2024年 08月 04日
施餓鬼(せがき)/京都の盆の過ごし方
餓鬼は餓えた状態にある
人間の糞便や屍など不浄のものを食う
人から施されたものなら食うことができる
人は死してまた地獄でも六道を輪廻する
六道とは天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の六つをいう
その内、畜生道・餓鬼道・地獄道を三悪趣といい、その一つである
貪欲な物惜しみの心で人に施しをしなかったもの
私利私欲で他人の財産をだまし取ったものなどなどが餓鬼であり餓鬼道に落ちるという
仏教ではそのように説くが、現世民間では餓えや行き倒れで死亡した人間の死霊を恐れて言う
先祖だけではなく無縁の精霊に飲食を施すことにある
元来、盂蘭盆会(うらぼんえ)の主となる法会である
だから、厳密に言えば先祖供養とは別のものでもある
餓鬼というのは現世においても全くありふれたものである
翻れば自分もまた貪欲な物惜しみの餓鬼である
特に平安時代の仏教は富める者の独占物である
地獄からの救済について明らかにしていない
やがて六観音が当てられ、最後は阿弥陀如来による救済に結びついていく
市井の聖、空也上人はこの地上での餓鬼の姿を目の当たりにし救済を続けた
六道の辻には都の最大の葬送地鳥辺野が広がっている
毎日運ばれてくる屍はここに捨てられる
その姿が既に地獄であり、当時の人にとって地獄は見えるものだったのかもしれない
この場で無阿弥陀仏という念仏を説きながら、現実に屍の処理をした空也への信仰は仏教が庶民のためのものとなる第一歩だった
地獄の存在を知らしめた源信の『往生要集』が成る10数年も前のことである
六道珍皇寺にほぼ隣接して空也上人にゆかりの六波羅蜜寺がある
この寺も初めは観音信仰として建てられたがやがて地蔵信仰の寺としての説話を多く残している
やがて鎌倉時代以降は阿弥陀信仰と並んで地蔵信仰が盛んになる
人間は死して地獄に堕ちるが、地蔵菩薩によって救済される、という
地蔵菩薩は地獄にも現れるスーパーな仏である所以である
2024年 08月 02日
六道珍皇寺/京都の盆の過ごし方
バス停で言えば「清水道」が近い
その道を清水寺と逆に西へ少し坂を下るように進む道が松原通である
この道は清水寺への参道でもある
松原通は平安京の五条通(その延長も)の現在名である
東大路通(清水道バス停)から少し下った北側に門があるのが六道珍皇寺である
この六道珍皇寺は、都から来れば平安京の葬送の地鳥辺野への入り口である
ここを「六道の辻」という、これから先は冥界なのである
だから今来た東山通や清水道バス停は魔界の中に入る
この六道珍皇寺の創建は極めて古いしまた謎が多いが、
平安京の役人(最後は参議にもなった)小野篁(おのたかむら)との関わりが面白い
ここには小野篁が地獄へ通ったという井戸がある
どこへ行っても帰ってくる小野篁という無骨な公卿の持ち味とどこかで結びついたと言える
京都の盆の行事は精霊(せいれい、しょうりょうであるが"おしょうらい"と読む)を迎えることから始まる
ここを通って行った精霊は帰ってくるなら同じ道を帰ってくると言う素朴な信仰である
そのために地獄まで届く筈の迎え鐘を打つ
地蔵尊に高野槙で水供養した水塔婆を備える
主催者は地蔵菩薩(閻魔大王)である
閻魔大王は地蔵菩薩の化身であると言える
その閻魔大王に地獄で小野篁が書記の役で仕えていたとある
お盆の行事は地獄信仰の行事である
極楽や天国から帰ってくるのではない
死者は誰もが地獄の責めを負いながらいつまでも輪廻しているのだ
極楽を見て来た人はいない
だが地獄なら一人、小野篁がいる
いや、お盆には全ての精霊が帰ってくる
地獄の話に耳を傾けなければならない
京都の人が皆、千本えんま堂や六道珍皇寺へこぞって迎え鐘をうちに行くように書く京都案内は大きな誤解の元である
全国それぞれと同じで、それぞれのお寺やお墓があるし、
それ以上にそれぞれのお盆の暮らし方がある
それでなくとも日本のお盆はいつも俗っぽく始まる
正月に比べると、お盆は俗っぽさを喜ぶのである
お盆になれば地獄の釜の蓋も開くと言うのだ
自分の大切な人がまだ地獄にいるかもしれないと思わせられる
お盆はその仕掛けを覗いてみたいと思える時期である
鯵庵(R6.8.2))
2024年 07月 31日
釘抜き地蔵からえんま堂へ/京都の盆の過ごし方
寺が言うところによれば空海によって創建され、重源によって再興されたとある
ご本尊は地蔵菩薩、このご本尊が痛み苦しみの釘を抜いてくれるということだ
この釘は恨みの釘である、心当たりのある人は地蔵が救ってくれる
地蔵とは地蔵菩薩である、菩薩の位にあるが馴染みが深い
釈迦が入滅してから56億年云々の後に弥勒菩薩の出現が予言されている
その時、弥勒菩薩は仏(如来)になる
その間、釈迦に代わって六道の苦しみや迷いから我々を救ってくれるのが地蔵菩薩である
そのような重要な役回りの上ながら飾りの少ない仏さんが地蔵菩薩である
地蔵菩薩の縁日は毎月24日である、釘抜地蔵では地蔵しるこが振る舞われるとある
しるこをいただいたからとて誰もかれもが浄土へ往生出来るとは限らない
が、予定と違って地獄へ落ちても地蔵が救ってくれる可能性がある
そのような人は、千本通をもう少し北へ進んで千本えんま堂に行くのがよい
そこから先は都の葬送の地蓮台野だ、閻魔大王がご本尊の地獄の入り口である
が、実は閻魔大王は地蔵菩薩の化身であるという
人生最後の言い訳を聞いてくれるのが閻魔さんではなく地蔵菩薩だと思えば最後のチャンスは残っている?
今から、地蔵にはゴマをすっておこうと思うのは勝手である
それより言いわけの練習をしておくのも勝手である
何をする前にも言い訳をする人がいる
練習してるつもりかもしれないけど釘抜地蔵のヤットコで先に舌を抜かれたのでは言い訳も出来ないことになる
ついでながら京都女、紫綬褒章の演歌歌手の都はるみがこのあたりの子である、とあった
写真は釘抜地蔵、石像寺(しゃくぞうじ)
鯵庵(R6.7.31)
2024年 07月 31日
淳和院と賽の河原
2024年 07月 26日
西院は「さいいん」と読む?
疑問提供として今のままでいい