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今宮神社のあぶり餅・血續対根元_b0355451_09164690.jpg

テレビ「鬼平犯科帳」のエンディングにインスピレーションの曲にのせて風鈴売りが歩く江戸の夏のシーン
確かにまともな茶店の作りである
江戸という新しい都は世界有数の大都市、鬼平が活躍するのは松平定信の寛政の改革の時期である
ドラマにも生き生きした江戸文化が表現されている
中央集権国家(武家政治の)の首都として爛熟期(らんじゅくき)を迎えている様のその映像が、京都の街で作られている
さすがの松竹でも東京のスタジオでは〝江戸文化の池波時代劇″が撮れないという
当時の江戸は水の都、その江戸の季節風景は京都にしかないというその矛盾は、京都の街が今でも持っている不思議な力の一つである

ここは今宮神社の参道である、両側には同じような茶店が一軒ずつあって、本家争い?の元祖だ
何しろ平安時代からあるという話だから、茶店と言っても時代劇にもってこいの風情、なかなかのものである
どちらもあぶり餅、一方は「一文字屋和助」1000年〝血續・二十五代″Hさん、

一方は「かざりや」創業400年〝本家・根元″Oさん
血續対根元、ともに言葉と宣伝では一歩も引かぬ勢いが京都らしい
メニューはあぶり餅のみにしてともに一人前500円、定休日はともに水曜日、客引きのために通りの真ん中の石畳みは踏まない、共栄繁盛の見事な調和である
歴史京都らしいと言えばそうかも、どっちの贔屓しようとここまでくれば楽しい本家争いのルーツであるが、2代3代では真似が出来ないはず
喧嘩していればともに終わっていたはず、やはり京都の町人は喧嘩しない?ひょっとしたら、そんな家訓があるのかもしれない
そうでなくってもつぶれることもなく、さりとて大きくもならず、茶店が茶店のまま1000年も続けられたとしたら、善と悪では解けないものがある

「何百年も向かい合わせで店やってて娘も息子もおったやろうに、間違い(恋)の一つもなかったんかいな?」とこんな微妙な関係が何百年もバランスよくは続かんはず、絶対に喧嘩してるはず・・・と素朴な質問を店の人にぶつけた女傑がいる
こんな質問に答える京都人はいない・・今宮神社の信仰が続いたということだろう
ただ、そこまでの歴史があれば、大体権利を振りかざして商売の拡張を図るのがふつうである
現に京都のお茶屋は北野のみたらし団子屋から始まって、遊郭から今は花街上七軒として格式高く?生き残っている
団子や餅を食わすということは相当なサービス精神が必要である、それが水商売である
あぶり餅しかないということがよかったのかもしれないと思う
しかも二軒というのが味噌かもしれない・・と、その女史の論である<
写真はあぶり餅”いちわ”の暖簾
鯵庵(28.9.16)

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# by ajiankyoto | 2016-09-16 07:41 | 大人の恋 | Comments(2)


酒を飲んだことを忘れたらあぶない_b0355451_19343896.jpg
酒を飲むといつも同じ話を繰り返すと言われた
脳の中の海馬(かいば)が司っている短期記憶が働かなくなるらしい
そんな時に限って、前日の晩の記憶がとんでいる
場合によっては記憶を保存していく機能も失われている?
それぐらいのことだけなら、突然に心配することはないかも
しかし、話がかみ合わなくなったり、いつもしていたことをしなくなったり、
相手を傷つけるような気持ちを抑えられなくなったりすることの方が問題だと思う

そこの記憶がないのが怖い
そうなんだ
我儘になる、自分のことだけしか考えない
若い時には気にならなかったエチケットやマナーなど、
歳をとってこそ守るべきものだ
そういう努力が老化防止につながるんだと・・
老化と老人は違うかもしれない
しかし、誰もがいずれ老人社会の老人にならなければならない

尊敬する先輩は脳梗塞で倒れた
今はほぼ普通の生活と会話を出来るけど、昔のことを言ったり書いたりさせんでくれという
脳の海馬がやられたという自覚が怖いらしい
食べるのを忘れてもいい、しかし、食べたことを忘れてはいけない
酒を飲むのを忘れてもいい、しかし、酒を飲んだことを忘れてはいけない
悪いこともせずきちっと退職できた筈だが、自分がどう思って何をしてきたのか?
思い出さなければならないことをきっちり思い出せないと感じたとたん、
公の明るい世界には出られなくなったと言う
制定して50年になる、今になって国や自治体は敬老の日を決めたことが重荷になってきている
世間は50年前の老人のようにこれからの老人を敬うことは出来ないと言う
秋の敬老の日は老人にとってやはり人生の冬の始まりなんだと思う
写真は石仏(元の敬老の日は9月15日だったのに、そのうちになくなる?)
鰺庵(9.15)

# by ajiankyoto | 2016-09-15 07:25 | 翁草 | Comments(0)

JR奈良線のルート


JR奈良線のルート_b0355451_08121835.jpg
JR奈良線の複線化プロジェクトが動き出したようだ
このたびの計画では京都から約20キロ(城陽駅まで)区間の複線化工事にかかる
京都駅から宇治駅まで14.9キロm、狭軌である、それがやっと(平成35年完成予定)複線で運行できるようになるようだ
京都・奈良間には近鉄京都線も走っている、近鉄は標準軌・複線である
近鉄は伊勢志摩まで特急も走っており、奈良までもはるかに便利である
今頃の複線化ではJRは相当に出遅れている
この便利な近鉄電車がJRに勝てないのが二つある
以前記事にした伏見稲荷大社ともう一つ宇治の観光だ
京都観光の二つの大きなスポットに駅がない、ルートの都合である

奈良時代からの東海道・北陸道・山陰道に出るための道はかならずこの宇治の地を通らなければならない
この街道が奈良街道(京街道)であり、JR奈良線がほぼ並行して走っている
宇治市は今の行政区域では京都市の伏見区の南に隣接する
宇治の地は平安時代早くから藤原家や貴族の別荘地
平安時代後期(1052)には関白藤原頼道が平等院を建立する

瀬田川沿いの道で滋賀県大津市にも隣接する
そもそもこの宇治川は近江一国の水を集めた琵琶湖の唯一の出口
山間を浸食して流れてきた川が山城盆地にはじめて出てきたところが宇治である
しかもここより下流は山城湖の名残、道も無き大沼沢巨椋池(おぐらいけ)であった
現在の宇治市の行政区域の西半分は巨椋池と言うことになる
風光明媚ということは水の世界、川と湖の世界

末法思想時代には特に極楽も水があっての世界
平等院は必然的に川と湖の境に設けられたのである
明治になって巨椋池の干拓が進み新しい町が出来ていく
それより先に巨椋池を避けて往古の街道沿いに線路が建設された
奈良線は奈良鉄道会社によって建設され、関西鉄道会社を経て明治40年国有化された
もちろん最初から蒸気機関車の走る鉄道であり、特長は狭軌(1067ミリ)である
ただ、近鉄や京阪と違って日本の鉄道軸(JR)につながっている
写真はコスモス
鯵庵(28.9.14)

# by ajiankyoto | 2016-09-14 08:21 | 都市 | Comments(0)

中秋の名月(2016)

中秋の名月(2016)_b0355451_20341765.jpg
今年の中秋の名月は9月15日である
旧暦では7月・8月・9月を秋と、8月15日を中秋とした
月の周期は平均29.53・・日である、もちろん整数ではない
月の初めは朔日(ついたち)である
新月である、その日に月齢0を含む日である
それから14日たったのが15日であるが・・
正しくは14.76日で満ちるわけであり、0.76日分は遅れることになる
その上、月の軌道は正しい円ではないためになおずれることもある

今年の9月1日の月齢は29.7(その日のうちに0になる)、2日は0.7で、15日中秋の名月は13.7となる
16日は14.7で17日は15.7である
月齢とは月齢0(黄経差0度)の瞬間からその日正午までの日数を月齢と言っている
満月は月と太陽の関係(黄経の差が180度)で決まる、その時に日本から月が見えるとは限らない
今年は満月は17日ということになって、満月が中秋の名月から2日遅れてやってくると言うことだが・・実際はそんなこと気にしなくとも遜色はない
そのころはどうせ昼間は月は地球の反対側にあるのだから・・
中秋の名月とは、秋分を含む月(旧暦)の15日(旧暦)に出る月のことである
秋分は9月の22.23.24日のいずれかであるから、その計算で行くと早ければ新暦(太陽暦)の9月7日から遅ければ10月8日の間にくる
秋分の日が旧暦の1日になるか30日になるかで幅は決まる
今年の秋分は9月22日で旧暦8月22日に当たるので旧暦8月の15日がそのまま9月15日となった訳である

地球にとって月は無くてはならぬものである
同じ満月でもこの頃の月の角度と高さが月見にはいいのだろう
あの大きさと明るさに感じるところは多いが、月の引力が人間に影響を及ぼすほどのものではない
しかし、女性には月の引力がまか不思議に働くと信じている人も多い
同じ日でも地球の裏側で見た月より膨らんでくる
そう思えば月の姿は神秘的で、日本全国離れても同じ姿を見れることがロマンチックなのである

旧暦は基本的に月の満ち欠け(月齢)を基本として組み立てられたのもである
ロマンティストには悪いけどついでだから言うが中秋の名月の日は必ず「仏滅」である
何故かって旧暦の8月は前日に関わらず「友引」から始まると決めているのが六曜である
16日は「大安」である、ただ順番に回ってくるだけである
だから旧暦で暮らしていると六曜というのは固定的で神秘性が何もない
明治に暦が太陽暦に変わった時からズレを楽しむために流行り出したものなのだ
主役でなくなった月にあやかろうとしているようなところがある
六曜は単にそういものだということも・・
時に斜め目線の悪態が趣味である小生としては言っとかないといけないと思って言うときます
写真はヒガンバナ
鯵庵(9.13)

# by ajiankyoto | 2016-09-13 09:52 | | Comments(4)

「システムの復元」は魔法の論理_b0355451_22051143.jpg
大阪の友人の悩みの相談を受けている
何かと言えばさる7月に彼のパソコンが10(ウィンドーズ10)に勝手にアップグレードしてしまったことだ
10は究極のプログラムらしいが、果たしてどうだろうか、急ぎすぎてアップグレードは混乱の課題が残されているのではないか
①遅くなった②起動しない③DVDドライブが使えない④ソフトが動かない
などなど知る人は知るであるが、誰でも何かの不具合が生じている
どうも他のものをほったらかしでOSだけが独走してるように思う
相性が大事だと思う
その辺りの不満は「ウィンドーズ10は試供品か」という題で遠慮なくブログにも書いた
(「ウインドーズ10は試供品なのか?」はここをクリック)

1万円近く払ったウィルスソフトがアップグレードに対抗しなかったのはウィルスソフトの限界を感じさせられた?
が、無償アップグレードのキャンペーンが終わってもはや1か月以上になる
小生のパソコンも勝手に動き出して10にアップしたが、今はこの際10に慣れる方を選んだ方がいいのではないかと思って10のままにしている
知識のある人はすぐに自分で戻すことも出来た筈
業者に頼んで解決してもらった人もいるが、日にちと費用がかかりすぎる
彼(老人仲間)の場合も以前のメールソフトが機能しなくてずっと困っていた
が、困ったことに、その時彼の場合はもう一つ冠動脈にステントを入れる入院が重なっていた
我ら初期老人もパソコンなくしては一日も暮らせないようになっている
ストレスはある程度慣れているつもりだが今回は心臓に響く
7月下旬、彼は買い替える決心をしたうえで阪大病院に入院した
もちろん暫くステント手術を終えて無事帰ってきたのである
すぐに彼は量販店へ行って、滑り込みでウィンドーズ8.1のパソコンを購入した
も一度やり直しであるが、ステントともども快調であると言ってきた

8.1から10にグレードアップした小生のウインドーズは「システムの復元」が出来ない
10から8.1に買い替えた彼のウィンドーズは「システムの復元」が今までと同じように容易にできる
3年はこれで行く、そのころには間違いなく10も大人になっているだろう
それから10に入れ替えると言う
ステント手術を乗り越えて経験が一つ増えたのだろう
OSのバージョンアップというのはなんだろう?簡単になるのと逆に難しくなっていく、小生にはそんな思いだけが残った

人生は時と一緒に流れている
もちろん元へ戻ることはできない
過去の好きな時点に戻すことが人間にも出来るなら失敗のない人生を歩めそうだ
しかし、それは悪魔の論理だ
人間には悪魔の論理であるが、コンピューターにとっては魔法の論理である、それがウィンドーズが持っている「システムの復元」というプログラムなのだ
コンピューターの進化の中でこのシステムを考えて組み込んでくれているウインドーズさんは偉いと思う、だが少なくとも彼は老人にはあまり優しくないということが良く分かった
※「システムの復元」についての説明は省略しております、そのため分かりにくいことをお許しください
写真は「元に戻れない」
鯵庵(9.3)


# by ajiankyoto | 2016-09-03 09:50 | 翁草 | Comments(2)