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落ち葉を見てすぐに掃こうとする人と眺めるだけの人と2種類の人がいる
街では歩道の落ち葉が嫌われる
掃かないのは落ち着かないが、せっせと掃く人もきりがない
もともと落ち葉など目に入らない人もいれたら3種類の人がいる
あなたはどちらか?考えてみてほしい
落ち葉は紅葉の成れの果て_b0355451_10395003.jpg
落ち葉を踏むのは仕方がないが・・
掃かなければならないものだろうか
無責任なことを承知で言えば、掃かないほうがいい落ち葉も多い
そんなとこほどせっせと掃いている気がする
そんな人はせっせと掃いてごみ(燃やすごみ)として出す
京都市は剪定枝葉と落ち葉を中身の見える資源ごみ袋で回収することにしたみたい
草や竹や木の根はダメであるが、落ち葉は取ってくれることがはっきりした
しかし各家庭の分に限る、植木屋などに任せたものはダメだという
なんとなくまだ宙ぶらりんだ

昨日上を見たら紅葉である
今日下を見たら落ち葉であるが
都会の舗道では落ち葉も紅葉なのだ
本来は有用なものだったのだ、土になるはずなのだ
あるいは今度資源ごみ扱いになれば土に帰るチャンスかもしれない
落ち葉の運命、どちらがいいのかそれも分からない
落ち葉をせっせと掃く人も嫌いではないが
きっと、その人は腹の中では街路樹の木を切ることを願っている気がする
落ち葉は青葉の成れの果てであることを知ってほしい

小生、都会の落ち葉が冷たい風に舞うのは好きである
落ち葉はそもそも誰のものなのだろうか?
それはさておき、どうせほっといてもどこかに吹き溜まるだから・・
身につまされて書いている
いずれ吹き溜まる、その時になればゴミに近づく
まだ落ち葉は掃かなければならないと思い込んでいる人が多い
鯵庵(11.20)


# by ajiankyoto | 2016-11-20 16:08 | ハロー・ワーク | Comments(1)

あんかけうどんの運命

あんかけうどんの運命_b0355451_22012552.jpg
「天かすに化かされたタヌキ」に続く
そもそも天かすを揚げ玉(あげだま)などと言って、金を取る感覚は大阪や京都の人にはわかりにくい、カスはかすでいいのではないか
かすだけど美味しいものはいいし、いい油でいい色加減の天かすは店の繁盛の裏づけにさえなっている
繁盛している店はむしろ天かすの処理に困っているのが実情
揚げ玉の方が天かすの代用品とも劣等財(れっとうざい)ともいえる
天かすのほうが食材として優れているのだから、なおさら理解できない
関西人は天かす入りをハイカラうどんなどと軽く敬意を表すこともあるが、
天かす入りだとて四国・九州でも概ね無名状態、間違っても東京に真似て”たぬき”とは言わない
結局、”天かすに関わらないたぬき”がかろうじて生き残っている次第である
最後は大阪風に”きつね”に対する”たぬき(そば)”として生き残るかである

京都風の餡かけ型で生きていくのは・・・見るところしんどい
長浜に盆梅展に行くといつも「のっぺいうどん」を食うことにしている
大きなしいたけにあんかけうどんである、ショウガの味が寒い時にいい
京都の「しっぽくうどん」にも同じようにシイタケや麩や湯葉など入る、それにあんをかければ「あんかけうどん」とか時に「のっぺいうどん」と言ったりする
が、とおり名では長浜の店にはるかに負ける
京都は名だたるうどん文化の土地ではある

この際に旅行者にでも受けるキャッチフェーズが必要なところだと言えば、
京都は具の大ぶりなうどんが少ない、”京都の舞妓さんのおちょぼ口に合わせて小さい目にしてまんねん?!!”
こんなフレーズしか思い浮かばないような都市ではあかんわな
京都に舞妓(東京方面で言う半玉・芸者志望の見習いのこと)何人おるのか知ってるのか
京都イコール花街や舞妓という発想だけはやめてほしい
かくして皆、てんぷらトッピングを求めて、天かすとネギ入れ放題の〇〇製麺に行くわけである

「あんかけの時次郎」って知ってるか
もう、あんかけのたぬきを食える店は絶滅遺産状態である
しかし、保護の必要はあまり感じないのが不思議だ
写真は嵯峨のタヌキ、丸に八の字そのまんまがいい
鯵庵(11.19)





# by ajiankyoto | 2016-11-19 07:47 | 大衆食堂 | Comments(4)

天かすに化かされたタヌキ_b0355451_21443256.jpg
各地で讃岐(さぬき)のイメージのうどん屋がはやっている
いいところではネギだけでなく天かすも入れ放題でそれが人気の元である
関東地方では元々うどんやそばに天かすを乗せたものをの〝たぬき″というらしい
たぬきといえば大阪では油揚げを乗せたそば(きつねうどんのそば版)のことになる
それが京都に来ると、刻んだ油揚げの上から葛餡(くずあん)をかけたものを〝たぬき″という、だからたぬきうどん、たぬきそばというわけだ

各地でそれぞれ別のイメージでたぬきの愛称が使われる
たぬき系の具材をあげると・・・かき揚げ、天かす(揚げ玉)、油揚げ、に京都の刻み油揚げに葛餡などなどある
ややこしさのついでながら、京都ではきつねとは〝キザミ″を言う場合がある
大阪きつねと言うた場合にと〝きつね″になる
こんなややこしいことになったのは、〝天かす″のせいだと言う話なのだ

立ち食いそば店もうどんもそばも一緒に商ってるのがほとんどだし、
結局は天かすぐらいは無料なのが当たり前になったわけである
無料のものに名前は不要なのだ
かくして、まず東京系タヌキが滅んだ
無理に天かすを有料にすればこちらではハイカラうどんになる

また、客と店とが違うイメージを持っていると具合が悪い
元々本場讃岐にでも”たぬき”の名前が定着しておれば話は別だったかもしれないが・・
要は、全国展開にあたっては誤解の元になる名称(たぬき)が宙に浮かされたわけである
それが〝たぬき″である
最初に天かすに絡んだことが敗因である
東京方面で「うどん」が、特に「たぬき」と「天かす」の相性が悪かったのだ
鯵庵(11.18)



# by ajiankyoto | 2016-11-18 07:32 | 大衆食堂 | Comments(0)


NHK京都放送会館の8Kビジョンを見てきた京都の目抜き通りの一等地に高さ30メートルの新しい放送会館が出来てもう1年以上になる
大きな放送局はこの辺、大阪だけでいいとまでは言わないにしてもこんな大きな放送局が要るのかな?
NHKのサイトからそのまま引用すると
「京都から全国、そして世界へ向けての発信拠点(年間5000万人の国内外の観光客、100万人の修学旅行生が訪れる京都市の放送局)」
それやったら大津を先にしたったら_b0355451_21422259.jpg旅行者の増加をこんなところにも使っとる

そもそも形容詞ばかり・・
架空のイメージで建物を大きくするのは建築家のコンペ用の作文
放送局から放送会館となっていつの間にか完成してしまった
京都の放送局は京都市だけの放送局ではないし、観光客対象の放送局でもないはず
でも出来てしまったものは有効に使えばいい

と思っていたら、大津にも放送会館建てるのがもう始まっている
プロポーザル方式で設計者が決まった
平成31年には運用開始するとしている
「災害に強い放送局」が基本コンセプトになっている
当たり前のことで突っ込みようがない
それやったら大津をもっと大きく先にしたれや
放送の使命というのは建築設計事務所の作文で決まるものでないやろ
まー地上3階程度らしいからNHKの事業規模からいえば控えめな方である

京都と大津は直線距離にして約10キロである
運賃300円ほどで行ける隣町である
実は県庁所在都市が隣接している希有な例である
どうせ電波は山の上にから出ているのにね
NHKは受信料収入で全国で本社や放送会館を建て替えるらしい
ちょっと受信料下げてくれるらしいのはええんやけど
田舎へ行ったらBSは入るけど地デジもラジオも入らないのにね
京都のラジオは大阪局の電波を受けてくれと言うし、電波の入りの悪いところはインターネットで聞いてくれと平気で言う
写真は大津NHK前、この信号もいらなくなる?
鯵庵(11.17)

# by ajiankyoto | 2016-11-17 05:26 | テレビ | Comments(0)

トイレの神様は炎の神

トイレの神様は炎の神_b0355451_11082290.jpg
「トイレの神様」といういい曲が流行った
心根のよさそうな女の子が歌う、シンガーソングライター、自分の気持ちを自分の歌い方で歌う、ヒットしてしかるべし
優しいおばあちゃんでよかったね
あの歌が好きな優しい女の子に便所物語をしてしまいます、許してください
あなたのおばあちゃんがトイレにいるというあの神様はもういないのです
はっきり言うと水洗トイレしか知らない人には〝便所の神様″は見えません
昔の便所は家の外にあったり、暗くて子供には怖くて・・
その上、掃除は例え主婦であっても一番嫌な仕事、だから女神がいると教えてきたのです
それに比べて水洗トイレの掃除は神様に見てもらうほどの家事ではありません

おばあちゃんに恩返し出来るにはおばあちゃんを超えるいい女になることです
それしかありませんが相当に賢くなければなりません
暮らしの衛生はこの数十年で日本を先進文明国にしました、田舎だって同じです
昔の便所のままでは子供も孫も帰って来ません
昔のドライブインが潰れて道の駅が繁盛し出したのはトイレ事情にもよります
やはりトイレの清掃が行き届いている道の駅やコンビニは繁昌してます
海外の人もともかくも日本のウォシュッレットを買って持ってかえります
あれだけでは使えませんよと、教えてやる必要はあるでしょう

人を救うのは清潔です
厠神(かわやしん)というのは仏教の烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)と言われます
歌のような女神ではないかもしれませんよ
炎の神様ですが、炎で不浄を清浄とする力を持っていると信じられています
だからこそ、家庭でも率先して、他人の嫌がる汚れることもいとわず働かねばなりません

今は時代錯誤になりましたが、実はこの厠神様、おなかの中の女の子を男の子に変える力もあったようです
そちらも女性に信仰された所以かもしれません
一緒に歌を歌いながらお母さんに話を聞いてもらってください
それまでの苦しい時代のことを教えてくれるかもしれません
竈(かまど)の神様も見えなくなってしまいましたが、ひょっとしたら台所で働くお母さんが神様かもしれません
今でも神様はそこらじゅうにいるのですよ・・見える人には見えます
鯵庵(11.16)





# by ajiankyoto | 2016-11-16 06:45 | おなご編 | Comments(0)