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地獄の仏か矢田地蔵

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京都寺町の矢田地蔵で白い蝋燭に火をつける
こんなかすかな火で煩悩や罪が燃えるものではないだろう
人間一生の間になす悪行はどれほどの数になるのだろうか
そうでなくとも善を成したつもりが自分の意に反して地獄に堕ちる人も多い
地獄の裁きは自分の意識したことない悪行をも裁くことであろう
この世と違って閻魔の裁きは公平であるということである
それが本当の地獄の救いである

この寺の縁起などによれば・・
実母を殺す・・悪の報いで地獄に堕ちたが・・・
地獄に地蔵がおり、地蔵菩薩に懺悔して地獄から救い出された
昔、高僧が地獄で生身の地蔵に会って見てきたその姿が矢田地蔵である
矢田地蔵の信仰は地獄に仏の話である
親を見殺しにするなら殺したと同じである

この寺の名は矢田寺である、奈良の矢田寺と同じである
地蔵は菩薩の中でももっともスーパーな仏である
無限の空間の中どこにでも存在する
しかし、地獄の淵に生身でいてくれるとしたら他の仏とは違う
地蔵は亡者の身代わりに地獄の責め苦を受けてくれてるのだからなおさらだ
この炎は、地獄の灼熱でなくも悪行にも見えるし病気にも見える
その点寺町商店街の喧騒の中でそう目立たなくてお参りが出来る

自分が生きている限りどうせ大小何らかの罪を成しているものである
真理の目を持つ閻魔や地蔵を騙せるものではない
怖ければ早い目に地獄の地蔵菩薩と縁を結んでおこうというのだ
さりとて、今のうちの懺悔したからとて救われるものではない
閻魔の裁きが下ってからである
ということは一度地獄に行ってからのこととなる・・
小生だけではない・・みなさん
鯵庵(1.5.31)

by ajiankyoto | 2019-05-31 18:24 | 地蔵菩薩 | Comments(2)

男の実家

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昔から言う、今まだ気になっている言葉がある
「実家」とは何だろうか
国語的には"自分が生まれて育った家のこと"である
もう、それでオーケーなのだが・・なら、実家の反対語は何だろうか、と言えば
婚家だったり養家だったりする
法律家は「実方」と言う、「従来から属していた家を言う」とある

昔同窓会の連絡先名簿にいつまでも実家と言う表現があった
連絡先のベースキャンプだろうけど・・が
なぜならば、現住所だけでいい筈だ
だがしかし、仮に子供連れの女性が実家の住所になっておれば
それは離婚して帰っていることになる
男性の場合はどうなるかということである
帰省先というぐらいの意味になるのだが、人によっては「寄生先」という方が当たっている
その寄生先を出ない男たちが増えているらしい

俗に「女三界(さんかい)に家無し」という
女性は一生の間、身を落ち着けるの場のないことを言うというが
実家がなくなった時こそが三界に家なしだと思う
離婚して実家におるなら三界以外に家があったということだろう
あるアンケートが載っていた
実家暮らしの男性と結婚するかという問いだ
20代+30代の独身男性の75%が実家暮らしだそうだ
同じく実家暮らしの働く女性からからも特に気持ち悪いと言って嫌われるそうだ
両方の実家の親も気持ち悪いと言っていた

男が実家におっても何の役にも立たない
イヌやネコの方がましだと実家男のこの親父が言う
65歳以上の父親が離婚暮らし、それなのに息子が寄生するという
三界に家がないのは男の方だろう

友人親父のこの憂鬱にどう答えればいいんだろうか
鯵庵(1.5.26)

by ajiankyoto | 2019-05-26 08:26 | 家族 | Comments(0)

家族の中の鬼

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このブログで家族のことを少し書いている
家族と他人とを同じ枠で考える人もいる、と書いた
しかし、厳密に言うと家族は他人と作るものである
家族の最小単位は夫婦であって、夫婦は残念ながら永遠に他人なのである
かといって、父と子だけ、母と子だけが家族ではない
爺(じじ)、婆(ばば)だって家族である
夫の親も、妻の親も家族である

元同僚A氏は早くに離婚した
母親と自分をどっちを選ぶのかと言われた
それで離婚の決心が出来たという
理由は"同じ問いかけを何度もされたのではたまらない"・・だ
母親をほる訳にはいかなかったけど、子供は残った
しかも、どちらを選んでも同じことになっていた筈だという

逆に、親がそんなことを子供に求めたら破滅である
親は選ばれなくとも親であり、自ら天秤にのるものではない
親が子を思うような気持ちを「惻隠の情」という、と前にも書いた
ところが子が親を思う気持ちには定義がないし、他人が思う気持ちにも定義がない
聞いたり、確認すれば本当に藪蛇になる
A氏は早くに離婚が出来たことを後悔しなくて済んだ

その逆もあるだろう
B氏のこと
B氏の家は娘と孫について娘の夫がちょくちょく来ていたが、
その夫が来なくなったのを聞いてみると、離婚したという
年寄夫婦に娘が可愛い孫を連れて居ついた
仕方がないが・・何も不満はないというB氏は言う
きちっと別れて帰ってきてくれるならそれが一番だと本音を語る
確かに他人のいない家族だから、何事ももめることは少ないのかもしれない
だがしかし、孫がだんだん大きくなってきて今度は自分B氏だけが他人である?怖さも感じるという

家族の中の他人(鬼)を段々排斥して家族を小さくする
そういう気持ちがおこってくるのが自然なのかもしれない

男は子が出来た時に一家の主になる
それと同じことを妻たる母がする
自分を中心とした自分の血縁関係だけで家族を構成しようとする
それが結末なら、行きつくところに家族の哀しさが見えている
家族も落ちて熟したのでは値打ちがない
鯵庵(1.5.26)

写真は「太陽のタマゴ」、宮崎県でお世話になってる人にお土産にもらった・・ブランドを作り守ることが一番大事なことである・・が

by ajiankyoto | 2019-05-25 08:13 | 家族 | Comments(0)

出会いと縁の違い

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5代将軍綱吉の母桂昌院にあやかって今宮神社に"玉の輿"を祈願する
絵馬の話である
”この人と結婚したいと思える一途でかっこよくて経済面もよくて最高の男性と付き合って結婚してとても幸せな家庭を作りたいです。その人に出会って付き合うのは1年以内にお願いします!!○○○子”
これだけのことを絵馬に書き込むには相当な時間(根性)がかかる
端的に言えば"欲どおしい”が、まだ期限を切っているあたりが神社の都合を心得ている
神社のお札の有効期限は1年である・・だとすると絵馬も同じだろう
余り欲どおしいと裏向けにされるが、ただ、神様は苦笑いで済ませてくれそうだ
どうせ何回も期限切れになる

今日も神前で結婚式があった
貸衣装と写真館がセットだから、白無垢の角隠しをしていた
結婚しても夫を信頼し、また助け合いながら健気にたくましく生きなさい
そして、これからやってくる多くの不満と不幸を力いっぱい乗り切ってください

実は、小生が後ろから柏手して直接端的に神様(大己貴命・おおなむちのみこと/大国主神のことである)にお願いしておいた

神話によればオオアナムチノカミはスサノヲの6代の子孫であったり、スサノヲの子であったりする
スサノヲの住む黄泉の国から逃れてきて、国津神になったとされる
大国主の神(出雲の神)となった
古事記やら日本書紀などまとめて言えば大国主には6人の妻があった
初めの頃の妻、であり正妻の位置にいる須勢理毘賣(すせりびめ)は嫉妬深い女神だった
「神は男だから国ごとに妻がいる・・・が、私にはあなただけ」という歌を詠んでいる
嫉妬心を互いのために上手に使える女神であった
女神なのに人間みたいな気持ちを持てたと言った方がいい

それでなくとも女神は嫉妬深いことが当然だ
神と言えど結婚は子を設けることが重大な仕事になる
神々はそれぞれ血統がある
神が神とちぎって神を産んでいくのである
それが縁である
庶民の縁というものはただ接近したということである
実はそれをどう生かしていくかということが結ぶということである


「結婚を焦っているように見られるのが一番嫌なことだ」というのが結婚しない第一の理由だと言ってる評論家がいる
確かに、あの絵馬を書いた子は一方でそう思ってるような気がする
小生は思う、結婚は怖いという予感が当たっているのだろう
だがしかし、恐くない結婚は神様だってそう得られるものではない
神様は評論家ではない、素直にさえなればどんな人の気持ちも聞いてくれるだろう
ただ、出会ったことの縁を結ぶのはあなた次第である
そういえば、絵馬を書いた時の期待も"出会い系"と全く同じかもしれない
鯵庵(1.5.16)



by ajiankyoto | 2019-05-16 21:33 | 家族 | Comments(1)

ラーメン道

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この頃ラーメン屋が好みをしつこく聞いてくれる
小生はネギ多めだけを言うようにしている
この店は目の前にネギが盛ってあった
まあ、それなりのドジだったが
隣のおっさんは"お任せ"とつまらんことを言った
任せてどないすんねん
ふにゃふにゃのラーメン黙って食うのか
任せるのではなく一番自信あるのを持って来いと言うべきだ

実際はそんなこと言う必要はない
ただラーメンと言えばいい
メニューに書いてある一番安いものを最初に食うべきなのは当たり前だ
"素ラーメン"から付き合いを始めるべきである、そうでないとその店の実力が分からない
好みに合わなければ胡椒を一杯ふって餃子のラー油でもふりかければ一杯ぐらいは食える
そんな時はもう二度と行かないようにしてやるのが客のラーメン道と言うものだ
つけ麺など明らかな外道である、つけ麺が美味しい店はラーメンはまずいと思うべきである
昼に一杯のラーメンはかけがえのない一日一回の小生のグルメなのだ
スープを残さないというのも医者の栄養士のキツイ指導にも反している
どうせのことならスープを残さなくていいラーメンでなければ食う値打ちはない
鯵庵(1.5.14)

by ajiankyoto | 2019-05-14 10:28 | 飲食業 | Comments(0)

年功序列

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この頃、サラリーマンしかしたことのない人がシルバーの職場に増えている
小生もその一人である
継続的に仕事のあることは幸運である
シルバーも早いもん順は間違いない

そう言うと、私の先輩は、シルバーに歳の差は関係ないと言う
シルバーの年功序列というのは死ぬ順番のことを言っている
病気もボケも許されない
早いもん順とはそのことらしい
「年功序列に異議があるならボケるのは後回しにせよ」と・・・言っていた
やはり年とってからの仕事は買ってでもせよ?????
鯵庵(1.5.10)

by ajiankyoto | 2019-05-10 08:26 | 往生 | Comments(0)


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この頃街中を歩くと同年輩によく出合う
都会は今はガードマンの時代だ、道路工事に限らずパチンコ屋でもスーパーでもお寺でもそこらじゅうガードマンである
よく見ると、それこそ同年輩が多い
ヘルメットをかぶって少し顔も汚れているが、手入れされた髭の似合う紳士が多いことに驚く
この世代ではガードマンの仕事につけるのはエリート的存在なのだ

同年配の輩(やから)とは昭和20年前後から20年代の生まれというところ
帽子をかぶってリュックを背負って、いかにも街中をぶらぶらしている
もちろん結構いいものを着ている
まー恐らく定年を暫く過ぎて、しかも、仕事は何もしていない
広義で言えば団塊の世代とも言う
団塊の世代はそもそもその言葉が嫌いだけれど、それに代わる有効な単語がない
小生もその仲間だというのに、そんなぶらぶらしているオッサンを見るとこの頃鬱陶しい(うっとうしい)と思ってしまう

昼飯にさる中華屋に入って驚いたことがある
一人でビールや酒を呑んで中華を食っている人に挟まれたことがある
夜勤明けの労働者でないのは誰にでもわかる、それがまた同年輩である
カウンターで両側に大食漢の同年輩に挟まれると席の幅は狭い
必要以上にゆっくり食事する様子はそしり食いの様であった
たとえそれがデカダンスであったとしても・・・
客の若きサラリーマンやあるいは安い時間給で働く店員から見てどう見えるのだろうか


朝から一日街歩きの文化人風老人、昼間からビールで食らう今は遊び人風老人
その他にも、株屋の前で数字の掲示板を見つめて一日過ごす人もいる
この頃のメーデーやデモで大多数を占める元気な老人たち、これ皆街で出あう同年輩である
いずれにしろつい数年前まで都市の経済を支え会社の中で必死で働いて来た人であろう

"憎まれ者世にはばかる"という言葉がある
実は"憎まれてこそ世にはばかる"というのが正しいのではないか?
今もって世にはばかる輩も、今頃になって世にはばかる輩も同じである

その人それぞれの実際の境遇や懐具合はそこからは何も見えやしない
ただ、若い人の目から見れば腹立たしく感じるかもしれないと、この頃思っている

現在(いま)も違う以上に、過去も違う、もっとそれ以上に先のことも違うだろう
ただ、間違いなく、同じような人生(老後)を暮らすことはないように思う
家族にも社会にも何の役割もなくはばかるその姿のまま、あと何年暮らさねばならないのだろうか
ここまで来て犯罪者に転落する人間もいる
不幸でもないのに人を羨ましく思って暮らすのは嫌だ
やはり不健康で長生き出来ない人もいるだろうし、長生きしたとしたら一人で施設で暮らしているかもしれない
何か絡まっているように見えるけど碇(いかり)ほどのものじゃない
60歳を過ぎればアンカーのない小舟なのだ
おそらくイソップ童話の結果とはきっと違うだろうけど、それが誰にも本人にも分からない

のが人生なのだと、思えてくる
鯵庵(1.5.8)

by ajiankyoto | 2019-05-08 08:41 | 往生 | Comments(0)

立夏の頃

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新緑だと言えば"青もみじ"だと言う
「京都ではそう言うんだよ」と逆に富山の友人が教えてくれた
そうか、金沢・富山までは昔から特急サンダーバードが走っていたな
だから、京都の旅は身近だという
JR西日本などの交通観光業界が力を入れているというのが訳だった

なにはともかく国語辞典でもみじを引くと、➀紅葉とある、②に"かえで”とある
かえでを引くと、カエデ(楓)科の総称とある、葉が手のひら状で紅葉が美しいとある
新緑が美しいというのでは足らなくて・・"紅葉が美しい楓の新緑、若葉も美しい"と言おうとすれば"青もみじ”になる?
元々新緑や若葉などと適格な言葉が存在する・・それで十分ではないかと小生は思う訳である

なお・・俳句の季語なら青楓(あおかえで)という言葉が古くからある、そのことやんか
実はそれどころか、「青紅葉(あおもみじ)」という言葉は既にあるのだ
紅葉の時期にまだ緑色を残しているもの、あるいは紅葉の進みを言う

紅葉しているものと未だ色づかないものグランデーションを愛でた言葉である
言葉としては新緑一色よりも奥が深い感慨が得られる

「青もみじ」という青二才的造語は、立夏のこの時も、紅葉の名所に客を導ための言葉である、ことを理解している
京都を売らなければならない業界の努力である
言い換えればこれもサラリーマンの論理なのである
観光というものはすべからくミーさんとハーさんのためにある
語彙(ごい)に飢えている人には青楓(あおかえで)より入りやすいのも事実だ
あえて言えば「青もみじ」と「青紅葉」ではまるっきり意味が反対になってしまう
なお、しかし、観光業界用語「青もみじ」は人生の秋の言葉「青紅葉」を駆逐するだろう


そんなことを言ってると今度は「あお若葉(もみじ)」というのが出てきた
若葉と書いて強引にもみじと読ます・・・・??

鯵庵は言う、つまらんことを言うと「往生しまっせ・・?」と漫才では言う
往生しきれないことを往生しまっせというのだよ
それが分からないと言葉の面白さのが分からないのだよ
鯵庵(1.5.6一部訂正)

by ajiankyoto | 2019-05-03 21:21 | 往生 | Comments(0)


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この頃家を出る時の忘れ物が多くなった
二度も取りに帰ったこともある
忘れ物をしないようにと思うと、他のものを忘れたりする
財布や携帯電話や鍵など忘れなければ何とかその日は過ぎる
それと忘れ物に気づかなければその日は過ぎる

忘れ物でも帰ってくるまで気付かなかったらそれは要らなかったものに近いのだが・・
と言うことでリュックにしたら、リュックが一杯になってしまった

それでも・・何かを忘れているという恐怖感がある
ガスを消しただろうか、本当に鍵をかけて出ただろうか
家内がいなければそんな心配まで増える
そんなことでは一人暮らしになったら外出もできないのでは?

それでも今までも忘れ物ばかり
ボケが始まっている???・・・という人もいるが
忘れ物とボケはやはり違う、忘れてはいけないものが多くなったのだ
開き直って忘れ物があると思って家を出るようにしている
♪青春は忘れ物、過ぎてから気がつく・・と言う歌があった
長い人生ならもっとあっても不思議ではない
余韻も足跡も残せないかもしれない人生、取りに帰ってくるほどのものはないか

そもそも・・平成の忘れ物は取りに帰れない
鯵庵(1.5.3)

by ajiankyoto | 2019-05-03 08:41 | 往生 | Comments(0)