2016年 09月 15日
酒を飲んだことを忘れたらあぶない

脳の中の海馬(かいば)が司っている短期記憶が働かなくなるらしい
そんな時に限って、前日の晩の記憶がとんでいる
場合によっては記憶を保存していく機能も失われている?
それぐらいのことだけなら、突然に心配することはないかも
しかし、話がかみ合わなくなったり、いつもしていたことをしなくなったり、
そうなんだ
我儘になる、自分のことだけしか考えない
若い時には気にならなかったエチケットやマナーなど、歳をとってこそ守るべきものだ
尊敬する先輩は脳梗塞で倒れた
脳の海馬がやられたという自覚が怖いらしい
食べるのを忘れてもいい、しかし、食べたことを忘れてはいけない
酒を飲むのを忘れてもいい、しかし、酒を飲んだことを忘れてはいけない
悪いこともせずきちっと退職できた筈だが、自分がどう思って何をしてきたのか?
思い出さなければならないことをきっちり思い出せないと感じたとたん、
公の明るい世界には出られなくなったと言う
制定して50年になる、今になって国や自治体は敬老の日を決めたことが重荷になってきている
2016年 09月 14日
JR奈良線のルート

このたびの計画では京都から約20キロ(城陽駅まで)区間の複線化工事にかかる
京都駅から宇治駅まで14.9キロm、狭軌である、それがやっと(平成35年完成予定)複線で運行できるようになるようだ
京都・奈良間には近鉄京都線も走っている、近鉄は標準軌・複線である
近鉄は伊勢志摩まで特急も走っており、奈良までもはるかに便利である
今頃の複線化ではJRは相当に出遅れている
この便利な近鉄電車がJRに勝てないのが二つある
以前記事にした伏見稲荷大社ともう一つ宇治の観光だ
京都観光の二つの大きなスポットに駅がない、ルートの都合である
奈良時代からの東海道・北陸道・山陰道に出るための道はかならずこの宇治の地を通らなければならない
この街道が奈良街道(京街道)であり、JR奈良線がほぼ並行して走っている
宇治市は今の行政区域では京都市の伏見区の南に隣接する
宇治の地は平安時代早くから藤原家や貴族の別荘地
瀬田川沿いの道で滋賀県大津市にも隣接する
そもそもこの宇治川は近江一国の水を集めた琵琶湖の唯一の出口
山間を浸食して流れてきた川が山城盆地にはじめて出てきたところが宇治である
しかもここより下流は山城湖の名残、道も無き大沼沢巨椋池(おぐらいけ)であった
現在の宇治市の行政区域の西半分は巨椋池と言うことになる
風光明媚ということは水の世界、川と湖の世界
末法思想時代には特に極楽も水があっての世界
平等院は必然的に川と湖の境に設けられたのである
明治になって巨椋池の干拓が進み新しい町が出来ていく
それより先に巨椋池を避けて往古の街道沿いに線路が建設された
奈良線は奈良鉄道会社によって建設され、関西鉄道会社を経て明治40年国有化された
もちろん最初から蒸気機関車の走る鉄道であり、特長は狭軌(1067ミリ)である
ただ、近鉄や京阪と違って日本の鉄道軸(JR)につながっている
写真はコスモス
鯵庵(28.9.14)
2016年 09月 13日
中秋の名月(2016)

月の周期は平均29.53・・日である、もちろん整数ではない
月の初めは朔日(ついたち)である
新月である、その日に月齢0を含む日である
それから14日たったのが15日であるが・・
正しくは14.76日で満ちるわけであり、0.76日分は遅れることになる
その上、月の軌道は正しい円ではないためになおずれることもある
今年の9月1日の月齢は29.7(その日のうちに0になる)、2日は0.7で、15日中秋の名月は13.7となる
月齢とは月齢0(黄経差0度)の瞬間からその日正午までの日数を月齢と言っている
満月は月と太陽の関係(黄経の差が180度)で決まる、その時に日本から月が見えるとは限らない
中秋の名月とは、秋分を含む月(旧暦)の15日(旧暦)に出る月のことである
秋分の日が旧暦の1日になるか30日になるかで幅は決まる
今年の秋分は9月22日で旧暦8月22日に当たるので旧暦8月の15日がそのまま9月15日となった訳である
地球にとって月は無くてはならぬものである
ロマンティストには悪いけどついでだから言うが中秋の名月の日は必ず「仏滅」である
16日は「大安」である、ただ順番に回ってくるだけである
明治に暦が太陽暦に変わった時からズレを楽しむために流行り出したものなのだ
主役でなくなった月にあやかろうとしているようなところがある
写真はヒガンバナ
2016年 09月 03日
「システムの復元」は魔法の論理

何かと言えばさる7月に彼のパソコンが10(ウィンドーズ10)に勝手にアップグレードしてしまったことだ
10は究極のプログラムらしいが、果たしてどうだろうか、急ぎすぎてアップグレードは混乱の課題が残されているのではないか
①遅くなった②起動しない③DVDドライブが使えない④ソフトが動かない
などなど知る人は知るであるが、誰でも何かの不具合が生じている
どうも他のものをほったらかしでOSだけが独走してるように思う
相性が大事だと思う
その辺りの不満は「ウィンドーズ10は試供品か」という題で遠慮なくブログにも書いた
(「ウインドーズ10は試供品なのか?」はここをクリック)
1万円近く払ったウィルスソフトがアップグレードに対抗しなかったのはウィルスソフトの限界を感じさせられた?
が、無償アップグレードのキャンペーンが終わってもはや1か月以上になる
小生のパソコンも勝手に動き出して10にアップしたが、今はこの際10に慣れる方を選んだ方がいいのではないかと思って10のままにしている
知識のある人はすぐに自分で戻すことも出来た筈
業者に頼んで解決してもらった人もいるが、日にちと費用がかかりすぎる
彼(老人仲間)の場合も以前のメールソフトが機能しなくてずっと困っていた
が、困ったことに、その時彼の場合はもう一つ冠動脈にステントを入れる入院が重なっていた
我ら初期老人もパソコンなくしては一日も暮らせないようになっている
ストレスはある程度慣れているつもりだが今回は心臓に響く
7月下旬、彼は買い替える決心をしたうえで阪大病院に入院した
もちろん暫くステント手術を終えて無事帰ってきたのである
すぐに彼は量販店へ行って、滑り込みでウィンドーズ8.1のパソコンを購入した
も一度やり直しであるが、ステントともども快調であると言ってきた
8.1から10にグレードアップした小生のウインドーズは「システムの復元」が出来ない
10から8.1に買い替えた彼のウィンドーズは「システムの復元」が今までと同じように容易にできる
3年はこれで行く、そのころには間違いなく10も大人になっているだろう
それから10に入れ替えると言う
ステント手術を乗り越えて経験が一つ増えたのだろう
OSのバージョンアップというのはなんだろう?簡単になるのと逆に難しくなっていく、小生にはそんな思いだけが残った
人生は時と一緒に流れている
もちろん元へ戻ることはできない
過去の好きな時点に戻すことが人間にも出来るなら失敗のない人生を歩めそうだ
しかし、それは悪魔の論理だ
人間には悪魔の論理であるが、コンピューターにとっては魔法の論理である、それがウィンドーズが持っている「システムの復元」というプログラムなのだ
コンピューターの進化の中でこのシステムを考えて組み込んでくれているウインドーズさんは偉いと思う、だが少なくとも彼は老人にはあまり優しくないということが良く分かった
※「システムの復元」についての説明は省略しております、そのため分かりにくいことをお許しください
写真は「元に戻れない」
鯵庵(9.3)
2016年 09月 02日
通知簿はいやだ

1クラスに50人(本当は60人だった)だったから、最高の5を貰えるものは3人くらいだった、4は12~13人くらい、3は20人で残りの15~16人が2の評価だった
教育的お情けで登校拒否しない限り1は2にしてくれていた
それでも相対評価である
3だったら親に怒られることはなかったが、4をもらえたら褒められた
4が複数あれば明らかに平均より上にいることの証明になった
音楽と体育はいつも2だったけど、それは別だった
ただ、先生のコメントに落ち着きがないとか、〝ちょか(?)″とか書かれた
明朗とか活気があるという明るい言葉はなかった
それでせっかくの複数個の4を上手く打ち消していた
社会へ出て社員5人おればそのうち仕事しているのは1人であることに気づいた
あとの3人はその1人に引っ張られて仕事している
それでも、最後の1人は仕事はしない
この1人に邪魔をさせないようにさえすればチームは仕事をしていることになる
これが現実だと
サラリーマン生活の最後の頃人事評価が流行った
会社での評価もA・B・C・D・Eの5段階だった
絶対評価だったから最初はD・Eをつけなかった
評価者自身も評価されるのが怖かったこともある
やがてそれが昔の小学校のように相対評価でなければならないと言われだした
評価制度のメリハリが必要になってきたわけである
どうしても一定の割合でD・E評価を指定せよという
小学校の時と違うのはEは落第(整理対象)なのだ
しかも本人に告知せよという
AやBは好き嫌いで選んだ、そのかわり誰にもEをつけなかった
それでもDの人からはちゃんと見てくれていないという不信感ばかりだった
上からも下からも評価をちゃんとしない管理職として評価された
C評価の上司がC評価をくれたら世間がC評価をくれたようなものだ
仕事をしたいサラリーマンにとっては、それが一番の安堵だ
逆にE評価の上司がEをつけた部下はひょっとしたらまれにみる逸材ではないだろうか?
例え本当に仕事をしているのは5人に1人であってもチームと言うのは全員が仕事をしているという錯覚で成り立っているのだ
毎年こね返されているのが評価制度だ
会社にとって要らないと言うなら、そんなめんどくさいことせんでも社長が一人で決めればいい
理由は規則違反でいい
自分のつけを自分で払えるのは会社では社長だけである
NHKのど自慢はスタート時から絶対評価である
3段階評価なのにカネ1つはもう何年も出さない
カネ1つでもいいかと言えば出てくれる人がなくなってしまったとも言える?
評価制度の行きつく先が見えたような話である
写真はニラの花
鯵庵(28.9.2)
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