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アザミ嬢にグッドバイ

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ごっつう昔の物語である
職場の仲間とよく通っていた大阪兎我野町(とがのちょう)の地下のスナックがある
そこに九州生まれのアザミという名前の女がいた
もちろんアザミというのはここだけの源氏名で、
中島みゆきに「アザミ嬢のララバイ」(1975)という歌があるやんかと言うと
それで決めたという答えが返ってきた
昼の仕事は聞いたことなかったが、「仕事は何でもします」と言っていた

ジントニックやハイボールを飲みに3年ぐらいは通ったかもしれない
私も気になっていた
でも、一応ここでは先輩風を吹かしてるし、こちらからは何も言いだせない
暫くして急に仲間の一人が会社を辞めて九州にへ帰ると言い出した
どうするのかと聞いたら、「仕事は何でもします」という答え
アザミ嬢もその頃から店に来なくなった

ママに聞いて驚いた
私の仲間のその後輩と一緒に九州に帰ったということだ
毎日一緒に飲みに来てて気付かなかったかと言われた
ママは、あんたは馬鹿だという
あんたはアザミに聞かせかったのかもしれないが・・
毎日、飲みに来ても仕事の話ばっかり、彼もそこに退屈しアザミと目配せしてたのよ
どうせ、あなたは何もできないし、だが、その割にはいいことしたかも・・と言う
彼は折角の会社を辞めて一生を棒に振ったと若き小生が言うと、
仕事は手段よ、アザミは強い子だと、例えこれから10年かかっても彼とアザミなら間に合う、出直すためには落ちないとダメ・・
最後に、サラリーマンの10年をほる(ほかす)ことはあなたには出来ないし、あなたには分からないことなのよと、ママに言われた

私は確かに、まだ世間の男と女のことは分らなかった
それ以上に仕事は手段だと言い切れる力はなかった
スナックにカラオケが入りだす少し前の頃だった
改めてママと一緒にジュークボックスの「アザミ嬢のララバイ」を聞いてみた

余談ながらこのママは「明美(あけみ・もちろん源氏名)」といった
小生より少し年上だったと思う
ちあきなおみの「紅とんぼ」の歌のような女性だった
私の知り合いで一番の女性だった
はっきり言えば私の個人的女性観はそれで決まってしまった
どうにもならない話に過ぎないが、私はママが好きだったのだと気付くに長い時間がかかった
思えば小生、それからも年上の女性に多くのことを教えられた
人生歌謡曲だと気付く一瞬ではあるが・・現実は
そんないい女が今はおばあちゃんになっている??????筈だ
鯵庵(29.6.17改)

# by ajiankyoto | 2016-06-17 21:32 | 京都にFM845があってよかった | Comments(1)

ウィンドーズ10は試供品なのか?_b0355451_21350746.jpg
苦情が寄せられているようだ
ウィンド-ズ10のことである
もちろんウィンドーズは何かといいソフトで、世間を圧巻している、嫌が応でも使わざるを得ない
今回のウィンド-ズ10へのアップグレードの件である
今まで人を並ばしていたような企業が無料でと言うからそこに胡散臭さをずっと感じていた
今までの経験から胡散臭いのはずっと逃げていたら、それがしばらく後に勝手に動き出した
ついにNO・NO・NOと言い続けけなければ勝手に動いてしまうようなことまでやるのは何の意味ががあるのだろうか
それがトラブルの原因である
しかも10にアップグレードしたとたん、1~2年は戻ってしまった感がする、せっかく覚えたのがなくなってる
今までそれでもパソコンの買い替えごとに生まれ変わって勉強してきた
なんぼご推薦でも内容が分からないものはただでもいらん
小生の印象では、一番の問題は日本語変換のストレスが3倍になった
こんなことなんでするのだろうか、本社の指示なんだろうか?
使い易さと言うのは確実性である
漢字変換で骨身に沁みてるはずの(日本の)会社がなぜ今回ほど急ぐのだろうか
どんなことがあってもパソコンごとに2、3万円ほどのソフト代を当然のようにとっている会社がである
分かった、試供品だから無料だったのだ
試供品だと言ってほしかったが、困ったことに小生のパソコンは試供品を飲んでしまった
元に戻す方法も分からないような私(いつもやったら小生であるが自信がない表現をした)たちみたいなシャカリキについてきてるユーザーのこと考えて欲しいね
使い方は皆違う、あなたがまだ感じてなかったら忘れてください
このブログの題を今のようにしたのは嫌みであるが、会社は喜んでいるだろう
結局、どうせこの道しかないのだから・・・・
写真はヒラタアブ、1センチに満たない
鯵庵(6.14)


# by ajiankyoto | 2016-06-14 06:35 | 偽装 | Comments(2)

鳥羽地蔵と文覚上人

鳥羽地蔵と文覚上人_b0355451_21482249.jpg
平安京の朱雀大路の羅城門からほぼ真南に下る街道が鳥羽道である
今なら、九条通りから新千本通にあたると思っていい
この鳥羽の街道沿いにあるのが京都六地蔵の一つで鳥羽地蔵といわれる地蔵尊である
平安時代に地獄と行き来したと言われる公卿の小野篁(たかむら)が、地獄で地蔵菩薩が地獄に落ちて苦しんでいる人の救済にあたっている姿を見て帰り、人々に知らしめるため六体の地蔵菩薩を彫った
平安時代も後期になって後白河上皇が平清盛や西光法師に命じて六つの街道の出入り口に六角の地蔵堂を建て安置したとされている
ここの寺伝によればあの文覚上人の開基であるという
保元・平治の乱のあの時代のことである
文覚上人とは、平家物語の主役の一人でもある、院の北面の武士だった遠藤盛遠(もりとう)のことである
鳥羽の地は白河・鳥羽と続く院政の中心地、豪壮な鳥羽離宮が営まれていた
この寺には自分が横恋慕で殺した袈裟御前の首塚があるとされている
盛遠と袈裟御前は実はいとこなのである、袈裟の母にせまった、ええ方法ではあるが、そもそも横恋慕は大変に迷惑なことである
袈裟御前によって自分の罪の重さを教えられた盛遠はこの事件で出家した
袈裟の母も、袈裟の夫もみな出家した、地獄の恋の行く末である
出家したぐらいで罪が無くなる訳ではない、出家しただけでは救われなかった盛遠は地獄で地蔵に教えられたのだろう、だからこそ気迫のある法師になったのだろう・・生きながらのこんな地獄を救えるのは地蔵菩薩だけである
京都市が建てた寺の表札には「悲恋の物語」とあるが、せめて「悲劇の物語」とすべきである
また、近くには恋塚寺もある、横恋慕は恋なのか?
それとも今なら警察沙汰か
文覚はどう見ても骨太な武士だった、やがて頼朝に挙兵を促し空海の神護寺を再興するだけの政僧になる
すっかり地蔵菩薩の話が文覚の話になってしまったが、ここの地蔵はそう覚える方が早い
やはり、文覚だって隠棲してしまったのでは歴史に残らなかったはずだ
写真はヤマアジサイ
鯵庵(28.6.12)


# by ajiankyoto | 2016-06-12 07:14 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

親鸞は鳥辺野に眠る

東山通り五条の大谷本廟の脇の細い道を上がっていくと清水寺へ出られる
清水寺の眼下、ここから泉涌寺の下・今熊野観音寺のあたりまで鳥辺野と言われた平安京の葬送の地だ
都の中での埋葬は許されない、庶民はここまで持ってきて屍をほって帰るのである
昔はよほど高貴な人でないと火葬にはされなった
この鳥辺野の清水寺へ登りかけたところに親鸞聖人の御荼毘(だび)所がある
親鸞は流罪になるも北陸・関東を転々として京都に帰って1262年に90才で亡くなった
南無阿弥陀仏の念仏を唱えることによって小人・凡人でも往生できるという
悪人であっても阿弥陀如来の本願により救われるという浄土真宗の教義を打ち立てた
御荼毘所は深い崖と擁壁の下にあり粗末なものであった
入口も分かりにくいし他宗派の墓地の中を進まなければならない
この清水寺へ行く道は少し急だが鳥辺山の裾を通る、墓地の関係者に限らず小生も含めて地元の人の知る道でもある
清水寺の下は葬送の地であったということは、観光客と観光バスでにぎやかな参道を行ったのでは分からない
初めてこの地に火葬場が出来た
明治6年に出来た大谷派本願寺と本願寺派本願寺、いわゆる東西本願寺の火葬場であった
京都市がこれを引き継いで花山中央斎場を運営するのは昭和7年のことである
火葬は仏教による葬法であるが、衛生的であるゆえに庶民にも受け入れられてきた経緯が見える
「墓地・埋葬等に関する法律」は昭和23年のことであるまだ70年は立っていない
ところで、歌舞伎の演目に「鳥辺山心中」というのがある
新作、岡本綺堂の脚本である
筋立てに無理を感じるが、つまらぬ短気な男も今の盛りの役者が演じると歌舞いて見える
武士も遊女も祇園の浮世を一歩踏み出せば鳥辺山である、という状況設定が効いている
当時はほぼ土葬、周りは亡霊だらけである、斜面に谷一面に土饅頭に卒塔婆の立つ地であっただろう
まさに足を踏み入れたらもうそこは霊界である
死のうと思わなければ怖くて入れそうにない
心中の屍は鳥や野犬が群れると知って見なければ意味が分からない
いつ頃から今の様な石碑の群れになったのだろうか?
今なら一度歩いてみるといい
そう紹介したいわけであるが去年(2015)の台風11号でこの鳥辺山の裾ががけ崩れでが大きくえぐられてしまって、今は五条坂大谷本廟から清水寺へは行けなくなっている・・
写真は鳥辺山、大谷本廟墓地(※平成28年6月当時)
鯵庵(28.6.10)

親鸞は鳥辺野に眠る_b0355451_08002694.jpg

# by ajiankyoto | 2016-06-10 08:07 | 親鸞 | Comments(2)

思ったほどのことはない

思ったほどのことはない_b0355451_05453505.jpg
みんなが知っていることでないと自慢はできないが、
みんなが知っていることでは自慢にならない
"何でも京都が一番やと思ってるから、自慢してない様でみんな自慢になっている、道を聞いただけでも京都自慢の押し売りに会う、京都の人はそこを上手く使う”と感心してくれた大阪の友人がいた
京都という名前がメガトン級だから、知識のおすそ分けと言って教えてやろうとするのだろうか
旅の目的も色々あるはず、観光客ばかりではないのに勉強が足らなかったら嫌われるとも・・
一昔前サラリーマン時代、東京の本社の人を案内したことがある
世界遺産と言うブランドものにしか興味がなかった
しかし、こちらがガイドとしての勉強不足を謙遜したとたん、「案内してくれるぐらいのことなら中学校で習ったわ」と変な慰めにあった
やっぱり、東京でいい大学を出ている人は違う
確かに教科書に載っている仏像を見て、教科書どおりや感心してる修学旅行生もいる
京都が中学校の教科書のままならどこ行ってもわび(詫び)・さび(錆び)になる
件の本社の人、そのくせ夜に飯を食ったら芸者か舞妓が来るもんやと思ってる
どこに行っても何を食っても結局は銀座以下だと慰められた
こっちは自前やで、本社から来るなら経費も持って来いと言いたくなった
「京都は生きてる町」やでと反論すると、ついに″遺産で生きてる町″だと揶揄された
もう京都だけには行かないという人も多い
外国人ばっかしやし、やかましいし、不親切やし、何でも高いし、観光都市でも何でもないやんか
その上、テレビとも本とも違うし思ったほどのことはない、と言う結果になる
だからこそ、おもてなしのついでにちょこっと教えてやろうとするとまた嫌がられる
どこまで行っても結果の見えてる話なんだ
路地住人鯵庵(28.6.4①)

# by ajiankyoto | 2016-06-04 05:46 | 翁草 | Comments(4)