2016年 08月 02日
ツバメの子落ちる(ツバメは日本から来る⑶)

梅雨が明けて30度を超える毎日が続いている
バーさんが巣から落ちた1羽を見つけた
バケツに入れてしきりに話しかけているが、もちろん野鳥の雛に餌をやることは出来ない
普通なら下にもハンターが待っている
雛が誤って落ちることはない筈
巣が襲われた形跡はない
兄弟たちに落とされたか?あるいは親鳥に落とされたのかもしれない
この夫婦、番(つがい)になるのが少し遅かったのかもしれない
この頃は気温は35度に達する
雛も上手く体温調節できるわけではない
落ちた雛ばかりを見ているが、兄弟たちだって息絶え絶えのはずだ
巣にはいつも間にか4羽が2羽になっている
残された者の生きるチャンスが拡大した訳だ
この時に餌を運ぶ親も大変だし、未熟な親には想像もしなかった日本の暑さだろう
春から一番に育ったヒナたちはもう大人と区別がつかない
南に旅する時期までには十分な体力と飛行技術がいる
この雛たちは間に合うのだろうか
それどころか親鳥たちも自分の体力を戻さねばならない
いつ放棄するかである
バーさんは雛を戻してやってくれと言うがダメだと言った
バーさんにとっては寝覚めの悪いことだろう
巣立つ前に一度巣から落ちれば親も見向きもしない
それが野生なのだから
落ちた雛のことを考えるのは人間だけだからだ
写真は落ちたツバメの子、この時はまだ口を開けていた
鯵庵(8.2)
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2016年 07月 31日
黄檗山萬福寺・無常迅速
伏見稲荷が人気らしい、多くの人が降りる
幸運なことに黄檗(おうばく)まで行く人は少ない、黄檗には萬福寺がある
江戸時代に中国から来た隠元が開いた禅宗寺院である
建築だけでなく今も修行や読経には中国風を残しているといわれる
回廊に掲げられた大きな魚板が看板である、開ばんと言う(ばんの字は木偏に邦と言う字を書く)
その他にも数か所巡照板が下げられていた、これも寺での日常の合図に使う、
説明書きには朝夕起床・就寝の合図にこれを打って一山の僧が唱えるとある
謹んで大衆に白す
生死事大にして
無常は迅速なり
各々宜しく覚醒すべし
謹んで放逸する事勿れ
これが5行で書かれているので板の真ん中が窪んですり減っている
その字こそ「無常迅速」(うーじゃんしんそ)である
人生は短く、思いがけずに早くに死が訪れるかもしれない・・と言うことだろう
しかし、どうすればいいのだろうか
無常迅速、時、人を待たず・・と言うのも禅語にはある
早く言ってほしかったナァ、今になって、そう言われても小生も困っている
今日は、数十人の一団が作務衣を着せられ修行に取り組んでいた
黒い靴が下駄箱に並べられていた、会社の研修だろう、今なら真冬よりは楽かもしれない
萬福寺では修行僧は通路の真ん中を歩くことは出来ないと聞いた、両側をきちっと並んで歩く
真ん中や先頭を歩くことが出来なければ、
せめて、道を歩くときは人の邪魔をしないように教えてやってほしい、と思った
この内何人今日の道を歩いて行けるのだろうか?
セミの声も無常迅速と聞こえたら研修の成果あり?
もちろんこの時期研修中のサラリーマン諸君に応援している
写真は件の巡照板
鯵庵(7.31)

2016年 07月 30日
ラーメンギョウザ事件からあれこれ

焼き飯が来てラーメンが来る、しばらくして餃子が来ることが多い
調理時間の差だろう、だけど時たま餃子が先に来る
どちらにしても大した時間差がなければ味わえる
少し前にA市で「ラーメン餃子事件」というのがあった
餃子を先にと注文したのに、ラーメン食い終わるまで餃子が出てこない
ということで店に絡んで居座った、警察が出てくる騒動となった
やはりラーメンと餃子だけなら餃子が先だろうと小生も思う
当たり前なんだがラーメンは注文ごとに一杯ずつ作る
餃子の遅い〇〇では勢いがないが、作り置きはほどほどにしなければならない
この業界の常識としては同時に提供するのが本来であるとも言うが・・
だから定食と言わなくてセットと言うと友人が語っていたのを思い出した
そんな場合、餃子を先に頼んで頃合いを見てラーメンを頼むのが客の作法だとも言う
だから、餃子を先にと言ったと言うが、店は聞いてないという
おそらくこの店ではそういう注文には応じないつもりなんだろう
ビールを飲むような人は心得ているとも言う
大層に言えば順番にこだわるのもアイデンティティ?だと思う
餃子を焼くことはそう難しいことではないが、タイミングよく提供するにはそれなりの知恵がいる
この頃は若手が任されていたりする
注文の予見が出来ないし、出来ても勝手が出来ない
せかすとあわてて生焼けが来たりする
早めに仰山焼いて怒られた経験があるのだろう、注文がある程度揃うまで焼き始めない奴がいる
そんなことを見ると、餃子の管理は店長がするべきものだと思った
従業員としての心理を考えれば、これからも早くなることはない
この頃、餃子を頼むと「出来た順番にお出ししていいですか」とすかさず有無を言わさず断るようになっている
それは違うと思うのだが・・そもそも出来るんじゃなくて作るんじゃろが
店で出来ることは焼き加減とタイミングだけである
店長さん、私の店じゃないですよ、あなたの店ですよ
写真はオニユリと私
鯵庵(7.30)
2016年 07月 19日
桃園に帰った桃太郎

岡山の「紅清水」と言う品種だった
今年の満開日は4月6日だったと便りにある、ということは満開から3か月ちょっと(100日くらい)で丸丸の桃になることを知った
油断なく桃という商品を育てるのは並みの労力ではないだろう
植物繊維も多く女性の便秘には一つで十分効き目がある
他にカリウムやカテキンも多く、高血圧や糖尿病の予防にもいいとされている・・桃は邪気を払う
三国志は桃園での誓いで始まる
劉備玄徳(りゅうびげんとく)を兄として三人の義兄弟の契りができる
三人寄れば一つの軍であると、三国志は語る
艱難辛苦のはてが蜀の国の皇帝になるまで三人の血盟は続く
悠久の中国を舞台に雄大な男の遊びの印象を受ける
岡山県は桃太郎の伝説の世界だが、三国志に比べると極めて現代的だ
それはそうだ、三国志の方がはるかな昔ばなしだ
桃太郎はイヌ・サル・キジを連れている
親分・子分の間柄であるが、それは黍団子(きびだんご)を与えるということで成り立っている
現代的に言えば見返りが黍団子とは限らない・・それは賃金であったり、褒美であったり、出世であったり、たとえば庇護や保護であったりする
見返りがあれば主人桃太郎の目的に従う・・イヌ・サル・キジには仕事感はあるが血盟もなければ雄大さもはない
彼と一緒のサラリーマン時代を振り返ってみるチャンスになった
たまたまであるが・・サラリーマンでよかったと思っている、本当は我が社にも桃太郎みたいな大小の主はいるのだけれど、そこまで近づけなかった
雇われている我々、本当はイヌ・サル・キジ以下だったのだろうけど、劉備・関羽・張飛で鬼退治しているような錯覚を時に感じられる仕事だった
錯覚はあくまでも錯覚ではあるし、その上経費も使えない出世も出来なかったけれど40年近く勤めて人に罪はしなかった
無能だったかもしれないが無用ではなかった(ほんまかいな?)
人は自分のために働くが、それが人のためになっていると思える仕事は少ない
鬼に雇われたイヌ・サル・キジはかわいそうだ
社会的役割のない会社で歯を食いしばって働いている人の方が多いのだろうと思う
彼は、実家の都合で少し早く辞めた、彼の家族にとっても大変なことだったろう
そこまでなれば、桃太郎だろう
サラリーマンをやめて、その後に犬を連れて桃太郎の役が出来ることは幸せなことだと思う
時々猿に桃を食われることがあるのはこの際愛嬌として堪忍したってほしい
我らの世代は体が動くうちは何かしたいと思っているものが多い
土地を持たないサラリーマンなら市民農園での菜園のまねごとが精一杯である、桃太郎型の余生とは言えない
我が家の庭の花桃にも実はついたがやっとピンポン玉ぐらいである
桃を送ってもらったこともあるが、桃太郎じいさんのこれからを祝福したい
鯵庵(7.19)
2016年 07月 18日
青春からずっと忘れ物

二度も取りに帰ったこともある
忘れ物をしないようにと思うと、他のものを忘れたりする
財布や携帯電話や鍵など忘れなければ何とかその日は過ぎる
それと忘れ物に気づかなければその日は過ぎる
忘れ物でも帰ってくるまで気付かなかったらそれは要らなかったものに近いのだが・・
と言うことでリュックにしたら、リュックが一杯になってしまった
それでも今までも忘れ物ばかり
忘れ物があると思って家を出るようにしている
♪青春は忘れ物、過ぎてから気がつく・・と言う歌があった
長い人生ならもっとあっても不思議ではない
余韻も足跡も残せないかもしれない人生、取りに帰ってくるほどのものはないか
写真は青春の忘れ物
鯵庵(28.7.18)

