2024年 07月 26日
西院は「さいいん」と読む?

疑問提供として今のままでいい
2024年 07月 25日
閻魔大王と小野篁の地獄

変に気骨のある人であり野宰相(やさいしょう)とも呼ばれるとある
小野氏は幾筋かあるが、名門武士の祖である
野太とか弥太郎とかいう名は小野氏の長男を言っていた
千本えんま堂や六道珍皇寺の伝によれば小野篁は創建に直接かかわったとされる人物である
盆の精霊迎えを六道参りとも言う、六道とは天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道のこと
餓鬼のくせに″私は人間道にいる”などと勘違いしてはいけない
浮世で生きている限り迷いばかりでぐるぐる輪廻(りんね)している
輪廻転生(りんねてんしょうとは)とはぐるぐる回ることだけを意味している
生まれ変わることとすれば人は一生の内何度も生まれ変わっている
地獄は死者の国であるが、現世とは密接につながっており
佛でなくとも小野篁はこの世と地獄と行き来していたとお寺では言う
閻魔大王が冥界の王である所以は、”真理に忠実なものと偽りを語るものを厳密に区別する”ことにある
死してゆくところは他界であるが、他界とは閻魔大王の世界のことを言う
閻魔大王は自分の世界に到着した人の善悪の行為をはかる裁判長である
それは小生らが子供時分から機会あるごとに教えられた閻魔大王の世界でもある
冥界に一番近いというこの寺も言ってるのである
生きた小野篁がこの世と地獄と行き来できるということは大事なことで、地獄はそう遠い世界ではないように思える
しかも、小野篁は閻魔大王の書記を勤めていたと言う
極めて浮世と似た話である、急に地獄が怖くなる
政治家も弁護士も詐欺師も同じように何十枚もの舌を抜かれるだろう
閻魔大王の前では浮世で堂々とまかり通ってきた嘘や善人面は通らないと言える
閻魔もだましても一度上手く世渡りしてやろうと思う輩もいるだろう
この世の裁きは不条理なものであるが地獄では真実だけが通る
人々はそのことに救いを感じるのである
自分もいいことばかりしてきたとは言えない
しかし、いいことばかりしてきたという人も閻魔の厳しい審理に合えば化けの皮がはがされる
地獄もこの世も同じであるが、地獄には絶対の真理がある
そのかわり地獄でも我ら凡夫はまた六道を流転するという
地獄の責め苦は輪廻転生である、業が尽きれば仏の膝下に転生出来るかもしれない
上手くすれば地獄と言う闇の国から浄土と言う光の国へ行けるかもしれない
お盆を前に地獄参りの一端である
鯵庵(R6.7.24)
2024年 07月 13日
詫び錆び、思ったほどのことはない

みんなが知っていることでは自慢にならない
"何でも京都が一番やと思ってるから、自慢してない様でみんな自慢になっている、
道を聞いただけでも京都自慢の押し売りに会う、京都の人はそこを上手く使う”
と感心してくれた大阪の友人がいた
京都という名前がメガトン級だから、知識のおすそ分けのつもりだろうね
旅の目的も色々あるはず、観光客ばかりではないのに・・ね
「旅」は文化、観光は「産業」、そこの区別が曖昧な街が京都だ
答えに困れば「伝統」と言う言葉を使う
一昔前サラリーマン時代、東京の本社の人を案内したことがある
外国人観光客と同じように世界遺産と言うブランドものにしか興味がなかった
しかし、こちらがガイドとしての勉強不足を謙遜したとたん、
「案内してくれるぐらいのことなら中学校で習ったわ」と変な慰めにあった
やっぱり、東京でいい大学を出ている人は違う
確かに教科書に載っている仏像を見て、教科書どおりや感心してる修学旅行生もいる
京都が中学校の教科書のままならどこ行ってもわび(詫び?)・さび(錆び?)になる
件の本社の人、そのくせ夜に飯を食ったら芸者か舞妓が来るもんやと思ってる
どこに行っても何を食っても結局は銀座以下だと慰められた
こっちは自前やで、本社から来るなら経費も持って来いと言いたくなった
「京都は生きてる町」やでと反論すると、
ついに″遺産で生きてる町″だと揶揄された
もう京都だけには行かないという人も多い
外国人ばっかしやし、やかましいし、不親切やし、何でも高いし、観光都市でも何でもないやんか
その上、テレビとも本とも違うし思ったほどのことはない、と言う結果になる
だからこそ、おもてなしのついでにちょこっと教えてやろうとするとまた嫌がられる
どこまで行っても結果の見えてる話なんだ
鯵庵(R67.12)
2024年 07月 12日
市バス運転手はキャプテン
京都の世界遺産は点在するので、市バスは有効な足である
バスの一日乗車券はその点便利であったが、結局なくなってしまった
中学生の修学旅行のシーズンが続いている
せっかくの京都だから、グループで乗ったり降りたり地図を見たり楽しんでくれたらいい
が、正直、時に行儀の悪いグループがいる
観光シーズンに市バスに乗る市民のストレスは大きい
小さな停留所では降りることが出来ない、降りられないことが恐怖になっている
だが、修学旅行生なら通路を開けてくださいと言えば何とか気にしてくれる
ところが困ったことに、それに加えて外国の人が増えすぎた
回りほとんどが外国の人という満員バスに乗り合わせた
乗降りの度に乗客と大きな荷物が逆流、いつもなら不愛想な運転手が顔を真っ赤にしている
料金をもらうだけではない、乗車中は運転手がキャプテンだ、しかし、言葉が通じないそのストレスである
乗客がてんでにバラバラ、リーダーのいない群れである
旅は勉強なのに、買い物ばかり・・市バスも自分らが買ったつもりなのかもしれない
運転手さん、安全運転はもちろんお願いします
でも、見て見ぬふりはしないでくださいね
せめて、そんな路線にはもう一人(車掌)乗せてくれたらいいのにね
なんだったら、交通局が奥さんをアルバイトに雇ってやれば・・
お父さんの苦労が分かったうえで、息が合うかもしれないね
運転手不足の対策にもなります、真面目な提案です?
市役所の偉い人の家族も毎日バスに乗ろう
そうすれば、「観光都市のためにも頑張ってくれてありがとう」と言いたくなるのにね
修学旅行の中学生でも、しっかりしたグループもあった
時に運転手に代わって乗客の面倒を見ることもある
5人・6人というのは小さくも隊である、自分らで隊長を選ぶ
隊長次第だ、運転手さんにありがとうと言ってバスを降りる
いいリーダーがいると一気に行儀良くなるものだ
修学旅行でそれだけでも学んでもらえば、京都市民も甲斐があるというものなんだが・・
仕方ないよなぁ、言葉だけの問題ではないよなぁ、運転手さん
辛いけどでも、バスに乗ればやっぱりキャプテンだよ
写真は平安神宮大鳥居、バスでしかくぐれない、歩行者はくぐることが出来ない
鯵庵(R6.7.12)

2024年 07月 10日
歌謡曲の京都

前項で「京都北嵯峨別れ寺」を紹介した
旅の人を優しく迎え大事にする町だった
失恋したら京都においで、と言える町だった
ビジネスは二流だが
憧れの文化がそこいらに転がっている
大学もいっぱいあるしその周囲の山には各宗の本山が散らばっている
町並みはノスタルジックだし、
歩けばあちこちにいい店が日常を暮らしている
歩くだけでいつの間にか自然に街の呼吸にあってくる
それでも昔都だった遺伝子は残っている
そんな時空の中で言えば、一度や二度の失恋なんか人生のトゲみたいなもの
確かに胸に痛いが抜けてしまえば残らない
その優しい深さが京都の街は持っている
京都の繁華街が新京極や木屋町と祇園八坂しかなかった時の話である
大阪の人にも京都はデートの町であって失恋の町だった
京都の観光客の半分は大阪の人だった
25年前にJRの4代目の駅舎である京都駅ビルが出来た
が、地上16階の巨大なものだった
民営化の力だろうと思う
京都の交通の中心になった
京都駅の大改築は成功したとJR内部でも評価が高い
そのJRの力は大きい
恐らくその頃からだろうと思う
じわっと、京都人が想う京都が変化してきた
京都駅前に降り立ったら驚くだろう
失恋を癒しに来た人などいない
並ぶことは好きだけど我が物顔の人たちばかりで溢れてる
歌謡曲の話だと思ってください
失恋はトゲだけど離婚はデンポである
大阪の歌は大人の恋を歌っている
好きといえば恋を跳び越す、同じ恋でも体力を使う
そのかわり失恋や別れを自分の糧にしていく
一度や二度ではくじけない
転んでもタダ起きないので体幹が強くなる
そう言うところを学んでほしい
市民は金を払わなければ祭も見ることが出来ない
観光行政が先に行くとその他のものが引っ込む
歴史は腐り文化は壊される
大阪と京都はいつまでも兄弟である
が、大阪化した京都があるのに京都人はまだそれに気づかない
鯵庵(R6.7.10)