2023年 02月 23日
(14)地蔵菩薩

人は病気になって始めて自分が生きていることを知るという
成長の峠を超えれば進むたびに下っていく
それを老化と言う
年をとるということは嬉しいことではない
病気になるということも受け入れざるを得ない
入院や大手術の前になったら、家族の同意や保証人まで必要だと言われる
人の最後の治療に家族の同意ばかりを言う医師がいる
本当は患者本人との対話や同意だけでいいのに・・
医療技術は進化している、いつかそうなったともいう
自分で決められなくなるのも老人の宿命だろう
延命治療の是非を家族に決めてもらわなければならないとしても方がない
しかし、悔しいことだろうと思う
最後を自分で決められない悔しさだ
長く一人で生きてきた母は自分の最後に何の希望も言わなかった
息子になんぞに決められてたまるかと言ってるように聞こえる
が、それさえも言わなかった
このコロナでみんながいい医者にあたれるわけではないのを実感した
そもそも、行列が出来るほど名医と言われる世界である
生き死にを金で買うことが出来ると信じてる人にはそれでいい・・が
・・・・・・・
人間最後の幸せは地蔵菩薩のようないい医師に当たることだという
これからの世にそんな出来た医者が欲しい
探してはいるが・・自分がこの世で地蔵菩薩に出会えるかどうか分からない
地獄へ行ってから地蔵菩薩を見失わないことの方が大事なことだ
地獄には本当の平等がある、それを”地獄で仏”と言うらしい
鯵庵(R5.2.23)
2023年 02月 21日
(13)孤立死

基本的に各個人は社会とのかかわり方や距離を自ら選ぶことができる
家族と一緒に暮らすその煩わしさを避けるのも生き方の一つである
ただ、そのままであれば・・・独り暮らしが増える
一人で生きていくことと、あえて関りを拒絶して生きていることは違う
一人暮らしは死に方が難しい・・・??
前項で誰にも気づかれず一人で死ぬことを孤独死とした
それも含めて役所用語では孤立死という
家族や社会から孤立した結果として、死後長期間放置されることを言う
「チチキトクスグカエレ」
遅れて死に目に会えなかったというようなことは多くあった
孤立死は、屍として他人に発見される世界である
そこまで行くと身内に葬式をしてくれる人すらいないのだ
医師が立ち会わない限りいかなる場合も検死が必要だ
同時に身元確認が行われる
身元が分からなければ「行旅死亡人」と同じ
自治体のお世話にならなければならない
身元が判明しても引き取りは拒否される場合もある
それが「無縁死」とも言われる状態なのだ
究極の寂しさは葬式である
社会との関わりが火葬で終わる
鯵庵(R5.2.21)
2023年 02月 20日
(12)孤独死

同じ死でも悲しいことの第一は"孤独死”だろう
例えば、賃貸し住宅で独り暮らし、誰にも看取られることなく亡くなる例は年々増加している
統計では65才が境目だ、65才以上の人はこのパターンに入る
近親者や隣近所の人との付き合いが減っているのは都市だけもない
何故、"賃貸し住宅"かと言うと
そういうことでしか統計値が得られていないのである
人の死に方は統計にはなじまないものなのだ
核家族が増えれば独り暮らしが増える
結婚したことのない老人も増えてくる
我が国はそういう事態(独り暮らし)に至ったことに冷淡である
そう言っている間に、
金を持ったままあるいは施設や病院でも
身内の誰にも看取られずに"孤独死"する事例がたくさんあらわれてくるだろう
いつまでも個人の経済的問題(貧困)だと考えている
それが冷淡だということだろう
鯵庵(R5.2.20)
2023年 02月 17日
(11)ゴールドプラン前後(その2)

平成元年(1989)に『ゴールドプラン』が策定された
マイホーム主義の行きつくとこか
医療が進歩すれば介護がついていけないのか
あるいは、長寿が達成されれば逆に家族が疲弊するのか
ともかくも家族で行っていた介護を社会制度で支えようというプランだった
特別養護老人ホーム、訪問介護ステーション、要介護云々
今なじんでるそれらの言葉はそれからの言葉である
平成9年には介護保険制度がスタートした
それからしばらく82歳で父は亡くなった
もう少し時期がずれていたら少しは助けてもらえたのかもしれない
病気を発症して10年後、最後は長期療養型の病院だった
今、私が父の発症した年になった
世代の「世」の字は三十と書く、一世と言う意味である
あれから30年このゴールドプランによって今の日本の老人福祉は動いている
全ての人に手厚い介護がいきわたることは無理であろう
一人で暮らすことは自立ができることが前提なのは変わりがない
団塊の世代である我々がその対象になってきた
数の問題がついて回る
福祉も進化した、老人介護は家庭から社会へと移行していく
その一方で有料老人ホームなど介護産業が巨大なビジネスにまで成長した
今度はそれに我々年寄りがついていけるかが問題になるかもしれない
鯵庵(R5.2.17)
2023年 02月 15日
(10)ゴールドプラン前後(その1)

私の父は70歳を超えてパーキンソン病を患った
それまで健康で一人でマンション暮らしをしていた
難病と言うのは言うてみればどんどん進行する病気なのだ
歩行も困難になり常に介添えが必要になる
デーサービスではちーちーぱっぱをしないと言って叱られた
動けなくても病状が安定していると言われたら入院も出来ない
施設はと言うと難病の人はとても扱えないという
制度の隙間にはまり込んだ状態だった
当時病院に併設された老人保健施設は自宅復帰を目指す施設であり
短期間の入所しかできなかった、それでも・・
一人で暮らせないので京都の私の住まいの近くにアパートを借りた
年寄り一人には貸せないと言われて私の家族は交代で泊まり込みに行った
高校生と中学生の孫に泊りに来てもらうのがその時の父の最大の救いでもあった
父は自宅のマンションを長い間留守にして、病院、老人保健施設、私の近くのアパート
病気に大きな波があり、そのために何度もその繰り返しだった
医療・介護・住居とその負担は私にも大きかった
介護ヘルパーもいない、介護保険も何もなかった
肉親の介護に家族が疲弊する、庶民にその問題が大きくのしかかっていた
・・・時代があった
(この項続く)
鯵庵(R5.2.15)