人気ブログランキング | 話題のタグを見る

鳥辺野/上方落語の幽霊飴_b0355451_21485019.jpg
都の葬送地であった鳥辺野の話の続きである
http://ajiankyoto.exblog.jp/25896143/
鳥辺野の入り口にあってこの世とあの世を分けるのは六道珍皇寺
千本えんま堂と同じく冥界で閻魔大王とあってきたという小野篁(たかむら)を祀っている
http://ajiankyoto.exblog.jp/25795669/
閻魔大王の君臨する冥界を臨むことは出来ないが、鳥辺野はこの世の幽界である
だから、庶民はお盆の前にここまで死者の魂(精霊)を迎えに来るのである
この六道珍皇寺門前近くに「子育て幽霊飴」の本舗がある
日本全国にある飴買い幽霊伝説の一つである
「にっぽん昔ばなし」にも載せられた、
死後の女が子を産むという話である
一文銭を持って6日間飴を買いに来る女があり、7日目は銭がない
女の衣装と交換に飴を上げた、不思議に思って後をつけていくと鳥辺野の新しい墓で赤子が泣いていた
死んだ女が幽霊になって墓の中で生まれた子に飴(水あめ)を上げて育てていたという話である
子は後に名のある高僧になるという伝説である
落語にもある、上方落語でも『幽霊飴』という噺になっている。
上方2代目大坂生まれの桂文之助(ぶんのすけ)が噺に仕立てた
ただ、落語ではその墓は近くの高台寺になっている
子育て飴であるから「子を大事(こをだいじ)」で高台寺という落ちのためだと思う
桂米朝が解説している

高台寺は徳川政権下で北政所(きたのまんどころ)寧々が夫秀吉の菩提を弔いながら余生を暮らした庵が始まりである
若干の余談を言うと、関ヶ原の闘いの裏の舞台である
自ら面倒を見た尾張時代からの豊臣恩顧の大名を家康方につかせたと、司馬遼太郎の小説で読んだ
秀吉の霊魂をお守りするのは霊代(やくざ映画では”れいだい”と言っているが、”たましろ”という方がふさわしい)である寧々という一人の尼であるというのが根拠である
秀吉の官僚より秀吉の霊代を大事にした家康の勝利であったと・・
とすれば、今でも”秀吉と寧々”と言う夫婦の魂魄はやはり高台寺の一室にあることになる
通り一つ入ると高台寺裏には広大な墓地が広がる
東大谷から高台寺の界隈も鳥辺野と同じく葬送の地であった
そんなことに関わらず高台寺から清水寺への坂道は今日も修学旅行生と着物を着た外国人で溢れている
ソフトクリームと人力車のストリートになってしまった

なお、文之助は引退(大正9・1920)後京都高台寺境内に甘酒茶屋(後の「文の助茶屋」)を経営した
小生は高台寺界隈が京都東山を代表する観光スポットに躍り出てくるきっかけを作ったのは残念ながら秀吉寧々夫婦の魂魄ではなく、「子育て幽霊飴」とこの落語家2代目桂文之助ではないかと思っている
写真は千手観音、ハス
鯵庵(28.7.7)
『親鸞は鳥野辺に眠る』http://ajiankyoto.exblog.jp/
「閻魔大王は地蔵菩薩の化身」http://ajiankyoto.exblog.jp/

# by ajiankyoto | 2016-07-07 08:29 | 都市 | Comments(0)

わたしゃもうテレビはみないよ!だって_b0355451_09364550.jpg
「東京の下町のおばさん」が言う
「わたしゃもうテレビは観ないよ」だって、「・・今は東京の人が出てないもの」だって
少し突込みを入れさせていただきます
いつの時代にテレビに東京の人ばかりが出てたのでしょうか??!!
昔、テレビには東京の人ばかりが出ていたという根拠が分かりません
その心は何でしょうか、ひょっとして芸人連中のこと言ってるのではないのでしょうか
こんなこと言って芸になるのは・・内海桂子師匠ぐらいなら分かる

東京は日本の首都、全国から人が集まって来る
人の増える歴史を歩んできた町、それを都と言います
そして、勝ち残った者が住民として暮らしている街
言うてみれば昔の京都(ただし、秀吉の時代まで)
国の政治をするところが首都といわれる
当然、国会議員だけでなく、大会社も、商店も、放送局も、当然毎日テレビに出ている芸人もが暮らすのが都である東京である
野心と向上心を持った人たちが、テレビで毎日ピエロ役をやりながら・・成功すれば東京人になっていくのです

それとも、吉本の芸人を大阪の人間と決めてかかってるのじゃないですか?
京阪神の人間は皆野球しか分からない阪神ファンだと思い込んでるのと同じことです
品性と感性は都市として皆持っています
都市は全国にありますが、それが一極集中のこの世の中、東京だけが移民の大都市です
近頃、そのことを身をもって示してくれた人がいるではないですか
あの混同さん、別の名を舛添さんって言ったかな?
受験戦争に勝った時から東京人を目指して一途にここまできたあの人も、吉本の芸人と同じじゃないですか

それにあれほど毎日テレビに出てたじゃないですか
知事が東京の人でなければ誰が東京の人なのでしょうか?
しかも、その尊大さもすっかり吉本芸人顔負けじゃないですか
サラリーマンだってクラブのホステスだって同じこと”売れるものは皆売り”ます
何んとか滑り落ちなければ、いずれいつかは「東京の下町のおばさん」のように東京人になっていくのです
こんな話は全国共通だっせ、どこにでもありまんがな

でも、下町のおばさんってことわるところが臭い
こんな人に限ってひょっとしたら、山の手の上流階級文化人かも?
それなら失礼しました
写真は孫娘のサイコロ、1が出たら上がり(東京)と教えている
鯵庵(28.7.6)

# by ajiankyoto | 2016-07-06 06:00 | 都市 | Comments(0)

五条楽園は休業中?

五条楽園は休業中?_b0355451_11004604.jpg
五条楽園の昔は遊郭の歴史である
五条通から南、高瀬川沿いにあった
京都の遊郭の中で五条・六条・七条を冠する鴨川沿いの遊郭が大正時代に一塊になって七条新地と言って商売をしていた
花街である、娼妓も芸妓もいる
お茶屋・置屋・旅館などの揃った歓楽街である
花街と言われたいためか歌舞練場もあった
売春防止法(1958)後も時代に合わせて営業を続けていた
ところが平成22年(2010)秋になって売春防止法違反で主だった役員たちが京都府警に摘発された
それ以来一斉にお茶屋や置屋は休業した、で今も休業のままである
風俗営業法がこの業界の民法なのに、売春防止法という憲法で上げられたのでは仕方がない?
ここはお茶屋さんに上がって芸者(芸子)さんを呼んでもらう仕組みである
古の遊所の様を残している、良く言えば大正ロマンである
近くの祇園や宮川町の芸妓(げいこ)は専門職スペシャリスト・京都観光の花に例えられても・・五条楽園は芸子(げいこ)と呼ばれ明確に一線を引かれたままだったという
いわゆる”ちょんの間”だった、風俗営業法風に言えば、店舗型どちらか言うと熟女系風俗店である
本番云々を名乗ったわけではないので、風営法の枠内であれば今も続けられたかもしれない
現に、大阪では同じような時代錯誤的お茶屋がきっちり営業している、らしい?
が、所詮、風営法の改正に伴って、風俗業界は無店舗型にシフトしている
あの芸子たちは何処へ行ったのだろうか、国際観光都市京都ではしんどい?年令のことも気にしてやらねば?!
今年は平成28年、数年前まで京都にも厳然とあったという事実にはそれなりの意味があるのかも
小生も今時大正ロマン的五条楽園が再開されることは期待しているのではない
もちろん祇園や宮川町のように観光業かと思えるような澄ました花街になってほしいと思うものではない
”たとえいくつになっても女性が自分で自分の体を売ると決めた以上、生活していけるだけの世話は社会的にも必要である”という論である
都である京都や江戸に限らず都市はその機能を果たしてきたというのが歴史である・・
もちろん、あからさまに言うことを共感してもらえるとは思っていない
写真はチョウ絡む
鯵庵(28.7.1)

# by ajiankyoto | 2016-07-01 06:23 | 正面通 | Comments(2)

常盤地蔵/愛宕への道が「千代の古道(ふるみち)」か?_b0355451_16495942.jpg
御所の前から嵯峨方面に行くには今は丸太町通りが伸びている
都が盛んな頃は二条から西の京、太秦、常盤を経て嵯峨広沢の池まで続く古道があった
もっと行けば、愛宕へ通ず、愛宕から丹波の周山にぬける街道でもある
京福電鉄の北野線の線路をこえる前、この街道に面して六地蔵の一つの常盤地蔵がある
ゆったりしたお寺ではないが、六角の地蔵堂が真正面にある
壁が黒塗りのせいで少し違風ではあるが、寺の入り口には「唯一全国地蔵本尊根本霊場常盤山源光寺」とある
京都検定の参考書にはこの寺あの後白河法皇の帰依を受け全国の地蔵の総本山と言う
それにしても、訪れた人もそんなことは想像も出来ない小さな静かなお寺である
8月22・23日の六地蔵巡りの謂れの日にはお参りが出来るとあるのは間違いはなさそうである
六地蔵参りには同好の研究会もあるようだ、京都検定でもないと忘れられる??
小生の自転車京都探訪ではこの道を嵯峨方面に道なりに行けば広沢の池に達した
また、京都に戻るとこれも道なりに西の京を経て千本旧二条に達する
「千代の古道(ふるみち)」と言われる古(いにしえ)の道は都の中心地(朱雀大路と二条大路)を起点とした嵯峨野への最短距離の道とすべきである、と言うのが私の説?である
この道は狭い道である、ここに六地蔵の一つがあるとすれば、
この愛宕に至る街道こそ千代の古道とすべきではないかと思っている
嵯峨野の入り口梅宮大社のところから北上する道も捨てがたい
困ったことに千代の古道の定義と存在が明確でない
その上、各地元が連続性がないまま方々に道標の石柱を建ててしまった
決定打がなくなっている
小生の説も”・・と言われている”と・・言い続けたらその内らしくなってくる
京都検定は試験だから早く正解を作らなければならないのは分かるけどね
写真は青ホウズキ
鯵庵(6.30)


# by ajiankyoto | 2016-06-30 07:49 | 地蔵菩薩 | Comments(2)

モノクロの世界?

モノクロの世界?_b0355451_09014904.jpg
若い人にとってハローワークでの職探しはそもそもが崖っぷちかも?
ここでの「職探しと言うのは1にも2にもマッチングが大事なのでは?」とある相談員に若くない小生が自分の意見を言ったら、有能そうな相談員彼女から「職探しはタイミングの問題です」と頭の上の方から答えが帰ってきた
「それじゃ私でも相談員になれる」と言いたかったが、相談員は私の年齢のことを言ってるのかもしれないと思った
毎日何十人の人の職探しに付き合っている相談員にとって、どちらかと言うとパートやアルバイトの世話は不本意(面倒)かもしれない

たまたま同じハローワークの紹介状を持って1週間、彼と一緒に仕事した
休憩もさせてもらえなくとも何とか頑張らな、と言っていた
もともと最低時間給で週に5日以上働いて、交通費もくれず健康保険も掛けてくれずでは上手く雇用されても所詮親に食わしてもらってる境遇から抜け出せるというものではない
それもしくじって、家に帰って親にどう報告するのだろうか
ハローワークは何度でも、また二股でも三股でも紹介してくれる
ただし、「贅沢言うてたら仕事ないで」と言わんばかりである、結局志望を決めるのは本人である、何度も行けばいつも上目遣いになってしまう
二股・三股といったって一度採用されれば無縁だ
どれほどいい話だって渡る船はない

私たちが上目遣いで相談員に話をするようにせめて求人側もそうあってくれたらと思う
それなら求人側も働く環境を少しは整えてくれるかもしれない、そうすれば相談員もマッチングの方に気持ちを傾けてくれるかもしれない
求職者が二度とハローワークに来なければタイミングだということも叶わない
小生は言いたいのだ、色のある世界ではブラック企業もあり得るだろう、しかしこんな白と黒のモノクロの世界では明るいか暗いかだけである

一週間一緒に辞めた帰りに、年長小生だから、せめてそこらでビールでもやるかと言ったら、酒は飲めないという
誘ってくれたのは嬉しいけど母親が待っているといって帰った
健康保険料も親に出してもらっている、と言っていた
小生の方せめては毎月の健康保険料くらいは稼ぎたいと思っている
彼の親は小生の同年配であるはずだ
親に食わせてもらっているうちはいいけれど、親を食って生きていくようなことにならなければいいのにと思った

新卒者ですら最初の就職で座礁すると、二度と広い海には戻れない、と言う
時間給810円(※平成27年度京都府の最低賃金807円)でいいと言ってるのだから、彼に出来る仕事を与えてやれる世間はないのだろうか
本当に年寄りが彼らの仕事を奪っているのだろうか
年齢不問の言葉を聞くたびにそれからも思う
写真はホタルブクロも終わる
こんな話聞いてくれてありがとう
鯵庵(28.6.28)








# by ajiankyoto | 2016-06-28 07:42 | ハロー・ワーク | Comments(0)