七条大橋

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七条通り(府道)にかかる全長82メートル鉄筋コンクリートアーチ橋
大正2年(1913)開通、鴨川にかかる大橋で一番古い
京都は水害の街である、何度も鴨川の洪水に耐えた
土木遺産(土木学会・2008)の一つ
橋の下でジャコ釣りしたこともある
鯵庵(30.8.31)

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by ajiankyoto | 2018-08-31 17:59 | 都市 | Comments(0)

内臓脂肪


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何、「内臓脂肪を減らすのを助ける・・」
ん、「内臓脂肪を減らす」のとは違うのか
ほな、内臓脂肪を減らす薬はないのか??
鯵庵(30.8.30)

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by ajiankyoto | 2018-08-30 08:14 | 翁草 | Comments(0)

ものの分かったセミ

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急にセミが鳴きだした
猛暑日が続く、その中でである
いかなセミの声もこの時期真昼間暑苦しい
暑苦しいことはやめとけ、分かったかというと
分かりましたと言って、あっちの樹へ飛んで行って・・また鳴きだした

分かったかと叱って分かったという奴バラに分かった奴はいない
分かってないから分かったと言う
分かったと言ってすぐに同じことをする奴バラを思い出した

セミに苦情はない
この季節のセミは焦っているのかもしれない
もう仲間が少ない
夏が終わりかけている
鯵庵(30.8.29)

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by ajiankyoto | 2018-08-29 18:04 | 翁草 | Comments(0)


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今年の猛暑は非常事態だった
夜でも"ためらわずに"エアコンをかけて寝なさいと連日テレビで言っていた
今年に限って言えば日本中が一日中エアコンかけてても電力不足の話は出てこなかった
それだけではない今月の電気代が怖いと皆が言うている
今年の夏はキリギリス型である
裏で電力会社は今月の売り上げの計算をしているだろうね

あんな大きな事故があって電力不足が言われたときでも、
ネクタイをしめて上着を着ても寒いぐらい・・電力会社の本社のクーラーは効いていた
ノーネクタイは歴史が古い、が・・世間またネクタイが復活してきた
ノーネクタイ用のボタンダウンのシャツにネクタイをしめて二重に暑苦しくなってしまった
テレビのキャスターもコメンテーターも、60年前のアイビールックもどきである
他でもあの国もこの国も政治家はネクタイの色をあわしたりしている
ネクタイの色が気持ちの表れであると言われだすとネクタイの効用が認められたことになる
謝りに来てネクタイの色が不遜だと叩かれた不遜な人もいた

ボーイスカウトのネクタイ(スカーフ?)は伊達ではない
当たり前ながら彼らは営業の為にネクタイをしているわけではない
せめて、ネクタイで汗をぬぐったりできるなら値打ちがあるのにと思う
昔、建設会社の営業をやっていたその友人の言葉を思い出す
ネクタイしないで人を騙すと詐欺と言われる
ネクタイをして人をだますのが世間と言うものである
だから、謝るときに必要なのがネクタイ姿なのだ

真夏は生地を薄くするだけでなく、ズボンみたいに半分の丈にでもしたらいいのにと思っている
暑いのはネクタイをしめている人ではない、見てる人が暑いのだ
小生は黒色のネクタイ以外処分した
ネクタイやめられないならいっそのこと世間皆黒いネクタイにしてしまえばいい・・とさえ思う
やはり・・彼が言ってたとおり??田舎の信用金庫の営業とオレオレ詐欺の受け子は必ずネクタイをして現れる
後は頼むから季節外れの暑苦しい柄はやめて欲しいと思う
鯵庵(30.8.28)

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by ajiankyoto | 2018-08-29 16:27 | 偽装 | Comments(0)

精霊トンボ

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確かにお盆の前から多くのトンボが飛んでいる
ウスバキトンボだ
暑いさなかに日本で増える
この季節が一番多い、だから、精霊トンボとも言われる
台風が来るとまた南洋から風にのってくる
この時期に見ると精霊トンボと言われる意味が分かる
盆に返ってきたけれど家族がいないと、さ迷ってる精霊にも見える

ある人とトンボ談議になった
歌に歌われる赤トンボではない
アキアカネはまだ山にいる
里には下りて来ていないと言ったら
そもそもあの詩はウスバキトンボだったという説もある、と
それほど日本でも親しまれるトンボである

ウスバキトンボは日本では冬を越せない
本当にアキアカネが絶滅したら・・外国本籍のウスバキトンボがその地位を奪うかもしれない
ただ、寒さには弱く日本のでは冬を越すことが出来ないようだ
ならばの赤とんぼアキアカネの精霊かもしれない
ならば赤とんぼという人も正しい
鯵庵(30.8.27)

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by ajiankyoto | 2018-08-27 20:52 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

商売繁盛はレジ係


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新しい店が出来た
並ばされることもなさそうなので入った
店員は多かった
繁盛しそうな気がしたのだが
注文の品が来るのが遅かった
店員も手持無沙汰だ
ビールだけでも持って来い
こら、缶ビールだすなら冷えたグラスも持って来い
それでもやっと来た
それなりの味がした
今度は何人もレジで並ばされた
こちらから見える人は皆新米アルバイトみたいだ
信頼できる店員がいないのか
店長(料理人)がレジばかり気にしている

あの店、その後居抜きで代替わりしたみたいだ
また新しい店が出来た
行列のできるラーメン屋になりたいって書いてある
人を並ばせて潰れた店の後にそれは心得違いだろう
そんなけ自信あるなら賽銭みたいに客に値段付けさせて勝手に置いていってもらったら
旨ければ、せめて、アルバイトのレジ係の給料ぐらい残るかも・・しれない
応援のつもり
鯵庵(30.8.26)

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by ajiankyoto | 2018-08-26 20:27 | コンビニ | Comments(0)

JR奈良線を行く

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JR奈良線は京都府内を走る
JR奈良線は宇治川鉄橋を単線で渡る
単線のことを一車線という若い子がいた、その方がわかりやすい?

JR奈良線は京都から木津まで34.7キロメートル、奈良線といいながら奈良県には線路が無い
実はこれ古往(むかし)の私鉄路線であったからからだ
今でも京都府内の木津駅は関西線の駅であり、奈良線は木津駅が起点になっている
奈良線が国有化される前(明治40年・1907)は関西鉄道の線路であった
その前は奈良鉄道として明治29年(1895)に京都・奈良間で運転されていた、とある
全線開通120うん年はこの時をスタートとしている

ただ、その頃は京都から奈良へ向かう線路は京都から桃山までは近鉄京都線ルートを通っていた
要は大正10年の東海道線東山トンネルの開通(東海道線に切り替え)によって
それまでの東海道線を稲荷から桃山までつないでが奈良線になった
現在の線形である
レール幅は狭軌(1067ミリ)である

鯵庵(30.8.25)
絵は黄檗山萬福寺の布袋さん
黄檗駅は昭和36年(1961)設置された。ここまで来ると外国人の喧騒から解放される。中国式の禅宗が日本の心を落ちつかせるのが不思議だ。

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by ajiankyoto | 2018-08-25 09:14 | 都市 | Comments(0)

鍬形地蔵尊ご開帳

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京都一条通にある昆陽山地蔵院の鍬形地蔵尊は1年に2回お堂の扉が開かれる
8月は地蔵の一番の縁日でもある地蔵盆である
仏は見えない人にも仏像は見える
仰ぎ見る目線で目の当たりにすることが拝むということなのだろう
鯵庵(30.8.24)

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by ajiankyoto | 2018-08-24 15:25 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

滑石(すべりいし)越え

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JR線が東向きに大津に向かって走って行って概ねすぐにトンネルに入る、このトンネルを東山トンネルという
大正10年(1921)に開通、以後京都・山科から逢坂山(おおさかやま)をもくぐって大津(京都から約10キロ)と現在の線で結ばれることとなる
この山が東山36峰の一つ阿弥陀ケ峰である、山頂の標高は196メートル(今熊野阿弥陀ケ峯町)
歴史的にいうと京都と山科を結ぶ道(渋谷越(しぶたにごえ)や滑石越(すべりいしごえ))にあたるところから戦国時代には山城が築かれていたのが残っている
この峯の頂上が豊国廟(ほうこくびょう)、秀吉の遺言によりここに葬られた
ただ、元和元年(1615)豊臣氏の滅亡により壮麗な廟は破壊された

今熊野(いまぐまの)から阿弥陀が峰の南麓を通って山科へ抜ける道が醍醐道(だいごみち)または滑石越(すべりいしごえ)という
山科の大石神社に至る、一部離合(りごう)の困難な個所もあるが府道118号として山科への抜け道でもある
大石神社のあたりに元禄の時代赤穂浪士の大石内蔵助(くらのすけ)が一時の寓居があった
大石の寓居から京の遊郭に通うのはこの道が直線距離で一番近いことになるのだが・・
冬は凍てつき通う大石も滑ったから滑り石(すべりいし)との謂れも言われるくらいの道でもある
当時の道路事情を思えばこの話には少し無理があるような気がする

大石が大望を秘しながら遊所に通った気持ちは聞きようはないが、山科から通った道は別の道(大岩街道?)であり
また通ったのは四条の祗園ではなく伏見(墨染・すみぞめ)の橦木町(しゅもくちょう)遊郭だったと言われる
それならば道としては最も近いことになる
これだと駕代で1万円弱?、当時の大石の懐具合を考えらばそんなものかと思われる

閑話休題(それはさておき)
風俗史から言えば、祇園の遊所が盛えだすのは元禄(げんろく)年間(1688-1704)の討ち入りから4、50年も後の頃であり
ちょうどその頃に赤穂浪士による主君の仇討事件(元禄15年・1702)に材をとった「仮名手本忠臣蔵」という芝居が始まることになる
その後また4、50年の後文化文政(1804-1830)の頃には嶋原をも上回る盛り場となる
仮名手本忠臣蔵の芝居の大ヒットは祇園の遊廓としての地位を一挙に上げたということにもなる
鯵庵(30.8.23)

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by ajiankyoto | 2018-08-23 09:36 | 都市 | Comments(0)


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道祖神(どうそじん)と言うのは民間信仰の神である
賽(さい)の神である
誤って迷い込まないように世界の境を守っている
外部の侵入者を防いで村々の安寧を守るものであった
後に神道の猿田彦(さるたひこ)神に習合(しゅうごう)したり、近世になって仏教の地蔵菩薩と混淆(こんこう)したりと言うのが、小生の理解である
街角や、道端や分かれ道に見る"お地蔵さん”はその習合・混淆したものである
何度も言うが現世と来世にまたがるスーパーな佛が地蔵である
様々な形で祀られているが、伝説では少年の形で現れるとも・・そんなことから子供達を守るためにも素朴な童顔の仏にもなる
地蔵菩薩のいわゆる縁日は毎年24日であるが、7月の縁日は地蔵会(じぞうえ)と呼ばれる
こちらでは月遅れ8月24日になる、同じく月遅れのお盆に近いことから地蔵盆と呼ばれている

この”お地蔵さん”の受難は明治の廃仏稀釈であり、迷信として退けられ多くの地蔵の祠や石仏が壊(こぼ)たれた
それだけでなく、街路拡張のためにも邪魔になったと見えていじめられた
明治も半ばになって、京都の市民も落ち着きを取り戻すようになってきた
それに伴っての各町内での地蔵会が復活されるようになってきた
地蔵に化粧して供物などを供えて、子供たちにお菓子やくじ引きや子供を中心にした祭りである

地蔵盆の終わりに盆踊りをすることもあった
子供にとっては夏休みを締めくくる重要行事である
京都が独自の文化都市であるとしたら町が中心となった小学校の設立とこの地蔵盆の風習を残してきたことが大きなことである
町内自治の必要性があったから残り、必要性がない地方では廃れていく事例でもあると思う
縦横のつながりは町内を超えて保育園や幼稚園に移行している
時には幼稚園の夏祭りがテレビで地蔵盆行事として紹介されるようになってきたのは逆にその名残である
鯵庵(30.
8.20)
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by ajiankyoto | 2018-08-19 14:19 | 地蔵菩薩 | Comments(0)