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京都の盆の過ごし方

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千本えんま堂にて


亡くなった人の初めてのお盆は初盆(はつぼん)とか新盆(にいぼん)とか言う
出来るだけ親族皆が寄って灯りをともしお供えをして故人を偲ぶのが優しい過ごし方だ
が、府県界を越えての移動も制限されたのでは、それもままならない
新盆なら菩提寺の閻魔さまの前で祈祷も(?)もしてもらえる
が、お寺さんの顔を見たとて大した功徳にならない
元々、密やかに一人してお参りしたい人もいるだろう
本当は亡き人と自分の近さを感じるには一人の方がいい
お盆を機会に直接に閻魔さんや地蔵菩薩とお近づきを願っておくのもいい暮らし方だ

小生は心ばかしのお賽銭だけで紛れて迎え鐘を2つだけつかしていただいた
それでも音色に遜色はなかった
当たり前のことだけどお盆はお盆である
観光行事がなくなっても迎え鐘や送り火は何処にでもある
お正月はハレの日であるがお盆は日常なのである
京都は街中そこらじゅうが六道の辻であり、地獄の入り口である
昔、迎え火の日にかまぼこ板に釘を打って一人でローソクを灯していた母を思う
観光という大波が来なかったとしたら京都ってこんな鄙びた町だなと思わされる
そこらじゅうに閻魔さまや地蔵さんがいて、思うときはいつでも亡き人と一緒に暮らしている
好きな人でなければならない、それを偲ぶという

昔は家族があった・・
その代わり庶民の盆の始まりはあくまでも俗っぽいのが特徴だ
ぼちぼち子供のために地蔵盆の準備も始めなければならない人もいる
観光という大波さえ去ってしまえばその俗っぽさと侘しさがやっとしっとりしてくる
鯵庵(3.8.15)

# by ajiankyoto | 2021-08-15 20:29 | 新しい生活 | Comments(0)

幻想

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ずっと変わらなく暮らしていけるという幻想を描くのが結婚だ
そのことが幻想であると知ってもなお結婚することが大事なのだ
そのことを知らずに結婚すると幻想が邪魔になってくる
鯵庵(3.8.14)

# by ajiankyoto | 2021-08-14 09:00 | 往生 | Comments(0)

忘れ物

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セミの忘れ物

この頃家を出る時の忘れ物が多くなった
忘れ物をしないようにと思うと、他のものを忘れたりする
財布や携帯電話や鍵など忘れなければ何とかその日は過ぎる
それと忘れ物に気づかなければその日は過ぎる
と言うことでリュックにしたら、リュックが一杯になってしまった
それでも今までも忘れ物ばかり
忘れ物があると思って家を出るようにしている
♪青春は忘れ物、過ぎてから気がつく・・と言う歌があった
長い人生ならもっとあっても不思議ではない
余韻も足跡も残せないかもしれない人生、取りに戻るほどのものはないかも

鯵庵(3.8.13)

# by ajiankyoto | 2021-08-13 12:00 | 往生 | Comments(1)

マスオさんは大阪弁を使わない_b0355451_21001330.jpg
※城南祭の絵馬から、優雅な城南宮の祭、本文とは関係はない

人は頭でものを考える
のだが、それは言葉で考えることなんだ
自分の持っている言葉でしか考えられないということ
我ら近畿の人間は京都弁や大阪弁などなど、いわゆる関西弁でものを考えている
言葉に似合った考え方をしているという
どうしても関東地方の人と考え方に厳然たる隔たりがある
大阪人が東京に行ったって言葉を直そうとしないのもそれゆえだと思う
反対に東京の大学で学ぶと大阪弁を使わなくなるマスオさんみたいな人も増えている

そのためか大阪や西の出来事は関東にとって検討の対象になり難い
今年5月の大阪での医療崩壊の経験など活かしようのないことになる
こちらはこちらで違ったやり方で行く
政府や東京がそういう気持ちになるのは仕方がない
それも経験の活かし方だと評価すればそれでいいかも
関東の施策を決めるのは官僚語という共通の言葉を持っている人たちが決める
時に東京都施策を一緒にし時に袂を分かつ3県の知事は奇怪だが
この4都県は江戸(政府)が広がった街なのである
共通の言葉を持っている

医療崩壊という言葉もアクセントが違うし、
考え方を方を変えるとアクセントが変わる
あるいはまた新しい考え方は新しい言葉を作って行くのだが・・
コロナのこの場合にも言えるかどうか
地方から都に言葉が伝わるには年月がかかる
都から地方に言葉を伝わるのは権力次第であるのは間違いない
そう思うことがすでに関西弁の考え方かもしれない、な
鯵庵(3.8.12)

# by ajiankyoto | 2021-08-12 12:40 | 都市 | Comments(0)

銅心先生に再会

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ピカピカの銅線を編んでいく
市井の工芸師、埋もれた工芸師、無欲の工芸師、貧乏工芸師、時代遅れの工芸師・・・・
店をやっているわけでもないし、その風采はカスミを食って生きている行者のようでもある
時々わざと貧しき風采をして托鉢に出てくる京都のボンさんよりは仏に近い
世俗そのものなのだがその世俗から孤高の人である、だからどう表現しても当たらない
大雨が降らない限りここで朝から夕方まで座り込んでいる
気に入った人にはあるもんだけ売るし、目の前で作品を待って買ってかえる人もいる

私は”市内引きずり徘徊・・”を自己紹介に書いている
だが、ここ2年はコロナの影響もあって多くの人と疎遠になっている
高齢の銅心先生が正直まさかあれからずっとここで同じように・・銅線を編んでいるとは思わなかった
私は驚いてその傍に座り込んでしまった
コロナもオリンピックも何も関係なかった人がいる
ただ、この間、京都以外から来てでも話していく人はいなくなってしまったという
が、それすら関係ないという
頭がボケるか手先が動かなるまでは今の生き方、暮らしを続けるという
ボケても手先が動くなら続けると書いとくで、と言ったらどうでも書いとけという返事だ

ここは実は琵琶湖疏水が鴨川と交わるところだ
ごうごうと疏水の水が流れる
疏水の水は大都市京都の命の水だがその本流は宇治川に吐かれるまでまだ仕事をする
だからここが琵琶湖疏水の聖地
毎日その水音を聞きに自転車でここへ来るというのだ
冷泉通りは人通りの少ない通りである

本当の京都の人は京都の名前を使わない
「鯵庵の京都事情」などと言ってる私の頭の上がらないわけがそこにある

今回は写真も載せるで、と言っといた
どう書いてもかまわんという
わざわざ人に見つけられないところに来る
売り上げで自分で出来るだけの銅線だけを買う

名前はただの「銅心」、生き方はただの「工芸師」
紹介するのはそれだけである
鯵庵(3.8.11)


# by ajiankyoto | 2021-08-11 19:31 | 京都の水 | Comments(0)