人気ブログランキング | 話題のタグを見る

(32)介護の遺伝子①恍惚の人_b0355451_08265904.jpg

少し長くなるかも・・・
1956年(昭和32年)小説「楢山節考」(単行本)深沢七郎
1966年(昭和41年)青江三奈歌う「恍惚のブルース」
1972年(昭和47年)小説「恍惚の人」有吉佐和子

恍惚とは物事に心を奪われて・・うっとりすること
で、青江三奈歌うブルースには恍惚が似合う
若い人にはこちらであるが、老人にとってはボケることでもある
単に呆けると言えば少なくとも年を取ればほぼその兆候がある
意図的に呆けることも年寄りは得意とする
病気かなと言えば痴呆症と言われた
が、平成の中頃2004年に「認知症」と言う呼称に統一された
我々・・それからしばらく「認知症」が定着している
青江三奈から56年・・・恍惚のブルースを聞いていた私が70代半ばになる

ボケたら楽だと言う人がいる
きっと長い間様々な苦労をしてきた人だと思う
ボケると言うことと恍惚状態が同じだと勘違いしている可能性がある
世間の風の冷たさに鈍感なふりをするだけである
認知症のボケは、脳の働き(認知機能)に障害が出ているわけである
だから、病気なのである、だから認知症と言う言葉になってきた

小説「恍惚の人」は介護問題の教科書みたいな小説である
何度か映画化もされた
妻に先立たれた痴呆症の老人男が息子夫婦と孫と暮らしている
その孫のセリフ
「おじいさんはこんなにまでしてまだ生きたいのだろうか」
「パパもママもこんなに長生きしないでね」

世間の気持ちであり、この時の孫の気持ちが実は50年前の私の気持ちである
その時の平均寿命、男性69歳、女性74歳で65歳以上の人口は7%だったと言う
私だけでなくあの時の孫は今当時の平均寿命を超えた・・
この項続く
鯵庵(R7.11.1)

# by ajiankyoto | 2025-11-01 08:33 | 昼寝の寝言 | Comments(0)

(31)自立から始まる②

(31)自立から始まる②_b0355451_08141223.jpg
高野山多聞天

前項から続く

認知症の進行に伴って介護度が上がっていく
認知症の周辺行動が起きるようになると家族も疲弊する
そこまでいけば要介護3より以上と言うレベルかもしれない
家族が仕事を辞めてさえ難しくなる
特別養護老人ホームを申し込むがいつ入所できるかわからない
さりとて介護付き有料老人ホームですら受け入れてくれないこともある

福祉の枠の中に居なければ(言い換えれば役所の目の届く中に居なければ・・・????)
一歩間違えば孤立もあるし、行き倒れることもあるし、自殺もある
究極、終点に向かって一気に走りだす時が来る
私たちはいつもその一歩手前にあると考えるべきだと・・彼Bは言う
事あるごとに面白いことを言うパート仲間の彼Bである
「自分が乗っている電車が分からない」のが老後だと言う
だから、終着駅がどこか、何処を走っているのかも、何時着くのかもわからない
普通列車か急行かもわからないのでは?
そうや、区間急行と言うのがあったやろ
今まで鈍行だったのがある駅から急にスピードを上げ急行になる!!
要介護が進むと一気に進むものだと言う
車内の乗客も窓の外の風景も
今までとはまるっきり違うものになっているのにその時気づく

彼B氏の母はビックルするほど端麗な京女だった
ケガをして5年、認知症を発症してやっと施設に入った
その後2年で自分の息子が分からなくなった、という
私の母は大手術をして命の代わりに片足を根本から失った
最後の1年は病院のベッドで動けなかった
ベッドの上で騒ぐかあきらめるかどちらかだと言った
そのまま最後まで何も言わずに死んだ
私たちにとっては親の死に方は自分の死に方なのだ

おひとりさんも自立の一人旅なら、何処へでも行きたいと思えば行ける
来たバスに乗ろうと、乗りたい電車にも乗れる
が、戻れない
老後自立とはそういうことだ
もっと言えば
自立しているうちでないと乗り換えも出来ないと知るべき
あなたの電車は今どこを走っている?
鯵庵(R7.10.15)


# by ajiankyoto | 2025-10-15 08:00 | 昼寝の寝言 | Comments(0)

(30)自立から始まる①

(30)自立から始まる①_b0355451_10201459.jpg

増長天(高野山)

自立と言う言葉は国語辞典風に言うと
自分以外のものの助けなしで自分の力で物事をやっていく、とある
社会や他人とのかかわりを正しく認識することは当然のことだ
大人たる所以である
自分のことを自分で決められるだけでなく、自分の体を自分で支えられることでもある
しかし、歳を経ると精神的円熟さは増すことがあってもやはり体は弱る
脳も内臓も筋肉も皆酸化する、それが老化である
仕事も、友人も、家族も、性も愛も尽き果て?なお収入も皆サビつく

もちろん基本的な日常生活動作を自分で行うことが出来る状況を言う
入浴・排便・食事などのケア、機能改善、保健医療看護、
福祉的サービスを行うことを介護と言う
・・介護保険では介護が不要な状態を言う
身体的にも、精神的にも、経済的にも自分の能力を生かした生活が出来るように
それを自立支援などと言うこともあるようだが
介護が必要な状態から自立状態に戻すことは現在のリハビリ医学でも難しい

あえて言うと、
介護保険で言う自立とはあくまでも介護保険に該当しない状態を定義している
結局は、保険制度は家庭生活を費用面(経済面)から支えてやろうということである
生きている限り守られるべきは個人の尊厳である
怖いのは治らない病気であり、
精神的に怖いのは家族からの孤立である
介護と言うものは、愛すべき家族に代わって行うものでもある
それは言わずもがなである
何処まで家族に代われるかと言うのが課題なのだ

今までほぼほぼ”自立”の生活を楽しんできたものが
急に家族の世話にならなければなる
やがて家族だけで毎日の世話ができなくなる
ディサービスやショートスティ、場合によって介護の人を頼まなければならなくなる
介護保険を利用するためには介護認定を受けなければならない
要介護者として家族や施設の介護を受けながらの生活が始まってしまう
この項続く・・鯵庵(R7.10.11)

# by ajiankyoto | 2025-10-11 08:00 | 昼寝の寝言 | Comments(0)

(29)どこで暮らす⑨

(29)どこで暮らす⑨_b0355451_19133134.jpg


歌では遠い将来のことなのだが、老域に入ると現実の問題になる
最後の別れが「何処か?」と言うことなのだ
自宅だとは限らないのだ
病院かもしれない、現実にコロナの危機も経験した
原因はケガかもしれないし、癌かもしれない
有料老人ホームかもしれないし、特別養護老人ホームかもしれない
認知症もだが、パーキンソン病などの難病は必ずしも想定外ではない
老後破産や生活保護と言う事態もあり得る
どんなことになっても自分の人生を最後まで自分で決めなければならない
その保証は?家族の絆だろうか、それとも収入や資産だろうか
友の数が減るように、預金は必ず減る
「支出は収入を越えられない」それが老後と言うことの定義である

老人対策は家族に代わって社会が支援していく方向になっている
個人にとって一番大事なのは自立、自力であることは変わっていない
今更、高額な不動産を買ったり借りたりできるはずがない
それでなくとも施設選びでミスマッチを起こすと生涯の失敗になる
「何処で暮らす」かと言うことは「何処で死ぬ」かと言うことにほぼ等しい

特に介護を受けるために高額な家賃を必要とすることは社会福祉の方向とはズレている
悲しいかな人材もまた玉石混淆の世界になってしまう
優秀な介護専門職員は高級な入居者が多い施設に移っていく
介護サービスがホテル経営と同じ経営理念になりつつある
福祉は本来"民営"になじまない
社会は命より経済を回すことを大事にすることはこのコロナの中で分かったことである

何処で暮らすか?
あなたが私がその事態に至ったらどこで暮らすか、悩むことはない
入居者の施設選びと言っても選択肢が多くあって困る言うようなことはない
ほぼ、入居者の居住地と家族関係と、懐具合(資産)で決まってしまうと考える方がいい
だから、一人で生きる覚悟が必要なのだ
・・と言うことでこの項はいったん締めくくる
鯵庵(R7.10.7)

# by ajiankyoto | 2025-10-07 08:00 | 昼寝の寝言 | Comments(3)

(28)何処で暮らす⑧

(28)何処で暮らす⑧_b0355451_19444303.jpg


その人、その家庭が普通の生活を継続していくには様々な支援が考えられる
最低限の支援制度では必ずしも満足できない
家族に期待する程度も様々なのだ
社会に期待するものも様々だし

さだまさしの関白宣言にこのなフレーズがある
(前略)
子供が育って年をとったら俺より先に死んではいけない
例えばわずか一日でもいい俺より早く逝ってはいけない
何もいらない俺の手を握り涙のしずくふたつ以上こぼせ

(後略)・・・・・
結婚した時の気持ちを死ぬまで持ち続けられる人はいないとしても
死ぬときに結婚した時を思い出せたら幸せなことだ
1日でも早く死んではいけない、と思うぐらいの愛情は残っている?
それが関白宣言たるゆえん
夫の気持ちとしては自分が先な方がいいのかもしれない
しかし、そんなことは思い通りにはならない
それより先に離婚しているかもしれないし、
子供もいないこともある
いずれにしても一人で長生きすることになるかもしれない
いや、そのほうが確率が高いともいえる

今回のテーマにしたのはその歌の場面が「何処か?」と言うことなのだ
(27)何処で暮らす⑨に続く・・・鯵庵(R7.10.5)

# by ajiankyoto | 2025-10-05 08:00 | 昼寝の寝言 | Comments(0)