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大人の恋は他人の関係


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今回は新聞の人生相談記事からです
大人にも恋はあるのかと問われれば?
「思春期の」、とか、「青春時代に」という言葉が前にきたら・・
その時は、恋をしなくなったときが“大人”と言うことになる
だから、大人は恋しない
でも「若いときと同じように」といわれたら・・
特定の異性に対して、自らを好もしく思って欲しいと願う心があるとしたら、
やはりそれは恋と言ってもええやんか

そんなことなら何歳になっても(ある程度)日常的であるはずである
困ったことにそれでは世間に恋だらけになる
あるかないかと言えばあるが、するかしないかと言えば、必ずしもするとは限らない
新聞の人生相談で読んだ話である
”60歳を超えて夫が亡くなって子供も大丈夫だから、昔好きだったけど親に反対されて結婚出来なかった人”を探したいだって・・
回答者の弁、年月は戻したらダメだよ・・新しい友達を作りなさい
回答者優しいね、もっとキツイ目の方が親切だと思うけど・・まあ、小生もそう思う
成長しない恋はダメ、年寄りには年寄りなりの新たな恋なら賛成なんだが・・

大人の恋は、既に恋ではないかも知れない
大人の心情はピュアの状態ではないのが普通である
恋は汚れる、年とって分かることの一つである
好きとは別もん?別の日に回答者が言っていた
「人を愛することが出来ない人にも恋はある、だから恋は怖い」
そんなこと早く言ってよ、若い時に言ってよ
いやそれより若い人に言ってあげてよ
”人を愛することが出来ない人も恋はする”
私は、・・って、私は好もしく思ってくれる人だけが好きである
こんな性根がダメだったのだろうな


金井克子「他人の関係」
作曲川口真
作詞有馬三恵子
♪初めての顔でお互いまたも燃えるの
♪大人同士の恋はいつも自由でいたいわ・・
と結論
同感?改めて聞きたいと思ったら、ネットでどうぞ


写真は持ち手の欠けた醤油甕、今頃恋しても使い道がないって
鯵庵(11.9)

# by ajiankyoto | 2016-11-09 08:07 | 大人の恋 | Comments(0)

数も信仰

数も信仰_b0355451_21360459.jpg
先日かいこ氏とお参りした三十三間堂のこと
軒端間の距離は150メートルある、その中に中央に本尊、1千体の金色の仏が整然と並ぶその様は信心や知識がなくとも確かに心打たれる
後白河院
の時代(1165)に仏師康朝・運慶らが造ったと年表にある
下世話であるが、千手観音は仏師にとっても一番難しい観音様だと言われる
もちろん全て一体ごとの手作りというもので、それぞれお顔の表情も違う訳である
頭の上に10の頭、左右の手は42本、2本は合掌しておりその他はさまざまなものを持っている
40本の手はそれぞれ25本に匹敵するという、しかも、その手の先には全て目がついている
それゆえに三十三間堂では”十一面千手千眼観世音(じゅういちめんせんじゅせんがんかんぜおん)”と言っている

平安期の最後には観音信仰が流行った?数の信仰である
一体でも寺のご本尊になるような仏が1000体もあることがありがたいのである
お顔は11で1000体、それが33の化相を示すと33万、お手は1000本で1000体、100万の目と100万の救いの手がある訳である
地獄の苦悩にあるできるだけ多くの人をなお一人でも多く救うことにあったとするが・・?
今、参拝者は仏が並ぶ前を薄暗い中お堂の中をを一方通行で進む
しかし、三十三間堂の前扉を開き跳ね上げると、東に向いた朝の光が千体の金にあたる構造になっている
後ろの扉を開けると仏に後光がさす、多くの仏が金のシルエットで見える、そういう効果を計算した構造になっているのに気づかされる
後白河院の殿の一角に院の住まいに向いて院のために作られたものなのだ
当時の仏教の世界は極彩色あるいは金ぴか、これでもかこれでもかという数の論理である
権力のあるものほど救われるものだったのだ

その様を想像すると当時の観音信仰の姿が見えるような気がする
ただ、この信仰は強大な権力と強大な情熱と資力を持った発注者と、
無限の能力を持った制作者があった場合に限られる
平安時代末期になって個性的な強力王権を持った帝王が続いた
白河帝であり鳥羽帝である、そして後白河帝である
ここは後白河院の院政の地である
院政の最期の勝者、後白河院が武士の勝者、平清盛を働かせた
が、平家貴族集団を滅ぼした後白河院は、今度は鎌倉の武士政権と戦わざるを得なかった
京都朝廷の王権と院政の終わりの地でもあった
後白河院の御陵もこの地にある
だから遺産なのだろう
鯵庵(11.8)

# by ajiankyoto | 2016-11-08 07:59 | ご利益 | Comments(0)


ドラマに突っ込まないでコマーシャルに突っ込んでもしょうないやろ_b0355451_10133730.jpg
コマーシャルに突っ込むンやったらドラマに突っ込まな
コマーシャルのナンセンスは理解できても
ドラマになったら真面目に見てる
ナンセンスな刑事ドラマばかりになった
そんな草分けのドラマ
役作りなど何の関係もないような刑事ドラマが
家内が好きで昼からと夜と2回も見る日もある
1時間番組がスペシャルになったら
2時間喋りまくってる
チェスの上手いそんな刑事おるかな
「僕にはそう思えてならないのですが・・」
現実だったら辟易する
男のしゃべりはやはりみっともない
わたしゃその間にブログの下書きする
これもその一つだ
テレビに浸ってしまったら老化が早くなるような気がする
皆さんご注意ください
全編個人の感想です
鯵庵(11.5)

# by ajiankyoto | 2016-11-05 07:26 | テレビ | Comments(0)

住職は何をすればいい?

住職は何をすればいい?_b0355451_08330109.jpg
お寺には住職やその家族がいる
大きなお寺になれば僧職にも階層があるし、職員もいる
その職員の中でも様々な雑用を行うものを寺男と言う
戒律が厳しいところでは多くの雑用を修行としてやる場合もあり得る
歴史的には平安時代の僧兵も僧ではなく寺男だという

封建制度の身分制度の時代であれば明確に下男・下女の身分である
現代のお寺であれば拝観の受付や庭の手入れや掃除などのや事務がある
墓地があれば墓地の清掃などもその業務である、雑務に従事する
宗教心が必要な訳ではないが、宗教心がないというのは違う気がする
名のある庭園も数ある花の寺も実は仏の心なのである
花を育てるというのは仏の道なのである
お寺がそれを忘れかけているだけである
ひょとしたら本堂なみに仏に近い場所なのかもしれない

ケチなところでは檀家に奉仕させることを当たり前としている
檀家に植木屋でもおればそれは助かるが、商売でやっている人はただではやらない
そんな庭仕事をまとめて造園業者や派遣業者に頼っている
それでもそんなことできるのは観光寺院だけである
多くはそんな面倒をやめて全部駐車場にするところもある
無粋な看板の中に土塀すら邪魔にするほど車が止まっている佛のいない敷地空間が増えている
檀家もなくかつ布教などに携わったことのない宗教関係者がたくさんいるのが京都である
なまじっか本山の大学を出て世間と交わってるものだからすっかりミーハーである

観光寺は宝物殿で学芸員にご本尊の守をさせたりしている
ならば同じように花の世話は寺男にさせればいい
住職は何をすればいいって・・
そら家族を大事に幸せに暮らせばいい
そのためにお寺を継いだのだから
せめて花一杯の寺にするのもいい方法だと思うのだが
鯵庵(11.3)

# by ajiankyoto | 2016-11-03 07:39 | ご利益 | Comments(0)

法然上人を琵琶で語る佳人_b0355451_20494173.jpg
11月に入って恒例の「秋の古本まつり」に行って来た
10月の末から文化の日まで一週間近く百万遍の百万遍知恩寺境内で行われている
目的は1冊500円程度の古本であるが、今日はたまたまお寺の人の誘いで大殿に上がらせてもらったわけである
それで、浄土宗の声明(しょうみょう)と薩摩琵琶を聞かせてもらった

百万遍とは念仏を百万遍唱えるという意であるがお寺の名でもある
京都大学の工学部と今出川通りを挟んだ向かい側になる
法然は浄土宗の宗祖、その法然が最初に始めた寺の伝統をとって知恩寺と言う
知恩とはそのまま恩を知るということである、教団の本山知恩院と同じ意味である
琵琶はというと・・若き薩摩琵琶の奏者北原香菜子さんが作った「法然上人御一代記」を自ら語ったものである
北原さんは九州佐賀の生まれ、2011年法然上人の800年忌の頃からこの琵琶を奉納している

法然上人は讃岐から帰ってその数か月後に京都東山大谷の地で没した
法然はまた浄土真宗親鸞の師でもある
それぞれ既成宗教組織の迫害で流された
歴史は奥深いものであるが基本は政治や権力の推移をなぞったものである
800年も前の人たちであるが、その中で有数の聖人が宗教人として残っている
法然や親鸞という人は釈迦やキリストのように、その人の存在が宗教的意味を持つ

「南無阿弥陀仏」と声を出して称えるという行為の意味は未だ色あせていない
それ以外に往生しようがないのである
法然上人が熊谷次郎直実に説くその一言を琵琶で語るのが女史である
北原香菜子さんは京都の由緒のあるお寺のお堂で見てもなお美人である
目をつむって聞くのはもったいないと思う
楽器琵琶は100年を超える桑の木で作られるという、しかも弦は蚕の糸絹糸である
京都の酒月桂冠のワンカップを琵琶や木々の精に供える人でもある
琵琶に巡り合ったことがよかったと祝福できる人である
鯵庵(11.2)



# by ajiankyoto | 2016-11-02 07:12 | 往生 | Comments(0)