人気ブログランキング | 話題のタグを見る

中秋の名月(2016)

中秋の名月(2016)_b0355451_20341765.jpg
今年の中秋の名月は9月15日である
旧暦では7月・8月・9月を秋と、8月15日を中秋とした
月の周期は平均29.53・・日である、もちろん整数ではない
月の初めは朔日(ついたち)である
新月である、その日に月齢0を含む日である
それから14日たったのが15日であるが・・
正しくは14.76日で満ちるわけであり、0.76日分は遅れることになる
その上、月の軌道は正しい円ではないためになおずれることもある

今年の9月1日の月齢は29.7(その日のうちに0になる)、2日は0.7で、15日中秋の名月は13.7となる
16日は14.7で17日は15.7である
月齢とは月齢0(黄経差0度)の瞬間からその日正午までの日数を月齢と言っている
満月は月と太陽の関係(黄経の差が180度)で決まる、その時に日本から月が見えるとは限らない
今年は満月は17日ということになって、満月が中秋の名月から2日遅れてやってくると言うことだが・・実際はそんなこと気にしなくとも遜色はない
そのころはどうせ昼間は月は地球の反対側にあるのだから・・
中秋の名月とは、秋分を含む月(旧暦)の15日(旧暦)に出る月のことである
秋分は9月の22.23.24日のいずれかであるから、その計算で行くと早ければ新暦(太陽暦)の9月7日から遅ければ10月8日の間にくる
秋分の日が旧暦の1日になるか30日になるかで幅は決まる
今年の秋分は9月22日で旧暦8月22日に当たるので旧暦8月の15日がそのまま9月15日となった訳である

地球にとって月は無くてはならぬものである
同じ満月でもこの頃の月の角度と高さが月見にはいいのだろう
あの大きさと明るさに感じるところは多いが、月の引力が人間に影響を及ぼすほどのものではない
しかし、女性には月の引力がまか不思議に働くと信じている人も多い
同じ日でも地球の裏側で見た月より膨らんでくる
そう思えば月の姿は神秘的で、日本全国離れても同じ姿を見れることがロマンチックなのである

旧暦は基本的に月の満ち欠け(月齢)を基本として組み立てられたのもである
ロマンティストには悪いけどついでだから言うが中秋の名月の日は必ず「仏滅」である
何故かって旧暦の8月は前日に関わらず「友引」から始まると決めているのが六曜である
16日は「大安」である、ただ順番に回ってくるだけである
だから旧暦で暮らしていると六曜というのは固定的で神秘性が何もない
明治に暦が太陽暦に変わった時からズレを楽しむために流行り出したものなのだ
主役でなくなった月にあやかろうとしているようなところがある
六曜は単にそういものだということも・・
時に斜め目線の悪態が趣味である小生としては言っとかないといけないと思って言うときます
写真はヒガンバナ
鯵庵(9.13)

# by ajiankyoto | 2016-09-13 09:52 | | Comments(4)

「システムの復元」は魔法の論理_b0355451_22051143.jpg
大阪の友人の悩みの相談を受けている
何かと言えばさる7月に彼のパソコンが10(ウィンドーズ10)に勝手にアップグレードしてしまったことだ
10は究極のプログラムらしいが、果たしてどうだろうか、急ぎすぎてアップグレードは混乱の課題が残されているのではないか
①遅くなった②起動しない③DVDドライブが使えない④ソフトが動かない
などなど知る人は知るであるが、誰でも何かの不具合が生じている
どうも他のものをほったらかしでOSだけが独走してるように思う
相性が大事だと思う
その辺りの不満は「ウィンドーズ10は試供品か」という題で遠慮なくブログにも書いた
(「ウインドーズ10は試供品なのか?」はここをクリック)

1万円近く払ったウィルスソフトがアップグレードに対抗しなかったのはウィルスソフトの限界を感じさせられた?
が、無償アップグレードのキャンペーンが終わってもはや1か月以上になる
小生のパソコンも勝手に動き出して10にアップしたが、今はこの際10に慣れる方を選んだ方がいいのではないかと思って10のままにしている
知識のある人はすぐに自分で戻すことも出来た筈
業者に頼んで解決してもらった人もいるが、日にちと費用がかかりすぎる
彼(老人仲間)の場合も以前のメールソフトが機能しなくてずっと困っていた
が、困ったことに、その時彼の場合はもう一つ冠動脈にステントを入れる入院が重なっていた
我ら初期老人もパソコンなくしては一日も暮らせないようになっている
ストレスはある程度慣れているつもりだが今回は心臓に響く
7月下旬、彼は買い替える決心をしたうえで阪大病院に入院した
もちろん暫くステント手術を終えて無事帰ってきたのである
すぐに彼は量販店へ行って、滑り込みでウィンドーズ8.1のパソコンを購入した
も一度やり直しであるが、ステントともども快調であると言ってきた

8.1から10にグレードアップした小生のウインドーズは「システムの復元」が出来ない
10から8.1に買い替えた彼のウィンドーズは「システムの復元」が今までと同じように容易にできる
3年はこれで行く、そのころには間違いなく10も大人になっているだろう
それから10に入れ替えると言う
ステント手術を乗り越えて経験が一つ増えたのだろう
OSのバージョンアップというのはなんだろう?簡単になるのと逆に難しくなっていく、小生にはそんな思いだけが残った

人生は時と一緒に流れている
もちろん元へ戻ることはできない
過去の好きな時点に戻すことが人間にも出来るなら失敗のない人生を歩めそうだ
しかし、それは悪魔の論理だ
人間には悪魔の論理であるが、コンピューターにとっては魔法の論理である、それがウィンドーズが持っている「システムの復元」というプログラムなのだ
コンピューターの進化の中でこのシステムを考えて組み込んでくれているウインドーズさんは偉いと思う、だが少なくとも彼は老人にはあまり優しくないということが良く分かった
※「システムの復元」についての説明は省略しております、そのため分かりにくいことをお許しください
写真は「元に戻れない」
鯵庵(9.3)


# by ajiankyoto | 2016-09-03 09:50 | 翁草 | Comments(2)

通知簿はいやだ

通知簿はいやだ_b0355451_21011797.jpg
小生の時の小学校の通知簿は5段階評価だった
1クラスに50人(本当は60人だった)だったから、最高の5を貰えるものは3人くらいだった、4は12~13人くらい、3は20人で残りの15~16人が2の評価だった
教育的お情けで登校拒否しない限り1は2にしてくれていた
それでも相対評価である
3だったら親に怒られることはなかったが、4をもらえたら褒められた
4が複数あれば明らかに平均より上にいることの証明になった
音楽と体育はいつも2だったけど、それは別だった
ただ、先生のコメントに落ち着きがないとか、〝ちょか(?)″とか書かれた
明朗とか活気があるという明るい言葉はなかった
それでせっかくの複数個の4を上手く打ち消していた
社会へ出て社員5人おればそのうち仕事しているのは1人であることに気づいた
あとの3人はその1人に引っ張られて仕事している
それでも、最後の1人は仕事はしない
この1人に邪魔をさせないようにさえすればチームは仕事をしていることになる
これが現実だと

サラリーマン生活の最後の頃人事評価が流行った
会社での評価もA・B・C・D・Eの5段階だった
絶対評価だったから最初はD・Eをつけなかった
評価者自身も評価されるのが怖かったこともある
やがてそれが昔の小学校のように相対評価でなければならないと言われだした
評価制度のメリハリが必要になってきたわけである
どうしても一定の割合でD・E評価を指定せよという
小学校の時と違うのはEは落第(整理対象)なのだ
しかも本人に告知せよという

AやBは好き嫌いで選んだ、そのかわり誰にもEをつけなかった
それでもDの人からはちゃんと見てくれていないという不信感ばかりだった
上からも下からも評価をちゃんとしない管理職として評価された
C評価の上司がC評価をくれたら世間がC評価をくれたようなものだ
仕事をしたいサラリーマンにとっては、それが一番の安堵だ
逆にE評価の上司がEをつけた部下はひょっとしたらまれにみる逸材ではないだろうか?
例え本当に仕事をしているのは5人に1人であってもチームと言うのは全員が仕事をしているという錯覚で成り立っているのだ
毎年こね返されているのが評価制度だ
会社にとって要らないと言うなら、そんなめんどくさいことせんでも社長が一人で決めればいい
理由は規則違反でいい
自分のつけを自分で払えるのは会社では社長だけである

NHKのど自慢はスタート時から絶対評価である
3段階評価なのにカネ1つはもう何年も出さない
カネ1つでもいいかと言えば出てくれる人がなくなってしまったとも言える?
評価制度の行きつく先が見えたような話である
写真はニラの花
鯵庵(28.9.2)
「サラリーマンあれやこれや」はここをクリック


# by ajiankyoto | 2016-09-02 07:46 | おとこ編 | Comments(0)

ガイドブックのチエックをしてるみたいです_b0355451_20421017.jpg
パンフレットには鹿苑寺(金閣寺)の舎利殿・金閣を英訳して〝ゴールデンパビリオン”と書いてある
パンフレットの説明では、「金閣は舎利殿である」とあるが、本来、「舎利殿が金閣と呼ばれている」である
どちらでもいいのだが、日本人の英訳であることは間違いない
日本語のガイドブックだって同じこと、既成のパンフレットをそのまま写した様な直訳方式が得意だ

ガイドというのは入り口を間違えないようにしてやることが大事
書き手の勉強不足が大きい
一方、ガイドブックに文句を言うのは分かるけど、ガイドブックと違うと言って苦情を受けることもあるとか・・
「旅行者の求めているものがガイドブックです」というのが出版社の答え
ごもっともな話だと思う

ならばこちらも・・
寺や店から見ればガイドブックは一番の広告であるのは事実
観光情報というものは作られたもの、すべて個別の意思と意図を持ったものと知るべきである
インターネットの世界と同じである、せっせと口コミを書いてもらわなければならない
ほとんど自分で書いているらしいが、その時、やはり必要なのは確からしさ
眉唾(まゆつば)では困る〝確からしさ″というのは観光客の心理を分かった上での正に文芸の世界である
情報は知識となるうるが、情報を選ぶのもが知識であると思う

客のほとんどが仏の教えを聞きに来たわけでもなく、本の写真と同じやと感心されてばかりでは、結局旅行者も京都を学べないし、京都の人も旅人に触れられない
世界中、日本全国同じことです
アジアのさる国からきたお客さんを金閣寺に案内したことがある
相手は既に世界遺産のガイドブックで見た金閣寺を見たかったのだ
禅の心は分からないし説明する力もなかった
しきりに金箔を貼った建物をほめていた
お客さんは英語が少しわかる、通訳はパンフレットの英訳を読み上げていた
ちょこっと意地悪に、「60年前に再建されたもので私より若い」と通訳に言うと、それはパンフレットには書いてないと通訳しなかった
結局、旅行者はガイドブックの書き手のチエックをしているようなものなのである
写真はキツネノカミソリ(園芸種)
鯵庵(9.1)

# by ajiankyoto | 2016-09-01 07:30 | 翁草 | Comments(0)

京都で生きる

京都で生きる_b0355451_21255481.jpg
「自分で決めた規範なりを自分が最後まで守ることは難しいことだと思う。だから別れた後は人より自分を見てます・・」、と言うMさんがブログを始めた
読者の一人になってくれとメールが届いた
自分の昔の苦労を枯れた口調で語れるようになればこその話である
でも言いたいことがある、と言っていた
「家庭人にだって家族・家庭として、男と女にもマナーがある。悪意の多くは本人が気付いてないものだし、意図して隠しおおせばそれを裁いてくれるところはない。」という。
離婚に踏み切った時の気持ちの一端を書いている
恨みではない悔しさだと言っている
一部ブログの本文を引用させてもらった

東京で結婚して暫く大阪で暮らしていたらしい、それが離婚を期に覚悟を決めて京都で仕事を見つけた
落花は枝に還ることはない
東京にも帰らず、娘さんと一緒に京都で暮らし始めた
覚悟した仕事ぶりでそれから数年で大きなレストランのお昼のマネージャを任されるようになった
東京育ちの奥さんだったのも分らないくらいに仕事にも馴染んでいる
京都人に負けない京都人になってしまった
京都人になろうと思ったら思い切れたと言う、不思議な力を持った人だ
もう一つ魅力がある、きれいな標準語なのに周りの誰も気づかない
教養の都で培った教養は腐らない?標準語になり損ねた京都の言葉も本当はそうだったのだろうな
あんなにドスの効いた"・・どす”なんて言葉は東京の嫌みなドラマでしか出てこない
都であった頃はそんな香り高い人を育てていた町だったんだろうと思った
マナーに反することも許さなければならないこともある世間ではあるが、自分はマナーを守りたい・・そんな人の書く日常生活のブログもいいよな
京都の女(ひと)というのは京都の人のために京都で働いて京都で生きて行こうと決めた人のことである
それが都市としての京都の先進性であるというのが小生の論である
ブログのアドレスが違うが何回も「イイネ」の世界である
それにしてもどこのブログもイイネ一つ何でこんな難しいねん
写真は達磨
鯵庵(8.27)



# by ajiankyoto | 2016-08-27 07:11 | おなご編 | Comments(0)