2023年 02月 09日
(4)夫婦の縁(えにし)

元気だったらそれでいい
が、病気になっても面倒は見れない、と息子が言う
それだけの力がないというのもあるが
そのことを理論建てして、息子の嫁が言う
結局自分の始末は自分でしなければならないことになる
何度も言うが、それができたら御の字だ
親子の絆とはこんなものかと今更驚く
そんなことで驚いていてはいけない、夫婦だって同じだ
これからも夫婦二人で生きていこうなどと言っていても・・
病気になったとたん、夫の面倒を見るのは真っ平だと言い出す
今まで貸してた分ををこれから返して貰うと言う
嫌なら別れてくれと真顔で言う・・・・・ええ???
自分の始末をつけなければ…と思ったとき
配偶者が一番遠いところにいると思う瞬間だ
それはお互いさんの話だ
できればその時にははっきり言うべきだろう
どちらが先に死ぬかはわからない・・・んだよ
落ちのない落語というか、昼寝の寝言だということでこの話を続けていく・・・・
鯵庵(R5.2.9)
2023年 02月 08日
(3)定年はあるが隠居はない

繁盛していれば家の財は親の財であり自分の財であった
その財を相続すれば、親を養うこともできる
が、今の親は自分の貯えだけで生きていかねばならない
親も自分が暮らしていくだけで精いっぱいとなる
それが最低限の尊厳になる
子供を学校に行かせ一応の社会人にするのは親の務めである
そうしてもらうことが当たり前のことになってしまった
我らの世代、親は必死で働いた
父親もだが、私もほほゼロから今に至る
振り返れば貧乏からの脱出、そのものだった
もちろん成功した人も失敗した人もいる
サラリーマン稼業なら自分の家と年金が残ったら御の字なのである
子はまた体一つ、親にもらった学歴を背負って仕事をしなければならない
それで家族を養っていけるとしたらそれも御の字だと言える
日本人の戦後に足らなかったのは社会福祉だけだった、と言う人がいる
その人も社会福祉制度が充実したけれど、
まさかその裏返しで家族が無くなったとまでは言わない
鯵庵(R5.2.8)
2023年 02月 07日
(2)平均寿命

死神がつかさどるのは寿命である
自分は生きたいと思っても死神がそれを許さない
病気だって治るときもあれば死に至ることもある
死神が枕元に座っていればどうしようもないと落語にある
平均寿命が延びたからと言って、
それは生まれたばかりの赤子と若者の死亡が減ったからである
若い人が亡くなるのは病気、自殺、あるいは決闘、戦争である
生き残った老人は自分の病気のことだけを考えれば済むのである
そのことを経済学的な視点で見れば、老人にもっと金を使わせるべきである
要は、そう思う若い人が多いのである
それがサラリーマン論理である、と言うより先に
若者にそういう目で見られていることを知ることも大事だろう
鯵庵(R5.2.7)
2023年 02月 06日
(1)昼寝の夢

金か命かと言われたら困る
一瞬、金だと言いそうだ
年寄りになれば金がなくなって命だけ残っても困る
さりとて、命がなくなって金が残っても困る
ちょっとした盗人がいつか詐欺になり、
ついに強盗になり金をとった上の殺人となってきた
ここまではテレビを見ながらのつぶやきである
老いも若きもであるが金と命の二つが生活のベースである
が、だが年齢によって金の値打ちも命の値打ちも大きな違いがある
年寄りの命は軽んじられ、年寄りの金は狙われる
オレオレ詐欺がはやりだした頃言われたことがある
年寄りが貯めた金を社会に戻す、それが経済だと
詐欺のことだとすればもちろん暴論だと言われたが・・
実は、経済論として否定されたわけではない
現在の状況もその延長上にあると思う
昼寝の夢の話である、強盗に金も命も出せと言われたらどうする
しどろもどろ答えていたら
若き強盗が閻魔大王に代わって、
「年寄りになってそんなこともまだ始末できてないのか」
また、しどろもどろ答えていたら
閻魔大王が死神に代わって、事情聴取すると言う
「お金はそこにおいてしばらくあっちで順番待っておれ」
落語のような話になって目が覚めた
鯵庵(R5.2.6)
2023年 02月 01日
鉛筆写仏

上は、弥勒如来(興福寺・運慶作)
鯵庵のホームページ『鉛筆写仏』を更新しました
10B の鉛筆とクレヨンで着色してます
このブログの読者の皆様にも是非覗いてもらいたいと思います
ここををクリックしていただければジャンプします
鯵庵(R5.1.29)