2023年 02月 14日
(9)遺言はいごんと読む

(前項からの続き)
もちろん彼B氏は法律の専門家でもないし霊媒師でもない
肉親の相続で揉めた経験があるからだ
相続で家族が揉めるのは他にも理由がある
資産の形が様々だからである
それをまた金額に換算して分割するというのは無理なのである
ご存じの通り遺言書は法律家はイゴンと読む
読み方は別にしても、所定の書式と手続きがあって有効なものになる
複数あれば、最後の日付のものが有効である
死後に遺言書らしきものが出てきた場合が困る
見つけた人は開封しないで家庭裁判所へ届けなければならない
なおかつ、相続人全員に通知がされる
その上で家裁の検認を得たものが遺言書と認められる
書式がそろってなければただの遺書である
が、故人の遺書もまた尊重されるべきである・・・が
死の前に書いたたくさんの遺書が出てきたのだ
それと遺言書の内容があまりにも違うというのがもめごとの原因だ
遺言書を書きなおすための草稿かもしれない
それによって故人の本当の気持ちの変わりようが段々に分かってきて
毀誉褒貶?一喜一憂?家族全員が憤慨し、なおかつ白々しく興ざめしたという
それから皆、墓参りにも行かなくなった、と
そういう経験をしたという
笑えない笑い話なのだ
鯵庵(R5.2.14)
2023年 02月 13日
(8)遺留分が救い

終活だと言って遺言や相続や墓のことばかり言う人がいる
だが、そんなこと思い通りいくはずがない
特に死後のことは保証してくれるものはない
面白いことを言った人がいる
死ぬまでと死んだ後、故人の気持ちも違うものだ
葬式が終わって霊になって空の上から見ると
また違った世間が見えるかもしれない
家族の中にも今まで見せなかった姿を見せる人もいる
死んですぐに遺言状を書いたことを後悔する
書き直すこともできずに・・
最後の遺言を悔やんで、成仏できずに家の上で迷っている
あきらめて仏になる間が四十九日なのだ???
遺言は最大限尊重されるべき故人の遺志であるが、
相続人の気持ちと同じになること少ない
遺言は相続人と相談も了解もいらない
中には理由なく疎まれてる人もいるだろう
相続人全員に遺留分が残されているのはそのせいだ
めずらしく人情的な哲学的な法律だと、と続けて言う
閻魔の前に引き出されると優しい公平な気持ちになるらしい・・と
(この項続く)
鯵庵(R5.2.13)
2023年 02月 12日
(7)長男ゆえに?

〇〇Aさん、80歳になった、私の元パート仲間では結構有名だった人である
マンション型の有料老人ホームで暮らしている
渋々ながら悠々で暮らしている・・そう心配することもなさそうだ
基本的に食事や日常生活の介添えやいろいろサービスはある
1DKくらい、それでも毎月20万円以上は払うという
時々ホームを訪ねるとそこを抜け出して近所の居酒屋でおごってくれる
ホームに入居するのに最初にいくら使ったのか聞くと、
以前住んでいたマンションを売却処分したという
住むところは自分のマンションを処分して
毎月の利用料と生活費は年金を当て
自分の小遣いはシルバーのパートで稼ぐ
コロナがはやってパートを辞めたがそれでも毎日酒は飲んでいるらしい
というのが今の境遇だ
親の代に都市に出てきて、
都市で学びサラリーマンになり家族を育て、
長男ゆえに夫婦でそれぞれの両親の送り、と境遇が私と似ている
聞くところによればここへ来る前に奥さんと財産を分けたようだ
両親を看取ってきた二人だからゆえの決断なのかもしれない
自分の介護を配偶者に頼らないと決めたようだ
ただ、死ぬまで独り暮らしだし、
相続の対象となる財産は使い切る
自分の今後をことを考えるときに一歩先を行くその先輩のことがきっかけになる
このブログもこの先輩の経験談によるところが多い
最後は一人だということと
自分の蓄財は使い果たして生きる
この2点は私にとっても動かしがたい定理になっている
鯵庵(R5.2.12)
2023年 02月 11日
(6)始末のつけ方

年寄れば自分の”終活”に悩まない人はいないだろう
何をしたらいいのだろうかと言うのがその最大の悩みだ
自分の人生の始末をつけるにはそれなりの見識がいる
だが、生きている間なら自分で考え自分で修正できることができる
他人が口を出すことは厳禁である
一番大事なことは??
一人で暮らす覚悟をすることに早く気づくことだ
その次に大事なのは
そのためには、一人で暮らすことをできるだけ遅らすことだ
二人でもしくわ家族とできるだけ長く暮らせる工夫も必要だ
夫婦であればケンカしないことが第一である
一人ではないと思えるのは夫婦に限られる
当たり前のことではあるが・・
夫婦は対等に互いの人格を尊重できることである
いずれどちらかが介護が必要になったとき
適切に介護されたり介護したりするには
双方に正しく相手と世間を理解できる力が必要なのだ
パートナーの存在が自分にとってメリットがないと思ったとき
介護ほど苦痛なものはない
夫婦愛は愛情だけではない、感情が打算を纏っている
扶養という普遍的な行為に対する認識も必要なのだ
家族がいるのに家族がないということもありうる
そうでなければ、一生できる仕事が欲しい
がそれも、文化度の高いものに限られるとしたら
一庶民には無いものねだりである
社会とのつながりの続けるのもいいが逆に迷惑をかけることもある
病気が進めば一人で生きるという計画も当然叶わなくなる
夫婦は一生の最小にして最大の単位でもある
鯵庵(R5.2.11)
2023年 02月 10日
(5)マイホーム主義

定年になって何もせずぶらぶら暮らしている
そんな亭主は間違いなく配偶者に嫌われる
今までぶらぶらしていたのはそっちではないか、と
つい間違って反論すると、もう終わる
不毛は議論にならない
ん十年も一緒に暮らしてきたのにこの程度かとどちらも言う
心二つ、もちろん体も二つなのである
それなら、それでいいかと思っても男はもう遅い
が、妻はまだ間に合うと思っている
そのギャップを埋めるものが世間を知らない夫にはない
妻に煽られながら、息子や娘は尖った目でそんな親を見ている
なおさら、親たちを養うなどと思うことはなくなるのは当然だ
うちは上手くいってる、と思う家はそれでいい
その人は家族を引き付ける魅力があるのだろう
その魅力が何なのかを考えておくのがいい
金が無くなったり、病気になっても今まで通りならそれでいい
あと、うるさいことも言わなくていいならなおさらいい
テレビやテレビコマーシャル的な家族と言える
死んでしまえば誰もいい人だったということになる
親が子を養う、子が親を養う
そのつながりを経済力の差だと見れば同じことなのである
豊かさゆえの絆だったりする
我々の世代は、マイホーム主義だと言って大きな家族を壊してきた
今更、年寄りの生きがいを家族に求められない
心はホームレスである
子の世代がそうして小さな家族を守ろうとしているが
家なき孫の世代にはどちらも同じ責任がある
鯵庵(R5.2.10)