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楽園が沈む(五条楽園は休業中?⑵)_b0355451_07495304.jpg
五条楽園(五条橋下・七条新地)のことを以前に少し書いた
秀吉の時代から続いてきた遊所だったのだが・・
何んと平成22年売春防止法違反で京都府警に主だったお茶屋の経営者が逮捕摘発された
それ以来、ネオンも外して一斉休業のままである
当時大きなお茶屋だけでも十数軒あった、町の人が消え火が消えた
高瀬川も、明らかに二条から五条までの姿とは違う
五条から南、過去の遊所を流れる高瀬川は同じ歴史を持ちながら五条通を境にごろっと変わる
ここは源氏物語の光源氏のモデルだとされる嵯峨源氏の源融(みなもとのとおる)の広大な屋敷河原院の跡である
それでもあれほど観光に手を尽くす京都市の手も入らない

京都の遊郭は明治になって島原が衰退し、売春防止法で五番街が廃業した
時代の中で残った遊所が京都の五花街として芸妓の伝統と京都観光も支えている
だがしかし五条楽園はスマートに変身した五花街にない大正・昭和のロマンを感じさせる遊所独特の建物が今まだ残っている
風呂屋も商店もある、マンションもあれば旅館の営業をしているところもあるし、サラリーマン家庭もあるしもちろん学校に通うこどもたちもいるのは当然である
大きなお茶屋だったところの二階の簾(すだれ)も傷んだままになっているのを除けば一般の住宅街と変わらない

ただ、街そのものは活気もなく閉鎖的な地域として沈んでしまっている
遊郭はずっと職住近接・職住一体の町だったのである
小生風に言えば、職住一体の職をとってしまって住だけになったら暮らしも成り立たないということである
正面通にあった山内任天堂は世界的企業になったが今は十条通りに本社を構えている
五条楽園の歌舞練場だった五条会館は大勢の人が集まることは今となっては消防も許してくれないだろう
五条通近くにあったラーメン屋は今もやっているだろうか
経済活動のない街になってしまうのだろうか
もちろん放蕩や浪費は美徳ではないけれど・・
有形文化財に指定して保存なんてことは所詮他人事だ
お茶屋の建物もそのままだけど、いずれ朽ちていくのを待つだけでは辛い

景観と活性化は二つのキーワードだろう
京都のある大学のチームは真剣になって調査している
生活保護所帯の割合が市内の他の地区に比べて著しく高いということを指摘している
五条楽園は五条楽園でなければ生きていけない街だったのだろうか
休業のままではイメージの改善は難しい
未だ市役所もそれからのビジョンを示すことが出来ない
京都のど真ん中京都駅からすぐの街である
隣の四条河原町や宮川町や祇園は京都一の観光地である
五条楽園だけが過去の罪を背負されたのだろうかと思ってしまう
写真は窓
鰺庵(9.26)

# by ajiankyoto | 2016-09-26 07:53 | 正面通 | Comments(0)

美味しいかつ丼はトンカツが美味しい_b0355451_20580570.jpg
時々昼食にお世話になるのだが・・牛丼は別にしてもここのかつ丼がまずい
昼からちょっと勝負の時は縁起を担いでかつ丼を食ってきた
これじゃ胸につかえて縁起担ぎにもならない
今になってやっと気付いた
かつ丼は2段ステップ、トンカツを上手に作れない調理人にかつ丼を作らすのは無理というもの
その上、炊飯器のメシも美味しく炊けない、実際は3段ステップ
そのくせすぐに結果が出る
メシ屋は論理的かつ科学的なんだよな
メシ屋は現場主義が一番だと言いたい

大学の街京都のさる大学の学部で言い継がれてきたことがある
飯の旨い下宿屋が当たったらそこの娘は絶対貰えと・・!
親の手伝いをしている娘(マドンナ)でなければならない
嗅覚・味覚がきちっとしていることは女の五感が発達していると考えていい(※これは本当なんです)
学生の好きなコロッケやカツが上手く出来れば、下宿屋の娘が一流大学生に一番近い!
本当にそれを果たして大出世した京都の女史がいる、そんな夫ならノーベル賞にも近づける
ノーベル賞は京都だというのはコロッケが美味しかったから?これ本当なんだよ
下宿屋って何、いつの話??そんな昔ばなし教授だって知らない!・・とのお叱りが聞こえる

難しいことではない、商店街の店先で揚げているカツやコロッケ買いに走ったらいい
ついでに近所のおばさん雇って炊飯器で飯を炊きに来てもらったらどうだろうか
美味しいかつ丼やになるよ、メシ屋は自慢できるものだけにしてほしい
すでにコンビニに負けてるよ
特許も、味の試験もないのが料理の世界、料理の世界は工夫と発明の世界だ
名もなきおばちゃんが調理師免許にも負けない料理人であるのがこの世界の特長である
そうかと言って、あの下宿屋の娘みたいなマドンナがアルバイトに来てることはほぼない

学生アルバイトばかりの牛丼屋は美味いものを食わしたろという気がないことが分かった
やっぱりメニューは牛丼だけにしたら・・
牛丼だけなら廃棄処分になった冷凍の横流しカツを食わされる危険は少ないとは思うけれど・・
一方それほどの量を廃棄処分したりするメシ屋こそ、もはやメシ屋稼業ではないと思う
写真はコスモス
鯵庵(9.24)

# by ajiankyoto | 2016-09-24 21:40 | 大衆食堂 | Comments(0)

今宮神社のあぶり餅・血續対根元_b0355451_09164690.jpg

テレビ「鬼平犯科帳」のエンディングにインスピレーションの曲にのせて風鈴売りが歩く江戸の夏のシーン
確かにまともな茶店の作りである
江戸という新しい都は世界有数の大都市、鬼平が活躍するのは松平定信の寛政の改革の時期である
ドラマにも生き生きした江戸文化が表現されている
中央集権国家(武家政治の)の首都として爛熟期(らんじゅくき)を迎えている様のその映像が、京都の街で作られている
さすがの松竹でも東京のスタジオでは〝江戸文化の池波時代劇″が撮れないという
当時の江戸は水の都、その江戸の季節風景は京都にしかないというその矛盾は、京都の街が今でも持っている不思議な力の一つである

ここは今宮神社の参道である、両側には同じような茶店が一軒ずつあって、本家争い?の元祖だ
何しろ平安時代からあるという話だから、茶店と言っても時代劇にもってこいの風情、なかなかのものである
どちらもあぶり餅、一方は「一文字屋和助」1000年〝血續・二十五代″Hさん、

一方は「かざりや」創業400年〝本家・根元″Oさん
血續対根元、ともに言葉と宣伝では一歩も引かぬ勢いが京都らしい
メニューはあぶり餅のみにしてともに一人前500円、定休日はともに水曜日、客引きのために通りの真ん中の石畳みは踏まない、共栄繁盛の見事な調和である
歴史京都らしいと言えばそうかも、どっちの贔屓しようとここまでくれば楽しい本家争いのルーツであるが、2代3代では真似が出来ないはず
喧嘩していればともに終わっていたはず、やはり京都の町人は喧嘩しない?ひょっとしたら、そんな家訓があるのかもしれない
そうでなくってもつぶれることもなく、さりとて大きくもならず、茶店が茶店のまま1000年も続けられたとしたら、善と悪では解けないものがある

「何百年も向かい合わせで店やってて娘も息子もおったやろうに、間違い(恋)の一つもなかったんかいな?」とこんな微妙な関係が何百年もバランスよくは続かんはず、絶対に喧嘩してるはず・・・と素朴な質問を店の人にぶつけた女傑がいる
こんな質問に答える京都人はいない・・今宮神社の信仰が続いたということだろう
ただ、そこまでの歴史があれば、大体権利を振りかざして商売の拡張を図るのがふつうである
現に京都のお茶屋は北野のみたらし団子屋から始まって、遊郭から今は花街上七軒として格式高く?生き残っている
団子や餅を食わすということは相当なサービス精神が必要である、それが水商売である
あぶり餅しかないということがよかったのかもしれないと思う
しかも二軒というのが味噌かもしれない・・と、その女史の論である<
写真はあぶり餅”いちわ”の暖簾
鯵庵(28.9.16)

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# by ajiankyoto | 2016-09-16 07:41 | 大人の恋 | Comments(2)


酒を飲んだことを忘れたらあぶない_b0355451_19343896.jpg
酒を飲むといつも同じ話を繰り返すと言われた
脳の中の海馬(かいば)が司っている短期記憶が働かなくなるらしい
そんな時に限って、前日の晩の記憶がとんでいる
場合によっては記憶を保存していく機能も失われている?
それぐらいのことだけなら、突然に心配することはないかも
しかし、話がかみ合わなくなったり、いつもしていたことをしなくなったり、
相手を傷つけるような気持ちを抑えられなくなったりすることの方が問題だと思う

そこの記憶がないのが怖い
そうなんだ
我儘になる、自分のことだけしか考えない
若い時には気にならなかったエチケットやマナーなど、
歳をとってこそ守るべきものだ
そういう努力が老化防止につながるんだと・・
老化と老人は違うかもしれない
しかし、誰もがいずれ老人社会の老人にならなければならない

尊敬する先輩は脳梗塞で倒れた
今はほぼ普通の生活と会話を出来るけど、昔のことを言ったり書いたりさせんでくれという
脳の海馬がやられたという自覚が怖いらしい
食べるのを忘れてもいい、しかし、食べたことを忘れてはいけない
酒を飲むのを忘れてもいい、しかし、酒を飲んだことを忘れてはいけない
悪いこともせずきちっと退職できた筈だが、自分がどう思って何をしてきたのか?
思い出さなければならないことをきっちり思い出せないと感じたとたん、
公の明るい世界には出られなくなったと言う
制定して50年になる、今になって国や自治体は敬老の日を決めたことが重荷になってきている
世間は50年前の老人のようにこれからの老人を敬うことは出来ないと言う
秋の敬老の日は老人にとってやはり人生の冬の始まりなんだと思う
写真は石仏(元の敬老の日は9月15日だったのに、そのうちになくなる?)
鰺庵(9.15)

# by ajiankyoto | 2016-09-15 07:25 | 翁草 | Comments(0)

JR奈良線のルート


JR奈良線のルート_b0355451_08121835.jpg
JR奈良線の複線化プロジェクトが動き出したようだ
このたびの計画では京都から約20キロ(城陽駅まで)区間の複線化工事にかかる
京都駅から宇治駅まで14.9キロm、狭軌である、それがやっと(平成35年完成予定)複線で運行できるようになるようだ
京都・奈良間には近鉄京都線も走っている、近鉄は標準軌・複線である
近鉄は伊勢志摩まで特急も走っており、奈良までもはるかに便利である
今頃の複線化ではJRは相当に出遅れている
この便利な近鉄電車がJRに勝てないのが二つある
以前記事にした伏見稲荷大社ともう一つ宇治の観光だ
京都観光の二つの大きなスポットに駅がない、ルートの都合である

奈良時代からの東海道・北陸道・山陰道に出るための道はかならずこの宇治の地を通らなければならない
この街道が奈良街道(京街道)であり、JR奈良線がほぼ並行して走っている
宇治市は今の行政区域では京都市の伏見区の南に隣接する
宇治の地は平安時代早くから藤原家や貴族の別荘地
平安時代後期(1052)には関白藤原頼道が平等院を建立する

瀬田川沿いの道で滋賀県大津市にも隣接する
そもそもこの宇治川は近江一国の水を集めた琵琶湖の唯一の出口
山間を浸食して流れてきた川が山城盆地にはじめて出てきたところが宇治である
しかもここより下流は山城湖の名残、道も無き大沼沢巨椋池(おぐらいけ)であった
現在の宇治市の行政区域の西半分は巨椋池と言うことになる
風光明媚ということは水の世界、川と湖の世界

末法思想時代には特に極楽も水があっての世界
平等院は必然的に川と湖の境に設けられたのである
明治になって巨椋池の干拓が進み新しい町が出来ていく
それより先に巨椋池を避けて往古の街道沿いに線路が建設された
奈良線は奈良鉄道会社によって建設され、関西鉄道会社を経て明治40年国有化された
もちろん最初から蒸気機関車の走る鉄道であり、特長は狭軌(1067ミリ)である
ただ、近鉄や京阪と違って日本の鉄道軸(JR)につながっている
写真はコスモス
鯵庵(28.9.14)

# by ajiankyoto | 2016-09-14 08:21 | 都市 | Comments(0)