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最低賃金は都市のレッテル?_b0355451_09301611.jpg
人間と言うのは本来怠け者である
これに仕事をさせるとすれば金で釣るのが一番だ
これも正しいと思う
加えて、多少の能力の差など言ってみても仕方がない、押しなべて時間給で働いてもらおうというのがパートタイマーである
仕事と言うのはいつか習熟できるし、その人の持っている味が出るのだからそれはその時考慮してやればいい、払う賃金は安いにこしたことはない?というのが最低賃金だ
パートの職探ししていた時の実感だ

28年度、最低賃金が改定された
みんなで大声出して少しは上げようという雰囲気はあったけど
結局東京・愛知・大阪など(Aランクというらしい)25円
滋賀・京都・兵庫など(Bランク)24円
奈良・和歌山など(Cランク)22円
Ⅾランクは21円、上げ幅が先に決まって
時間給、全国(加重)平均798円から823円に25円の上げにとどまった
それでも3%も上がったともいう
滋賀県は788円・京都府は831円・大阪府は883円・兵庫県は819円で
大阪と兵庫の差は64円、神崎川をまたいで8%近くの差があることになる
大阪と京都も同じようなもの、京都と滋賀も同じようなもの、奈良県や和歌山県はそもそも浮かばれない

こんなところに意識もしない府県の壁が・・
この差が全ての差を代表していることにこの頃気がついた
神戸・大阪・京都は三都物語だとキャッチフェーズにされたこともある
神戸~大津まで新快速で1時間で行ける、その間で消費税率を超える差があるのは不思議である
小生京都から大阪に出勤していたけど、稼ぐのは大阪だと改めて思った
”大阪は稼ぐところ暮らすのは京都”は、期せずして理にかなっていたことにもなる
しかしそれでは、大阪の人が神戸や京都に働きに来ていたのでは暮らしは消費税の倍ほどのマイナスになる
サラリーマンの水準が違うのだろうか?
それなら同じように成長していったって結局は格差は広がっていく
繁華街のにぎやかさの差だけならいいけれど、暮らしの安全の差でもあるような気がする
為替レート並みに都市の間にも、なんか円高・円安を言ってるようなことと同じことが一杯あるような気がしたきた

写真は兼松のマッチ、マッチがマッチ製造から撤退、全国9割が兵庫県、製造は淡路市から姫路市へ移る
鯵庵(28.10.10)

# by ajiankyoto | 2016-10-10 06:39 | ハロー・ワーク | Comments(0)

今でも錯覚していることがある
実は、カラー写真はカラー専用のカメラで写すものだと言うことである
なんのことかわからない読者の方もおられるだろう
カラーフィルムを使うためにはカラー用のカメラを買わなければならないと思っていたことである
もちろん誤解である

今思えばおかしな話だけど・・、当時、カラー専用レンズなどと言ってしきりに宣伝していたからだ
かって映画は“総天然色”(初めから終りまでカラーだという意味)をうたっていたし、
雑誌のカラーグラビアは珍しく、全て有名女優をモデルの有名写真家の高価な作品であった
カメラについて言えば、カラー写真用の“レンズの切れ”が必要だと言ってたような気がする
白黒ではバレないけど、カラーになったらその切れの悪さが色調に出てくるというような意味だったんだろうか?
ある意味カラーフィルムやレンズの性能が格段に上がる時期だったのかもしれない
今でも錯覚が続いている/鵜の目鷹の目_b0355451_07433762.jpg
今日テレビを見ているあなたが、テレビはこれほど綺麗なものと“錯覚”してるのと同じことである
少し遡ればカラーだってブラウン管で十分に滲んでいたのをほとんどの人が知っている
デジタル放送も慣れたけど、時代が少し以前に戻ればすべて錯覚である
もっと遡れば・・
テレビのカラーはカラーの放送があってなおカラーテレビを買わなければ見られなかったのだから、
しかも、テレビはカラー用のカメラでなかったらカラー放送はなかったはず
カラーフイルムだけではカラーにならない、カメラもそんなものと思っていたのは無理もない・・??

白黒というのは光の明るさ強さのみに感応している不完全品なのだ
人間の目は、ピントも絞りも自動だが、なおその上に明るさも色彩も同時に感じられる
白黒の目を持つ人はいない
写真が単に記録するだけではなく、趣味の王様になれたのはこの不自然な不完全な白黒ゆえだったのだ
そう光の芸術なのだ
今となっては白黒だったことが錯覚だったのだろう
白黒で説得力のある写真はもう昔の写真でしか見られなくなったと思ってることが錯覚なのだろうか?
時代だけが教えてくれているのかもしれない
木村伊兵衛展に行ってきたのだ
鯵庵(10.8)




# by ajiankyoto | 2016-10-08 17:55 | 写真 | Comments(0)

明美はアケビの化身か

明美はアケビの化身か_b0355451_19370518.jpg
野生ではないが自然のアケビが手に入った
田舎で自生のアケビが結実していたのを見つけた
厳密にいうと樹木等は土地に付属するというから本来持ち主がいるということになる
アケビは蔓で巻きつく植物であるので土地の境界を越えることもある
そんな難しい言い訳をしなくとも問題がない小生の家内の里の話

小生としては種を食いながら種を残して垣根みたいなところに撒いておこうと思っている
アケビの新芽が山菜並みに味わえるということを聞いてから俄然その気になってきた
地方によればアケビの新芽はズバリ「木の芽」というらしい
まだ先のことですがレシピを教えてください

ムベ(郁子)は身が開かないけど、アケビは身が開く
開く実、あけみ(開実)が転訛してアケビになったという話もある
開実がまた転訛して明美になったというのが小生の理論
実が開くということは男にとって嬉しいことだ
「アザミ嬢のグッドバイ」で兎我野町のママの名前が「明美」だったと言った
源氏名で「明美」というのはママになれる名前なのだ?
写真はアケビ
鯵庵(9.7)


# by ajiankyoto | 2016-10-07 07:00 | 大人の恋 | Comments(1)

名水桃の井/京都の酒

名水桃の井/京都の酒_b0355451_10015664.jpg


堺町通り二条上るの堀野記念館の続きである
キンシ正宗のキンシとは金鵄勲章の金鵄である
酒屋は名前にこだわるが名前が酒の味を保証するものではない、が、
水は間違いなく酒造りを左右する
この庭には名水〝桃の井″(硬度30度以下、水温16度)といわれる井戸が残されている
今も酒造りに適した水である
酒造りに適した水と言ったって特別な水ではない
この辺りでは隣の家も路地の住民も井戸さえ掘れば桃の井と同じ水を生活に使っていた筈
都の生活は井戸で保たれていた筈だ、名水と言われながら保護が出来てなく枯れかけているのは逆だと思う
都市の名水とは〝ふんだんにありふれた、それでいて安全な水″のことを言うべきものだと思う
丁度ご近所の奥さんが汲みに来られていたが、ペットボトル1~2本なら家族のための美味しいティーに変わるのだろう
ここは友の会を作っている、そうすれば守る気が起こるというもの・・、だからこそ守る必要があるのだと思う

京都の造り酒屋の起源は洛中、特にこの二条の付近にあったとの話である
キンシ正宗も明治の中ごろに伏見に移転した
たまたまここは本家の家屋が残っていて記念館にすることが出来た
今は、桃の井の水を使って地ビールを作っている

キンシ正宗に限らず洛中にルーツを持つ酒蔵も多い
京都の組合の資料によると、組合の最初明治19年には組合員の酒造家は上京と下京で165軒、伏見よりはるかに多かった、と言うことだか、市内での酒造りはこの頃を潮目に伏見に移っていく
実は江戸にかけて伏見の酒造業は極めて低迷するが、鉄道の発達により逆に伏見の酒造業が盛り返す時期でもあった
それで、今はというとなんと市内(洛中)ではたった2軒になってしまったということだ
佐々木蔵之介の、「聚楽第」の佐々木酒造もブログを始めた
洛中最古、「富士千歳」の松井酒造の元気美人若女将の蔵元便りも面白い
また機会があればこの2軒の探訪記も書けたらと思ってるのだが・・
写真は金鵄
鯵庵(9.5)


# by ajiankyoto | 2016-10-05 08:20 | 京都の水 | Comments(0)

言葉が考えてます

この頃500キロも先の東京問題を毎日テレビで見ている
コメンテーターもあらかじめ各局のニュースワイドを見ておく必要がある
新知事は概ね高得点をとっている、が満点はもらえないみたいだ
それは一般人が知らない横文字が多いことが一つある
こういうのを下世話に玉にキズ、という
首都の知事ってほとんどが地方人なんだが、さりとて今回も地方訛りが強いわけではないのだからそのことはいいよ
いいんだよ
言葉が考えてます_b0355451_08440562.jpg
人は頭でものを考えるのだが、それは言葉で考えることなんだ
自分の持っている言葉でしか考えられないということ
我ら近畿の人間は京都弁や大阪弁などなど、いわゆる関西弁でものを考えている
言葉に似合った考え方をしているという
どうしても関東地方の人と考え方に国境があるのは(?)その所為だ
言葉を直そうとしないのもそれゆえだと思う

東京のことをこんなところで云々するつもりはない、のだがと言いながら言う
横文字が出てくるのは私の考え方は横文字です、と言ってることになる
ビジネス英語の講師なら尊敬してもらえることもあるだろうが、庶民的な目線を強調するには不利である
東京では東京の言葉を使って初めて仲間として認められる
極端な例、訛りが取れないと落語家はあきらめなければならないと聞いた
東京の庶民は東京の言葉が自然に出るようになった人の集まりなのだ
せっかく長年かかって東京人の代表になれたのに、跳びすぎて横文字を多用すると庶民はついていけない?
官僚語でものを考える部下たちを引っ張って、市場を超えてオリンピックまで行くための戦略かもしれない、が失敗しなければいいのだが・・・
先に東京語を覚えた元々の反対者がまた意固地になる時期も来るかもしれない
「元々兵庫○区あたりから東京に鞍替えして来た人、生れも芦屋だ、大阪の隣、東京人でない、代議士の一人ならともかく・・だから、東京人の代表には・・」
なんて、少し歴史を引き戻してやろうという温かい気持ちになるマスコミも想定できる

ものを考えるために言葉が出来てきた
だから言葉が違えば正直に伝わらない
だから言葉を学ぶことによって自分の考えを深めてきた
だから言葉でものを考えるというのは自然なことである
新しい考え方は新しい言葉を作って行くのだが・・
この場合にも言えるかどうか
ニュースワイドを見ながらそっちが気にかかる
そう思うことが関西弁の考え方かもしれないなら、それこそ”京都の余計なお世話”でした
写真は「たった一人の反乱」(昭和47年・1972)の表紙
鯵庵(28.9.4)

# by ajiankyoto | 2016-10-04 07:28 | 翁草 | Comments(0)