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僧侶が作る病院


僧侶が作る病院_b0355451_09561383.jpg
紅葉シーズンが終わった頃を狙って友人の京都案内に永観堂に行ってきた
永観堂は東山にある壮大な寺院である聖衆来迎山(しょうじゅうらいごうざん)禅林寺と言う
12世のご住職が法然上人に帰依して後浄土宗のお寺である、ということでご本尊は阿弥陀如来である
紅葉で有名であるが、周知なのでそんなことは書かない
阿弥陀如来の念仏の道場としてのことの方が大事である
が、それも書かない・・もう一つが明治の初めの歴史である

明治の始め三条通りの東、粟田口村の天台宗の寺院「青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)」に「京都療病院(りょうびょういん)」が開設された
なんと明治5年のことである
元処刑場のあったのが三条河原である
そんなことからか医学研究に解剖場も併設
この療病院の設立は実は当時京都の実力寺院(観光ではなく)の僧侶たちの社会運動だった

明治元年に神仏分離令、
それにより廃仏稀釈の波が全国に広がった
明治5年政府は僧侶の肉食妻帯蓄髪を許す布告を出した
何ら俗人と変わらない状態だった
それでも廃仏毀釈運動の風潮に危機感を感じた岡崎願成寺与謝野師・永観堂東山天華師・銀閣寺佐々間師・金閣寺伊藤師の住職たちが京都府の青年蘭方医明石博高(あかしひろあきら)などと語らって、僧侶たちが発起人となり京都府に病院設置を出願した訳である
仏教界の他、一般府民や医師、薬種商なども出資、花街(かがい)の冥加金(みょうがきん)まで多くの資金が集まったという
京都における近代医療の始りであり、首都でない都市としては早かった
梅毒退治や精神医学の魁となっていった以後京都は近代医学の先進都市となった
が、その時の経緯は余り知られていない
維新政府の意味のない施策であった神仏分離令のために廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた頃の話である

病院・医学校ともに明治12年に梶井門跡(梶井門跡は京都大原に本拠を戻して三千院となる)の跡へ移転
これが梶井町にある今の京都府立医科大学となる
この永観堂にも癲病院が設置されていた時期もある
廃仏稀釈は大寺院も土地をとられ、らしからぬ僧侶は還俗、そんな時期だからこそ仏教界や市民・府民が一緒になって作ったことの意義が大きい
病院は宗教の最も明確な救済活動だとするヨーロッパのキリスト教の影響も大きかったと言える

聖徳太子は日本仏教の最大の祖である
この療病院というのも聖徳太子の創設したものに習ったという宗教家の存在は大きかった
でも廃仏稀釈運動の危機感と言うものは本当にその時だけだったのだろうか
現代の京都の僧侶の職にあるものは市民の救済のために何を訴えられるのか?
浮世の観光行政に便乗したり翻弄されたり・・している様だけ見れば・・である

これも歴史
写真はニシキギ
鯵庵(12.22)

# by ajiankyoto | 2016-12-22 07:07 | 往生 | Comments(0)

3条のレールは交わらない_b0355451_19272668.jpg
日本で使用されてきたレール幅には狭軌と標準軌がある
鉄道は明治の文明開化の時に入って来たものだからサイズが日本式ではない
困ったことにメートル法でもなくフィートである
機関車を輸入しなければならず、当時の国鉄が採用したのが狭軌だった
それからずっと日本全国の国有鉄道(JR)線の線路幅である
それが3フィート6インチ(1067㎜)だった
それと違う4フィート8.5インチ(1435㎜)も世界に普及していた

京都電気鉄道会社(京電)は日本で最初の営業電車を走らせた
電気は琵琶湖疏水の水力発電で出来る
明治28年(1895)京都(東洞院塩小路)~伏見(下油掛)間を開通させた
その後順次路線を延ばしていった
北野へ行く線・出町へ行く線・蹴上へ行く線などなど
この電車は国鉄と同じレール幅であった
狭軌である、1067㎜である、鉄道趣味の人にはナローゲージとか言われたりする

京都電気鉄道会社路線は京都市民と経済を支えた
2代目京都市長西郷菊次郎の時に京都の将来を考えて市営の路面電車の整備に着手した
市電は京電に十数年遅れて明治45年(1912)から運行が開始された
その後、京都市によって京電の統合、買収交渉が進められた
大正7年(1918)京電の軌道21キロ、車両136両は京都市電に引き継がれた
京都市電は路面電車としての規格を先取りして標準軌を採用していた
標準軌は1435㎜、30数センチも広い
スチーブンソンの蒸気機関車の幅である
ヨーロッパやアメリカ大陸では多く採用された軌間だった
スタンダードゲージと言われる

一部区間では京電と市電とそれぞれの電車を走らせる必要があった
そのため、競合区間などでは3条のレールが使用されていた
それが挿絵のコメントである
市電化に伴って多くは標準軌に整備されていった
が、北野線のように市電廃線まで狭軌のままでの運転が続けられた路線もあった
北野(千本中立売)は千本京極と言われて京電・市電で栄えた町ではある
同じ市電でも挿絵のような京電タイプの電車が走っていたため他の街より市電への愛着が強いようだ
鯵庵(28.12.18)
北野線の様子は北野商店街のHPで

# by ajiankyoto | 2016-12-18 21:13 | 都市 | Comments(0)

情報の99.99%は要らない

知っていることはどうでもいいことばかり
ホームページやブログを始めて思う、世の中の情報の99.99%は知らなくていい情報である
知っておかねばならない情報と知りたい情報とはほとんど重ならない
情報とは空気であると言った人がいるが、それでもまだピンとこない
間違いなく酸素濃度より低い
現に知っていることはどうでもいいことばかりに気づく
インターネットのこの世界だって、WEBサイトの99.99%が宇宙ゴミのように空間をさまよっているだけ
実は私のサイトも・・もはや軌道を離れそう
で、このブログで頑張ろう

それはそうと〝知っておかねばならない情報×知りたい情報×役に立つ情報"となれば天文学的に少ないというのが常識
むしろそのことを知っておればよし?
向こうからやってくる情報は無用の介
あなたは・・ともかくも隣にいる人とイイネをくれる人を大事にしたまえ
情報は自分で拾(ひら)うもの
実はあなたが要らないと思っている中にあって見つけられないのがあなたにとって必要な情報なのである
そんなこんなで、小生はと言えば、ともかくブログの文章を短くしたいと思ってはいるのですが・・なかなか・・スミマセンね
鯵庵(28.12.15)
松山容子は琴姫七変化です(1960-1962)
情報の99.99%は要らない_b0355451_08390595.jpg


# by ajiankyoto | 2016-12-15 07:56 | 翁草 | Comments(0)

上手なタバコのやめ方

上手なタバコのやめ方_b0355451_11291959.jpg
困ったことに女性の体は男性に比して何百倍も複雑に出来ている
精密機器と同じである
バランスを崩しやすいし故障しやすい
そこに持ってきて特にタバコはホルモンの分泌に大きな影響を与える
妊娠中だけでも禁煙する必要はある

女盛りの50代女性に、妊娠や授乳期の禁煙を説いたとしも意味はない?
精密機器でありながらも、もうそれほどの精密さは必要がなくなっている?
以前にも出演していただいたタバコをなかなかやめられない”今を生きる50代京都の女史”のことである
人に迷惑をかけない暮らし方は出来るかもしれない
タバコの有害論は色々あるけれど女性の美容には極めて有害だ
口の中が不潔になる、まず歯が悪くなる
歯が抜け始めるまでにやめなければやがてそれが命取りになる
清潔は熟女の命ですよと小生は女史を脅かしている
熟女と言えど、まだ精密機械であることに変わりはない

女性は概ね男性より喫煙歴が短い
禁煙外来へ行ったら恥ずかしがらずに長い目に申告した方がいい
健康保険が適用されて、禁煙治療の飲み薬が処方されたら概ねやめられる
飲み薬が出来た、チャンピックスという
脳がニコチンを感じないようにしてしまう薬である
途中でタバコを吸っても美味しくない
一応3か月は薬は飲まなければならない
タバコを持ち歩いても、ほぼ、一週間で手が出なくなる

やめたくないならやめといたらいい
小生も医者に言われた、もう一生タバコを吸わない人間になってもいいな
タバコという人生の小道具に頼らない自分が想像できたらやめられる
それはそれで覚悟のいることなのだから・・
カッコよく長く生きることは所詮難しい
やめられるということを知っておればいい
と、精一杯のアドバイスをしている
鯵庵(12.13)


# by ajiankyoto | 2016-12-13 17:00 | 翁草 | Comments(3)

ドングリの夢

ドングリの夢_b0355451_08531649.jpg


知っているようでいるようで知らないのがドングリの夢
ドングリは乾果(かんか)の一種、果皮が固いブナ科の果実全体をさしている
子供達がはかまと言っているのは殻斗(かくと)である
それがブナ科の特長でもある
ドングリの森にはブナやナラ類の明るい森もあるし、シイやカシ類のように暗い森もある

スダジイというのがある
名は余り聞かないという人がいる、常緑である、シイタケのほだ木にも使われる
実は炒って食べられる
イタジイ、ナガジイともいう、一般のシイの木のことである
ジイ(爺)というのは懐かしみを感じるが、スダジイという名の語源を小生は知らない

京都のシイ類の群落は円山公園・清水寺裏、松尾大社裏、法然院・銀閣寺町などが知られている
神域で開発の手が入らなかった所などが分かる
この群落は守られなければならない
もう一つ平地は鎮守の森である
クスノキやシイ類の大木は神社の森に多い
鎮守の森は神のいる世界を区別するための森だ
そんな偶然で京都の森はギリギリ守られている

東山七条の女坂(おんなざか)を上がっていくと新日吉神宮(いまひえじんぐう)にあたる
三十三間堂や今熊野(いまぐまの)神社は後白河院政の法住寺殿(ほうじゅうじでん)の一連の建物である
後白河院が日吉神社(ひえじんじゃ)を祀って新日吉神社とした、今は後白河院も祀る
本殿裏に樹齢500~800年というスダジイの大木がある
新日吉神宮がここに来る前からあったと言われている
京女(きょうじょ)の京都女学院が随分大きくなって校舎が迫っている
明治になって京都女学院も来たが神社も来たから守られたと思う
小生ら夫婦はこのスダジイがかぶる本殿で数十年前結婚の祝詞(のりと)をあげてもらった
おかげで(?)まだ続いている

ドングリも押し花にしてと孫が言う
鯵庵(12.12)


# by ajiankyoto | 2016-12-12 07:12 | 家族 | Comments(0)