2024年 07月 04日
第3の人生はリサイクル事業に似ている?

ごっつう大げさであるが・・私も死ぬまで仕事をしたいと思っている
体が動かなければ仕方ないので病に掛かれば別だ
もちろん小生、芸術家でもないし、資産を持っているわけでもない
が、平たく言えば年金と健康と生きがいに関する諸事情がある
このご時世、概ね75才までは働くべきであると思っている
何よりも人生の時間のバランスというものがある
消費生活だけで80歳、90歳まで生きていけるはずがない
親の代からの都市移民である、都市移民の子がサラリーマンになれたらまぁ成功か
ただサラリーマンには厳然と定年があって、賞味期限が切れる
少し追加でまけてもらったけれど、それでは一生の仕事にならない
廃棄処分になって、定格出力も表示できなくなった今更、と言われると辛いけど、
せめてやらしてもらいたいと思ったのが寺男・墓守・作男なのだ
時代小説では寺男が出てくる
そんな一生寺男では本当に食っていけない、だが、今なら出来る
年令に似合う仕事なのだ
仏心で言ってるのではない
アジサイの世話も墓掃除も出来るのは年寄りだからだ
若い人では何かとパワーが余って収入が不足する
年齢の出力に見合った仕事というのが供給されていいのではないか
しかし第3の仕事にも遅かった、今どき寺男なんて仕事ないんだって
京都では観光寺院の仕事も一気に増える
それらは派遣専門の警備会社などがカバーしている
例外と言いながら例外なく年齢制限がある
ちぐはぐである、それでも雇えない
助成金をたんまり出すから年寄りも雇ってやれでは、
70歳以上はリサイクル事業みたいだ
廃棄物も値段さえつければともかく廃棄物でなくなる
それがハローワークだという人もいる
会社にも働く仲間たちにも罪をしない仕事というのはないのだろうか?
鯵庵(R6.7.4)
2024年 07月 02日
京都の駆け込み寺?

♬駅で手紙を出したあと思い切るよに行く旅は京都北嵯峨別れ寺・・・
この歌謡曲のいう寺は二番の”思い出草”という歌詞でわかる
大覚寺を北の方に狭い道を進んでいくと行きつくところが直指庵(じきしあん)である
観光地嵐山のあの喧騒とは打って変わった風情が北嵯峨である
ここまで来ると車では不都合である
昔から北嵯峨や奥嵯峨は都を外れて貴族の隠れ住むところでもあった
だがこの寺決して「別れ寺」ではない
別れ寺という定義があるとすれば夫との離縁を求めて駆け込む寺のことである
寺は妻を庇護し調停してくれる
夫が離縁を承知しなければ足掛け3年を寺で暮らすことによって離縁が成立する
封建時代に幕府によって認められた寺がある
そのためには寺の権威がいる
幕府公認の寺は家康の孫の千姫(上野新田郷「満徳寺」)と
秀頼の娘(千姫の養女・天秀尼・鎌倉の「東慶寺」)が住職を勤めた二つの寺だ
家康の権威によって縁切りが担保されたのである
それを縁切寺、駆け込み寺といった
現代に至ってこれらの権威は無用なものになった?
民法は両性の合意なくば婚姻は成立しない建前になっている
離婚の調停(世話)は家庭裁判所がしてくれる
ただ、そうはいかないのが男女の思惑である
DVとやらは大昔からある
離婚は結婚の十倍は難しい
現代でも逃げ込み寺は必要かもしれない
だが、2年も3年も寺から出られないなどと言ったら逃げ出し寺になるかもしれない
もともとも今も、直指庵は縁切寺でも駆け込み寺でもない
この寺を再建したのは幕末近衛家の老女村岡の局だと言われている
明治にかけて付近の婦女子の教育に力を入れたとある
だからと言って尼寺ではない、とお寺がしきりに言っている
それでも小さな寺だが少し前に門のあたりも整備されたようだ
大きくても直指庵というし小さくも直指庵という
本堂は庵(いおり)というにふさわしい
逃げ込んでも助けてはもらえないだろう
縁を切ることは難しい
けれど失恋や離婚の傷を癒すのにはいい趣かもしれない
こういうムードはアベックには受ける
別れたらまた来たる、その時には歌の気分に浸れるかもしれない
そんな予感を感じさせてくれる
歌は「京都北嵯峨別れ寺」島倉千代子、作詞は西沢爽氏、京都を歌う歌謡曲事情
鯵庵(R6.7.1)
2024年 06月 29日
いいことと悪いこと

鬼平のセリフにある
「いいことをしながら悪いこともするし、悪いことをしながらいいこともする」
2024年 06月 28日
ホタルの宿

写真はホタルブクロ
今は使われないが曖昧宿(あいまいやど)という言葉がある
表向きは茶屋や料理屋を装い娼婦を置いて客を取らせる店をいうとある
時代劇などでは浮世茶屋とか言うイメージだ
旅行者の宿泊が主目的ではない、要は都合があって偽装した宿、ホテルだ
偽装は客のためにしているので偽装していることが分らないと入りにくい
もちろん庶民、堅気の男女にも利用してもらうことが大前提である
時代が進んで昔は連れ込みホテルなどと言ったが、それでは偽装にならない
現代用語で言えは、フッションホテルだ、しかるべく届け出が必要だ
ひと時潰れかけたがこの頃街角にかたまってあるのが繁盛している
侘しさも後ろめたさもカバーしてくれるように偽装している?
風俗店も無店舗型でないと許可を貰えないということで??共存共栄しているらしい
もちろん曖昧が売りだから夫婦でも入れます
その代り困ったことに外国人旅行者が子供連れ家族で泊まったりする
この歌は代表的なホテルの使い方である
♬手紙を書いたら叱られる電話をかけてもいけない
♬ホテルであってホテルで別れる小さな恋の幸せ
歌手島津ゆたか(1947~2010)、なかにし礼の詞、1985年の歌である
芸能人の世界ではない、堅気の庶民の世界である
勝手に想像した主人公女性は30代後半ぐらいかな
一番危ない(?)年頃だろう
世間的には決して小さな恋ではないが
いい女性になるためにはいい経験だと思う
風俗とか浮世とかいう言葉は本来庶民の暮らしそのものを言っていた・・
逢引きは浮世そのものだ
素人であり庶民だから値打ちのあるものだ
スポットライトを当てたのでは意味がない
今までもこれからも暮らしも世間も偽装で成り立っている
歌のような手紙や電話のスリルはなくなったけれど
携帯電話は確実に役に立つ道具だ
楽しく生きるためには賢いということは大事だ、と思う
鯵庵(R6.6.28)
2024年 06月 27日
地蔵菩薩は美少年

小生のホームページ「鉛筆写仏』を更新しました
〈閑話休題〉大昔(中学生時代)、「地蔵さん」というあだ名の同級生がいた
にこにこして落ち着いていた
四国最高峰の石鎚山のふもとに育って転校してきた
都会への人口移動が始まった頃だ
大自然で小学校時代を過ごし、大都会の60人学級の中学校に転校してきたのだ
四国訛りをみんなでからかっていたら・・あまりしゃべらなくなった
坊主頭は皆同じなのだが、頭の形が地蔵さんみたいに整っていた
仕方がないのでみんな(悪が)で拝んで茶化していたが・・・
皆が拝めば拝むほど成績順位が上がってきた
半年ほどたったころ彼が学級で1番になって学級委員していた私が追い落とされた
たまたまだと思っていたらそれからは差が開くばかりだった
人気も彼にさらわれた
地蔵さんというあだ名をつけたのは私だった、、が
地蔵菩薩は美形の少年のお姿で現れるということを知らなかった
人を茶化すのは上手いが茶化した相手に勝ったことがない
現にそれ以来ずっと私はそういうタイプ(地蔵さん)の奴に弱いのだ
鯵庵(R6.6.27)