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島原はその時でも町はずれであった
正面通(しょうめんどおり)の行き着くところは山陰街道の丹波口と書いた
実は明治に入っては鉄道の「丹波口駅」でもあった
元々は京都鉄道の二条~京都間の駅であった
明治40年に京都鉄道が国有化された
明治の間は島原遊郭と島原競馬場(京都競馬場)の前の駅であった

小説家水上勉(みなかみつとむ)の「京都遍歴」に"初めて京都に出て来た時、田舎の和尚さんに連れられてこの丹波口駅で降りた"と書いている
丹波口駅は極めて粗末な駅で駅前広場もなかった
駅前から東へ市電の通る大宮通に出るにはいきなり続く両側妓楼の客引きの中を抜けた記憶を書いている
千鳥格子に化粧ガラスは妓楼の作りである
娼妓は首に包帯を巻いていたという
昭和の初めの頃の風景である

格式の遊郭としては当時は既に相当に寂(さび)れていたとは思う
大正8年の生まれの作家10歳の頃の記憶である
お寺に入るために京都に来た作家にとっては現実の都会の明かりだったかもしれない
それもその筈である
後にも先にも国鉄の駅前通りが遊郭であるのはなかった、とも書いている

京都競馬場はそのころはすでに船井郡の須知町(京丹波町)に移っていた
競馬ブームがもっともっと早かったら島原の丹波口駅は残ったかもしれないし
島原も競馬場の前の風俗街として残ったかもしれない
現に京都の祇園のど真ん中にも中央競馬会が進出している
繁華街や遊郭の一番の客はあぶく銭だからである
鯵庵(30.3.5)

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# by ajiankyoto | 2018-03-05 08:00 | 都市 | Comments(0)

一番増えたのはタバコ屋

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小生、もと愛煙家だった、いわゆるヘビースモーカーの部類に入る
パチンコ屋の景品の一番はタバコだった時代もある
バーもスナックもタバコ代はたて替えで、つけで飲むときもタバコ代は取られた
酒やタバコはどの店でも扱えるものではなかった
古い店だった、その上立ち飲みもやっていたので、ちょいちょいちょこっと寄った

おやっさん、町内では小生の兄貴分であった
サラリーマン辞めて店を継いだのだが、酒の配達で腰を痛めてしまった
そのあとは、タバコを吸いながらタバコ屋の方に力を入れていた
小生も出来るだけそこで買うようにしていた

江戸期の京都は武士の数が極端に少ない都市だった
町人が町政と民生を預かっている
タバコ屋をやっていると、情報通である、町内の役員みたいな・・と言っていた
だが、10年くらい前の寒いころ、70才になる前に事故で亡くなった
小生、その時もタバコをやめようと思ったが、結局その後も暫くやっと禁煙外来の飲み薬でやめることが出来た

思えばおやっさん、酒好き、しかも、タバコ好きのタバコ屋を演じていた?
そんなことはないと思う
ただ、「酒も飲まんし、タバコも吸わん奴に仕事は出来ん」と言うのが持論だった
愛煙家が肩身の狭い思いをしなければならない時期には重なっている
値上がりも・・そのことにおやっさんのタバコ屋が地団太踏んでいた

実は、酒屋、タバコ屋は町内の防犯ビデオだった
コンビニがタバコを扱うようになったら、コンビニの数だけタバコ屋が増えた計算だ
タバコ屋にとってかわったコンビニなら、せめて町内に防犯ビデオくらい寄付してもいいのではないだろうか
「仕事もしてないのにタバコを吸っても似合わない」というのはタバコをやめた後の小生の持論だ

鯵庵(30.3.4②)


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# by ajiankyoto | 2018-03-04 17:36 | コンビニ | Comments(0)

老ネズミ男の妄想

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病気や薬の副作用で出る妄想はやはり病気の所為である
が、それはわかっていたとしても家族にとっては重大事になる
波があることも医者から聞かされているが波の高い低いは家族でもわからない
妄想はおとぎ話は違う
おとぎ話は最初から架空の話だと分かっているが
幻聴や幻覚は現実なのだ

心にも耳にあるような三半規管みたいなものがあるのではないか
その心の平衡感覚が狂い出すのではないだろうか?
心は握りこぶし二つを合わせたものだというけれど
それが離れたからといって倍になる訳ではない
小生は医学の知識もないし、心理学の素養もない
なんとなく気づくことがある

妄想はあらぬことを考えてるのではないのだ
妄想というのはその人の本心なのだ
もともと本心というのはいつも固い殻を被っている
そう訓練されたというのが正しいのではないか
妄想の始まりは人が信じられなくなることだ
自分だけが可愛くなる
求めているものは(下世話に言うと)色と金なのだ
あとは子孫を残す本能かもしれない
それもこれも人に獲られたくないのだ

本心とは逆の顔をして生きてきたことが壊れるのだ
その皮が壊れたりして本心がむき出しになる
あるいは心が壊れて本能がそのまま出た状態が妄想なのだ
幻聴・幻覚というけれど本人には幻聴・幻覚でないことが問題なのだ
年とって病気になることの怖さがそこにある
病気になってぼろが出る??のである
小生のその正体が根っからのスケベーなネズミ男であったのがばれるのだ
鯵庵(30.3.3)

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# by ajiankyoto | 2018-03-03 15:49 | 往生 | Comments(1)

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茶屋とは茶店などと同じで休憩所のことであった
その中で飲食や遊興が出来る家が出てきた
これを江戸時代には出会茶屋(であいちゃや)とか待合茶屋(まちあいちゃや)とか言った
遊里(ゆうり)にあるのは引手茶屋(ひきてちゃや)とか言うのが時代劇に時々登場する
客が妓楼(ぎろう)に上がるまでの間、飲食や遊興を提供した
これが待合(まちあい)である

現代は遊郭(ゆうかく)はない
花街(かがい)で芸舞妓(げいまいこ)を呼ぶのはこの待合に限られる
京都ではこの待合のことを〝お茶屋″という
お茶屋は料理屋でないので仕出しの料理が提供される
貸席業である
芸者と料亭などで飲食したい場合もこのお茶屋を通さねばならない
お茶屋が芸者のいる世界・花街を商業として回しているのである

時代が前後するが・・
島原などの格式のある遊郭で上級の遊女(天神とか)をよぶのは揚屋(あげや)と言った
揚屋は大きな宴席にも耐えるように大きな台所を持った
この場合はお茶屋と料亭を兼ねたことになる
明治の初めまで続いた
この稼業でそれだけのものを用意できるのは相当大きな資本が必要である
花魁(おいらん)や遊女は江戸時代の資本主義のゴミ置き場のそばに咲いた花である
鯵庵(30.3.2)

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# by ajiankyoto | 2018-03-02 09:34 | 都市 | Comments(0)

ほんまかいな?

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サラリーマンの定年というのは苛酷である
競技はそこで終わってしまう
ゴールがあからさまに見えてしまった
人生は50年と言った大昔もあった
それからだったらはるかに寿命が伸びてしまった
悪いことであるはずはない
「人の一生・・、その目的への道中で死ぬべきだ。生死は自然現象だからそれは計算に入れてはいけない。」
司馬遼太郎は作品の中で語らしている

小生若い時から人並みに本も読んできた
そのせいかも計算をしないそんな生き方に憧れてきた
しかし、頑張って気がついたら定年のテープが待っていた
やっと仕事が分かってきたのに本当はこれからなのにまだ頑張れるのに
サラリーマンの多くの人が目的を奪われ今度は計算しながら残りを生きていく
おもろうない
その境界線が定年であった気がする
せめて働きながら死にたい・・、ほんまかいな??

8年間も火盗改め長官を勤めてきた長谷川平蔵は49歳でついにお役御免を申し出て、その3ヶ月後に亡くなった
写真はテレビから、池波正太郎の原作の鬼平である
鯵庵(30.3.1②)



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# by ajiankyoto | 2018-03-01 07:43 | おとこ編 | Comments(0)

2月29日がある?

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2月29日が誕生日の人は4年に一度しか歳をとらない?
いにしえの漫才のネタである
次のうるう年は2020年オリンピックの年である
少し笑い話を
日記書いている老人(身内)が2月29日があると大きな声で言った
何んのことがない、小生が3年日記をプレゼントしたものである
再来年の2020年には2月29日があるのだからあって当たり前である

今年の3年日記は
今年の天皇誕生日の祝日は12月23日である
が、31年以降には天皇誕生日がなくなっている
・・それより、平成の年号が消えかかっている
日記帳も賞味期限を伸ばさなければならないのだろう
2年後に私の日記だけ赤い日が抜けていると、また苦情を言われそうだ

カレンダー業界は今ちょっと混乱しているらしい
来年のカレンダーの制作にかかっている
場合によってはカレンダーにも製造年月日と賞味期限を記入しなければならない
街にあふれている様々な日記帳(ダイアリー)も同じである
そう思えば、去年と今年の3年日記は価値が出るかもしれない、と思っている
一方で、一気に生活の中で西暦表記が増えるかもしれない
・・・とも思っている
鯵庵(30.2.28)

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# by ajiankyoto | 2018-02-28 09:12 | | Comments(0)

逆オレオレ?

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田舎の一人暮らしの老婆に
地元信用金庫の営業マンが来て年金の振込先をうちにしてくれと言ってきた
ささやかながらも地元の付き合いだからと快く応じていたら、今度は定期にしてくれと言い出した
どこでもいいのでまた別を解約して定期にしてやった
もちろん次に農協も郵便局も来る
こちらの定期を解約して新しいところに預金する
そんなことが続いた

義兄は大阪で暮らしている、その義兄の話である
その老婆(家内の母親)に変調が生じてる
年金が入ってない、通帳を盗られたと駐在さんに電話する
認知機能に障害だとわかる
ずっと一人暮らしだし、今までは畑もするし、近所の付き合いも何んとか間違いなくできていた
そんなことだから介護認定を受けていなかった
やはり診断の結果は初期段階ながら認知症が一気に進んでいるということだ
独り暮らしの限界である
せめて週に幾日でもディサービスでお世話になりたいと思えば手続きが必要だ
田舎に通いつつやっとの思いすました、と言う

話が落ち着いたので銀行にもお願いに行った
現段階で母親の人格に問題はないのだが
いかに元気だからと言って90代半ばの老婆に何年ものの定期を勧めるのはいかがなものか?
地元各支店の課長さんは口を揃えてそんな強引な営業はしていないという
しかし、預金の解約はご本人が来ていただきたいと念を押された
また一つ仕事が増えた
このままでは施設の費用も万が一の葬式代も出せないという
預金を下ろす話をすると決まって次の日に駐在さんに電話するという
息子に金をとられると・・
明日になれば、あなたの家でも起こることです

エキサイトブログもSSL化以来また不都合が色々出てるみたいですね
そだねーやだねー
鯵庵(30.2.26)


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# by ajiankyoto | 2018-02-26 20:07 | 健康保険 | Comments(3)

上巳(じょうし)の節句

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上巳の節句というのはもともと旧暦3月の最初の巳(み)の日
後、重三(ちょうさん・・三が重なる日)として3月3日に
奈良時代・平安時代ともけがれを除くため人形(ひとがた)を川に流すことから、
後に人形(にんぎょう)の祭りに進化していった
それが曲水の宴の原型にもなった

江戸時代中期から裕福な庶民(商業人)の財力はやがて頂点に達し、
財を誇りつつ公家の優雅をまねた趣向で家族の厄除けを祈念する行事となり、
女性信仰の雛祭り昇華していった
と言うのが・・定説

庶民にとって女子のご利益を祈念する気持ちの表れが自然に定着したと考えるのが人情の論理
端午の節句(5月5日)と対をなして、子供・家族・社会の平安を願う気持ちで続いている
旧暦の3月3日は今の4月初旬になることが多いが、今年は少し遅く4月18日になる
八重桜の時期であり、桃は既に満開、春爛漫である
そんなことから桃の節句と言われるようになった
結局、新暦の3月初めに桃の花が自然に咲くことはない

新暦3月のひな祭りの桃の花を用意するためには大きな温室がいる
しかも、切り花用の樹形に育てなければならない
切り花の桃の花に実を成らすことはない
花としての桃である、桃にとっても花だけの人生(?)である
だからこそ、桃の花は邪気を払う
3月の桃は、そんな花だと思って見てやらねばならない
鯵庵(30.2.26②)



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# by ajiankyoto | 2018-02-26 09:53 | | Comments(0)

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作家M氏は、著作の中で格式の高い島原の太夫であっても女性残酷物語でしかないという
客が有名文化人であっても客の消費のための営業戦略に過ぎない
小生は、この論で目から鱗である
太夫は商品としても価値が高いといえる
ただ、その価値とは教養であったのが救いである
そのために遊郭は立派な社交場だと主張する人もあるが、
それこそ設備投資の営業戦略に過ぎないとも言える
買う方から言えば教養を持った肉体を買うためためにはそれ以上の教養か財力がいるのは当たり前のことだ

当時の状況を解説する力は小生にはない
しかし、言えることは島原のこの戦略は早くから斜陽に入っていた
ご一新(明治維新)の明治に入って殷賑の火が消える
・・・幕末新撰組は京の町はずれ壬生に屯所を構えた
京都守護職会津公は徳川の武門の棟梁でありながら勤王の志の高いであった
御所のために働くことが徳川のためであるという信念で生きた人である
京都では言葉さえ通じない田舎者だと言われた、がそれ故に田舎者新撰組(守護職のお預かり)を大事にした
歴史的に他に例のない組み合わせである
だから、浪士隊ながら公金で賄われていた
ただ、機動部隊だから常時うろうろされたのでは困る
潤沢な活動費はあっただろう
そんな彼らが今まで稼いだことのない給金を命の洗濯に使うのは当たり前であろう
社交などというものではない

壬生から坊城通りを下れば島原の大門に達する
彼らは田園の細い道を通って島原に通った訳である
反対の方角に向かえば過激なテロリストがいる京の町に出てしまうのである
それでは遊べない、そっちは職場なのである
壬生からたった1.2㌔ではあるが、島原はそれほどの僻地であるということである
機動隊員である彼らは屯所からそれ以上遠いところでは遊べないということでもある
歴史小説共通の感慨である

正面通が都の中で行きついたのが島原である
だから、江戸期を通じて官許の遊郭なのである
が、その重さが邪魔をしたのかもしれない
天神・太夫などと言っても女性残酷物語である
今となっては浅田次郎の小説「輪違屋糸里」が詳しい
明治・大正・昭和を迎えて遊郭は全盛状態から全滅状態へ移ったけれど、
何故か街中(歓楽街)の五花街だけが雰囲気を残している
売春防止法をとどめに芸者と舞妓の街に変貌を遂げたせいであろう
それはいいけど、遊郭はなくなったわけであるが売春が無くなったわけではない
売春に格式は要らないという結論になったわけであろうか

写真は島原の輪違屋、明治以前は置屋である、多くの遊女を預かっていた、明治以降はお茶屋も兼ねている(現在進行形?)
花街のことはこのエキサイトブログ「花街ぞめき(https://gionchoubu.exblog.jp)」さんに詳しい、鯵庵もフォローしてかつ脱帽している・・
鯵庵(30.2.24)

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# by ajiankyoto | 2018-02-24 19:00 | 都市 | Comments(0)

水仙は咲いたけど

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小生の庭仕事は実は遺品整理だったのだ
湖東に住んでた大従兄弟(いとこ)が亡くなって3年になる
庭付きの分譲住宅が自慢だったが、その庭が倒れた時のままだということだ
遺族はもう庭などかまってられない
だが庭は遺品整理屋でも扱ってくれないし宅急便で送る訳にもいかん
小生庭いじりが好きで田舎ではほとんど自分でする
そういうことだ
一作年の初冬だった
ミニ耕運機と道具をこっちの田舎から車に積んで行った
暗いうちに栗東あたりまで行って一日庭師のまねごとをしてきたわけだ

木はほぼ幹だけにした、選定枝は鉈で小枝を払い井桁に積んどいた
プラ鉢は割れてるのもそうでないのも皆プラゴミにする
鉢棚などは出来るだけ細かく切断一切ゴミにした
一部金属が混じるがゴミはそれだけである
石は出来るだけひとまとめにした
鉢植えは全部鉢から上げて、焼き物の鉢は玄翁で細かく割った
それをまた鉢の土と、なおレンガなど砕いて傾斜をつけて山野草風に植え付けた

その後ろのブロック塀を支柱にして持って行った竹を4つ目垣風に組んだ
少し締りは緩いがおとこ結びは得意である
クレマチスなどツルものはその下に地植えした
剪定しなくても数年、春だけなら咲くだろう
空いたことろ木の下などに持って行ったスイセンの球根を無造作に植えた
逆に生き残ってた盆栽やツツジ類は裸にして車に積んだ
そこにあった園芸道具なども車に積んで持ってかえってきた
ほぼ更地になって殺風景なほどきれいになった
枯れるものは枯れていい、水やりも植え替えもしなくてもいい
枯山水ではない、陽当たりのいい枯れ庭である

便りがあって、今年は早、日本水仙が満開ですと言ってきた
せっかくの大工事だったけど家を処分することになったということだ
え、まさか相続税??
一人になって80歳になったので施設に入るようになったらしい・・
そう家族で決まったということで挨拶があった
庭師(?)として頭を使った作品(遺品整理)である・・??
も少し待てばクレマチスが花を・・
所詮去年の春と今年の春はまた違う
しかし、ほっといてもスイセンだけなら来年も咲いているに違いない

写真は真如堂にて
鯵庵(30.2.23)

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# by ajiankyoto | 2018-02-23 08:16 | 往生 | Comments(0)