2016年 10月 07日
明美はアケビの化身か

2016年 10月 05日
名水桃の井/京都の酒

鯵庵(9.5)
2016年 10月 04日
言葉が考えてます

2016年 10月 01日
男の性根は母譲り

しかし、今思えば違うような気がする
きっと当地の女学校に通っていた母の思い付きであるような気がする
母の里はそんな由緒の家ではない
でも思い付きであってもそれは当時大陸に行こうと決めた母の気位だろう
女一人で支那や満州に行くということは、それを距離を数十倍する根性と気位が必要だ
真っ白いワンピースにきちっとベルトを締めた当時(18才)の母の写真を見たら
凛(りん)としたという言葉の通りである
戦争に敗ける寸前に、満州から夫になる人の家に帰ってきた
我が京都もまだ田園であった
支那で約束した夫が帰ってくるまで、戦争が終わってさえ2年もかかった
誰も知らない他所(よそ)でどこにいるか分からない夫を待ったという
そして、その後生まれた小生を育てるために母として肥桶を担ぎ・・である
その頃、京都の町の半分以上が肥桶の町だったと知ってるだろうか
いずれにしろその家に気位があるとすればそれはそこの女の持っている気位であるのは間違いがない
小生だけではない戦争後に生まれた団塊世代のスタートは地べたであったのである
女紋は母から娘へ引き継いでいくものと書いた
女紋は形である、形は信仰である
男も女も父から命をもらい母から心をもらう
もう一度言う・・その家の気位があるとすればそれはそこの女の持っている気位である
母が肥桶を担いでいた70年前も今も日本の女が続いていると思える人にはそのことがわかる
写真は赤とんぼ
鯵庵(28.10.1)
2016年 09月 27日
オリンパスの最後の名機
小生のオリンパスのカメラがついに壊れた
オリンパスの名誉のために言っておくが小生がコンクリートの土間に落とした、それでフイルムの巻き戻し上げが出来なくなった
直らないこともないが、どこかぞんざいに扱っていた自分に気づき戒めとする
デジタルではない、オリンパス最初(で最後)の名機OM-1なのだ、もう40年になる
一眼レフは面倒だったが、面倒ついでに完全にマニュアルでなければならない
それからのカメラの推移を見てもそれは言える
カメラもレンズもマニュアルの名機だけが今も生きている
フィルムも進歩もしたけれど、結局ポジフィルムに限られた
写真にメリハリが出るが、それだけの慎重さは今のデジカメで味あえない緊張感がある
何台かカメラが増えてからは、OM-1は90㎜マクロレンズをつけて愛用してきた
花一つ、地面に寝て息を止めてシャッターを押すのも写真技術の一つだ
が、それだけで上手く取れるものではない

カメラ会社があれから沢山潰れた
オリンパスも堅実な会社だと思われていたが数年前に不祥事で揺らいだ
カメラ業界は高級デジタル一眼レフ戦線で今しのぎを削っている
カメラが変わってきているのではない、写真が変わってきているのである
OM-1のように男でも女でも、20代にも60代にも大人にこそ似合う・・そんなカメラを作れる会社はない
これから先、二度と40年・50年も使えるカメラが出てくることはないだろう
写真は活躍していた頃のOM-1、花はヒガンバナ
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鯵庵(9.27)