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人口動態統計、国の統計である
最近の結婚(初婚どうし)の平均年齢男性31.1歳、女性29.4歳となっている
これを40年遡れば男性27歳、女性24歳である
明らかに晩婚化していることがわかる、と
だが、この数値は夫婦そろって初婚の場合である
初婚どうしは結婚の4分の3未満である
4組に1組はどちらかがもしくはどちらも再婚である
再婚の夫の平均年齢42.9歳で妻は39.8歳である

ザクッと言うと
再婚組は結婚して10年で再婚にこぎつけているという見方もできる
再婚は何度でも出来るから、その数は、離婚の数を示している
これだけでは個別の再婚夫婦の年齢差は読み取れない
歳の差は艶福度合いを示しているという小生の持論は統計をもっと読み込まねばならない
再婚した人にとって国の統計値も年齢差も関係はない
もともと初婚にしろ何度目の結婚にしろ、当事者にとっては艶福は当たり前、歳の差があろうとなかろうと艶福である

国の統計だってもっと意思を持ってほしい
統計というものは本来面白いものである
初婚どうしの平均年齢より再婚の歳の差の方が小生には興味ある
男性も女性も、離婚には慎重に・・その代わり再婚には勇気をもって下さい
今回のシリーズはただそれだけのことである
剣客商売秋山小兵衛に始ったシリーズ「夫婦の歳の差は縮まらない」を一旦終える
鯵庵(31.3.29)




by ajiankyoto | 2019-03-29 10:00 | 家族 | Comments(1)

20インチの自転車

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昔のことである、市場に使いに行った
肉屋に行って(並、100…円)と言うのが小学生の私の仕事だった
公設市場だからそれで小学生の買い物お使いが出来た
もちろん我が家の今晩にふさわしい肉を買っておいでと言われたらお使いは出来ない
ひょっとしたら今でも出来ないだろう

父親のタバコを買いに走った時、前かごに入れたタバコを落として帰ってきた
父は怒らなかったが、私は夕暮れまでタバコを探し回った
私が小学校の高学年になった頃、妹が目の病気になった
私は毎日妹を後ろに乗せて一駅向こうの目医者に通った
振り返ればそれが妹の難病の発症の始まりだった
一番大事な時に医者はビタミン剤を飲めとしか言わなかった
私が親に変わって医者に連れて行って何になるのだろう
自転車ではないが・・
その後も私が電車を乗り継いで妹を大都会の大学病院に連れて行ってた
それが私のお使いなのである

話は自転車からそれたが・・私の20インチの自転車は小学校の入学祝に祖父が買ってくれた(と父が言っていた)
買ってくれてすぐに祖父が亡くなったので買い替えが出来なかった
私は小学校終わるまでその自転車が愛車だった
我が家の自家用車だった・・よく働いてくれた、すごいと思う、不思議にパンクの記憶もない
中学になって通学のために買ってもらった自転車は26インチだったが、
そのころ妹は随分安定していて私が妹を乗せて医者に行くことはなかった
そのころが一番よかった気がする

どこの家にもある経過だ
妹にとっては病が再発するまでの間の記憶が一層濃密なのだろう
だが、それが頂点でもないしそれが底でもない
妹は高校にも通えたし、それだけでなく結婚もし子供もいる
その子がもう40才になる・・それでいてずーっと妹は難病と闘ってきた
何度も生きるか死ぬかの山を越えてきた・・・が、今も自分の家族を持っている

子供用の20インチの自転車が支えて来たものがある
シンプルでタフで贅沢も道楽もない、リヤカー並みに働いてくれた
本当に・・足が地面ついてる
そのかっこ悪さこそが原点なのだと思う
それが小学生の時の私の家族の思いだった
不思議に父や母のことが記憶にない
20インチの自転車しか浮かんでこない
その私も自分の家族をもって40年になる
子供も家族を持っている

この頃ときに記事が停滞する
心境の変化ではない
言いたいことが書けないのだ
今水平線の下にいる
波の下なのだ
こんな時はさすがの鯵庵も書けない
鯵庵(31.3.28)

by ajiankyoto | 2019-03-28 10:17 | 家族 | Comments(1)

シイタケの春子

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春子というのはシイタケである
今でこそいつでも手に入るようなものであるけれど
ほだ木のシイタケの旬はこの3月・4月と秋である
冬の山の湿りと春になって空気も湿りだすとぼこぼこと出てくる
厚みがある、色つやもいい、触れば肌に水気ある若妻だ、だから春子という
サクラの花が咲く前のこの季節に丹波からのシイタケが届いた
シイタケのレシピはいろいろあるが、
小生は生乾きのままシイタケそのもの焼いて食うのが一番だと思っている

昔、茸源(じょうげん)という健康飲料が薬屋で売っていた
シイタケの根の部分に相当する酵素エキスを培養した栄養飲料である(ごめん上手く説明できない)
友人ががん予防にとよく飲んでいた
Amazonで見れば今でも売っている、やはり少々高い・・
二日酔いにも、と言ってあの茸源を飲んでいた友人どんこ氏は定年後に田舎へ帰った
あれから10年・・田舎暮らしも板についてきた?この秋にはひょっとしたらマッタケが届く日も来るのかもしれない
写真は届いた春子
鯵庵(30.3.25)


by ajiankyoto | 2019-03-24 10:00 | 健康保険 | Comments(0)

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家の中に1円玉が増えると認知症の疑いがあると・・という話をする人の話を前にした
日常生活の中にそれらしき症状が現れるものだから、家族の早期発見が大事なことは確かである
件の講師も、80歳前半の人(もちろん生存者)の大体5人に1人だと言っていた
それでも年齢が上がれば割合は進むことになる
他の手引き書でも、認知症の発症は80才以降の年齢で急に上昇し95才以上までなると大体5人に4人にもなる
深刻な数字である

もちろん、認知症と言っても色々な種類があり、どこまでのことを言ってるのか分からない場合もある
現実に、アルツハイマー型の認知症は認知症全体の半分に過ぎない
その他のものについてはあなたも名前も知らないというのが現実だろう
早期に適切な診断がなされないと適切な対処が出来ないのは当たり前である
気になることの一つに、医療体制の都市と田舎の差である
また、治療法が少ないこともこの病気への理解を浅はかなものにしているのではないか
そんな正確な知識は家族にだって求めるのはほぼ無理である

認知症のことも知りたいし語りたいのも事実だが、この件については明らかに経験不足である
ともかく、こんな深刻なこと、風評だけはやめようと思う
この講師の話で納得できたことも沢山ある
ボケと認知症の最大の違い
認知症の人の最大の特長は「自分に不利なことは一切認めない」ということだった
社会生活の基本が欠けてしまうのだそうだ
この言葉が今、小生の中で尾を引いている
本当にただのボケだったらいいのだが・・
鯵庵(31.3.23②)

by ajiankyoto | 2019-03-23 21:43 | 往生 | Comments(0)

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〝はやる″とは繁昌するという意味である
『はやらない店』というのは
一番の理由は、○よく休む、客のことを考えてない
二番目は○店や道具や店員が不潔である
三番目は○店員同士が仲が悪い
以降○責任者の心根が不遜である
○勢いがない
○商品に対する知識や愛着がない
○目先のことばかりを考えている
○店員の私語が多い
○愛想が悪い・・・・・
十番目はこれが極め付き
○味が悪い、価格が合わない
なるほど、さすがとも思える
外国人にばかりわさびをサービスするというのもあったけどそれは番外

それでは〝この逆がはやる店になるポイントですね″と聞いたら、
〝はやってる店のはやってる理由は分かりません"との答え
我が友人の経営コンサルタント、はやらない店を選んで良心的な仕事はしてるような気配は感じられたが、
それでは自分がはやらない気もした
”自分の商売はぼちぼち”の意味が何となく分かった
はやる理由は当の経営者にもわからないみたいです
外国人観光客相手の商売には商道は要らないみたいです
何故はやるのか分からないうちにはやらなくなるからです
はやる理由ははやらなくなるまでに気が付かないと危ないですよ

写真は何処で買ったか忘れたけれど、良心のへそ(仮題)
鯵庵(31.3.22②)

by ajiankyoto | 2019-03-22 10:54 | 大衆食堂 | Comments(0)

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秀吉の覇権の時代から正面通のことを少々書いてきた
"正面通の行き着くところ"として、旧島原駅のこと、丹波口駅のことなどなぞってきた
このあたりは今は京都市の中央卸売市場が立地している
東京の築地や豊洲などと違って話題には欠ける
街の発展・・と遠いところにある
現に七条商店街は今や壊滅状態にある
今はと言うと梅小路公園と鉄道博物館というところに期待が集まっている
この真ん中にJR嵯峨野線の新駅が開業した

京都市が新駅名を募集した
一番多かったのが梅小路、梅小路公園、梅小路公園前・・というのが多数を占めた
通りの名としてはこの駅は七条通りの上にまたがってある
南北の通としては朱雀大路(今は千本通)の上にある
朱雀・七条は平安京・京都の玄関である
秀吉の覇権の時代になればそれが丹波街道の出入り口・丹波口に当たる
それこそが正面通の行きつくところ、言い換えれば正面通はそのまま丹波街道につながっていることになる
結局、JRは「梅小路」に変に「京都」と「西」を加えて、「梅小路京都西」にした

変に変なものを加えて変哲もないものにするのはJRのこの頃だ
京都駅の混雑を少しでも分担させたい思いがあったようだ
それは京都市の観光行政の姿勢と一致しているのだろう
市バスのネットワークまで変えて大きなバスターミナルでも作れば可能性はある
やはり嵯峨野線はこの駅がスタートなのだ
極めて穿ったものの見方をすれば京都とこの駅の間の複線化の目途が立たないということだろう

東山阿弥陀が峰から始まって、豊国神社・方広寺の大仏・西本願寺・島原と続いてきた京都の東西の軸は今七条通りが代わりをしている
正面通の消えていくところに今新駅ができても正面通や七条通は連想できない
そのことの方が京都的だ、とセンチメンタルに思う・・・・
このブログでカテゴリー「正面通」をいったん終える
鯵庵(31.3.22)

by ajiankyoto | 2019-03-22 07:30 | 正面通 | Comments(0)

自転車は都会学なのだ

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車やバイクでは何かと迷惑をかける
都会では自転車が便利だが、それでも厄介なことが多い
まず置くのに難儀する
マンションの自転車置き場、たいていどこも溢れている
2階建てにしてなお溢れているところもある
管理組合だけでなく商店街も駅もで、市役所も悩んでいる節がある

車輪が前後二つで、どうして倒れないか不思議だ
が、小生も子供の時から走り回っていた
雨に弱く風が苦手だ
・・が理屈を超えて結構自在に動ける
だから、自転車泥棒に限らず誰にも従順なんだ
美人と自転車は相性がいい
そうなんだ、前へ進むことだけを考えた道具なのだ
それ以外の行動に対しては極力無駄を省いたのが自転車なのだ
それなのに、カゴやライトもスタンドもつけんわけにもいかん
大げさに言うとそれが自転車の宿命なのだ

西部劇の馬つなぎのように、店の前につなぎとめられるような街がいい
そんなパチンコ屋やスーパーでもそれでも溢れている
自転車1台が動くためには常時複数の駐輪場所が必要なのだ
自転車の数を数えているだけではダメなのである
もう一つ大げさに言うと都市における自転車の動きはまだ研究の対象になっていない

走ってないときの自転車はウニのような放物線構造で扱いにくいことこの上ない
だから、一番の弱点が駐輪だ
屋根はないが、そもそもハンドルやスタンドが邪魔になる
無理をすれば怪我をする
それでなくともシャツやズボンが裂けたりする
空いたとこばかり入れるから出すときは満杯になる
そうだ自転車は出すときが難しい
出しやすい駐輪場を研究すべきでないだろうか・・ね

合流より排除が難しい都会学(都会が苦)というものだろうね
鯵庵(31.3.22)

by ajiankyoto | 2019-03-22 05:00 | 自転車 | Comments(0)


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このブログにふさわしくない点もありますが、
この世とあの世のことです
仏教用語では此岸(しがん)・彼岸(ひがん)と言うのでしょうか
この世のことも説明されないまま、あの世のこと言われても困りますが・・、
この世からあの世は私らには見えてません
この世があるようにあの世があるのではないということは私にもわかります
だが、あの世からこの世がどう見えているかということは分らない

もし、あの世からはこの世があって見たければ見えますよと言われたら、
あの世の私はその後の残した妻のことは別にしても、子や孫の姿は見たいと思います
出来れば家が残っていてほしいです
それは私が本当に凡人だからです
しかし、姿は見えても心は見えません
凡人にはこの世で見えなかったものが見えるはずがありません

仮にですが、あの世からこの世は見えていると教えられたら
私だけでなくこの世の人の生き方は大きく変わっていたと思います
しかし、見ているとしても何のシグナルも送って来ないなら同じことです
と、自分で自分にうそぶいてきました
仏だって仏になってまでそんな浮世のことはまで見たくはないはずです
たしかに仏は助けてくれません
自分が行き詰ってるのは天罰ではなくまさに自分がまねいたことなんです

仮に本当に父や母の言葉を聞けるとしたら、間違いなくその霊媒師には畏怖の念でのめり込みます
ただ、仏はきっと生きてる時と違うことを言うと思います
向こう岸です、彼岸と言います
向こう岸なら恐れることはいりません
こちらの人は今までどおり生地(ハギレかもしれない)のまま生きていけばいいのです
実は向こう岸から私を見ているのは、それは自分の目かもしれません
あちらのことは知りません
こちらのこの世は今もこれからも狂宴つづきです・・今はだから良くも悪くも救われているのです
鯵庵(31.3.21②)

by ajiankyoto | 2019-03-21 00:05 | 家族 | Comments(0)

般若心経は観音が語る

観音とは〝観自在(かんじざい)菩薩″、観音(かんのん)菩薩、観世音(かんぜおん)菩薩など
唐の国の玄奘三蔵(げんじょうさんぞう・三蔵法師のこと)の訳以降、観自在菩薩との訳が定着しているとのこと
確かに「観自在」というのが観音さんがスーパーであるいわれである
この仏様はその人の苦難に応じて様々な姿に変化(へんげ)を行うと、三十三の化身をして人を救うという
真理は無色無形、観音は全て架空の姿でもあると言われる
だから見ることの出来ない人もおれば・・

見る人によって見え方も違うということなのだろう


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・・・世の中は個人のその人の悲嘆には構ってくれない

無情・無常にもそんなことにかかわらずどんどん時は移って流れていく

自分の人生もほとんどがその流れに乗って笑ったり楽しんだり暮らしたりしている
良いこともするし、苦もなすし悪もなす

これからなお病んだり老いたりするとともに、

拗ねて人に構ってはいられないもう一つの自分がある
罪はとどまらない

しかし、何も知らなくても「般若心経」ならば小生にも馴染みはある
観音さんが主人公でもあるし、何よりもお経の中で一番短いからかもしれない

短くても一番のお経であるのは、このお経は文学であるからだ
釈迦が修行中の自分が考えたことを、自分の弟子で智恵第一の舎利子(しゃりし)に分かりやすく繰り返し語っている
懐疑的な弟子に何度も何度も舎利子よ舎利子よ呼びかけながら・・

そう釈迦が我々に自分のことを語っているわけである
「空(くう)」という一つのことを語りたいため・・の構成である
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五薀皆空度一切苦厄・・・(かんじーざいぼーさーぎょうじんはんにゃーはーらーみーたーじー しょーけんごーうんかいくーどーいっさいくーやく)で始まる270余文字の文学
三蔵法師が中国語に訳したわけだけど、日本読みの音をたどって行けば何となく流れが分かるようにもなっている
音で感じるのもお経
説教なのに説教臭くない、釈迦のまだどこかで完成されない気持ちを表現している
究極の文学であるし、文学ゆえに救いである気がする・・・・

鯵庵(31.3.20②)


by ajiankyoto | 2019-03-20 08:24 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

今の間に


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難病パーキンソン病と長いこと闘ってきた奥さんと一緒に暮らす先輩が言う
年をとってしまえば後の人生どこまで施設に入らなくて済むかということだ・・と思う
たびたび入院はしてきたが、今まで自宅で暮らすだけの体力と蓄えがあったことが嬉しいという
あとは出来れば孫にも会いたいし、孫の小遣いくらいはないと困る
・・・・
そう思えば・・どう思っても怖いのは痴呆症である
痴呆では奥さんの面倒も見れないし
難病の奥さんもこれからなお痴呆と闘っていくまでの勇気はないという
痴呆症がでない間に何をして残しておくかは大事なことだと思う
そういう話だった
そのことを他人の話だと思える人はいない
鯵庵(31.3.19)

by ajiankyoto | 2019-03-19 08:00 | 翁草 | Comments(0)