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火盗改め鬼平の京都

江戸で活躍の鬼平が20年ぶりで京都へ来る
当時、西町奉行に就任(1772)した父の赴任と従って足掛け2年を平蔵の家族も京で暮らした、という話である、
平蔵の父もその後の平蔵も徳川の実在の官僚だったからそこまでは史実とほぼ重なる

それから20年その父の墓参りにやってきたのは小説だけのことだろう
テレビは何度も再放送されている、「艶婦の毒」と言う題であった
艶婦とはお豊と言う西国をまたにかける盗賊団の引き込みで、若いころの平蔵に京都で出会った
”お前がおれば主もいらんし親もいらん”と言わしめた相手であるが、平蔵にとっては若い時の京都での大失敗である
女優山口果林がいい40女を演じている
何んとテレビ映画「鬼平犯科帳」平成6年(1994)約20年も前の作品だ
その女を幕府のお先手弓頭兼火盗改めに出世した鬼平が20年後の京都でまた見かけたて捕えた
女優が誰であろうと、小生なら昔のよしみで見逃してやる
鬼平は自分の若い頃と京女が憎かったに違いない
火盗改め鬼平の京都_b0355451_07362582.jpg
鬼平年譜によれば京都で暮らした20年前の平蔵は結婚して息子辰三が出来ていた
父がも少し長く奉行を務めておれば、京都で暮らしてたかもしれないが、早々と父の役宅をたたんで江戸へ帰ってしまう
1年にも満たない京都暮らしであった
京都では大言だけを残した人であった
世は田沼政治の時代、28歳で長谷川家の当主となるが、無役の旗本、それからしばらくまた放蕩が始まるという、ところがやがて幕臣として頭角を現す
その上昇志向は大言壮語だけでなく三河以来と言う長谷川家の家柄によると研究者は言う
思えば地方都市京都では暮らせない人であったと思われる
明治になって都が東京に移るまで京都は都だったというのは京都人の意識的な勘違いである
鬼平の時代には既に古都だったのだから・・
写真は線香
鬼平の再放送ばかり見ている鯵庵(28.5.6)



# by ajiankyoto | 2016-05-06 07:41 | 京都の水 | Comments(0)

愛宕道の写真スポット

嵯峨釈迦堂から西へ踏み出すと愛宕道へ通ずる
清滝のトンネルの手前まで進むと愛宕念仏寺がある
嵯峨野散策の終点(起点)である
信者さんの彫った1200もの羅漢像があるのが知られている
そこから少し下ったところ水尾への分かれ道のところに、大きな朱色の鳥居があって平野屋という鮎が売りのお茶屋がある
店の作りは田舎風であるが、この鳥居本のあたりでも存在感がある
小生、未だ入ったことも食したこともないが気になっている店である
店の前が崖になっていてそこからこの平野屋が全景で撮れた
愛宕念仏寺とこの平野屋こそ以前からの春夏秋冬の写真スポットなのだ
季節に合わせて一番いいカメラで一番腕のいいプロが撮った写真が、ポスターになりカレンダーになりパンフレットに載っているのに、それと同じような写真を撮りに行くというのがアマチュア写真家の哀しさだと思える
小生とカメラ仲間の友人のことである
写真は光の一瞬を撮るものである
カメラ好きは例え撮りつくされた被写体であっても自分だけの一瞬を見つけたいと思っている
しかし、一瞬が何百・何千とあればそれは一瞬と言い難い
二人のカメラはいつの間にかデジカメになっている
今は崖にへばりつかなくとも十分撮れる
数で勝負、どれだけ撮ってもコストがかからないと思うことが、いい写真が撮れなくなった原因だと気付く途中にある二人である
写真は愛宕念仏寺
鯵庵(28.5.2)

愛宕道の写真スポット_b0355451_07165860.jpg



# by ajiankyoto | 2016-05-02 07:19 | 翁草 | Comments(0)

まるで海外旅行してるみたいです_b0355451_07324787.jpg
嵐山に観光に来て、川しかないとがっかりした人がいる
新緑のこの季節は藤の花が見える山もあるやんかと反論しても意味がない
それがどうしたということになる
川しかないから船しかない
遊覧船の船頭さんが国内の観光の人には言うらしい
「嵐山のいいとこを案内出来る・・外国のお客さんは話が出来ないから同じ船をやっても肩が凝る」と言うことだ
外国の人には黙って竿を扱っているだけらしい

ベンチャラなのか愚痴なのかわからないので、お返しで一番いいときはと聞いてみたら
やはり、夏の鵜飼の時だという答えが帰ってきた
「岐阜の長良川には負けるが大分の日田と並んでここは盛んだ」と話が弾んだ
我が国の三大鵜飼に入ろうという勢いだった
嵐山は千年も前から都人の最大の行楽地、鵜飼の歴史は記紀や万葉集にもある
観光資源としての鵜飼で今更虚勢を張らなくとも差し支えない

昔から嵐山は川に船を浮かべて遊ぶところなのだからそれでいい
季節の移り変わりを優雅に楽しむところだ、そのための船頭さんだ
丹波亀岡盆地の水はこの川一本で京都盆地に入る
その気になれば大堰川の由来やら、近頃の水害の謂れなどこの川だけでも講釈のネタはいくらでもある
人力車のお兄ちゃんもそうだがあまりごちゃごちゃの説明をしてくれなくともよい
その方が楽しめる、言葉の分からない外国の人の方が素直に楽しんでいるのかもしれない

富山に住む友人富山氏夫婦は久しぶりの嵐山観光を終えて、今京都駅前で小生夫婦と飲んでいる
・・でも日本語で会話出来たのはあの船頭さんだけだったと海外旅行みたいな話になった
外国人ばかりで嵐山も京都も肩が凝るという話だった
早々と小生の家で飲みなおすことになった
写真はボタンが咲いた
鯵庵(28.4.26)


# by ajiankyoto | 2016-04-26 07:43 | 京都の水 | Comments(0)

選挙に勝って、東京さ行くダ_b0355451_10124282.jpg
この頃晩酌のテレビのニュースにつっこみを入れると、
家内の一つ覚えで「家でゆわんと東京行ってゆうてき」と言われる
朝から晩までワイドショーばかり見ていて、好みのコメンテーターの話はうんうんというて聴いているくせに、である
世の中というもんは、テレビで分かるぐらいの話じゃない
表もあれば裏もあるが、裏にはももっと裏がある、裏がひっくりかえって表になったり、違うものになったりする
たまたま、見えてるのが本の背表紙みたいなもの
いかにももっともらしい話は所詮眉唾やし、何も勉強してないコメンテーターに辛口など期待できるはずがない
そもそもがワイドショーそのものが茶番の延長なんやでと要らざる反論をしてみた
毎日が日曜日になって夫婦?の会話がテレビを間においてしか無いようなことになるのに、亭主がコメンテーター以下の扱いでは、まったく先が思いやられると嘆息してしているところである
日本全国、東京でしかものが言えないなんてことが本当なら、結局、物が言えるのは代議士だけということになってしまう
長岡天神にツツジを見に言ってたら選挙カーが通った
なんと乙訓寺のボタンまで追いかけてきた
東京で物を言う人を一人変えるのにまた選挙らしい
花に口があったら「そんなこと東京へ行ってゆうてこい」と言いそうだ
写真はキリシマツツジ
鯵庵(28.4.22)



# by ajiankyoto | 2016-04-22 10:14 | 翁草 | Comments(0)

御香宮の水

御香宮の水_b0355451_07055208.jpg

京都の地で唯一〝名水百選(環境省)″に上がっているのが、伏見の御香宮神社の「ご香水」
この御香宮は伏見の町の産土神(うぶすながみ)、古くから神功皇后(オキナガタラシヒメノミコト)を祀る
徳川体制になった時に伏見城から今の地に移る、本殿は家康の寄進によるとある
伏見は伏水とも書くくらいだから地下水に恵まれたところ
また、酒造りの町、さもあらんと納得できる
御香宮お参りの時に、一口飲ませてもらったが、その御香水の横の書きつけにこんなのがあった
『御香水を汲まれる皆様/水質維持の濾過機を設置しました、つきましては維持管理費のご協賛をお願いします・・』・・協賛金よりもお賽銭は必要だろう
この頃どこへ行っても何本もペットボトルを持った水汲みおっさんがいる
小生もおっさんながら杓で一口頂いたが、この看板に目が行ってから味が分らなくなった
環境省の名水百選は実は飲み水としての評価ではない
それでいいんだろうけど、伏見では困る
伏見には七名水ありとて、有名酒造会社は独自の井戸を守っている
桃山丘陵からの伏流水で御香水と同じ水脈であることを誇っているものもある
軟水~中硬水で美味しいミネラルウォーター状態、酒造りの命の水で、地元の人にも・・と言っている
そんなところは大ろ過機を据えているのだろうか
もちろん酒造りの安全のためには構わないけど
ただ、名水を濾過したら伏見の味ではなくなることを心配している
京都の名水井戸はほぼ枯れた、伏見は?
写真はハボタンの花
鯵庵(4.18)


# by ajiankyoto | 2016-04-18 07:15 | 京都の水 | Comments(0)