2024年 06月 19日
あの日の青空ひとりきり

東本願寺にて、本文とは関係ない
自分はどんな死に方をするんだろうね
病気も事故も下手をすれば野垂れ死にも避けられない
息子が3人おれば医者と弁護士と極道に育てよと言われた
そうすれば老後は安泰かもしれない
が、もちろんそれにも失敗した
ほとんどの人が社会の世話にならねばならないだろう
災害がきっかけで人生が変わるかもしれない
年寄りに一番多い失敗は「迂闊(うかつ)」である
社会はサラリーマン論理の経済とオレオレ型の詐欺で動いている
スマホやインターネットの裏には悪魔が鎖鎌をもって待っている
そんなうまい話があるはずないやろ、と笑わっていた自分もやられる
社会は温かい福祉制度で動いている
だが、政府や自治体の温かさは限度がある
マンが悪いとその制度の隙間に入ってしまうときがある
いかなる制度には必ず谷間、隙間があるものだ
その隙間を埋めるのが民間活力である
のだが、そこにはまた妖怪みたいなサラリーマンの論理が働く
1億円を超える介護付きのマンションが全国に建つようになってきた
見晴らしはいいし設備はいいしとなれば分譲価格も仕方がないとして
そんところで死ねたらあまりにも幸せ過ぎる
なお、その上に同じ介護ヘルパーでもそんなところで働く方がいいだろうね
金持ちの周りに幸せな人が集まってくる
が、三流人ばかりである
それも迂闊である
周りに善人が減ってしまうのが谷間である
♬青空あの日の青空ひとりきり(井上陽水)
崖を登ってくる人には手を差し伸べる
それが福祉ではないか
ほとんどの政治家は政治は経済だと信じている
それがまた平和主義の隙間なんだろうね
商業主義が次に続く
老人をターゲットにするのは当たり前である
コロナが終わってみれば・・またみんなが金持ちにあこがれてる
鯵庵(R6.6.19)
2024年 06月 16日
鳥羽地蔵と文覚上人

今なら、九条通りから新千本通にあたると思っていい
この鳥羽の街道沿いにあるのが京都六地蔵の一つで鳥羽地蔵といわれる地蔵尊である
平安時代に地獄と行き来したと言われる公卿の小野篁(たかむら)が、
地蔵菩薩が地獄に落ちて苦しんでいる人の救済にあたっている姿を見て帰り、
人々に知らしめるため六体の地蔵菩薩を彫った
平安時代も後期になって後白河上皇が平清盛や西光法師に命じて
六つの街道の出入り口に六角の地蔵堂を建て安置したとされている
ここの寺伝によればあの文覚上人の開基であるという
保元・平治の乱のあの時代のことである
文覚上人とは、平家物語の脇役の代表でもある、院の北面の武士だった遠藤盛遠(もりとう)のことである
鳥羽の地は白河・鳥羽と続く院政の中心地、豪壮な鳥羽離宮が営まれていた
この寺には自分が横恋慕で殺した袈裟御前の首塚があるとされている
盛遠と袈裟御前は実はいとこなのである、袈裟の母にせまった
ええ方法ではあるが、そもそも横恋慕は大変に迷惑なことである
袈裟御前によって自分の罪の重さを教えられた盛遠はこの事件で出家した
袈裟の母も、袈裟の夫もみな出家した、地獄の恋の行く末である
出家しただけでは救われなかった盛遠は地獄で地蔵に教えられたのだろう
だからこそ気迫のある法師になったのだろう・・
生きながらのこんな地獄を救えるのは地蔵菩薩だけである
京都市が建てた寺の表札には「悲恋の物語」とあるが、せめて「悲劇の物語」とすべきである
また、近くには恋塚寺もある、横恋慕は恋なのか?
それとも今なら警察沙汰か
文覚はどう見ても骨太な武士だった、やがて頼朝に挙兵を促し空海の神護寺を再興するだけの政僧になる
すっかり地蔵菩薩の話が文覚の話になってしまったが、ここの地蔵はそう覚える方が早い
やはり、文覚だって隠棲してしまったのでは歴史に残らなかったはずだ
写真はヤマアジサイ
鯵庵(R6.6.16)
2024年 06月 14日
隠居(鬼平犯科帳)

隠居した老盗賊が市井(しせい)の中で暮らしている
盗賊だと言っても悪を憎む???と密かに啖呵を切る
盗賊にも仁義があると、知った盗賊情報を鬼平に預ける
鬼平配下の火盗改めは悪党どもの捕り物に出動する
盗賊にも掟があるが、社会にも掟がある
悪党であっても義賊であっても同じことだ
鬼平はその市井の元盗賊を見逃してやる・・?
が、その盗賊が盗みで貯めた財産・隠居金はすべて召し上げる
見逃しの代償は一文無しで暮らすなら・・である
テレビ鬼平「見張りの糸」の中で正しい盗賊(?)を裁く鬼平の渋さがある
盗賊には世間の隠居はないのである
足を洗ったからと言ってもぬくぬくと暮らしことは許されないのである
アウトロウの身の処し方は最後までアウトロウでなければならない
それがこの時代の掟なのである
搾取も詐取も掏摸も賄賂・・も盗みである
現代人は安心されたし・・
罪を償い、
なお、心を入れ替えたと言えば年金ももらえるし生活保護も受けられる
ただ、もらい過ぎない、貯め過ぎないというは昔からの社会の掟なのである
だから、隠居さんはどこにもいないのである
鯵庵(R6.6.14)
2024年 06月 13日
楽は苦とともに苦は楽とともに

喜び組・怒り組・悲しみ組である
今日用(教養)がある、今日行く(教育)ところがある・・・と
もちろんカルチャーやパートの行き帰りの人もいる
概して元気であることが条件だ
分かりやすく言えば
家族や財産に恵まれた人、世に受け入れられないことを嘆く人、
ぎりぎりの生活や友人もなく生きる力を感じられない人などである
もっと言えば年金支給日にATMに並ぶ老人に三態あると言えば
言いたいことにちょっと近い
老いることはそれ自体が苦しいことだ
乗り越えなければならないのは今までの苦しみだけではない
苦はこれからも喜び怒り悲しみと一緒にやってくる
しかし楽も苦と一緒にやってくる
老いることは”喜怒哀楽苦”である
鯵庵(R6.6.13)
2024年 06月 11日
焼酎「逆さ水」論

そんな焼酎好きと飲むととりあえず講釈が始まる
「焼酎の湯割りはお湯を先にいれるんだぜ」と
実はいつもいつもその話になって、聞いてる方には少し面倒だ
おそらくどっちでもいいのだろう
反論を上げれば、焼酎の量を先に計量する方がより確実だし、現にお店ではそうしている
また小生の友人の法善寺横町の店長は熱いお湯を後に入れた方が辛口(ドライ)になるという、そんな理屈もあるらしい
焼酎の風味を楽しみたいなら後先よりも銘柄次第で、お湯の温度とか割合の方が響きそうな気がするのだが
鹿児島育ちの友人は、焼酎の本場鹿児島では湯割りは飲まないという
焼酎は水で割って、なお一晩おいた上ゆっくり温めてお酒のように好みの温度で飲むという
割るのでなく燗をして飲むのが王道だと
焼酎より理屈が好きな私がそこで割り込む
「逆さ水」って知ってるか?
熱湯を冷ますのに水を加えるのは当たり前
それを、水に少しずつ熱湯を加えて適当な温度のお湯を作ることを「逆さ水」と言う
お湯が後、その方が合理的なんだけど、??
これは湯灌(ゆかん)の時のお湯の作り方だとされている
ふだん逆さ水をすると不幸になる・・なんて迷信もある
だが、産湯(うぶゆ)もそうしたと昔の産婆さんの証言もある
そやけどお湯割りと言う限りは焼酎が本体でお湯が後と違うか、と
言葉のまやかしである、どっちが先でも味わいに差が出る根拠はない
理屈を言うと話のおもろないやっちゃなと、話が終わりかけるが
割り方は6対4それとも4対6、どっちが多いねん?とまた始まりかける
私は4分4分(しぶしぶ)がいいと言うことにしている
かくして・・やっと今日の本題に入っていくのである
写真は〇〇京都タワー、京都駅前の居酒屋の市民のための発展を期待している
鯵庵(R6.6.11)