2025年 11月 06日
(34)介護の遺伝子③楢山節考から70年

長男同士だと何かと話が合うとこのブログで書いたことがある
親の介護の経験や世話で悩む人には他人の話は切実だ
極端な話、私の父母はともに末っ子だった
私はその長男である、そんな事態に至って何かと気持ちが行き違う
と、思ったことが嫌ほどある
介護することは難しいのは事実だが
本当は介護される側こそ難しいのだ
その難しさは家族ゆえに拡大され爆発する
親と子の夫と妻あるいは舅と嫁とか
それぞれの尊厳と尊厳の戦いだからだ
年老いて汚くなった父母を見て
小説のセリフ・・「こんなにまでしてまだ生きたいのだろうか」
介護が始まったとたん間違いなくそう思う
思うのは当然かもしれないが、
実際に介護の長いトンネルを越えて初めてそれを越えられる
それが介護の遺伝子なのだ
家族の犠牲を当たり前のように期待するのは家族に対して横暴だ・・?
と気づくのも介護の遺伝子だ
個人主義、マイホーム主義や核家族は50年でほぼ定着した
おかげで親を介護する遺伝子は今は介護保険と老人ホームに引き継がれているのである
老後を自分の金で老人ホームへ行くことも子供孝行かもしれない
おかげで親を介護しなくとも親孝行ができると言うことだ
家族は最小の単位であるが、それが夫婦だけになり、最後は自分一人になる
配偶者があってもなかっても、子供がいてもいなくとも、最後のところは同じなのだ
小説「楢山節考」である
そうだ姥捨て山のことだ
皆必死で死ぬまで自分の肉体の始末を考えていかなければならない
コロナは一つの試練を与えてくれたかもしれない
「看取り」という言葉はほぼなくなった
時代が進んで親の生き方は自分とは違ったものになった
だが親の死に方は自分の死に方なのだ
家族の死は自分の死につながる
それだけが家族の絆として残る
(ここでこの章は終わる、、(追記)シェアしてくれた人の幸運を祈る)
鯵庵(R7.11.6)
2025年 11月 03日
(33)介護の遺伝子②恍惚の人から50年

当時、親の介護は家族ゆえの仕事であり、
人間の長寿しかも幸せな長寿社会を支えていたのである
親孝行の最後は親の介護である
介護の機会を与えられたことに子供として感謝しなければならないと本気で言われた
そうでなくても、家族の皆が祖父母や父母の介護に関わってきたと言うことだ
もう一度言うとその時の平均寿命、男性69歳、女性74歳で65歳以上の人口は7%だったと言う
その小説「恍惚の人」から50年、長寿が一世代分進んだかもしれない
寿命70歳までが80~90歳までになってしまった
なんとあの頃の平均寿命に達した私に
90歳を超えた父母を介護する番が回ってきているのである
それが現代の介護、高年齢化した介護の問題なのである
父や母の闘病生活や介護は本人も家族も経験のないことだった
私達夫婦の50代60代はまだ基礎体力があった
親にも自分らにも最良の方法を考えてきた
私の場合は老後ではあるが介護はまだ不要だ
子供は老後イコール介護ではないと信じている
事情は様々だとしても核家族や子育てやら・・
家族の単位が小さくなりまた家族が遠くなってしまっている
すでに子供の世話にはならないで暮らしたいと決めている
身近に介護のことを考える機会がないと介護が自分の問題だと気づかない
課題が生じてもすぐに有料老人ホームしか浮かばないと言うことになる
その上、あえてその商業主義に乗る
元気だと入院も施設もそれなりに暮らせる
そんなパンフレットを見て思い込もうとする
ベッドから立ち上がるところから他人の手を借りなければならない
恍惚状態とは限らない、凶暴であったりする
それでも介護を受けなければならない
介護とは何処までも家族に代わって行うことなのである
真摯に仕事する出来のいい介護職員はそのことを知っている
それなのに家族の方が分かっていない言うのが世間なのだ
介護の遺伝子を持っていないと、言うのはそのことだ
「おじいさんはこんなにまでしてまだ生きたいのだろうか」
と言う小説「恍惚の人」の孫のセリフは現代でもそのまま当てはまる
資金力のない祖父母や親はもともと頼りにもならない
その親が認知症ゆえの問題行動をおこすようになったとき
ついに・・それを言うかもしれない
家族に介護の遺伝子がなくなっているからだ
本当はそのことを言いたい
・・・・・
次項に続く
鯵庵(R7.11.3)
2025年 11月 01日
(32)介護の遺伝子①恍惚の人

少し長くなるかも・・・
1956年(昭和32年)小説「楢山節考」(単行本)深沢七郎
1966年(昭和41年)青江三奈歌う「恍惚のブルース」
1972年(昭和47年)小説「恍惚の人」有吉佐和子
恍惚とは物事に心を奪われて・・うっとりすること
で、青江三奈歌うブルースには恍惚が似合う
若い人にはこちらであるが、老人にとってはボケることでもある
単に呆けると言えば少なくとも年を取ればほぼその兆候がある
意図的に呆けることも年寄りは得意とする
病気かなと言えば痴呆症と言われた
が、平成の中頃2004年に「認知症」と言う呼称に統一された
我々・・それからしばらく「認知症」が定着している
青江三奈から56年・・・恍惚のブルースを聞いていた私が70代半ばになる
ボケたら楽だと言う人がいる
きっと長い間様々な苦労をしてきた人だと思う
ボケると言うことと恍惚状態が同じだと勘違いしている可能性がある
世間の風の冷たさに鈍感なふりをするだけである
認知症のボケは、脳の働き(認知機能)に障害が出ているわけである
だから、病気なのである、だから認知症と言う言葉になってきた
小説「恍惚の人」は介護問題の教科書みたいな小説である
何度か映画化もされた
妻に先立たれた痴呆症の老人男が息子夫婦と孫と暮らしている
その孫のセリフ
「おじいさんはこんなにまでしてまだ生きたいのだろうか」
「パパもママもこんなに長生きしないでね」
世間の気持ちであり、この時の孫の気持ちが実は50年前の私の気持ちである
その時の平均寿命、男性69歳、女性74歳で65歳以上の人口は7%だったと言う
私だけでなくあの時の孫は今当時の平均寿命を超えた・・
この項続く
鯵庵(R7.11.1)
2025年 10月 15日
(31)自立から始まる②

前項から続く
認知症の進行に伴って介護度が上がっていく
認知症の周辺行動が起きるようになると家族も疲弊する
そこまでいけば要介護3より以上と言うレベルかもしれない
家族が仕事を辞めてさえ難しくなる
特別養護老人ホームを申し込むがいつ入所できるかわからない
さりとて介護付き有料老人ホームですら受け入れてくれないこともある
福祉の枠の中に居なければ(言い換えれば役所の目の届く中に居なければ・・・????)
一歩間違えば孤立もあるし、行き倒れることもあるし、自殺もある
究極、終点に向かって一気に走りだす時が来る
私たちはいつもその一歩手前にあると考えるべきだと・・彼Bは言う
事あるごとに面白いことを言うパート仲間の彼Bである
「自分が乗っている電車が分からない」のが老後だと言う
だから、終着駅がどこか、何処を走っているのかも、何時着くのかもわからない
普通列車か急行かもわからないのでは?
そうや、区間急行と言うのがあったやろ
今まで鈍行だったのがある駅から急にスピードを上げ急行になる!!
要介護が進むと一気に進むものだと言う
車内の乗客も窓の外の風景も
今までとはまるっきり違うものになっているのにその時気づく
彼B氏の母はビックルするほど端麗な京女だった
ケガをして5年、認知症を発症してやっと施設に入った
その後2年で自分の息子が分からなくなった、という
私の母は大手術をして命の代わりに片足を根本から失った
最後の1年は病院のベッドで動けなかった
ベッドの上で騒ぐかあきらめるかどちらかだと言った
そのまま最後まで何も言わずに死んだ
私たちにとっては親の死に方は自分の死に方なのだ
おひとりさんも自立の一人旅なら、何処へでも行きたいと思えば行ける
来たバスに乗ろうと、乗りたい電車にも乗れる
が、戻れない
老後自立とはそういうことだ
もっと言えば
自立しているうちでないと乗り換えも出来ないと知るべき
あなたの電車は今どこを走っている?
鯵庵(R7.10.15)
2025年 10月 11日
(30)自立から始まる①

増長天(高野山)
自立と言う言葉は国語辞典風に言うと
自分以外のものの助けなしで自分の力で物事をやっていく、とある
社会や他人とのかかわりを正しく認識することは当然のことだ
大人たる所以である
自分のことを自分で決められるだけでなく、自分の体を自分で支えられることでもある
しかし、歳を経ると精神的円熟さは増すことがあってもやはり体は弱る
脳も内臓も筋肉も皆酸化する、それが老化である
仕事も、友人も、家族も、性も愛も尽き果て?なお収入も皆サビつく
もちろん基本的な日常生活動作を自分で行うことが出来る状況を言う
入浴・排便・食事などのケア、機能改善、保健医療看護、
福祉的サービスを行うことを介護と言う
・・介護保険では介護が不要な状態を言う
身体的にも、精神的にも、経済的にも自分の能力を生かした生活が出来るように
それを自立支援などと言うこともあるようだが
介護が必要な状態から自立状態に戻すことは現在のリハビリ医学でも難しい
あえて言うと、
介護保険で言う自立とはあくまでも介護保険に該当しない状態を定義している
結局は、保険制度は家庭生活を費用面(経済面)から支えてやろうということである
生きている限り守られるべきは個人の尊厳である
怖いのは治らない病気であり、
精神的に怖いのは家族からの孤立である
介護と言うものは、愛すべき家族に代わって行うものでもある
それは言わずもがなである
何処まで家族に代われるかと言うのが課題なのだ
今までほぼほぼ”自立”の生活を楽しんできたものが
急に家族の世話にならなければなる
やがて家族だけで毎日の世話ができなくなる
ディサービスやショートスティ、場合によって介護の人を頼まなければならなくなる
介護保険を利用するためには介護認定を受けなければならない
要介護者として家族や施設の介護を受けながらの生活が始まってしまう
この項続く・・鯵庵(R7.10.11)

