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明美はアケビの化身か

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野生ではないが自然のアケビが手に入った
田舎で自生のアケビが結実していたのを見つけた
厳密にいうと樹木等は土地に付属するというから本来持ち主がいるということになる
アケビは蔓で巻きつく植物であるので土地の境界を越えることもある
そんな難しい言い訳をしなくとも問題がない小生の家内の里の話

小生としては種を食いながら種を残して垣根みたいなところに撒いておこうと思っている
アケビの新芽が山菜並みに味わえるということを聞いてから俄然その気になってきた
地方によればアケビの新芽はズバリ「木の芽」というらしい
まだ先のことですがレシピを教えてください

ムベ(郁子)は身が開かないけど、アケビは身が開く
開く実、あけみ(開実)が転訛してアケビになったという話もある
開実がまた転訛して明美になったというのが小生の理論
実が開くということは男にとって嬉しいことだ
「アザミ嬢のグッドバイ」で兎我野町のママの名前が「明美」だったと言った
源氏名で「明美」というのはママになれる名前なのだ?
写真はアケビ
鯵庵(9.7)


# by ajiankyoto | 2016-10-07 07:00 | 大人の恋 | Comments(1)

名水桃の井/京都の酒

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堺町通り二条上るの堀野記念館の続きである
キンシ正宗のキンシとは金鵄勲章の金鵄である
酒屋は名前にこだわるが名前が酒の味を保証するものではない、が、
水は間違いなく酒造りを左右する
この庭には名水〝桃の井″(硬度30度以下、水温16度)といわれる井戸が残されている
今も酒造りに適した水である
酒造りに適した水と言ったって特別な水ではない
この辺りでは隣の家も路地の住民も井戸さえ掘れば桃の井と同じ水を生活に使っていた筈
都の生活は井戸で保たれていた筈だ、名水と言われながら保護が出来てなく枯れかけているのは逆だと思う
都市の名水とは〝ふんだんにありふれた、それでいて安全な水″のことを言うべきものだと思う
丁度ご近所の奥さんが汲みに来られていたが、ペットボトル1~2本なら家族のための美味しいティーに変わるのだろう
ここは友の会を作っている、そうすれば守る気が起こるというもの・・、だからこそ守る必要があるのだと思う

京都の造り酒屋の起源は洛中、特にこの二条の付近にあったとの話である
キンシ正宗も明治の中ごろに伏見に移転した
たまたまここは本家の家屋が残っていて記念館にすることが出来た
今は、桃の井の水を使って地ビールを作っている

キンシ正宗に限らず洛中にルーツを持つ酒蔵も多い
京都の組合の資料によると、組合の最初明治19年には組合員の酒造家は上京と下京で165軒、伏見よりはるかに多かった、と言うことだか、市内での酒造りはこの頃を潮目に伏見に移っていく
実は江戸にかけて伏見の酒造業は極めて低迷するが、鉄道の発達により逆に伏見の酒造業が盛り返す時期でもあった
それで、今はというとなんと市内(洛中)ではたった2軒になってしまったということだ
佐々木蔵之介の、「聚楽第」の佐々木酒造もブログを始めた
洛中最古、「富士千歳」の松井酒造の元気美人若女将の蔵元便りも面白い
また機会があればこの2軒の探訪記も書けたらと思ってるのだが・・
写真は金鵄
鯵庵(9.5)


# by ajiankyoto | 2016-10-05 08:20 | 京都の水 | Comments(0)

言葉が考えてます

この頃500キロも先の東京問題を毎日テレビで見ている
コメンテーターもあらかじめ各局のニュースワイドを見ておく必要がある
新知事は概ね高得点をとっている、が満点はもらえないみたいだ
それは一般人が知らない横文字が多いことが一つある
こういうのを下世話に玉にキズ、という
首都の知事ってほとんどが地方人なんだが、さりとて今回も地方訛りが強いわけではないのだからそのことはいいよ
いいんだよ
言葉が考えてます_b0355451_08440562.jpg
人は頭でものを考えるのだが、それは言葉で考えることなんだ
自分の持っている言葉でしか考えられないということ
我ら近畿の人間は京都弁や大阪弁などなど、いわゆる関西弁でものを考えている
言葉に似合った考え方をしているという
どうしても関東地方の人と考え方に国境があるのは(?)その所為だ
言葉を直そうとしないのもそれゆえだと思う

東京のことをこんなところで云々するつもりはない、のだがと言いながら言う
横文字が出てくるのは私の考え方は横文字です、と言ってることになる
ビジネス英語の講師なら尊敬してもらえることもあるだろうが、庶民的な目線を強調するには不利である
東京では東京の言葉を使って初めて仲間として認められる
極端な例、訛りが取れないと落語家はあきらめなければならないと聞いた
東京の庶民は東京の言葉が自然に出るようになった人の集まりなのだ
せっかく長年かかって東京人の代表になれたのに、跳びすぎて横文字を多用すると庶民はついていけない?
官僚語でものを考える部下たちを引っ張って、市場を超えてオリンピックまで行くための戦略かもしれない、が失敗しなければいいのだが・・・
先に東京語を覚えた元々の反対者がまた意固地になる時期も来るかもしれない
「元々兵庫○区あたりから東京に鞍替えして来た人、生れも芦屋だ、大阪の隣、東京人でない、代議士の一人ならともかく・・だから、東京人の代表には・・」
なんて、少し歴史を引き戻してやろうという温かい気持ちになるマスコミも想定できる

ものを考えるために言葉が出来てきた
だから言葉が違えば正直に伝わらない
だから言葉を学ぶことによって自分の考えを深めてきた
だから言葉でものを考えるというのは自然なことである
新しい考え方は新しい言葉を作って行くのだが・・
この場合にも言えるかどうか
ニュースワイドを見ながらそっちが気にかかる
そう思うことが関西弁の考え方かもしれないなら、それこそ”京都の余計なお世話”でした
写真は「たった一人の反乱」(昭和47年・1972)の表紙
鯵庵(28.9.4)

# by ajiankyoto | 2016-10-04 07:28 | 翁草 | Comments(0)

男の性根は母譲り

男の性根は母譲り_b0355451_20071099.jpg
「女紋を持った女たち」で母が嫁ぐときに祖母から譲られたという話を書いた
しかし、今思えば違うような気がする
きっと当地の女学校に通っていた母の思い付きであるような気がする
母の里はそんな由緒の家ではない
でも思い付きであってもそれは当時大陸に行こうと決めた母の気位だろう
女一人で支那や満州に行くということは、それを距離を数十倍する根性と気位が必要だ
真っ白いワンピースにきちっとベルトを締めた当時(18才)の母の写真を見たら
女紋の三つぐらいあっても何のことがないという気がしてくる
凛(りん)としたという言葉の通りである

戦争に敗ける寸前に、満州から夫になる人の家に帰ってきた
我が京都もまだ田園であった
支那で約束した夫が帰ってくるまで、戦争が終わってさえ2年もかかった
誰も知らない他所(よそ)でどこにいるか分からない夫を待ったという
そして、その後生まれた小生を育てるために母として肥桶を担ぎ・・である
その頃、京都の町の半分以上が肥桶の町だったと知ってるだろうか

男の役割は家を守ることだとしても、本当に家を守っているのは女ではないだろうか
いずれにしろその家に気位があるとすればそれはそこの女の持っている気位であるのは間違いがない
小生だけではない戦争後に生まれた団塊世代のスタートは地べたであったのである
女紋は母から娘へ引き継いでいくものと書いた
女紋は形である、形は信仰である
それでもそれしかないときには生きている証になる
男も女も父から命をもらい母から心をもらう
男の性根はほぼ母親から継いでいるのである
もう一度言う・・その家の気位があるとすればそれはそこの女の持っている気位である

気位の証が女紋だ
母が肥桶を担いでいた70年前も今も日本の女が続いていると思える人にはそのことがわかる
写真は赤とんぼ
鯵庵(28.10.1)



# by ajiankyoto | 2016-10-01 08:32 | おなご編 | Comments(5)

オリンパスの最後の名機

小生のオリンパスのカメラがついに壊れた
オリンパスの名誉のために言っておくが小生がコンクリートの土間に落とした、それでフイルムの巻き戻し上げが出来なくなった
直らないこともないが、どこかぞんざいに扱っていた自分に気づき戒めとする
デジタルではない、オリンパス最初(で最後)の名機OM-1なのだ、もう40年になる
一眼レフは面倒だったが、面倒ついでに完全にマニュアルでなければならない
それからのカメラの推移を見てもそれは言える
カメラもレンズもマニュアルの名機だけが今も生きている
フィルムも進歩もしたけれど、結局ポジフィルムに限られた
写真にメリハリが出るが、それだけの慎重さは今のデジカメで味あえない緊張感がある
何台かカメラが増えてからは、OM-1は90㎜マクロレンズをつけて愛用してきた
花一つ、地面に寝て息を止めてシャッターを押すのも写真技術の一つだ
が、それだけで上手く取れるものではない

オリンパスの最後の名機_b0355451_07581882.jpg

カメラ会社があれから沢山潰れた
オリンパスも堅実な会社だと思われていたが数年前に不祥事で揺らいだ
カメラ業界は高級デジタル一眼レフ戦線で今しのぎを削っている
カメラが変わってきているのではない、写真が変わってきているのである
OM-1のように男でも女でも、20代にも60代にも大人にこそ似合う・・そんなカメラを作れる会社はない
これから先、二度と40年・50年も使えるカメラが出てくることはないだろう

写真は活躍していた頃のOM-1、花はヒガンバナ
「鵜の目/鵜の目鷹の目」はここをクリック

「鷹の目/鵜の目鷹の目」はここをクリック

鯵庵(9.27)


# by ajiankyoto | 2016-09-27 08:15 | 写真 | Comments(2)