することは並大抵でなかった
退職金や年金の蓄えは老後期間が長くなると底をついている
家が残っておれば人並み以上に暮らせたことになる
住んでいる限り自分の家には財産価値がないのに等しい

だが、都市では土地やマンションの評価は確実にある
だから、家を処分して分割しなければならない事例が多くなる
だからこそ、数十年も寄り付かなかった子や孫が寄ってくるのである
テレビの話はそういうことだ
テレビではそれは笑って済ませられるだが、
財産が不動産だけだったらそれを金に代えなければならない
家業があったとしたらそこで終わることになる
極端に言えば伝統工芸だって人間国宝だってそこで終わることもある
継ぐのは技ではなく、不動産だけなのだから
家族の家でなくなってしまっていた
家に跡取りがないのだから・・・・・

そうでなければただの空き家だ
誰かが言っていた、今までもこれからもそんなことで場合によっては不動産バブルが起こる国なのだ
親の世代の老人向け産業が今働き盛りの団塊ジュニァー世代の家族を養ってることになっている
もっと極端に言えば親の世代の長寿か最後の家庭崩壊を期待している???
他の誰かも言っていた
今現役のテレビプロデューサーやディレクターは時代劇や家族をテーマのドラマを作れる力がない
もしあってもパロディとしてしか見ていない・・と言っていた
そう言われれば家族のいない家のコマーシャルが盛んになってきた気がする
身近なところでも隠居が死語になって、跡取りも死語になる
最後は家族だろう
この話まだ続けます、鯵庵(30.5.24)

by ajiankyoto | 2018-05-27 18:25 | 家族 | Comments(0)

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婿養子は結婚と同時に妻の親の相続人になることでもある
男女は結婚によって夫か妻かの姓を選ぶことが出来る
小生の妻は小生の姓を名乗ってる小生の配偶者であり、我が家の主婦(神)ではある、また親から見たら大事な嫁ではあるが小生の親の相続人ではない
しかし、婿養子の場合は、妻の姓を名乗るということにそれ以上の期待と拘束があるのである
現行民法では婚姻と同時に夫が妻の親と養子縁組することが出来る
また、結婚の後に、後に養子になることも出来る

テレビ「サザエさん」のマスオさんは妻と子供、家族と一緒に暮らしている
ご存じの通りフグ田家の戸主であるが、磯野家にお世話になっている
2世帯住宅型のハシリではあるが、家族一体型でありまだ2世帯型にはなっていない
妻の実家で暮らしているが、磯野波平さんとフネさん夫婦の養子ではない
これを一つの事例として「マスオさん」という立場が皆に知られることになった

現代はマスオさん型だと言われる
一つは避けることのできない嫁と姑の問題が無くなる
もう一つは相続関係者にとって中立な立場を強調できる
もう一つは、反乱を起こさない、圧力を感じなくていい存在である
そう思って見ればガスのようである
臭いでもしなければ存在に気づかない
しかし、大事なことはサザエの存在がある限り娘婿にもやがてそれにふさわしい存在がある
家族同然にどう報いるか?波平さんがどう考えているかだろう

漫画の世界にはないことが現実の世間には起こる
仮にサザエとマスオが離婚するという事件が起こったら・・磯野家(フグ田家ではない)の危機につながる
今、大阪のフグ田家はマスオさん状態に口出しをしていない
仮にマスオさんが磯野家の養子になると言えば今度はフグ田家が倒壊することになる
一軒の家が滅ぶことは簡単だがその分相続関係が複雑にもなる
磯野家・フグ田家二家が一つの家族のように暮らしている
今の距離感がギリギリのバランスが取れているのだろう
家族がテーマでありながらその中で家族とは何なのかと常に考えているのはマスオさんだけなのである
だから、テレビ「サザエさん」の主役はマスオさんだと鯵庵は言う

勝手余談である
このシリーズの最初に引用した親不孝を詫びる「吾亦紅(われもこう)」の歌はそのマスオさんの将来を歌ってるのだと鯵庵は思っている
♪来月で俺離婚するするんだよ、そうはじめて自分を生きる・・
そう思えば初めて詩が生きてくる
まだまだ続く鯵庵(30.3.26)

by ajiankyoto | 2018-05-26 08:29 | 家族 | Comments(0)

失踪/吾亦紅⑷


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家内の叔父の相続放棄事件を前項で書いた
子供がいなかったために父母・兄弟への相続が発生した訳である
予期せざることでもあった
数年前までは叔父叔母夫婦は二人で普通に暮らしていた
叔母が先に亡くなった、それから始まった

実は叔父叔母には息子がいた
社会人になって働いていたが、30年前に突然家出した
行方不明である、社会人だからそう心配することもない・・
と、思っていたらいつの間にか30年近くになってしまった
もはや60才にもなる筈だし、元気でいればそれでいいと
いつまで待っていたいのは親の気持ちである
だが、叔母が亡くなって困ったのは相続である
預金や財産の移動が出来ないのだ
息子が生きてる限り息子も相続人であり、相続の手続きが進められないのである
叔父が法律相談に行った弁護士は、失踪の手続きを勧めた
しかも、その手続きは叔父が亡くなった後では出来なくなることを教えられた
弁護士に失踪宣告の手続きをお願いすることになった次第である

庶民には悲しいことは忘れる前にやってくる
その失踪手続き中に叔父が亡くなったのである
妻を亡くした男は早い、その例だったのかもしれないが
失踪宣告に老いの生涯のエネルギー(希望)を費やしたのかもしれない
だが、既に失踪手続きは淡々と進められ、最後は一片の紙切れが掲示された
葬儀の時にその流れを弁護士から聞かされたものは法律の厳しさに驚かされた
叔父の最期の意思がどこにあったのか我々には知り得ない
息子の失踪の手続きは自分が息子にしてやれる最期の法律手続きだったのだろう
遺骨を見ないまま死を認めることは出来ない日本人の宗教感もあるだろう
それでも、どこかで生きてくれていればそれでいい、と死ぬまで思っていただろう

もちろん生存していたとしたら、本人によって失踪宣告は取り消すことが出来る
宣告をなかったすることに出来るが、宣告後取り消しまでの期間の行為(善意の)は戻すことが出来ない
誰であっても他家の財産までは手を出してはいけない
叔父叔母のささやかな財産は叔父叔母の個人の財産だけでなく家族の財産なのだ
最後まで子供に残してやりたい思いだったろうとは十分に推察できる
弁護士さんの尽力で、家族が住んでいた家を残すことが出来た
そのための手続きにやっと遺産を使えるようになった?
この話暫く続けます、鯵庵(30.5.22)

by ajiankyoto | 2018-05-23 08:36 | 家族 | Comments(1)

相続放棄/吾亦紅⑶

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少し実際の話をする
以前に家内の叔父が亡くなった
叔母が先に亡くなって、少しの間だった
叔父には子がなかった
叔父は叔母の家に婿養子に行っていた
叔父の父母はすでにない
だから、叔父の相続人は叔父の実の兄弟ということになる
叔父の兄(家内の父)はすでにないので娘である家内が相続人の一員になる
これを、前項でも言った、代襲相続である
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たまたま、叔母が先に亡くなったためにこういうことになった
先に亡くなった叔母にも姉妹も身内もいる
家内ら相続人は一致して相続の放棄をした
弁護士は我らの相続放棄の手続きを受けて、叔母の妹らに特別相続の手続きをしなければならなかった
養子婚姻の話であるが、実は嫁でも同じである
子供がなく配偶者が後に残ったら、自分の財産が妻が亡くなった後、妻の兄弟姉妹の方へ移行する可能性が生じるのである
もちろん子供がおればこのような事態は起こらない筈なのだが・・
後先は相続にとっても分かれ道になる
この項暫く続く
鯵庵(30.5.22)

by ajiankyoto | 2018-05-22 09:12 | 家族 | Comments(0)

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テレビで見た話である
父親が亡くなって、母親が残った
息子と財産分与の話をしていると既に亡くなった妹の息子(孫)が現れた
ほぼ、何十年か振りぶりである
しかも、葬式が終わってからのことである
クイズ形式だから、この孫に相続権があるか?ということである
答えは「ある」ということである
既に亡くなっている妹の分を引き継いている
これを代襲相続(だいしゅうそうぞく)という

亡くなった人の妻が半分、
子供は二人だったから妹の子は長男と同じで4分の1の相続権がある
故人も忘れていたかもしれない
数十年も寄り付かなかったこの孫(と父親)に母親は住むところ(家)を奪われる結論になる訳である
しかも今度母親が死んだときにまた出てくることになる
同じ孫でも生きてる息子の子は相続人ではないし、
極端に言うと将来の遺産が半減した訳である
うま味のある話はその逆が存在する
相続とはそういうことだろう

故人の遺志は確かに尊重できるが、さりとて故人の遺志は曖昧なことが多い
法律がそのことを救っているのかもしれない
少なくとも個人の財産権というものを明確に認めてくれているのである
もめるなら皆で放棄しなさいということだ
国へ返してもらってもいいですよ、とくる

この話少し続けます鯵庵(30.5.20)

by ajiankyoto | 2018-05-21 12:48 | 家族 | Comments(0)

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ワレモコウという植物がある
バラ科であるが、秋目立たない赤い花が咲く
それを漢字で書いて「吾亦紅」とする
その謂れには諸説あるが・・意味の分からない名である
「わたしもまた赤い」が直訳である
歌謡曲に「吾亦紅(われもこう)」という曲がある
シンガーソングライターすぎもとまさとの曲である
亡くなった母に親不孝を謝る歌詞である
なかなかな名曲であるしファンも多い

ただ、少し余計なセリフが入っている
その母に今は少し威張ってみたいという
"来月で俺離婚する・・・(イコール?)・・始めて自分を生きる"
だから、この曲を好きな人が多い
それはそれでいいんだろう
親不孝を詫びる気持ちは多くの人の本音なのだから
だがここにこのセリフが入ると、離婚しなかったのが親不孝に聞こえる
しかも、来月に離婚するというが、予定投稿じゃあるまいに・・
遅いだけで失敗だ、そんなこときっちり離婚してから言えと・・突っ込みたくなる

それにしても離婚が親孝行だというこの息子とこの母はどういう親子なのだろうか
いや本当に何を謝っているのだろうか?
それほど母がへばりついても守ってくれていた家は今は従兄弟(他人)が住んでいる
そして、今になってやっと妻の束縛から逃れて・・自分を生きる???
あるいは相続の失敗・・かもしれないが歌謡曲の涙の色が他とは違っていそうだ
舅・姑が死んでも結局嫁は今までも自分を生きて、別れた後のこれからも自分を生きることになりそうだ
こんな歌を家族で平気で歌ってる馬鹿馬鹿しさと、哀しさに気づいたらかえって寂しくなる
ともかく今は自分を生きるとは何だろうかと我々に考えさせられる歌ということで終わります
なおこの場合の吾亦紅とは"私も花の中に入れてや"という意味である

写真は高千穂の神楽(何故か延岡の破れ饅頭)
鯵庵(30.5.19)

by ajiankyoto | 2018-05-21 11:08 | 家族 | Comments(1)