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故人が生きていたということは理解できる
でも、そもそも、家族こそが一番故人のことを知っていない
それを知っている人の話を聞くなら、それはそれで人を偲ぶことは出来る
ひょっといたらお通夜の意味はそんなところにあったのかもしれない
それでも人の一生は長すぎる
10年も20年も病気してたら、おかしくなって家族に迷惑かけたことだけ人しか思い出せない
とても皆が言うほど厳しかった人とはとても思えない<・・なんてことになる
サラリーマンだって金貸しだって仕事の成果は評価されるが仕事の癖は正しく評価されることはない
そういう癖の悪さがあると葬儀の参列者の一つの楽しみになることもある
が、昔ばなしは要らないと言われるかもしれない

葬儀は誰のためにあるのかと言えば、残された者のためにあった時代もある
喪主の社会的地位が葬儀を作る
それでいいのだが、時に参列者が困ることもある訳である
自分の親がどんな親だったのか説明できない
テレビドラマのように単純でない、しかしドラマほど複雑でもない
笑い話だけどただの女好きだったと言われるほど単純な生き方をした人は存在しない
家族葬ではもはやそれも必要ない
だから親は単に親である、子は単に子である
家族が集まって遺品整理の話ばかりしておけばいい
それは世の常、凡人も別に困るほどのことではない
死人に個性を感じるのはやはり家族だけかもしれない

人の人生は毀誉褒貶である
世の中(現世)というものはでは人間がみんな集まって出来るだけ都合よいように作ったものである
従って、世間は右と左、上と下、白と黒、・・本物と偽物、正と邪、・・似たものばかりで自分と他人の区別も分からない
警察だって裁判所だって裁けないことが多すぎる
世間のことを世間が裁くのが世間たるゆえんであるどっちみち地獄へ行くのは一人だ
そもそも地獄は現世の資産や地位を認めてくれない、極端に公平な世界だ
閻魔だけが評価する?誰もが通らなければならないのが地獄の門である

絶対の地獄の掟である
その時こそ言いたいことを言えばいい、現世での嘘は通じない
地獄でこそ始めて裁かれ、また地獄で始めて救われる人もいるだろう
そのことを知っているものだけが人生の英雄である
死後のことは天に任せばいいし、自分の身は閻魔に任せるしかない
先に亡くなった分だけ仏に近づける?
せめて年とってから罪はしたくないよな、ご同輩
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今回で吾亦紅シリーズを一応終える
18編に付き合ってくれた人およびその家族の老前・老中・老後・往生・後生に少しでも幸あれと祈る
鯵庵(30.6.17)

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by ajiankyoto | 2018-06-17 20:13 | 家族 | Comments(0)

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昔テレビドラマで「渡る世間は鬼ばかり」というのがあった
視聴率が高かった
テレビドラマは「〇〇日曜劇場」や「男はつらいよ」のように人情の機微を優しく表現するものとばかり思っていたからびっくりした
確かに出演者(役柄)が皆鬼だった
全員が思ってることをストレートに遠慮なく語るのだ
皆が心の底に何もためずに感情を出しまくるのだ

このドラマが嫌いだった人の気持ちが分かる
これが自分の家族から出た言葉だったら・・と思えば見ていられない
このドラマが好きだという人の気持ちも分かる
ドラマのように一度や二度は辛抱している自分の本心を口にしてみたいと思う
それが高視聴率の理由だと、あるいは今までの常識を打ち破ったと思えば理解できる
このドラマが長く続いたことには作者なりの工夫があるのだろう

全ての役が老いも若きも男女ともに同じ性格だということである
もっと言えば、皆が人をいじめることが好きで、いじめられることに強いということだ
そして、皆が自分と同じ性格だと確信していることだ
だが、それは未だかって地球上に存在したことのない事例だ
確かに家族でもそういう観点でとらえようとする人もいるだろう
それを嫁と姑の確執ととらえる人はそもそも人が嫌いな人だろう
またそれは家族と他人を同じ枠で考える人だろう

世の中には人が嫌いな人と人が好きな人といる
家族を思うように人に接することを惻隠の情という
相手をおもんばかってやることだ
言ったらいけないことを言わない気持ちだ
言ったらいけないことを言わせない気持ちだ

赤子が泣いてそれが何を訴えてるのか分からない母親はいないはずだ
赤子は泣く以外に表現できないし、母親の都合を分からない
それが子供になり大人になれば分かるように育てるのだ
親の気持ちが分かるほどの大人になるためには年月がかかる
皆が赤子のように自分勝手に喚きだせば家族ではない
が、ドラマだったらそれも可能かもしれない
もう、終わってる家族はセリフがなくてドラマにならないことだけは言える

ぼちぼちこの吾亦紅シリーズも終わりかけである
鯵庵(30.6.15)

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by ajiankyoto | 2018-06-15 07:17 | 家族 | Comments(0)

アニメ「サザエさん」の主役はマスオさんである、と言うと一応異論が出る
いや波平だという人もいるし、やっぱりカツオだという人もいる
サザエは所詮狂言回しである、だから、そんなに大した女には作っていない
新しい家族のあり方として”妻の家族と同居する”というパターンを作った
そういう風潮を先取りしたのがアニメ番組としての成功の基だと思っている
大阪育ちのマスオさんが一度も大阪弁を語らない
もちろん、博多育ちの波平さんやサザエも博多弁を語らない
東京に出てきた途端に東京に帰化している
徹底的に家族平和を求める家族を描くようになったのはアニメのスポンサー東芝の戦略であった
数十年も前に始った長谷川町子女史の「サザエさん」という風俗(風刺も)漫画は朝日新聞の販売促進であった
女性原理で家庭を作っていくとこうなりますということが受けた訳である
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家でも会社でも戦わない論理は平和主義の女性原理から来たものである
日本の女性は昔からそんなこと折込済みだったのだ
男どもは甘えて威張ってればいいのに、急に理解のあるようなことを言う
そんな男の相手をすることは日本女性にとって物足らないことなのに、気の利いた女性は決して言わない
その役をしているのがマスオさんである
ただ、マスオさんは磯野家ではない、磯野家の平和には貢献するが、それでは大阪人フグ田家の明日が見えない
ただ、家でもう一人の母親みたいな男の背中ばかり見せられたタラちゃんは不幸である
かくして男性原理は廃れ、男も女も女性原理的平和主義と平等主義で生きていくことになる

ならばと言うことで波平さんを前時代のがんこ親父に作ろうとしている
が、作中、波平さん自体が出来が悪く軟弱である
会社でやったことのない頑固おやじを家族にやらしてもらうことこそ軟弱の極まりである
フネさんは絶対に主役にならないことを信条としている
だから、家庭調和と言うのです
そのかわり日本女性はこんなものでいいのです、とばかり言っている
が、小生は悲しい、それでは親を超えられるいい女性が育たないのだ

言いかえれば白物家電の世界です
日本の技術史では、洗濯機も冷蔵庫も必要に応じて出来て来たことを強調しているが、電化製品を家庭に普及させるのは別の戦略がいる
家族は家電製品の進歩に合わせて進化していきましょうねと言っている
東芝ゆえではない、全ての国民がそのことに慣らされた
電機メーカー東芝は日本唯一の原子力メーカーでもあった
原子力メーカーと原作の持っている風刺と言うものが両方とも消えてしまった気がするのだが・・アニメに対しては言い過ぎだろう
都市伝説の一つにマスオさんの浮気の相手は〇〇アワビという若い女性らしい
そんな話がテレビに出てきたら面白いね
♪そう、はじめて自分を生きる・・(吾亦紅から)
そこまでは期待できないけど・・
東芝がスポンサーを下りてどう変わるかが興味深いのも事実だ
鯵庵(2018.6.10②)

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by ajiankyoto | 2018-06-10 17:30 | 家族 | Comments(0)

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ハンゲショウ(半夏生)と言う植物がある、こちらはドクダミ科の多年草、日の当たる湿地を好む
特色は葉の表面が真っ白に変化することである
したがって半化粧などと言われたりする、カタシログサと言われたもする
ドクダミに似た匂いもするが生薬としては用いない
花は穂のような花序、夏至を過ぎる頃から花をつけ葉の表面が白くなる。ということで、
名前がハンゲショウ(半夏生)として名が通ることになった
建仁寺(けんにんじ)の塔頭(たっちゅう)ではこの時期に合わせていつもは拝観できない庭を有料で公開するのが定着してきた
大勢の観光客と言うことだが、が、路地小生まだ、調査が出来ていない
それとハンゲショウには悪いけれど・・この花を主役に見立てて見るにはもう少し悟りか仏心が要るような気がする

それでも半夏生を見てみたいという人は
嵯峨の大覚寺に行けば大沢池の口のあたりにハンゲショウのほぼ自然な清楚な姿を見ることが出来る
池の傍を散策しながら見るのに丁度いい
もっとという人には山科の勧修寺を勧めることにしている
夏至の頃からは雨が多くなる
青一色のアジサイは見事だし、氷室の池のスイレンと一緒に群生するハンゲショウを見ることが出来る
時々ウシガエルの大きな鳴き声が聞こえる
小雨降るのがいい、梅雨なればこその風景である
拝観料はいるが、植物園で見るよりも自然である(手間をかけている言う意味)
そういうところが拝観料を取るお寺のいいとこだと思う
花の季節が終わりかけると、時々ハンゲショウの苗を分けてくれたりする
仏と一緒に花を見ることだ出来るのを花の寺と言うべし
鯵庵(30.6.8)

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by ajiankyoto | 2018-06-08 20:34 | 都市 | Comments(0)

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保険と言えば生命保険がある
保険金は相続の対象外である
親の遺産を当てにするのなら、親に生命保険をかけておくのが一番確実だろう
後ろめたい気がするならやめとけばいい
親の了解でなおかつ多額の掛け金を自分で払うなら問題はない
  
何も残してやれるものがないので、と言って自分の好きな者を受取人にする
テレビコマーシャルが盛んにおこなわれている
生命保険の効用が広がっていると認識すべきだ
"幾つになっても入れます、生涯掛け金は変わりません・・云々"
とはこのことである

例えば掛け金が相当な額になったとしても考え方から言えば生前贈与と同じことである
も一度言えば、力があればその掛け金を自分(受取人)で払えばいい
相続人であってもそうでなくても相続の公平さを妨げない
だからこそ、被相続人(親)の方が積極的にならなければならない
生命保険というのは残されたものの傷を癒すものである
それも確実な絆である

世の中では生命保険で借金(負の遺産)を返す人も現実にいる
保険金詐欺ではないし、今回の場合は自殺まで急がす必要はない
わずかな遺産の分配方法で悩んだり、わずかな遺産の分配で残された人との絆を壊したくないなら・・・である
生命保険の平和利用である
それでなくば相続問題から綺麗に逃れる手はない、少なくとも遺言状より効き目は確かである
鯵庵(30.6.6)

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by ajiankyoto | 2018-06-06 14:33 | 家族 | Comments(0)


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小生の父親は難病の一つパーキンソン病を患った
発病から10年で、その後は色々な症状が出てきた
薬のせいか気分にも波があり、幻覚・妄想が続いた
家族がそれを病気だときちっと認識するのは相当な知識がいる
大学病院に通ったが薬をくれるだけだったし、老人保健施設にも拒否された
時にデーサービスにも行ったが、いわれなく素人リハビリ体操ばかりさせられた
皆と一緒に笑わない、皆と一緒に手を動かさないと言って嫌われた
悲しいことに父親の尊厳を守り得たかどうか、思えばつらいこと毎日だった

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介護保険がスタートする前の何年かは夜明け前の暗さだった
多くの病院がフロアー単位で空きベットを作った
3か月以上の入院はさせてもらえず、病院を転々としていた
新しい病院に落ち着いたその日から次の病院を探すのが家族の仕事だった
介護保険の制度は平成12年(2000)4月から始まった
病院は病状は安定している(治らない病気)と言い、老人保健施設は難病の患者の受け入れ態勢はとれないという
幻聴・妄想も病気なのだ
安定しているなんて知識は家族にある筈がない
認知症と一緒なのだ、そのこと自体が病気なのに・・
認知症だって当時はただのボケ老人と言った
病気の治癒ではなく介護の問題に切り替えていく時期だったのだろう

やっとの思いで長期療養型の病院にたどり着いた
病院だから保険も効くけれどホテル並みの入院料を取られた
父は自分の蓄えを全て使うことを納得して、心も穏やかに入院できると久しぶりににこにこしていたけど・・
暫くして院内感染で肺炎を患った
家族と病院あげて敬老の日のお祝い行事、医者も看護婦も一番手薄な日に危篤になって次の日に亡くなった
パーキンソン病で死んだのではない、やはり肺炎であった
家族にとっても息をつく間もなく亡くなった
介護保険制度がスタートする前の年だった

つまらないことを考えた
国が作ってくれる制度というのはいつもよくできている
だがしかし、制度の隙間に入ってしまう悲惨さはいつまでも残っている
病院は回転率を上げることが一番の経営であると今でも信じている筈だ
夜明け前と夜が明けてもそこのところは変わっていない気がする
そしてまだ医療と介護の区別は相変わらず曖昧である

老人、病気、貧困、介護にはいつでも悪の論理が入りこんでくる世の中になってきている
病人にとって生きるということは生き抜くということである
そんな分かり切ったことを制度に求めていくことは難しい
10年間以上の父親の病気は我々家族にも辛いことだった
老人保健施設や病院がなかったら、こちらも倒れていただろう
思えば、もうその時には自宅で看取るなんてことは出来ようもなかった
父親が発病した年令になってきた
これから毎日自分自身で考えておくべきことの一つである
鯵庵(30.6.4⓷

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by ajiankyoto | 2018-06-06 07:03 | 家族 | Comments(2)

看取り率/吾亦紅⒁

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ちょこっとまた吾亦紅(われもこう)の唄に帰る
この唄、"いまさら離婚"ということが裏のテーマになっている
またその裏には母親を看取れなかったことの悔いがある
人間が死ぬのはほぼ病気だから、看取りとは病人のそばにいて死期まで見守り世話をすることである
危篤だと言ってその時だけ飛んでくることではない、それは死に目という
いずれにしろ一番多いのは、病院だろう・・
病院が8割、自宅や老人施設が約2割である
唄の母も一人病院で寂しく亡くなった・・一番多い・・国の統計である

どこで死にたいかって?そんなこと聞かんといてーや
現在の状況でこれぐらいだとすればあと10~20年後を予定している我らの時代はどうなっているのだろうか
不安になるのは当然である
人生、旅先の路傍もあれば、刑務所だってあり得る
自宅だけどいつまでも見つからなかったということも・・
その中で病院での死を家族に看取られたとしたら御の字だろう
国は何とか20年後には自宅や老人施設での死を、現在の2割を4割ぐらいに引き上げたいと目標を定めている
だがこれは場合によってはあきらめる他ないような数値だ
もう数年でやってくる団塊世代の後期高齢者化・・
病院が一杯なのにその病院が在宅医療体制の充実を図るには遅すぎた
身寄りなき余りに多くの老人に対して病床や介護人員の不足がやってくる
20年後なら達成できるかもしれないとしたら
・・それは団塊の波が行ってしまってからのことであろう

夫婦でこの問題を考えると・・
後になるか先になるか、それによって違ってくるのではないかと実感している
先に死にたいとは必ずしも思わないが・・、後になってしまえば多くのことをあきらめざるを得ない
自宅で(嫌われながらも)看取られて死ねるなんて幸せは僥倖と言うに等しい
自分で歩いて姥捨て山に登っていく時代がやってきたのである
いずれにしても自分のことである
率とか割合ではない
地域差も他人のことも関係ない
はっきり言えば0か100かの世界である
今の50代から70代のこの後の看取り率は一度限りなく0に近づくと考えていた方がいい
鯵庵(30.6.3)

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by ajiankyoto | 2018-06-06 07:02 | 家族 | Comments(0)

前項「嫁が来ない」もう一度ことわっておくが結婚相手の嫁ではない
息子の配偶者のことである
前項で出演願った家内の友人は夫婦の期待を息子や息子の嫁にかぶせて期待しすぎている
それでも孫はひょっとしたら自分で来れるようになったら来てくれるかもしれない
それまでは母親の手の中にあるのだから仕方がない
最期の期待まで打ち壊してやる必要はない、だからそれ以上のことはいう必要はない
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元気なうちは息子も嫁も来てもらわなくてもいいじゃないか、と言うと、倒れた時が心配だという
それはいくら心配しても心配しすぎることはないが、元気な時に来ないものが倒れた時に来るはずがないではないか
亭主の老後をほって、亭主の親の面倒を見る前に離婚して、その上で、息子や嫁に面倒見てもらえる話はどだい無理な話だ
息子の嫁に離婚を勧めるようなものである
もちろん、孫が遊びに来ない愚痴を言いに来た家内の友人にそこまでは言えない
そこまで行けばまた「吾亦紅」の唄になってくる
夫婦で出来ないことは一人なったらもっと出来ないものなのだ

看取りというのがキーワードだ
看取りとは死期に向かって家族の看護・介護を言う、その看取り経験が日本でなくなっていると指摘されている
病院は看護であり施設は介護は出来る、しかし家庭は今何も出来ない
看取り放棄の嫁と姑は家族の定義に入っていない
看取りとは家族の話である、どこで死ぬかは家族の問題である
"自宅や施設で"死にたいと思うなら、"家族の介護"がキーワードだろう
現実には気の利いた介護を受けるチャンスは施設しかなく、結局は施設で・・寂しくということになる
せめて自宅や施設で4割の方が看取られるようにしたいという政府のスローガンは
他でもなく既に医療体制が限界に来ているということを言っているに過ぎない
家族を壊してきて、そのための家族をつくるというのは大きな矛盾である
・・・・どこで死にたいかと言われても・・困る、のである

10年ほど昔に大きなアンケート調査に協力し、アンケートの集計結果が送られてきた
将来の一番の不安は、病気であり介護されることである
しからば誰に介護されるのに抵抗があるかということだ
女性がもっとも高い率で抵抗感があるのは息子の配偶者いわゆる嫁であった
独身・離婚・死別を含めての50才~80才の9割の人がそう回答している
「人間の欲は自分を計算に入れない?」と言われながらもある程度覚悟はしているようだ
男性(老人に限らず)はそのとばっちりを食らってるようなところもあるからである
鯵庵(30.6.5)

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by ajiankyoto | 2018-06-05 19:22 | 家族 | Comments(0)

嫁が来ない?/吾亦紅⑿

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家内の友人が来ていた
話が佳境に入った頃に小生が帰ってきて一緒にビールを飲むことになった
再婚したいという
理由は・・嫁が来ないという
嫁が来ない?男の話ではない

相手はというと、これからだという
何だ・・離婚してから独り暮らしが3年になると言う
子供も孫もあっちへついてしまった、と言う
「あっちへつくならもう来なくていい」と息子に言うたら
嫁が来ない
そして息子も孫も来なくなったと言う

罪なく家を出たのに子供たちが味方してくれない
男の子はと信じるものがあったのに・・そのことがむなしかった
嫁が決めることに夫(息子)や子供(孫)が唯々諾々と従う
そんな力が嫁にあったのだろうか・・と今更思い知らされたという
そんな主旨だ

相談に来ていたわけではないので答えは要らない
仕事もしてないみたいだし食っていけてるのだろうか
ならばまあ再婚には賛成である
でも、孫もおるわけだし、親子の縁は切りにくい
将来のもめ事も無くしておく必要もある
そういっても大金持ちに当たる確率は極めて低いし
もともと、男と女が一緒に暮らすとなれば賢さは必須だ
一時の寂しさだけでは禍根を残す

小生の初夢艶福指数(←クリックで開けます)を披露したくなったが・・
年上の男性を意識した式は女性には失礼な式でもある
歳の差が艶福だというのは偏った考え方である
互いの利害が一致することが世間の定理ではあるが
どちらかが幸せですということだって互いの幸せでもあるのである
若い人には分からないかもしれないけど
この熟女にもまだわからないだろう
離婚は最後に一人で死ぬことに等しい
人生など所詮、打算、・・と覚悟なのだよ
それでも"万事塞翁が馬"とも言う
女性を相手にすると・・歯切れの悪い話である
鯵庵(29.4.18)

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by ajiankyoto | 2018-06-05 19:21 | 家族 | Comments(0)

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新しい家族を作ろうとした我ら世代は結局は家族を壊してしまったのではないだろうか
家族は本来の最小単位だが
家族は最大の群れだった
家族が皆一緒に暮らせることが一番の幸せである
原始の時代からの本能の一つだろう
だが実際はそうでなかったこともまた多い
社会生活を行うにつれ家族の単位は小さくなっていく

人間に仕事の歴史はもはや3千年になる
家族を守っていくのは男の仕事だった
守るために戦う為に仕方なく離れ離れになったことの大きな不安も
やがて繰り返しの学習で克服できる社会になってきた
家族は肉体の痛みを共有するものだ
しかし離れたとたんに痛みは半減する

家族に助けられなかった我ら世代は家族として助ける方法を学習していない
家族を壊す仕組みばかりを作ってしまったために
家族を離れたゆえに生きていけない多くの人たちを作ってしまった
家族の単位は限りなく小さくなってやがて個になっていく
ふがいなく、なさけなく・・
まだ小さい方が暮らしやすかったと誤解している
社会は家族の代わりはしてくれない
しかしもう、戻ることはないだろう
鯵庵(30.1.15②)

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by ajiankyoto | 2018-06-02 05:14 | 家族 | Comments(0)