ハゲと尼さん

b0355451_21282163.jpg
「このハゲー」というのが去年はやった
女性が男性に向かって精一杯の侮辱だ
この言葉で傷ついた人は多い
東大法学部を出て官僚候補でハーバード大学にまで留学させた役所に驚いた
職場でも困った人だから留学してもらったという人がいた
いかに怒鳴るにしてもハゲやチビなどと言ったんではかえって効果が半減する

だがしかし、ハゲにハゲと言ったのだからと、それぐらいのこと・・という人もいる
それなら男性が女性に対して同じようなことを言うとしたら
「このアマ~~」ということになる?
尼さん・・仏門に入った女・・比丘尼(びくに)のこと
大変失礼なことになる・・猛反発となる、が、時代劇ですら死語になる

ハゲに対して、髪を剃った女性のつもりで尼と言ったのではない
身を持ち崩した比丘尼の成れの果てのことニァリーイコール売春婦のことなのである
尼に尼と言ったのではない、尼でないから尼と言ったのである
二方向の言われなき蔑視の極端な例になる

歴史は言葉をきれいにしてきた
が、世の中がきれいになったわけでは必ずしもない
売春は当時でも不倫中の不倫であった
承知の上のことでもあった
し、男女の情の赴くところはそれに限った話ではない
今になって不倫という化け物のような言葉が幅を利かせて何でも不倫である
倫(倫理)がないのに不倫とはなんだかわからない
愛や好意が美徳であると言われるこの世で不倫とは物騒な話である
浮気したことがない男はいない筈なのに少し方向がズレたら不倫で、そんな男が"このあま~"と言ってるのである
節操のない話である
刑罰でも縛ってきたことに反省して
恋愛は自由なんて世間が言うてるのに
その世間が他人の"不倫"となったら目くじらを立てるのはやはりおかしい
なんぼ時代が進んでもハゲは治らない
けど、不倫はいつもいつか治る
と、尼さんが言ってる
鯵庵(30.2.20)

[PR]
by ajiankyoto | 2018-02-20 08:05 | おなご編 | Comments(0)

灰色のハート(後)

b0355451_08104628.jpg
誤って削除してしまった項目である
camellia-02氏の絶大なご協力によって奇跡的に復元することが出来たものです

灰色のハート(前)または灰色のハート(中)から続く

人を好きになることこそ人たる美徳であると思う
本来のハートは血の色である
その中で男であったり女であったりするのだから・・
また、その中で人はどうやって生きていけばいいのかを迷うことが倫理である
人の悩みの底は複雑である
だから、人生相談は仮定でなければならない

回答者は迷いに対して諦めの助言は出来ない
そのくせ相談者は自分の答えを先に持っている
しかも答えが載せられない相談はそもそも採用されない
男女の現実はまた違うところにある
自分で苦しめばいいことだろうけど、
実生活の方を仮の姿として世を欺いて生きていくのは苦しいことだろう
真っ赤な血が流れるハートばかりではない

人は引っ張ったってついてこない
せいぜい後ろから押してやることである
ただ、世の中回答者ばかりではない
後ろから押してはやるが、受け方をまち間違えれば下手をすれば堀に落ちる
昔、何か相談すれば「あんさん、別れなはれ」というのがあった
今の世でも・・相談の9割はその答えが一番親切だともいえる
そうでないと相談になど来ない健気(けなげ)に生きている人が割を食うというものだ
きっと、答えはそっちの方にあるのだろう・・な
鯵庵(29.12.2改)




[PR]
by ajiankyoto | 2017-12-02 07:37 | 大人の恋 | Comments(0)

灰色のハート(中)



(前編に続く)
逆に人間は40代・50代と年令とともに満たされないものがどんどん膨らんでいくものだ
それを言えば人生相談にならなくなるからだ
そんな中でこの腐れ縁を切ることは自分らが嫌程嫌いになることしかないのである
好きであることと嫌いでないということはまるっきり違うのだ
嫌いでないだけにずるずる関係を持ち、嫌いでないだけにずるずる結婚し、
嫌いでないだけでずるずる子供を育てている
そういう男女が欲求のある若い時に知り合えば、必然的にずるずるとなる
ずるずるというのは自分だけが可愛い性癖なのだ
それはセックスの上での性癖でもある

言い換えれば、自分を大事にしてくれる人や夫や子供たちを本当に愛することの出来ない性癖なのである
だから、少々失敗してもその性癖が戻るものでもない
その点この男女に関しては浮気症とは別のものといった方がいい
切りたくなった特に切れないのが腐れ縁で、いつまでも切れなければそれは悪縁になる
今回の罪は人を欺むく悪意がある
もはや神頼みであるが、縁を結んだ神のところへ行かなければならないくらいだ

男性の浮気は95%がバレて、女性は5%しかバレないという統計?がある
これは明らかに浮気を誘う男性側の意図が含まれている
別の統計?もある
男性の95%は女性の浮気を許す、女性は5%だという
この数字には浮気を知って黙っている数字が多く入っている
実は女性の浮気のほとんどもバレているのである
女性がそれに気づけば浮気が減る可能性があるがそれは言わない方がいいのだろうね

この項続く
鯵庵(29.11.24)



[PR]
by ajiankyoto | 2017-11-24 12:41 | 大人の恋 | Comments(0)

灰色のハート(前)

b0355451_19414072.jpg
道を外れた時その道へもう一度帰って来れる力がないと、教えられない
と言われた
これ、パソコンの操作の話である

元へ戻すと言ったって、闇雲に逆走したらかえって具合悪くなる
これは、人生相談である
新聞に載っているような人生相談というものはほぼ仮定の話である
現実の話だとしても、本音の半分は隠されている
おかげで「不倫」という言葉も安易になった

今回の話はこうである
・・・妻子ある男性とずるずる関係を持っているうちに自分も結婚することになった
ずるずるの相手と別れ話をしてしばらくは・・・
子供もできて幸せなのだがやはり元に戻ってしまった
互いに家族を持ちながらあれからもう10年も続いている
不倫をやめたい気持ちがあるのに自分ではどうしたらいいのか分からない

どうしたらいいかって言われても、おそらく別れられないだろう
この道はバレなければいいのだから・・むしろ今までの成功体験が後押しする
回答者は「30代よりも40代は年令も加わって心も成熟していくのだから、その中で満たされない心を埋めていくすべというものを見つけなさい・・」
というのだが・・
(この項続く)
鯵庵(29.11.23)

[PR]
by ajiankyoto | 2017-11-23 16:11 | 大人の恋 | Comments(0)

花見小路に思う

b0355451_21544275.jpg
京都の祇園花見小路、旅行者で一杯である
小生も一度くらいは祇園で飲みたいと思う
もちろんお茶屋へ上がって芸者を侍らすのでない限り金さえ払えばいくらでも飲める
この頃の舞妓や若い芸者はお座敷でも上手く会話が出来ないで私語ばかりだと
さる大物評論家の先生がおっしゃっていた
そんな現場に小生が立ち入ることはないが、ある意味で貴重な証言である
旅行者でも「夫婦子供連れで歩くのはやめときなはれ」と言うてやりたい

花街(かがい)は京都の中で他の京都と違うのは不倫が許される街である
「不倫は文化」云々を言った芸能人もいるらしい
浮気は病気である
そんなものでも文化などと言いきれるのはいかな京都でも限られた花街だけである

夜の世界はスマートに金を払って遊ぶところである
お茶屋や料亭に来る芸者はそのための接待の専門職スペシャリストだ
金さえもらえばどこへでも行くというのでもないらしいが
それなら、観光客に舞妓や芸妓の技を見せるものではない
置屋もお茶屋もその生活の場と仕事の場
昼も夜もあれほどの勢いで観光客に歩かれ、店の中を覗かれたのでは
何かと不倫には不便なことである

幕末ならともかく
こんな京都で小股の切れ上がった芸妓衆の高度な接待技術が役に立つような商用などあるのだろうか
言っておくが今の花街は遊郭ではない
もちろん遊女や花魁(おいらん)などいない
でも花街の夜の闇は不倫である、そのための街なのだ
芸者が勝手にお客をとることは出来ない
お茶屋を通さなければ世間の眼にさらされる
それが世間の不倫になる

不倫は不義ではない
花街でも、お茶屋のお世話にならなければ素人ということになる
芸者を連れて昼間にホテルにしけ込んだのでは花街のルールに反する
花街の・・などと言うから分かりにくいのだ
大阪ではそれを現代用語で店外デートと言う
不倫の町でも店外デートはご法度なのだ
祇園で遊ぶ人こそそもそも不倫に金はケチりなはんなや
鯵庵(29.2.27)

[PR]
by ajiankyoto | 2017-02-27 17:16 | おなご編 | Comments(0)

「おさん茂兵衛」落語編

江戸期天和年間(1683)、京都四条烏丸(しじょうからすま)にあった大経師(だいきょうじ)家
そこの嫁・おさんが手代の茂兵衛と不義密通(ふぎみっつう)
丹波への逃避行の末見つかって京で磔(はりつけ)にされた事件のこと
井原西鶴が「好色五人女」に「中段に見る暦や物語」で書いた
それを、近松門左衛門が浄瑠璃の戯曲に書いたのが「大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)」
暦の名ではない、おさん茂兵衛の話である
b0355451_09383641.jpg
話は脇にそれるのでお許しあれ
この事件を揶揄した艶笑噺を桂米朝がしていたのをネットで見つけた
ただこの話はおさん茂兵衛の事件とは直接の関係はない
この話のおさんはただの表具師茂兵衛の妻だ
壁越しで隣の男と付き合っている
ひょんなことから隣の男の物が亭主茂兵衛の鼻にくっついてしまった
世間にも出られないし、医者に頼んでも取れない
ということで京都の奥鞍馬の大天狗に頼みに行くわけであるが・・
一心に祈る茂兵衛の物がいいので天狗もひれ伏すというたわいのない話である
落ちは「わいのは素惚けや」という天狗の言葉である
小生が言ってるのでない米朝が言ってる

もう一度話が飛躍するが・・
1月中旬の大雪で市内でも14センチの雪が積もった
奥深い鞍馬線の鞍馬駅から見える天狗の鼻が雪の重みでとれたという
そんなニュースを聞いてこんな話を思い出した
張りぼての天狗の鼻では大雪の重みで折れることがある
芯を入れとかんといかんかったんではないだろうかという話である
この落語の落ちで使われた「素惚け」という言葉がなんとも柔らかくていい言葉だ
ボケには「呆け」もあれば「惚け」もある、
人を型にはめて医者の言うまま「〇〇性認知症」だとか言う風潮に比べれば人格が残っているではないか

暦の話や「おさん茂兵衛」の事件のことについてのコメントは改めてします
絵はお土産にもらった鞍馬の佃煮店「京くらま林」の包装紙をうつしました
鯵庵(29.1.19)

[PR]
by ajiankyoto | 2017-01-19 08:20 | 大人の恋 | Comments(0)

大人の恋は他人の関係


b0355451_20111603.jpg
今回は新聞の人生相談記事からです
大人にも恋はあるのかと問われれば?
「思春期の」、とか、「青春時代に」という言葉が前にきたら・・
その時は、恋をしなくなったときが“大人”と言うことになる
だから、大人は恋しない
でも「若いときと同じように」といわれたら・・
特定の異性に対して、自らを好もしく思って欲しいと願う心があるとしたら、
やはりそれは恋と言ってもええやんか

そんなことなら何歳になっても(ある程度)日常的であるはずである
困ったことにそれでは世間に恋だらけになる
あるかないかと言えばあるが、するかしないかと言えば、必ずしもするとは限らない
新聞の人生相談で読んだ話である
”60歳を超えて夫が亡くなって子供も大丈夫だから、昔好きだったけど親に反対されて結婚出来なかった人”を探したいだって・・
回答者の弁、年月は戻したらダメだよ・・新しい友達を作りなさい
回答者優しいね、もっとキツイ目の方が親切だと思うけど・・まあ、小生もそう思う
成長しない恋はダメ、年寄りには年寄りなりの新たな恋なら賛成なんだが・・

大人の恋は、既に恋ではないかも知れない
大人の心情はピュアの状態ではないのが普通である
恋は汚れる、年とって分かることの一つである
好きとは別もん?別の日に回答者が言っていた
「人を愛することが出来ない人にも恋はある、だから恋は怖い」
そんなこと早く言ってよ、若い時に言ってよ
いやそれより若い人に言ってあげてよ
”人を愛することが出来ない人も恋はする”
私は、・・って、私は好もしく思ってくれる人だけが好きである
こんな性根がダメだったのだろうな


金井克子「他人の関係」
作曲川口真
作詞有馬三恵子
♪初めての顔でお互いまたも燃えるの
♪大人同士の恋はいつも自由でいたいわ・・
と結論
同感?改めて聞きたいと思ったら、ネットでどうぞ


写真は持ち手の欠けた醤油甕、今頃恋しても使い道がないって
鯵庵(11.9)

[PR]
by ajiankyoto | 2016-11-09 08:07 | 大人の恋 | Comments(0)