2016年 04月 10日
寂しき淀城
京都の鳥羽口から鴨川の堤の上の旧京阪街道(千本通)を下ると納所(のうそ)に達する
そこには豊臣の時代、淀君の淀城があった
徳川体制に入って新しく今の地に巨大な城を築いたそれが淀城である
淀城は巨椋池の出口、淀川を堀にして浮かぶように立っていた
街道は城に入らなければそのまま橋本・枚方・大坂に下っていく
淀城址は京阪電車からよく見えた、元の淀駅は淀城の堀を削って埋めてあった
荒れた城は今も名残の堀と石垣を残している
小生、もう二昔も前だがこの城に隣する病院に入院していたことがある
病院は大きくなっているようだが、町を久しぶりに見るといっそう寂しくなっている
山城の国で唯一の10万石大名の城下町が、
明治になって一時淀川水運の町になりやがて競馬場の町になっていった
巨椋池(おぐらいけ)の一部が競馬場になり、今度は京阪電車が高架になって駅が少しずれた
競馬場で働く町の人もいるが、馬券の客も駅から直通だし、関わりは納所の中の広大な駐車場だけである
駅前商店街もやっと静かになったとも言えるがもう取り戻すものがなくなっている
維新の直前、戊辰戦争の時淀城主稲葉氏は江戸幕府の筆頭老中だった
何故か城を守る家臣たちは、形勢の悪い幕府軍を城には入れなかった
この町には戊辰の時の戦死者の碑が競馬場と一緒にある
勝ち馬に乗るというのは競馬場には縁起のいい話かもしれないが
この時の混乱の時の歴史的逸話が、淀の町の将来を暗示するような結果になっていることが小生には今も信じられない
これだけの資源がありながら、発展しないのは京都市に編入されたからかもしれないと、入院した時には考えていた
他に、選挙区のせいもあるかもしれない
どこから来たのか知らない代議士が淀の城のことも勉強する間もなく急に不倫でやめたりしてる
いつの間にか水中は特定外来種ばかりになっている
写真は淀城の堀にのさばる外来種のアカミミガメ
鯵庵(28.4.5)
※29年6月にやっと地元の人たちで駆除が行われるようだ・・
2016年 03月 29日
京焼の馥郁窯
仁和寺はまた御室(おむろ)とも言われる
1000年前の宇多法皇の院の御所だったことがあるゆえだ
ここは遅咲きのサクラの名所である、根元から株立ちした木に目線に近く花がつく
でも、ソメイヨシノが開花したばかりでは蕾は固すぎる
境内のソメイヨシノや御室桜が咲くころにはあまりの人の多さにいつも驚く
ピンクのミツバツツジが盛りを迎えようとしているこの時期ならゆっくりできる
この花が山にあると「山は笑う」という、しかし、こうしてみるとまた違った趣だと思う
この日は境内で馥郁窯(ふくいくがま)の村上氏が自分で焼いた陶器の店を開いていた
伝統工芸士である、いつもこの時期にと言っていた
金属質の焼き上がりとなお手に軽いというが特徴という
小生は焼酎湯割り用を一つ手に入れた、安くても名品だと思う
仁和寺の花は仁和寺の阿弥陀如来像や千手観音像と同じ
仏が皆様を誘っているのである
花だけ見ていたのではありがたさも半分
帰りに馥郁窯の出店も覗いてみるべし
ホームページなど自分はやってないが、時々書いてくれる人がいるということだ
今度「馥郁窯(ふくいくがま)」で検索したら小生のこのブログも出るかもしれない
写真はミツバツツジ
鯵庵(3.29)
2016年 03月 21日
さくら前線
意外なことに東京地方の開花は早い
昔、東京から新幹線で京都に帰ってくるのに、さくら前線に遭遇したことがある?
車窓から見える満開のサクラを眺めていると
新聞に載っているような開花予想の地図がちょこっと納得できた
厳密に言えばソメイヨシノの満開前線だったのだろうと思う
新幹線が九州や北海道に延びれば南北の距離も伸びる
ますます見えやすくなるのではと思ったりする
飛行機旅行の好きなかいこ氏にサクラ前線を見たかときいたら
寒冷前線は見たことあると妙な答えが返ってきた
さくら前線も寒冷前線も気象用語
文学的に言えば″花信”である
・・いくつ歳を重ねたら心はしずまり
一人酒汲む静寂に住むことが出来るのか
今日も嵯峨御所から花信が舞い込んできた
大覚寺大沢の池畔に、京都人臼井喜之介の碑がある
″花信風”という言葉もある、花信より先に届く
開花予想だけでも楽しめる季節になった
写真はさくら
鯵庵(28.3.19)
2016年 03月 17日
ハローワークの春は遠い
今日はハローワークへ、街中にあるので便利だ
こちらは3カ月ぶり、ハローワークも2軍登録ゆえしばらく間があいた
前回は1カ月待たされて、面接日の通知かと思ったら門前払い「貴殿のご期待に沿えません」の一言で履歴書が送り返されてきた
すぐに行くと苦情を言いに行ったようなのでしばらく心のリハビリ
いつもは検索端末の前にはオッサン高齢者がたくさんいるのに、
今日はやけに女性が目立った、それもやや若い気がする
建前が年令不問、男女不問なんだけど、実は・・実はの世界である
半年以上通えば、それも承知の上での話であるが
それじゃいつまでたっても1軍に上がれない
今日の女性たちも、ひょっとしたら男女不問の建前に泣かされてヒットが打てないのかもしれない
3月半ばのハローワーク就職戦線は残り福とは言い難い??
春一番も、桃の節句も過ぎた
隣の女性が言っていたのが聞こえた
「遅かったのかもしれない」(そう・・いつもなんだ)
カッコ内は小生が勝手に忖度(そんたく)したアラフォーのため息である
気がついたらバスは出ていた?あっち向きのバスにも、こっち向きのバスにも乗り遅れてしまった?
30代・40代女性のため息はなまめかしい
ハローワークと結婚相談所では「遅れた」というのは禁句である
相談員さん、せいぜいそう思わせないように声をかけてやってほしい
「まだ、大丈夫、気付くのが遅れた訳じゃない」と
なんとか手伝ってやりたいが、2軍(60才代半ば)の小生が声をかけては慰めにならない
まだ折り返し前、何もかも間に合わない訳でないし
「節句を過ぎても桃は咲く」
写真は桃の花
鯵庵(28.3.17)
2016年 03月 12日
落ちたツバキ
この頃街中を歩くと同年配によく出合う
同年配の輩とは昭和20年前後から20年代の生まれというところか
たいていが帽子をかぶってリュックを背負って、いかにもぶらぶらしている
まー大体定年を暫く過ぎて、今は仕事は何もしていない
団塊の世代はそもそもその言葉が嫌いだけれど、それに代わる有効な単語がない
自分がその仲間だというのに、そんなぶらぶらしているオッサンを見るとつい働いてる人の目が気になる
街では、ところどころでガードマンに逢う
しかしよくよく見ればまた同年の輩である
ヘルメットをかぶって少し顔も汚れているが、いかにも髭の似合う紳士が多いことに驚いた
ハローワークに行けばすぐにわかる、簡単に採ってもくれないし、簡単に勤まらない、我らの世代ではガードマンの仕事はエリート的存在なのだ
昼飯に王将に入ったら、カウンターに中華の皿を並べて一人でビールを飲んでいるのも驚いた
街歩きの文化人、工事現場の紳士風ガードマン、昼間からビールの遊び人風・・他にも株屋の前で数字の掲示板を見つめて一日過ごす人もいる
これ同じ同年輩なのである
そういえば、子供の頃からの教科書の単調な倫理感に慣れた読者諸兄は、イソップ童話風のストーリーを思い浮かべることだろう
しかし、実際の境遇や懐具合はそんなところから見えるもんではない
今までの稼ぎや年金や貯蓄の額とは無関係である
現在(いま)も違う以上に、過去も違う、もっとそれ以上に先のことも違うだろう
間違いなく、同じような人生(老後)を暮らすことはないように思う
それは生き方の問題だからである
60歳を過ぎれば碇(アンカー)のない舟なのだ
いずれにしろ人生が決まった訳ではではない
おそらくイソップの結果とはきっと違うだろうけど
それが誰にも本人にも分からないのが人生だ
写真は落ちツバキ、落ちてなお傷みやすい花である
鯵庵(28.3.12)