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言葉が考えてます

この頃500キロも先の東京問題を毎日テレビで見ている
コメンテーターもあらかじめ各局のニュースワイドを見ておく必要がある
新知事は概ね高得点をとっている、が満点はもらえないみたいだ
それは一般人が知らない横文字が多いことが一つある
こういうのを下世話に玉にキズ、という
首都の知事ってほとんどが地方人なんだが、さりとて今回も地方訛りが強いわけではないのだからそのことはいいよ
いいんだよ
言葉が考えてます_b0355451_08440562.jpg
人は頭でものを考えるのだが、それは言葉で考えることなんだ
自分の持っている言葉でしか考えられないということ
我ら近畿の人間は京都弁や大阪弁などなど、いわゆる関西弁でものを考えている
言葉に似合った考え方をしているという
どうしても関東地方の人と考え方に国境があるのは(?)その所為だ
言葉を直そうとしないのもそれゆえだと思う

東京のことをこんなところで云々するつもりはない、のだがと言いながら言う
横文字が出てくるのは私の考え方は横文字です、と言ってることになる
ビジネス英語の講師なら尊敬してもらえることもあるだろうが、庶民的な目線を強調するには不利である
東京では東京の言葉を使って初めて仲間として認められる
極端な例、訛りが取れないと落語家はあきらめなければならないと聞いた
東京の庶民は東京の言葉が自然に出るようになった人の集まりなのだ
せっかく長年かかって東京人の代表になれたのに、跳びすぎて横文字を多用すると庶民はついていけない?
官僚語でものを考える部下たちを引っ張って、市場を超えてオリンピックまで行くための戦略かもしれない、が失敗しなければいいのだが・・・
先に東京語を覚えた元々の反対者がまた意固地になる時期も来るかもしれない
「元々兵庫○区あたりから東京に鞍替えして来た人、生れも芦屋だ、大阪の隣、東京人でない、代議士の一人ならともかく・・だから、東京人の代表には・・」
なんて、少し歴史を引き戻してやろうという温かい気持ちになるマスコミも想定できる

ものを考えるために言葉が出来てきた
だから言葉が違えば正直に伝わらない
だから言葉を学ぶことによって自分の考えを深めてきた
だから言葉でものを考えるというのは自然なことである
新しい考え方は新しい言葉を作って行くのだが・・
この場合にも言えるかどうか
ニュースワイドを見ながらそっちが気にかかる
そう思うことが関西弁の考え方かもしれないなら、それこそ”京都の余計なお世話”でした
写真は「たった一人の反乱」(昭和47年・1972)の表紙
鯵庵(28.9.4)

# by ajiankyoto | 2016-10-04 07:28 | 翁草 | Comments(0)

男の性根は母譲り

男の性根は母譲り_b0355451_20071099.jpg
「女紋を持った女たち」で母が嫁ぐときに祖母から譲られたという話を書いた
しかし、今思えば違うような気がする
きっと当地の女学校に通っていた母の思い付きであるような気がする
母の里はそんな由緒の家ではない
でも思い付きであってもそれは当時大陸に行こうと決めた母の気位だろう
女一人で支那や満州に行くということは、それを距離を数十倍する根性と気位が必要だ
真っ白いワンピースにきちっとベルトを締めた当時(18才)の母の写真を見たら
女紋の三つぐらいあっても何のことがないという気がしてくる
凛(りん)としたという言葉の通りである

戦争に敗ける寸前に、満州から夫になる人の家に帰ってきた
我が京都もまだ田園であった
支那で約束した夫が帰ってくるまで、戦争が終わってさえ2年もかかった
誰も知らない他所(よそ)でどこにいるか分からない夫を待ったという
そして、その後生まれた小生を育てるために母として肥桶を担ぎ・・である
その頃、京都の町の半分以上が肥桶の町だったと知ってるだろうか

男の役割は家を守ることだとしても、本当に家を守っているのは女ではないだろうか
いずれにしろその家に気位があるとすればそれはそこの女の持っている気位であるのは間違いがない
小生だけではない戦争後に生まれた団塊世代のスタートは地べたであったのである
女紋は母から娘へ引き継いでいくものと書いた
女紋は形である、形は信仰である
それでもそれしかないときには生きている証になる
男も女も父から命をもらい母から心をもらう
男の性根はほぼ母親から継いでいるのである
もう一度言う・・その家の気位があるとすればそれはそこの女の持っている気位である

気位の証が女紋だ
母が肥桶を担いでいた70年前も今も日本の女が続いていると思える人にはそのことがわかる
写真は赤とんぼ
鯵庵(28.10.1)



# by ajiankyoto | 2016-10-01 08:32 | おなご編 | Comments(5)

オリンパスの最後の名機

小生のオリンパスのカメラがついに壊れた
オリンパスの名誉のために言っておくが小生がコンクリートの土間に落とした、それでフイルムの巻き戻し上げが出来なくなった
直らないこともないが、どこかぞんざいに扱っていた自分に気づき戒めとする
デジタルではない、オリンパス最初(で最後)の名機OM-1なのだ、もう40年になる
一眼レフは面倒だったが、面倒ついでに完全にマニュアルでなければならない
それからのカメラの推移を見てもそれは言える
カメラもレンズもマニュアルの名機だけが今も生きている
フィルムも進歩もしたけれど、結局ポジフィルムに限られた
写真にメリハリが出るが、それだけの慎重さは今のデジカメで味あえない緊張感がある
何台かカメラが増えてからは、OM-1は90㎜マクロレンズをつけて愛用してきた
花一つ、地面に寝て息を止めてシャッターを押すのも写真技術の一つだ
が、それだけで上手く取れるものではない

オリンパスの最後の名機_b0355451_07581882.jpg

カメラ会社があれから沢山潰れた
オリンパスも堅実な会社だと思われていたが数年前に不祥事で揺らいだ
カメラ業界は高級デジタル一眼レフ戦線で今しのぎを削っている
カメラが変わってきているのではない、写真が変わってきているのである
OM-1のように男でも女でも、20代にも60代にも大人にこそ似合う・・そんなカメラを作れる会社はない
これから先、二度と40年・50年も使えるカメラが出てくることはないだろう

写真は活躍していた頃のOM-1、花はヒガンバナ
「鵜の目/鵜の目鷹の目」はここをクリック

「鷹の目/鵜の目鷹の目」はここをクリック

鯵庵(9.27)


# by ajiankyoto | 2016-09-27 08:15 | 写真 | Comments(2)

楽園が沈む(五条楽園は休業中?⑵)_b0355451_07495304.jpg
五条楽園(五条橋下・七条新地)のことを以前に少し書いた
秀吉の時代から続いてきた遊所だったのだが・・
何んと平成22年売春防止法違反で京都府警に主だったお茶屋の経営者が逮捕摘発された
それ以来、ネオンも外して一斉休業のままである
当時大きなお茶屋だけでも十数軒あった、町の人が消え火が消えた
高瀬川も、明らかに二条から五条までの姿とは違う
五条から南、過去の遊所を流れる高瀬川は同じ歴史を持ちながら五条通を境にごろっと変わる
ここは源氏物語の光源氏のモデルだとされる嵯峨源氏の源融(みなもとのとおる)の広大な屋敷河原院の跡である
それでもあれほど観光に手を尽くす京都市の手も入らない

京都の遊郭は明治になって島原が衰退し、売春防止法で五番街が廃業した
時代の中で残った遊所が京都の五花街として芸妓の伝統と京都観光も支えている
だがしかし五条楽園はスマートに変身した五花街にない大正・昭和のロマンを感じさせる遊所独特の建物が今まだ残っている
風呂屋も商店もある、マンションもあれば旅館の営業をしているところもあるし、サラリーマン家庭もあるしもちろん学校に通うこどもたちもいるのは当然である
大きなお茶屋だったところの二階の簾(すだれ)も傷んだままになっているのを除けば一般の住宅街と変わらない

ただ、街そのものは活気もなく閉鎖的な地域として沈んでしまっている
遊郭はずっと職住近接・職住一体の町だったのである
小生風に言えば、職住一体の職をとってしまって住だけになったら暮らしも成り立たないということである
正面通にあった山内任天堂は世界的企業になったが今は十条通りに本社を構えている
五条楽園の歌舞練場だった五条会館は大勢の人が集まることは今となっては消防も許してくれないだろう
五条通近くにあったラーメン屋は今もやっているだろうか
経済活動のない街になってしまうのだろうか
もちろん放蕩や浪費は美徳ではないけれど・・
有形文化財に指定して保存なんてことは所詮他人事だ
お茶屋の建物もそのままだけど、いずれ朽ちていくのを待つだけでは辛い

景観と活性化は二つのキーワードだろう
京都のある大学のチームは真剣になって調査している
生活保護所帯の割合が市内の他の地区に比べて著しく高いということを指摘している
五条楽園は五条楽園でなければ生きていけない街だったのだろうか
休業のままではイメージの改善は難しい
未だ市役所もそれからのビジョンを示すことが出来ない
京都のど真ん中京都駅からすぐの街である
隣の四条河原町や宮川町や祇園は京都一の観光地である
五条楽園だけが過去の罪を背負されたのだろうかと思ってしまう
写真は窓
鰺庵(9.26)

# by ajiankyoto | 2016-09-26 07:53 | 正面通 | Comments(0)

美味しいかつ丼はトンカツが美味しい_b0355451_20580570.jpg
時々昼食にお世話になるのだが・・牛丼は別にしてもここのかつ丼がまずい
昼からちょっと勝負の時は縁起を担いでかつ丼を食ってきた
これじゃ胸につかえて縁起担ぎにもならない
今になってやっと気付いた
かつ丼は2段ステップ、トンカツを上手に作れない調理人にかつ丼を作らすのは無理というもの
その上、炊飯器のメシも美味しく炊けない、実際は3段ステップ
そのくせすぐに結果が出る
メシ屋は論理的かつ科学的なんだよな
メシ屋は現場主義が一番だと言いたい

大学の街京都のさる大学の学部で言い継がれてきたことがある
飯の旨い下宿屋が当たったらそこの娘は絶対貰えと・・!
親の手伝いをしている娘(マドンナ)でなければならない
嗅覚・味覚がきちっとしていることは女の五感が発達していると考えていい(※これは本当なんです)
学生の好きなコロッケやカツが上手く出来れば、下宿屋の娘が一流大学生に一番近い!
本当にそれを果たして大出世した京都の女史がいる、そんな夫ならノーベル賞にも近づける
ノーベル賞は京都だというのはコロッケが美味しかったから?これ本当なんだよ
下宿屋って何、いつの話??そんな昔ばなし教授だって知らない!・・とのお叱りが聞こえる

難しいことではない、商店街の店先で揚げているカツやコロッケ買いに走ったらいい
ついでに近所のおばさん雇って炊飯器で飯を炊きに来てもらったらどうだろうか
美味しいかつ丼やになるよ、メシ屋は自慢できるものだけにしてほしい
すでにコンビニに負けてるよ
特許も、味の試験もないのが料理の世界、料理の世界は工夫と発明の世界だ
名もなきおばちゃんが調理師免許にも負けない料理人であるのがこの世界の特長である
そうかと言って、あの下宿屋の娘みたいなマドンナがアルバイトに来てることはほぼない

学生アルバイトばかりの牛丼屋は美味いものを食わしたろという気がないことが分かった
やっぱりメニューは牛丼だけにしたら・・
牛丼だけなら廃棄処分になった冷凍の横流しカツを食わされる危険は少ないとは思うけれど・・
一方それほどの量を廃棄処分したりするメシ屋こそ、もはやメシ屋稼業ではないと思う
写真はコスモス
鯵庵(9.24)

# by ajiankyoto | 2016-09-24 21:40 | 大衆食堂 | Comments(0)