あの世とこの世

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この世とあの世のことは仏教用語では此岸(しがん)・彼岸(ひがん)と言います
あの世は真西にあるので太陽が真西に沈むこの日がお彼岸と言う訳でしょうね
この世のこともわかりません
この世のことも説明されないまま、あの世のこと言われても困ります・・、
言えることは、この世からあの世は私らには見えてません
この世があるようにあの世があるのではないということは私にもわかります

もし、あの世からはこの世が見えますよと言われたら、あの世の私は困りますね
残した妻のことは別にしても、子や孫の姿は見たいと思います
出来れば家が残っていてほしいです
それは私が本当に凡人だからです
しかし、仮に姿は見えてもその心は見えません
どうせ凡人にはこの世で見えなかったものが見えるはずがありません

きっと、死んだ人は生きてる時と違うことを言うものだと思います
こちらが思わなければ何もないし、仮にあなたが思えばそこに仏がいるかもしれません
あの世に行って仏になったら見えるかもしれないが、経験がありません
未熟でも仏は厳しいことは言わないと思いますよ
だから生地のまま生きていける
それを劣性遺伝というのです??・・!!
だから救われているのです・・よ

写真はボケの花
それにしてもほぼ一日閲覧も投稿も出来ないブログサイトがあるなんてこれも劣性遺伝?
鯵庵(30.3.19)

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# by ajiankyoto | 2018-03-19 20:31 | 後生 | Comments(1)

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上巳(じょうしの)の節句(3月3日)の大事件と言えば、安政7年(1860)江戸城桜田門外で起こった桜田門外の変
旧暦3月3日上巳の節句の総登城の日だった
ただ、この年のこの日はグレゴリオ暦(太陽暦)では3月24日だった
であれば・・その時、東京では稀に見る異常な大雪だったようだ
その異常さが近江彦根藩15代の名君井伊大老と部下たちの油断の原因だったかもしれない
徳川体制にとって上巳の節句はそれほど重かった

その日のその結果、徳川幕府だけでなく日本の歴史が大きく方向展開するきっかけになった
14代将軍家茂の時代、明治維新までの8年前のこと
この小さな東洋の島国での野蛮な事件ではあったが・・
この年・・咸臨丸は既にサンフランシスコに到着し、
そのアメリカでは民主のための政治を訴えたリンカーンがアメリカ16代の大統領に当選した年でもある
世界も動いてたのだと思えるのだ
明治維新のタイミングというものがその後の日本の国を作ったともいえる
王政復古だからと言って時代が戻ることはなかった訳がそこにある
こんなのをグローバルということだろうね

ハクモクレンが開いて一週間でソメイヨシノが満開になる
鯵庵(30.3.18)



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# by ajiankyoto | 2018-03-18 07:51 | | Comments(0)


ホームページなどでもよく見かけるのが〝よくある質問″
分からないことをこの〝よくある質問″を見ればとて見るんだか、滅多と解決したことが無い
私の質問はレベルが低いのか高いのか?
Q(スイッチが入らない)A(コンセントはちゃんと差し込まれてますか)というようなのが多い
そんな質問はないやろ、と思うことが多い

見れば、マニュアルと同じようなことしか書いてない
マニュアルを作ってる人が書いてるわけだから、ここに気合が入ってないのは当たり前
しかもである、世の中のQアンドAというのは、Aを先に作ってるもの
だから、Aの無いQは載せない
困ったことに都合の悪い質問は採用できないのだ


世の中には答えのない質問が多い
このエキサイトブログもそうだし
それもこの頃の国会を見ていればわかる
いつの世にも困ったことに困ってることはいつも解決しない
この場合Qが無いということはひょっとしたら〝よくある質問だから″かも
かくして、QらしいQが沈んでいく
写真はよくあるQあんどA、はるかに確からしい
鯵庵(30.3.16②)

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# by ajiankyoto | 2018-03-16 20:13 | 偽装 | Comments(1)

羅城門から東寺へ

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今回は京都の入り口の案内です
都の入り口、朱雀大路の南には羅城門があった
羅生門(芥川龍之介原作・大映京都1950)と言う古い映画が有名で羅生門と思ってる人も多い
平安京の堂々たる楼門ではあるが早くに荒れて倒壊した
内裏に一番遠いところにあるのが羅城門だから都が荒れれば門も荒れる
しかも、平安京は都に壁がないのだからこの門も交通上の役割としては少ない
この羅城門の上にあってこの門と都を守っていたのが兜跋(とばつ)毘沙門天
毘沙門天は、仏法を守護する四天王の一つである武神で多聞天のことである、が独尊としては毘沙門天と言われる
兜跋と言うのは中央アジアにかってあった兜跋国(とばつこく)のことらしい
羅城門の東・西に作られたのが東寺・西寺、平安京の官寺である
西寺は古くに廃寺になったので残っているのが東寺と言うことになる
東寺は空海が入って(823)栄えてきた

作家司馬遼太郎は京都の寺々を歩くときここ東寺の御影堂(みえどう)で待ち合わせ、ここを出発点にするのがふさわしいと書いている
ここは空海が住まいとしていたところである
今でも空海に毎朝食事を差し上げている
羅城門の上にあった毘沙門天はこの御影堂に隣接した毘沙門堂に祀られている
足利尊氏が西国から戻って来た時、この東寺に入って京都を料理した
秀吉の都市計画では、京都の街のお土居はこの東寺を南端にしている
羅城門跡や西寺跡はお土居の外であった
当然、東寺は西国やなにわへの街道の出発点でもある
国道171号線や1号線を走ってくると東寺に達し、京都の街に入ったことになる
京都駅が隣だ
テレビドラマで東寺の塔と駅前の京都タワーを写せば京都が舞台だという合図になるという根拠の一つです
写真はロームのビルと京都タワー
鯵庵(28.7.15)



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# by ajiankyoto | 2018-03-15 21:38 | 都市 | Comments(0)

おさん茂兵衛事件

天文方京暦・おさん茂兵衛に続く

5代将軍綱吉の時代、京都所司代は稲葉正通(後の老中)
天和(てんな)元年(1683)
京都四条烏丸(しじょうからすま)にあった大経師(だいきょうじ)家の嫁・おさんが手代の茂兵衛と不義密通(ふぎみっつう)・・?、丹波への逃避行の末見つかって京で磔(はりつけ)にされた事件

井原西鶴が「好色五人女」の第3話に「中段に見る暦や物語」で書いた
それを、近松門左衛門が浄瑠璃の戯曲に書いた
磔(はりつけ)の後の三十三回忌にあたる正徳5年(1715)大坂で初演したのが「大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)」
暦の名ではない、おさん茂兵衛の話である
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この「おさん茂兵衛」事件を脚本に書いたのが昭和の大御所川口松太郎
映画はなんと昭和29年(1954)の大映作品である
おさんが香川京子・茂兵衛が長谷川一夫だった
題が示すように近松物の仕上がりになっている
現代でも、芝居だけでなく歌にも浪曲にも落語にもなっている
島津亜矢が歌う「おさん」がそれである
おさん茂兵衛の逃避行を恋の道行と歌っている
もちろんなぜ逃げなければいけなかったのかは歌詞からは分からない

暦の専売権を持った大経師家というのは商人としても別格であった
大事件であった
それを理由に改易(かいえき)になった
改易になったことから遡ればそこに改暦(かいれき)にともなう朝廷と幕府の権力争いがあった解説している歴史研究家も出てくる
現代人が好色という言葉で受けるイメージとは少し違うだろう
史実はどうだったかは別にして、おのおの鑑賞されたい

(今回はすんませんネットから拝借)
鯵庵(30.3.14)




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# by ajiankyoto | 2018-03-14 18:00 | おなご編 | Comments(0)

ハトの方がたくましい

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早朝勤務で駅前のバス停にバスを待つ
やっと薄明るくなってきたころ
数人しかいないバス停でハトを寄せる老女がいる
ハトを寄せておいて餌を撒いて自分はバスに乗っていくのだ
パンの耳などを上手く細かく切っている
この前小生の他にもちょっと注意する人がいて少しトラブった
「あんたに迷惑かけてへんやろ」と言って喚いて
それも論理か

その老女にひょんなこと職場の近くの結婚式場の前で出くわした
確かにあのご婦人(老女)だ
古めかしい大きな建物の玄関をだぶついた作業服を着て
連れと箒と雑巾とバケツをつんだ台車を押して掃除していた
結婚式場なら確かにバス待ちの人には関係のないことであった
晴れ着を着たお客さんはこんな時間にバスに乗るような用事はない
ただ、駅前のバス停はハトで困っている
ハトが悪いのではない
ハトもこんなとこに来なくともちょっと飛べば近くに東本願寺もある
そこならハトを取って食おうという人は少ない
こんなところにハトを寄せて早朝に餌を撒くことはハトを罠にはめることにはなる

それで分かった
掃除が仕事なのだ
だから、ハトを寄せてるのだ
朝早くから出勤して、あけても暮れても掃除なら・・
掃除ばかりの今の老後(人生のこと)に疲れているのだろうと思った
バス停をまた掃除する人がいるのだから・・時々汚す方にも回りたい気もする?
年とって仕事ばかりしていると世の中のきれいごとに無性に腹立たしくなることもある
あるいは彼女もはや晴れ着を着ることがないのを哀しんでるのかもしれない
いずれにしろ公園で子供がハトと遊ぶのを見ている年寄りとは違うのだ

必ずしも幸せな年寄だけではないのはあたりまえのことなのだ
女人の往生は一筋縄ではいかんかも・・?
と、小生も少し穿って思ってみた
鯵庵(30.3.12)

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# by ajiankyoto | 2018-03-12 21:13 | 往生 | Comments(0)

泣かない女

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路地子(小生のこと)の友人の一人は自己紹介のセリフを決めている
"亭主が死んでも泣かない女の亭主です"ということにしてる
おそらく泣かないだろう・・きっと泣かないだろう・・間違いなく泣かないだろう
と続く
間違わないでほしい、という
亭主が死んで喜ぶとは言っていない、と力を入れる

その代わり、困るとも言っていない
50年近く、何やかやと言って一緒に暮らしてきて
"今になって泣くような女に育てたつもりはない"というのが友人の唯一の啖呵だ
残された女も、明るい老後が目の前にあるのだから少々の苦労は仕方がない
自分が先に死ぬと、後の事務手続きでは困るだろうなという
確かに社会の制度は、手前勝手を信条にしてきた女性には難しい
あとは健康だ
そのためには老けてはおられないと温水プール付きのジムに通い出した
世の中困ることがあっても泣くほどのことはない
でも寂しくないことはない、都合のいい話し相手が一人減ったのだから
よく考えればこの頃鼻についていたのだから
思えばもっと早く行(逝)ってくれてたら・・それが悔しいという

ここまで書いてきて、読者に誤解されそうだと気付いた
我が家のことでも親せきのことでもない
その友人もまだ生きている
そんな女が好きだという友人の話なのである
小生が付け加えてしかも誤解を恐れずに言えば・・
ここまで来れば女はたくましい方がいい、変な色気が残ってない方がいい
それが図々しく思えることもあるが・・そのおかげで助かっているのだ
最後まで一人で生きていける女であってほしいという
それが安心というものだ???
鯵庵(30.3.10)

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# by ajiankyoto | 2018-03-10 20:38 | 後生 | Comments(0)

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この旧丹波口駅、昭和になっては京都市中央市場(昭和2年の開設)の前の駅であった
昭和51年(1976)山陰線の高架工事の完成で丹波口駅は500メートルも北の五条通りまで移動した
駅前の機能と駅前のもたらすはずの効果も全て正面通(あるいは七条通りから)から五条通(国道9号線)に移ってしまった
国道9号線は新しい山陰道である
だから、丹波口という名称はそのまま引き継がれた

かくして正面通は行き止りになった
今は京都の大きな路地の一つである
一方島原(京都)競馬場のあとは、昭和・平成になって開発が進んだ
京都市の中央卸売り市場も来たし、一時(いっとき)球形のガスタンクが林立していた
が、今は、京都リサーチパークというビジネス街が作られた

だが、まだこれで終わらない・・という話になる
平成20年代(2015)になって、JRは現在の丹波口駅(たんばぐちえき)から約800メートル京都駅寄りに高架新駅を作ると発表した
蒸気機関車館や梅小路公園もある
今度、鉄道博物館も開業するということが動機で京都市と話し合ったみたいである
500メートル北へ移動した丹波口駅が800メートルまた南に新丹波口駅が出来るということになる
既設高架鉄道に高架駅を新設することになるので工事としては難しい、費用もかかる

新駅は七条通りにまたがって出来る
ここは往古(むかし)から山陰街道に繋がっていた
このあたりこそが、歴史的な「丹波口」に近い
しかし今更、「丹波口」という駅名にするわけにはいかんやろうね
それならいっそうのこと昔の名前で出ていますと、「島原」駅はどうだろうかね・・
とちらっと思ったわけである
鯵庵(30.3.9)


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# by ajiankyoto | 2018-03-09 20:00 | 都市 | Comments(0)

介護保険の前

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路地子(ろじこ・小生のこと)の父は難病だった
もうすでに長く症状は重いけど平衡していた
病院はそれを安定していると言って入院させてもらえなかった
老人保健施設は難病の人は手におえないと言われた

やっと見つけた長期療養型の病院はホテル並の費用がかかった
それでも納得して順番を待つしかなかった
その間せめて週に一度ぐらいは、とデーサービスにも連れて行った
難病で体が動かせない者にチーチーパッパを強制する
もう行かないと本人は怒りだす
家族はまた途方に暮れた

介護保険が始まる前、ゴールドプランが云々され始めたころのことである
制度というものはそれぞれ良く出来ている
しかし、役所が作る制度と制度には必ず隙間(すきま)がある
垣根の前で控えた制度を作る
大きな隙間を制度で埋めれば、制度と制度の間にまた隙間が出来る
今でも同じである

福祉とは制度と制度の隙間に入った人を救うことだと言う
それが政治だとも聞いたことがある
そんな政治があってほしい
鯵庵(30.3.7)

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# by ajiankyoto | 2018-03-08 08:52 | 往生 | Comments(0)

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オリンピックが終わって報奨金が話題になる
まあ、ご褒美だから・・
お笑い芸人コメンテーターがコメントする
国民ために頑張ったのだから報奨金から税金をとるな・・と庶民の味方風に叫ぶ奴がいる
収入以上の税金をとるというならそれは問題ではある

庶民の気持ちは逆で、こんな時こそ納税の国民の義務をアピールすべきである
サラリーマンのボーナスも給料であり、裏収入も所得である
サラリーマンとスポーツマンを一緒にしてどないすんねん・・
しかし偉大なる政治家も公務員だって平等な納税者なのである
仕事と金(かね)というのは生活するためにあるのである
多くの人に食わしてもらってまた多くの人を食わしているのである
まるっきり違うということはあり得ないのである
いや、ハッキリ言うと「税金の恩は税金で返せ」ということだ

ただ、税金は申告制だから、様々な節税対策も、場合によっては申告しないのも勝手である
収入を申告せずに課税を言われても払わず裁判でもすればはっきりするだろう
そんな勇気のあるメダリストも出てくれば面白い
一大会でメダルを二つも三つもとれば将来は国会議員かスポーツ庁長官ぐらいにはなれるのだから

一時金はいくらやってもいい
しかし、地位はやってはいけない
サラリーマンの古い格言を思い出した
賞金はやってもいいけど・・地位をやったら取り返せない
地位の最たるものは公益財団の役員なのかもしれない?
国民は将来のことまで見ておれないんだから・・
確定申告のPRにこの話題を使えば面白いのに、と思った次第である
鯵庵(30.3.6)

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# by ajiankyoto | 2018-03-06 18:01 | ご利益 | Comments(0)