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葬式のレール⒄看取り



家族の一番の喜びは誕生である
家族の一番の悲しみは死別である
しかし家族はいにしえより生と死を家族の歴史としていた
孫の誕生を祝っていた祖父母の死を見て大人になっていく
大切な人との別れは人生で最も相手に対してに感情や愛情を感じる場面である
それが「死別」である

"死別の場所”についての国の統計がある
日本の場合、病院(老人保健施設を含む)が8割を超える
残りの半分である1割が自宅である・・・が、「老人ホーム」が増加し自宅が減少している
しかも、病院の比率は増加するだろう
それは、また、「人生の最終段階における医療のあり方」の問題でもある
いい医者は必ず本人と向き合って医療を決めてくれる
延命措置の詳細を家族に問うたところで、家族が本人の気持ちを推定して代弁できることはあり得ない
そのことを本当は医者は知っている筈だ
病院での家族の看取りはそのことの難しさを包含している

ひょっとしたら、過ごしやすい施設に入っても同じことかもしれない
そんな身分の人ですら家族と一緒に暮らしていた鬱陶しさに気づくものである
残された家族も同じことを感じることになるだろう
が、それはその人の家族の歴史から言えば最後の章である
その一瞬だけのことを言う「看取り」という言葉は現代の実態を捕えていない
施設から直接葬儀会場に遺体は運ばれる
親と子が祖父母と孫が再会するのは葬儀会場になる
施設や病院での記憶しかない残ってないとしたら家族の不幸である
鯵庵(30.11.26)


by ajiankyoto | 2018-11-28 14:39 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

葬式のレール⒃火葬場

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京都市が中央斎場の火葬件数の予想を立てている
市民のほぼ100%が火葬だから、市民の死者の数だと思えばいい
あと15年くらい先の平成43年から47年の5年間ぐらいがピークになる
1日の火葬件数は(最大)138件になる、としている
中央斎場の1日の処理能力は120件(24基ある)程度らしい
やがて減少していくことが見えているので増設はしないということだ
平たく言うと、団塊の世代が85歳前後となる時期が死者のピークということだ
この間毎日18件分、1年で約6500件が生焼けになる(?)という計算だ
団塊の世代は最後の最後まで生きる競争だ、それどころか死ぬタイミングも・・
"阪神淡路"の時に経験したことであるが、焼き場を求めて役場と遺族がさまようこともあり得るわけである
立派な墓を用意して準備したからとて優先してくれるわけではない

もう一つ京都市中央斎場が困ってることがあるという噂だ
京都(近畿圏)は部分収骨である
残りは火葬場で処理してくれる
やはり、遺骨(焼却灰)は土に返すことが本当だと思う
その処理槽を丁寧に「聖土槽」(京都市の場合)と言ったりする
それがそのころには満杯になっている?
当事者になればジョークでなくなる可能性はある
だが、都で暮らしをしてきたものにとってはともかく贅沢(?)は望まない
気にせず東山の樹林の土にしてもらっていい、と市民は思っている
鯵庵(30.11.26)

by ajiankyoto | 2018-11-26 09:07 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

葬式のレール⒂墓石

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京都に火葬場が運営されたのは明治になってからで、東西両本願寺の運営であった
それが市営の火葬場の前身である
現代は人の屍(しかばね)は焼却しなければならない
従って、焼却してからの措置を埋葬(まいそう)と言う、埋葬は墓地でなくてはならない

小生の長男はこの地東山の火葬場で灰になった
そのふもと、いつもたむろしていた円山公園に隣する東大谷で、親鸞上人のご廟の土の一部になった
長男のいない辛さは齢とともに深まってくるが、哀しむのは我々夫婦だけのことだ
立派な御廟の樹林の土の一部であればむしろ永遠だと思える
世に何もなさぬままの命を石碑に名を刻むまでのことはないのだ

庶民が立派な石の墓を持てるというのはそんなに古い話ではない
田舎から都市への人口の移動に伴ってのものである
新たな都市住民(移民)としての証(あかし)を求めているようでもある
土葬から火葬への変化と重なる
しかしながら、これからの家の寿命は墓石の寿命に比べて短すぎる
しかも、成功の証にしても立派すぎる
立派な石碑を建てた後の空しさに早く気づくべきである
鯵庵(30.11.25)

by ajiankyoto | 2018-11-24 21:30 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

葬式のレール⒁墓守

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墓守の仕事に興味を持ったのは、第3の仕事を求めての話であった
実はハローワークを通じて初めての面接だった、樹木葬の企画会社だった
面接の後すぐに丁寧に断られた、2年も前の話である
詮無いながらもそういうことにも勉強させていただいた
埋葬(納骨)の形は様々であるが、ここの遺骨はお寺の庭で手厚く祀られる
大きな石の墓標はないが、寺の中である、本物感?はある
火葬ゆえに出来ることである、納骨の墓に近い方法だと思えばいい
一番いいことに、墓の将来(死後の姿も)を容易に想像することが出来る
だから、自分用に生前に購入する人が増えている
本山の塔頭寺院だから、年に何回かは厳かに法要も営んでくれるし、友の会もある
そうでなくとも新しい住人が増えてくることは事実だ
しかも、観光客では入れない・・ブランド志向にも対応できるわけである

それはさておき、もし採用されておれば私の仕事は何だったのかと言うと・・
お客の案内をする運転手と墓掃除である
古風に言うと墓守(はかもり)だった
だから、人の墓を守するというそのことに憧れて応募したのに・・・・である
採用されることはなかったけど、いい企画だと思っている
京都の寺院型の樹木葬は都市移民の我々の世代にとっていい落ち着きどころになる
どのような状態であっても、骨は自然のバクテリアのおかげで数十年で土と水となる
樹木の栄養となってもいいとさえ思えば、死後落ち着ける環境である
樹木の栄養になってもいいとさえ思えば、死ぬまで落ち着けることもある
小生も落ち着いて営業と墓守をしていれば、いい罪滅ぼしになったのにと、今でも残念に思っている
鯵庵(30.11.23)

by ajiankyoto | 2018-11-23 08:55 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

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葬儀一切の見積もりの中にあるので骨壺だけを買うことは余りない
最低2~3000円から10万円くらいまで色々あるようだ
有名な焼き物なら15万円ぐらいはする
が、そんなことはもちろん我々には関係ない
葬式の見積り内容を吟味する人は少ない
その構成の基本は人件費である
だから、何に金をかけるかで葬式の色は変わる

骨壺は色や形様々だけれど大きさも数種ある
目的は明らかである
少しお金をかけたいと思う人もいるだろう
今は手元に置いたまま暮らす人もいるようだ
そう思えば骨壺にも様々なデザインがあるのも納得できる
葬儀の見積もりの時に明確に言っておかなばそれも出来ない
大は小も兼ねない・・その後のことにかかわってくるので注意されたい
鯵庵(30.11.23)

by ajiankyoto | 2018-11-23 07:29 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

葬式のレール⑿焼却炉

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京都のロストル式焼却炉は火床の下に受け皿煉瓦がある
骨(灰)は受け皿に落下、遺骨が崩壊する
少し冷却の時間をおく
下半分の耐火シャッターを上げて受け皿煉瓦を引き出す
頭蓋骨と腕や脚の骨の形が残っている程度
磁石で金属を除去して参列者が骨壺に収骨する・・
この間、約1時間である

そのための技術は生半可なものではない
  ・・・ということだ
ロストルというのは火がよく燃えるように炉やストーブの下部に設けた鉄製の火格子のこと
棺はこの格子の上に乗るので下からも炎が回る
実はこの方式は全国では京都市と東京都の一部である
全国の焼却炉は台車式というもので骨受皿の上に直接棺を載せ
少し時間はかかるが遺骨がキレイという
我が国の火葬は釈迦が荼毘にふされた時のように遺骨を大事にする風習に基づいているという
火葬は仏になる最初にして最大のステップである
初めて魂は肉体を離れて気化する
火葬はどちらにしても遺骨とは言うが成分は灰である
鯵庵(30.11.19)

by ajiankyoto | 2018-11-19 20:13 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

葬式のレール⑾経験

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もう20年も前のことだが、小生の家族は若き長男を失った
突然のことで何の用意も知識もなかった
葬儀の事務は小生の会社の仲間がしてくれた
小生の会社や友人の参列者も多かった
が、はるかに息子の友人らの多さに驚いた
通夜式が終わっても続々駆けつけてくるし、通夜式が終わっても帰らないのだ
こんなに大勢なのは芸能人のようだという人がいた
ところが違うのだ、服装が普段着なのだ、中にも作業服のままやアカやミドリの髪色の人も混じっていた
はたちを超えたばかりの息子であったが、大人の付き合いがもうキッチリ始まっていた
そう思った、この時代の友人の多さは改めて息子のことが誇りに思えた
いくつものテーブルで友人たちの通夜が始まったが会館はもう用意できない言った
家族の仕事はこの人たちのお通夜のための軽食の調達だった
明け方まで何人もの人がおきていた
自分らのやる葬式はそれで十分だということかもしれない

その彼ら彼女らの多くが翌日の告別式には来なかった
昼間は仕事や学校もあるし、キッチリ喪服を持っているという世代ではない
自分らが場違いになるというふうに思ったのかもしれない
葬式は家族や親族のものである
あの、進行は何処へ行っても同じだ
今までやっと一緒に生きてきた若き友人のお別れにしてはあまりにも通り一遍で冷たすぎる
そんなことを感じていたのかもしれない

が、小生は経験のないことがつらい
親戚や会社の上司にばかり気を使い葬儀をしている姿が見えたのかもしれない
息子が亡くなった悲しみはまだ家族にも分からないし、それでも家族にとっては必至のことなのだ
十分に気が回らなかったし、どこに気を使えばいいのかは分かりようがなかった
葬儀の主役は亡くなったその人だということは誰もが分かってはいる
そんな葬式が嫌だったら、自分で蘇ってきて指図するしかないだろう
誰も自分の葬式は一度だけだし、
そもそも普通は親が亡くなった時だけしか経験がないものでもある
現に、次の年に小生の父が亡くなった
息子の葬式の経験を親父に活かすなどということなど出来る筈はなかった
鯵庵(30.11.17)

by ajiankyoto | 2018-11-17 21:01 | 地蔵菩薩 | Comments(2)

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そもそも、家族こそが一番故人のことを知っていないこともある
10年も20年も病気してたら、おかしくなって家族に迷惑かけたことだけしか思い出せない
とても、皆が言うほど厳しかった人とはとても思えない・・なんてことになる
サラリーマンだって金貸しだって仕事の成果は評価されるが仕事の癖は正しく評価されることはない
葬式は誰のためにあるのかと言えば、残された者のためにあった時代もある
喪主の社会的地位が葬儀を作る
自分の親がどんな親だったのか説明できないこともあった

テレビドラマのように単純でない、しかしドラマほど複雑でもない
例えば、ただの女好きだったと言われるほど単純な生き方をした人は存在しない
家族葬ではもはやそれも必要ない、親は単に親である、子は単に子である
家族が集まって遺品整理の話ばかりしておけばいい
それは世の常家族葬の寂しさでもあるが、死人に個性を感じるのはやはり家族だけかもしれない

人の人生は毀誉褒貶である
世の中いうものはでは人間がみんな集まって出来るだけ都合よいように作ったものである
従って、世間は右と左、上と下、白と黒、・・本物と偽物、正と邪、・・似たものばかりで自分と他人の区別も分からない
世間のことを世間が裁くのが世間たるゆえんである
しかし地獄は現世の資産や地位を認めてくれない上に極端に公平な世界だ
閻魔だけが評価する?誰もが通らなければならないのが地獄の門である

現世での嘘は通じない
地獄でこそ始めて裁かれ、また地獄で始めて救われる人もいるだろう
そのことを知っているものだけが地獄の英雄である
死後のことは天に任せばいいし、自分の身は閻魔に任せるしかない
閻魔に裁かれても心配するな、地獄の責め苦はない
それが火葬だと信じるのがいい、もう既に身は焼かれている
鯵庵(30.6.16)

by ajiankyoto | 2018-11-16 16:41 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

葬式のレール⑼相続


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いつものことながら暇つぶしにテレビを見ていた
相続に関する法律がちょっと変わって、引き続き「終活」という話題になった
円満な相続のことを考えるならば人並みに・・終活をしておけというのだ
一は預金のありかと額(遺産のこと)
二は誰が介護をするかということ
三は葬儀の仕方のこと、あえて追加すれば誰まで呼べばいいかということ
自分の仕舞いを子供たちと決めておくことこそトラブルを防ぐ方法だとのたまう訳である
うっとおしいものを見てしまった

子供に預金の話をあからさまに出来る親は今は1割もいないだろう
そんなことをする人は生きてる間に地獄を見る
介護のことを子供や嫁にあらかじめ頼んだとて何の保証もない
それどころかなんやかんや言って前金で取られる
葬式に誰を呼ぶかなんて言ったって、そもそも思惑がずれている
来てほしいと言われて行くというものではない
行けなかった時の言い訳のネタもいる

誰かが言っていた、そもそも、相続とは生きてる間に子供らに譲らなかったもののことである
それが葬式を境に死に金になる
親も子もそれぞれ別々の世帯でまるっきり違う家計を営んでいるのである
自分の持っているもので施設でも入ってくれ
そうでなければずっと入院してほしい
そうでなければ元気な時に死んでほしい
そこまで言われれば、息子の扶養家族になるわけにはいかんやろ

そんなことを終活というなら
・・一層のこと家族が集まった時に「残ったものはみな一万円札にして棺桶の中へ入れてくれ」と家族に言ったら叶うだろうか
それが叶わないようだったら、何もしないのと同じことではないだろうか
言えば・・なおさら生きてる間にむしり取られることになる
死出(しで)の旅は一人旅である
小生まだ生きている
その晩、夢で見た話である
鯵庵(30.11.14)

by ajiankyoto | 2018-11-14 19:28 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

葬式のレール⑻予感

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葬儀には費用がかかる
あとの家族に大きな負担をかけないようにと互助会制度も盛んだ
大きな葬式になるという根拠なき予感がある
葬式は喪主がするものであるというのも本当だろう
だから、ずっと昔から喪主という・・
喪主とはこの葬儀の祭主(スポンサー)である
そう思えばわかる話だ
喪主を務めるということは故人の跡をとるという習慣でもある
参列者も喪主との関係で増減することもある

小生の時の喪主は息子かはたまた家内かもしれないが恐らくケチるだろう
小生も葬儀のために幾分かの費用をすでに積み立てている
自分の葬式の半分くらいの費用が目算であった
貯まるだけではと、息子の結婚に使おうとしたが披露宴などしないでちゃんと結婚した
結局は自分の葬式に使うことになるだろうけど、小さな小さな葬式になる予感が今は勝っている
私だけでは余りが出るかもしれない
法事にも使えるということだから、結局は飲み食いに化けることにもなる
お決まりの料理で、時代が進めばそんなとこ孫も嫌だと言うかも
いかに冠婚葬祭互助会でも相続のことや家族の暮らし方に相談に乗ってくれるわけではない
・・・のだからそれ以上の意味はない
金をかけるほど喜ぶ人が多いと思うのはただの思い込みである
鯵庵(30.11.13)

by ajiankyoto | 2018-11-13 09:00 | 地蔵菩薩 | Comments(1)