2025年 11月 14日
(35)土にかえる

庶民が立派な石の墓を持てるというのはそんなに古い話ではない
それなのに今度は田舎の墓を打ち捨てて都会に新しい墓を建てだした
こちらの寺とつながらないから霊園墓地(れいえんぼち)などが売れ出した
それは今でも続いている
墓参りはしたいが田舎に帰るのは嫌な人もいる
自分の代の墓が欲しいという人もいる
田舎から都市への人口の移動に伴ってのものである
新たな都市住民(移民)としての証(あかし)を求めているようでもある
墓のあるところが故郷だというのも分かる
しかしながら、あくまでも墓名碑であり、墓とはむしろ墓地の土を言う
今更ながら新しく建てたのでは
家の寿命は墓石の寿命に比べて短すぎる
し、人の寿命が蠟燭の火に例えられるのに比したら立派過ぎる
棺桶も墓石もほぼさる国からの輸入だと言われたら居心地の悪い人もいる、くらいだ
京都市が中央斎場の火葬件数の予想を立てている
市民のほぼ100%が火葬だから、市民の死者の数だと思えばいい
R13年からR17年の5年間ぐらいがピークになる
1日の火葬件数は(最大)138件になる、としている
中央斎場の1日の処理能力は120件(24基ある)程度らしい
平たく言うと、団塊の世代が85歳前後となる時期が死者のピークということだ
この間毎日18件分、仮にこの年毎日続くと1年で約6500件が生焼けになる(?)という計算だ
団塊の世代は最後の最後まで生きる競争だ、それどころか死ぬタイミングも・・
"阪神淡路"の時に経験したことであるが、
焼き場を求めて役場と遺族がさまようこともあり得るわけである
立派な墓を用意して準備したからとて優先してくれるわけではない
京都(近畿圏)は部分収骨である
残りは火葬場で処理してくれる
その処理槽を京都市の葬祭場はは丁寧に「聖土槽」と言ったりする
それがそのころには満杯になっている?
やはり、最後は遺骨(焼却灰)は土に返すことが本当だと思う
気にせず東山の樹林の土にしてもらっていい、と一市民である私は思った
ここまで来れたら御の字だ
東山の土が墓になる
鯵庵(R7.11.14)
2025年 11月 13日
大仏始末/(続)大仏の正面通り

一分銭(いちもんせん)にしたら250年もったということになる
2025年 11月 07日
大仏の正面通

2025年 11月 06日
(34)介護の遺伝子③楢山節考から70年

長男同士だと何かと話が合うとこのブログで書いたことがある
親の介護の経験や世話で悩む人には他人の話は切実だ
極端な話、私の父母はともに末っ子だった
私はその長男である、そんな事態に至って何かと気持ちが行き違う
と、思ったことが嫌ほどある
介護することは難しいのは事実だが
本当は介護される側こそ難しいのだ
その難しさは家族ゆえに拡大され爆発する
親と子の夫と妻あるいは舅と嫁とか
それぞれの尊厳と尊厳の戦いだからだ
年老いて汚くなった父母を見て
小説のセリフ・・「こんなにまでしてまだ生きたいのだろうか」
介護が始まったとたん間違いなくそう思う
思うのは当然かもしれないが、
実際に介護の長いトンネルを越えて初めてそれを越えられる
それが介護の遺伝子なのだ
家族の犠牲を当たり前のように期待するのは家族に対して横暴だ・・?
と気づくのも介護の遺伝子だ
個人主義、マイホーム主義や核家族は50年でほぼ定着した
おかげで親を介護する遺伝子は今は介護保険と老人ホームに引き継がれているのである
老後を自分の金で老人ホームへ行くことも子供孝行かもしれない
おかげで親を介護しなくとも親孝行ができると言うことだ
家族は最小の単位であるが、それが夫婦だけになり、最後は自分一人になる
配偶者があってもなかっても、子供がいてもいなくとも、最後のところは同じなのだ
小説「楢山節考」である
そうだ姥捨て山のことだ
皆必死で死ぬまで自分の肉体の始末を考えていかなければならない
コロナは一つの試練を与えてくれたかもしれない
「看取り」という言葉はほぼなくなった
時代が進んで親の生き方は自分とは違ったものになった
だが親の死に方は自分の死に方なのだ
家族の死は自分の死につながる
それだけが家族の絆として残る
(ここでこの章は終わる、、(追記)シェアしてくれた人の幸運を祈る)
鯵庵(R7.11.6)
2025年 11月 03日
(33)介護の遺伝子②恍惚の人から50年

当時、親の介護は家族ゆえの仕事であり、
人間の長寿しかも幸せな長寿社会を支えていたのである
親孝行の最後は親の介護である
介護の機会を与えられたことに子供として感謝しなければならないと本気で言われた
そうでなくても、家族の皆が祖父母や父母の介護に関わってきたと言うことだ
もう一度言うとその時の平均寿命、男性69歳、女性74歳で65歳以上の人口は7%だったと言う
その小説「恍惚の人」から50年、長寿が一世代分進んだかもしれない
寿命70歳までが80~90歳までになってしまった
なんとあの頃の平均寿命に達した私に
90歳を超えた父母を介護する番が回ってきているのである
それが現代の介護、高年齢化した介護の問題なのである
父や母の闘病生活や介護は本人も家族も経験のないことだった
私達夫婦の50代60代はまだ基礎体力があった
親にも自分らにも最良の方法を考えてきた
私の場合は老後ではあるが介護はまだ不要だ
子供は老後イコール介護ではないと信じている
事情は様々だとしても核家族や子育てやら・・
家族の単位が小さくなりまた家族が遠くなってしまっている
すでに子供の世話にはならないで暮らしたいと決めている
身近に介護のことを考える機会がないと介護が自分の問題だと気づかない
課題が生じてもすぐに有料老人ホームしか浮かばないと言うことになる
その上、あえてその商業主義に乗る
元気だと入院も施設もそれなりに暮らせる
そんなパンフレットを見て思い込もうとする
ベッドから立ち上がるところから他人の手を借りなければならない
恍惚状態とは限らない、凶暴であったりする
それでも介護を受けなければならない
介護とは何処までも家族に代わって行うことなのである
真摯に仕事する出来のいい介護職員はそのことを知っている
それなのに家族の方が分かっていない言うのが世間なのだ
介護の遺伝子を持っていないと、言うのはそのことだ
「おじいさんはこんなにまでしてまだ生きたいのだろうか」
と言う小説「恍惚の人」の孫のセリフは現代でもそのまま当てはまる
資金力のない祖父母や親はもともと頼りにもならない
その親が認知症ゆえの問題行動をおこすようになったとき
ついに・・それを言うかもしれない
家族に介護の遺伝子がなくなっているからだ
本当はそのことを言いたい
・・・・・
次項に続く
鯵庵(R7.11.3)

