2016年 07月 17日
ケつを割ったパート

その内面接に至ったのが4か所だった
7か所はすぐに履歴書が送り返されてきた
書類選考はいたしませんと言うところも数カ所含まれている
パートながらもそれなりの人生経験を買ってもらえるかと期待したところほど厳しかった
最後(最初の採用)のところは15人の募集だった
当然期待していたが、ここは人事の責任者もいなかった
面接もなく明日から来ると言うのが普通だと言われた
それでも採用されたことに違いはない
結局、40代・50代・60代、3人の男がハローワークの紹介で来て、ほぼ10日で皆辞めた
「軽作業」でなかったのは仕方がない・・
しかし、ここで1か月も勤めることが出来たとしても、勤めれば勤めるほど失うものが大きすぎる
せめて早く辞めて出直すしかないと先のない小生でも思った
募集の数も異様であるけど、定着率も異様である
会社から言えば、ハローワークの世話で来る人は定着率が悪いというかもしれない
ひょっとしたら先に会社からハローワークにそんな苦情が入るかもしれない
パートの人は既に悲しい覚悟をしている、定着率は労働環境によるのは当然のことだ
「したい仕事が出来るわけはない、パート勤務と言ったって厳しさは一緒だ、金をもらうということはそういうことだ、最低賃金で守ってやっている、みんなそれに耐えて頑張っているんだ」と会社の声とも世間の声とも分からない冷たい叱咤が聞こえてくる
”意欲のない奴”と思われると、どんどん労働環境の悪い職場に追い込まれてくる可能性が高い
小生も、結局やっと紹介してもらったパートの尻(けつ)を割った、次回からハローワークには行きづらい
民間のネットの求人情報ではここの会社は定着率の良さが自慢だと書いてあった
会社が言うのは勝手だけど、異様な募集の数や定着率だけでもハローワークが気をつけてくれれば少しは良くなるかもしれない、と思っている
まだまだ求人ばかりが増えて有効求人倍率が大きくなっていくかもしれない
役所は、それでもこの頃大阪・京都の求人が増えているのは外国人観光客(インバウンドと言うらしい)の増加のおかげだと分析して得意になっている
なら、いっぺん0にしてみたら・・
もう別の統計手法が必要かもしれないと小生でも気づく
山を目の前にして登山口で引き返してきた小生が大きなことを語ることは出来ないのかも
こちらではそれを゛ケツワリ”と言う
今月から月5万円の国民健康保険料、絶対に銀行引き落としにはしないぞ
鯵庵(28.7.17)
2016年 07月 15日
京都の勇み足(おてしょうの文化⑶)

たしかに京都に住まう人が〝今晩のおかず″を考えることは、大げさに言えば京都の文化でもある
京都という町は海産物に限らず野菜だとて100%の消費都市である
ただのおかずなのだけど・・
〝おばんざい″と言えば、造語ながら〝野菜ひとつ無駄にしない″という意味を込めてあると言うことも出来る
なおもその中で突出したいと思えば、謂れや言葉の装飾も必要である
〝おばんざい″も〝おまわり″もそういうものだが、ただ足が地面につかない言葉の代表である
しかもその線に乗れば、延長線上に”京料理”とついてくる
”京料理”は和食であると連想ゲームが進めば”料亭の京料理″が我が物顔で出てくる
古都京都ででいい掛け軸の前で京料理を食ったら一味も二味違うかもしれないが、それは現代生活ではギャップが大きすぎる
「和食(文化)」と言うのが無形文化遺産になった
日本人のつつましやかな日々の暮らしが誉めていただけたと思ってもいい
京都の庶人も毎日衣食住の暮らしの中で生きている
そのとたんに京都の料亭の主人や花柳界やらがしゃしゃり出て遺産や文化を独占するのはルール違反である
いつも京都の料理屋が前に出すぎるとそれも観光業になってしまう
美味しいんだろうけれど料亭の主人たちの客を選ぶあの高慢さが鼻につきだした
何の個性もない回転寿司屋に庶人の食文化を奪われそうだ
写真は旅先で気に入って買ってきた花差し
鯵庵(7.15)
おてしょうの文化
日本にいて和食を食ったことがない
2016年 07月 07日
鳥辺野/上方落語の幽霊飴

http://ajiankyoto.exblog.jp/25896143/
鳥辺野の入り口にあってこの世とあの世を分けるのは六道珍皇寺
千本えんま堂と同じく冥界で閻魔大王とあってきたという小野篁(たかむら)を祀っている
http://ajiankyoto.exblog.jp/25795669/
閻魔大王の君臨する冥界を臨むことは出来ないが、鳥辺野はこの世の幽界である
だから、庶民はお盆の前にここまで死者の魂(精霊)を迎えに来るのである
この六道珍皇寺門前近くに「子育て幽霊飴」の本舗がある
日本全国にある飴買い幽霊伝説の一つである
「にっぽん昔ばなし」にも載せられた、
死後の女が子を産むという話である
一文銭を持って6日間飴を買いに来る女があり、7日目は銭がない
女の衣装と交換に飴を上げた、不思議に思って後をつけていくと鳥辺野の新しい墓で赤子が泣いていた
死んだ女が幽霊になって墓の中で生まれた子に飴(水あめ)を上げて育てていたという話である
子は後に名のある高僧になるという伝説である
落語にもある、上方落語でも『幽霊飴』という噺になっている。
上方2代目大坂生まれの桂文之助(ぶんのすけ)が噺に仕立てた
ただ、落語ではその墓は近くの高台寺になっている
子育て飴であるから「子を大事(こをだいじ)」で高台寺という落ちのためだと思う
桂米朝が解説している
高台寺は徳川政権下で北政所(きたのまんどころ)寧々が夫秀吉の菩提を弔いながら余生を暮らした庵が始まりである
若干の余談を言うと、関ヶ原の闘いの裏の舞台である
自ら面倒を見た尾張時代からの豊臣恩顧の大名を家康方につかせたと、司馬遼太郎の小説で読んだ
秀吉の霊魂をお守りするのは霊代(やくざ映画では”れいだい”と言っているが、”たましろ”という方がふさわしい)である寧々という一人の尼であるというのが根拠である
秀吉の官僚より秀吉の霊代を大事にした家康の勝利であったと・・
とすれば、今でも”秀吉と寧々”と言う夫婦の魂魄はやはり高台寺の一室にあることになる
通り一つ入ると高台寺裏には広大な墓地が広がる
東大谷から高台寺の界隈も鳥辺野と同じく葬送の地であった
そんなことに関わらず高台寺から清水寺への坂道は今日も修学旅行生と着物を着た外国人で溢れている
ソフトクリームと人力車のストリートになってしまった
なお、文之助は引退(大正9・1920)後京都高台寺境内に甘酒茶屋(後の「文の助茶屋」)を経営した
小生は高台寺界隈が京都東山を代表する観光スポットに躍り出てくるきっかけを作ったのは残念ながら秀吉寧々夫婦の魂魄ではなく、「子育て幽霊飴」とこの落語家2代目桂文之助ではないかと思っている
写真は千手観音、ハス
鯵庵(28.7.7)
『親鸞は鳥野辺に眠る』http://ajiankyoto.exblog.jp/
「閻魔大王は地蔵菩薩の化身」http://ajiankyoto.exblog.jp/
2016年 07月 06日
わたしゃもうテレビはみないよ!だって

「わたしゃもうテレビは観ないよ」だって、「・・今は東京の人が出てないもの」だって
少し突込みを入れさせていただきます
いつの時代にテレビに東京の人ばかりが出てたのでしょうか??!!
昔、テレビには東京の人ばかりが出ていたという根拠が分かりません
その心は何でしょうか、ひょっとして芸人連中のこと言ってるのではないのでしょうか
こんなこと言って芸になるのは・・内海桂子師匠ぐらいなら分かる
人の増える歴史を歩んできた町、それを都と言います
そして、勝ち残った者が住民として暮らしている街
言うてみれば昔の京都(ただし、秀吉の時代まで)
国の政治をするところが首都といわれる
当然、国会議員だけでなく、大会社も、商店も、放送局も、当然毎日テレビに出ている芸人もが暮らすのが都である東京である
野心と向上心を持った人たちが、テレビで毎日ピエロ役をやりながら・・成功すれば東京人になっていくのです
京阪神の人間は皆野球しか分からない阪神ファンだと思い込んでるのと同じことです
品性と感性は都市として皆持っています
都市は全国にありますが、それが一極集中のこの世の中、東京だけが移民の大都市です
近頃、そのことを身をもって示してくれた人がいるではないですか
あの混同さん、別の名を舛添さんって言ったかな?
受験戦争に勝った時から東京人を目指して一途にここまできたあの人も、吉本の芸人と同じじゃないですか
知事が東京の人でなければ誰が東京の人なのでしょうか?
しかも、その尊大さもすっかり吉本芸人顔負けじゃないですか
サラリーマンだってクラブのホステスだって同じこと”売れるものは皆売り”ます
何んとか滑り落ちなければ、いずれいつかは「東京の下町のおばさん」のように東京人になっていくのです
こんな話は全国共通だっせ、どこにでもありまんがな
こんな人に限ってひょっとしたら、山の手の上流階級文化人かも?
それなら失礼しました
鯵庵(28.7.6)
2016年 07月 01日
五条楽園は休業中?

五条通から南、高瀬川沿いにあった
京都の遊郭の中で五条・六条・七条を冠する鴨川沿いの遊郭が大正時代に一塊になって七条新地と言って商売をしていた
花街である、娼妓も芸妓もいる
お茶屋・置屋・旅館などの揃った歓楽街である
花街と言われたいためか歌舞練場もあった
売春防止法(1958)後も時代に合わせて営業を続けていた
ところが平成22年(2010)秋になって売春防止法違反で主だった役員たちが京都府警に摘発された
それ以来一斉にお茶屋や置屋は休業した、で今も休業のままである
風俗営業法がこの業界の民法なのに、売春防止法という憲法で上げられたのでは仕方がない?
ここはお茶屋さんに上がって芸者(芸子)さんを呼んでもらう仕組みである
古の遊所の様を残している、良く言えば大正ロマンである
近くの祇園や宮川町の芸妓(げいこ)は専門職スペシャリスト・京都観光の花に例えられても・・五条楽園は芸子(げいこ)と呼ばれ明確に一線を引かれたままだったという
いわゆる”ちょんの間”だった、風俗営業法風に言えば、店舗型どちらか言うと熟女系風俗店である
本番云々を名乗ったわけではないので、風営法の枠内であれば今も続けられたかもしれない
現に、大阪では同じような時代錯誤的お茶屋がきっちり営業している、らしい?
が、所詮、風営法の改正に伴って、風俗業界は無店舗型にシフトしている
あの芸子たちは何処へ行ったのだろうか、国際観光都市京都ではしんどい?年令のことも気にしてやらねば?!
今年は平成28年、数年前まで京都にも厳然とあったという事実にはそれなりの意味があるのかも
小生も今時大正ロマン的五条楽園が再開されることは期待しているのではない
もちろん祇園や宮川町のように観光業かと思えるような澄ました花街になってほしいと思うものではない
”たとえいくつになっても女性が自分で自分の体を売ると決めた以上、生活していけるだけの世話は社会的にも必要である”という論である
都である京都や江戸に限らず都市はその機能を果たしてきたというのが歴史である・・
もちろん、あからさまに言うことを共感してもらえるとは思っていない
写真はチョウ絡む
鯵庵(28.7.1)

