人気ブログランキング |

タグ:地蔵菩薩 ( 29 ) タグの人気記事

地獄の仏か矢田地蔵

b0355451_21284607.jpg
京都寺町の矢田地蔵で白い蝋燭に火をつける
こんなかすかな火で煩悩や罪が燃えるものではないだろう
人間一生の間になす悪行はどれほどの数になるのだろうか
そうでなくとも善を成したつもりが自分の意に反して地獄に堕ちる人も多い
地獄の裁きは自分の意識したことない悪行をも裁くことであろう
この世と違って閻魔の裁きは公平であるということである
それが本当の地獄の救いである

この寺の縁起などによれば・・
実母を殺す・・悪の報いで地獄に堕ちたが・・・
地獄に地蔵がおり、地蔵菩薩に懺悔して地獄から救い出された
昔、高僧が地獄で生身の地蔵に会って見てきたその姿が矢田地蔵である
矢田地蔵の信仰は地獄に仏の話である
親を見殺しにするなら殺したと同じである

この寺の名は矢田寺である、奈良の矢田寺と同じである
地蔵は菩薩の中でももっともスーパーな仏である
無限の空間の中どこにでも存在する
しかし、地獄の淵に生身でいてくれるとしたら他の仏とは違う
地蔵は亡者の身代わりに地獄の責め苦を受けてくれてるのだからなおさらだ
この炎は、地獄の灼熱でなくも悪行にも見えるし病気にも見える
その点寺町商店街の喧騒の中でそう目立たなくてお参りが出来る

自分が生きている限りどうせ大小何らかの罪を成しているものである
真理の目を持つ閻魔や地蔵を騙せるものではない
怖ければ早い目に地獄の地蔵菩薩と縁を結んでおこうというのだ
さりとて、今のうちの懺悔したからとて救われるものではない
閻魔の裁きが下ってからである
ということは一度地獄に行ってからのこととなる・・
小生だけではない・・みなさん
鯵庵(1.5.31)

by ajiankyoto | 2019-05-31 18:24 | 地蔵菩薩 | Comments(2)

般若心経は観音が語る

観音とは〝観自在(かんじざい)菩薩″、観音(かんのん)菩薩、観世音(かんぜおん)菩薩など
唐の国の玄奘三蔵(げんじょうさんぞう・三蔵法師のこと)の訳以降、観自在菩薩との訳が定着しているとのこと
確かに「観自在」というのが観音さんがスーパーであるいわれである
この仏様はその人の苦難に応じて様々な姿に変化(へんげ)を行うと、三十三の化身をして人を救うという
真理は無色無形、観音は全て架空の姿でもあると言われる
だから見ることの出来ない人もおれば・・

見る人によって見え方も違うということなのだろう


b0355451_09573042.jpg

・・・世の中は個人のその人の悲嘆には構ってくれない

無情・無常にもそんなことにかかわらずどんどん時は移って流れていく

自分の人生もほとんどがその流れに乗って笑ったり楽しんだり暮らしたりしている
良いこともするし、苦もなすし悪もなす

これからなお病んだり老いたりするとともに、

拗ねて人に構ってはいられないもう一つの自分がある
罪はとどまらない

しかし、何も知らなくても「般若心経」ならば小生にも馴染みはある
観音さんが主人公でもあるし、何よりもお経の中で一番短いからかもしれない

短くても一番のお経であるのは、このお経は文学であるからだ
釈迦が修行中の自分が考えたことを、自分の弟子で智恵第一の舎利子(しゃりし)に分かりやすく繰り返し語っている
懐疑的な弟子に何度も何度も舎利子よ舎利子よ呼びかけながら・・

そう釈迦が我々に自分のことを語っているわけである
「空(くう)」という一つのことを語りたいため・・の構成である
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五薀皆空度一切苦厄・・・(かんじーざいぼーさーぎょうじんはんにゃーはーらーみーたーじー しょーけんごーうんかいくーどーいっさいくーやく)で始まる270余文字の文学
三蔵法師が中国語に訳したわけだけど、日本読みの音をたどって行けば何となく流れが分かるようにもなっている
音で感じるのもお経
説教なのに説教臭くない、釈迦のまだどこかで完成されない気持ちを表現している
究極の文学であるし、文学ゆえに救いである気がする・・・・

鯵庵(31.3.20②)


by ajiankyoto | 2019-03-20 08:24 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

葬式のレール⒄看取り



家族の一番の喜びは誕生である
家族の一番の悲しみは死別である
しかし家族はいにしえより生と死を家族の歴史としていた
孫の誕生を祝っていた祖父母の死を見て大人になっていく
大切な人との別れは人生で最も相手に対してに感情や愛情を感じる場面である
それが「死別」である

"死別の場所”についての国の統計がある
日本の場合、病院(老人保健施設を含む)が8割を超える
残りの半分である1割が自宅である・・・が、「老人ホーム」が増加し自宅が減少している
しかも、病院の比率は増加するだろう
それは、また、「人生の最終段階における医療のあり方」の問題でもある
いい医者は必ず本人と向き合って医療を決めてくれる
延命措置の詳細を家族に問うたところで、家族が本人の気持ちを推定して代弁できることはあり得ない
そのことを本当は医者は知っている筈だ
病院での家族の看取りはそのことの難しさを包含している

ひょっとしたら、過ごしやすい施設に入っても同じことかもしれない
そんな身分の人ですら家族と一緒に暮らしていた鬱陶しさに気づくものである
残された家族も同じことを感じることになるだろう
が、それはその人の家族の歴史から言えば最後の章である
その一瞬だけのことを言う「看取り」という言葉は現代の実態を捕えていない
施設から直接葬儀会場に遺体は運ばれる
親と子が祖父母と孫が再会するのは葬儀会場になる
施設や病院での記憶しかない残ってないとしたら家族の不幸である
鯵庵(30.11.26)


by ajiankyoto | 2018-11-28 14:39 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

葬式のレール⒃火葬場

b0355451_19264442.jpg
京都市が中央斎場の火葬件数の予想を立てている
市民のほぼ100%が火葬だから、市民の死者の数だと思えばいい
あと15年くらい先の平成43年から47年の5年間ぐらいがピークになる
1日の火葬件数は(最大)138件になる、としている
中央斎場の1日の処理能力は120件(24基ある)程度らしい
やがて減少していくことが見えているので増設はしないということだ
平たく言うと、団塊の世代が85歳前後となる時期が死者のピークということだ
この間毎日18件分、1年で約6500件が生焼けになる(?)という計算だ
団塊の世代は最後の最後まで生きる競争だ、それどころか死ぬタイミングも・・
"阪神淡路"の時に経験したことであるが、焼き場を求めて役場と遺族がさまようこともあり得るわけである
立派な墓を用意して準備したからとて優先してくれるわけではない

もう一つ京都市中央斎場が困ってることがあるという噂だ
京都(近畿圏)は部分収骨である
残りは火葬場で処理してくれる
やはり、遺骨(焼却灰)は土に返すことが本当だと思う
その処理槽を丁寧に「聖土槽」(京都市の場合)と言ったりする
それがそのころには満杯になっている?
当事者になればジョークでなくなる可能性はある
だが、都で暮らしをしてきたものにとってはともかく贅沢(?)は望まない
気にせず東山の樹林の土にしてもらっていい、と市民は思っている
鯵庵(30.11.26)

by ajiankyoto | 2018-11-26 09:07 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

葬式のレール⑻予感

b0355451_08445132.jpg
葬儀には費用がかかる
あとの家族に大きな負担をかけないようにと互助会制度も盛んだ
大きな葬式になるという根拠なき予感がある
葬式は喪主がするものであるというのも本当だろう
だから、ずっと昔から喪主という・・
喪主とはこの葬儀の祭主(スポンサー)である
そう思えばわかる話だ
喪主を務めるということは故人の跡をとるという習慣でもある
参列者も喪主との関係で増減することもある

小生の時の喪主は息子かはたまた家内かもしれないが恐らくケチるだろう
小生も葬儀のために幾分かの費用をすでに積み立てている
自分の葬式の半分くらいの費用が目算であった
貯まるだけではと、息子の結婚に使おうとしたが披露宴などしないでちゃんと結婚した
結局は自分の葬式に使うことになるだろうけど、小さな小さな葬式になる予感が今は勝っている
私だけでは余りが出るかもしれない
法事にも使えるということだから、結局は飲み食いに化けることにもなる
お決まりの料理で、時代が進めばそんなとこ孫も嫌だと言うかも
いかに冠婚葬祭互助会でも相続のことや家族の暮らし方に相談に乗ってくれるわけではない
・・・のだからそれ以上の意味はない
金をかけるほど喜ぶ人が多いと思うのはただの思い込みである
鯵庵(30.11.13)

by ajiankyoto | 2018-11-13 09:00 | 地蔵菩薩 | Comments(1)

b0355451_18021377.jpg
人は皆、数多くの葬式を見てきている
ひょっとしたら自分の時の参考になるかもしれないと思う
だから、葬儀は進化してきた
葬儀屋に言わせれば客の望みに近づけてきた
その気持ちはお寺さんと言われた僧侶も同じだろう
僧侶の数が故人の偉大さを代弁するとはだれも思っていない
が、引導役の僧侶の位や衣装が葬式の演出をしてきた
逆にその気持ちは葬儀屋も同じだろう
大きな祭壇ほど熱が入るのは当然である

火葬式や直葬で戒名や引導に僧侶が関与しないのは伝統的な葬儀でなく
故人の意思であったからと言って正しい葬儀ではない
と、各地で僧侶を職業とする団体が格安葬儀を牽制している
ならばとばかり、
火葬後の自宅で小規模ながら正しい葬儀をしてやろうと提案している
それもいいだろう
そういう形も自然だし昔からある
そんな時こそ僧侶の存在は遺族の救いである

確かにホールや斎場を使わなければ経済的な負担は小さくなる
その上で僧侶の分をケチらなければ正しい葬儀であるというのは余りに手前みそな話である
極端に言えば宗教的脅迫だと思う
葬儀の僧侶は霊媒師ではないはずだ
我々より数倍も俗っぽい生活をしながら言うことではないと思う
火葬はどんなに短時間であっても故人にも家族にも一番の宗教的行為だと思う
だから小生は、軟(やわ)な気持ちで火葬に同行してはいけないと皆に言う
鯵庵(30.11.11)

by ajiankyoto | 2018-11-11 18:06 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

b0355451_09013324.jpg
葬儀の自由度という言葉は本人(故人)の気持ちである
例えば小生の父はそのことを言い残さなかった
小生は自分の意思で父の葬儀をした
葬儀屋の会場の都合もあった
大きな葬儀ではあったが・・
父の住まいから距離があった
体の調子の悪い父の友人たちの参列が少なくなった
親族の他は多く私の仕事の関係者であった

だが、あらかじめ下あたりした地元の寺院は宗旨の違いで断られていた
父も私も付き合いがなかったのだから仕方がない
生きていた人の尊厳は葬儀が終わるまで守られなくてはならない
長く難病と闘っていた父としての尊厳はかすかなものになっていた
が、私は父の人生を誇りあるものとして見ていると多くの人に語り得た

葬式は誰のためにするのかというのは現代でも命題の一つになり得る
男性も女性も、社会や家族の現役を離れて20年も30年もたっている
寿命を全うすれば・・
それはいかに普通の人になるかという旅でもあり修業でもある
その旅の終わるときに過去の栄光が気になるならそれでいい
最後の見栄という人もいるだろう
が、多くは家族の気持ちでもある

我が国で死亡した人の99.99%が火葬である
火葬場の煙突から陽炎のように揺らめく空気を眺めれば
葬儀が誰のためであってもそんなことが気にならなくなる
昔、荼毘(だび)にふせば大勢で一晩中かかったことも
今は一時間ほどのことである
酸化という化学反応である
残されたものは骨ではなく無機物の灰だけなのである
鯵庵(30.11.10)

by ajiankyoto | 2018-11-10 09:04 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

葬式のレール⑸終活

b0355451_20073915.jpg
告別式会場から霊柩車で火葬場(斎場とも言う)に炉の前に運ばれた遺体は
火夫が故人の確認を行って棺の蓋を閉じる
足元から耐火シャッターのうちに入れられ、炉の扉が閉じられる
化粧扉が閉じられ、僧が読経を行う
それが点火の合図になる
足元先端部のバーナーの火が棺と遺体全体に回る

「火葬」を省略できないのが葬式である
だから、言い換えれば火葬を行うために付随したものが葬式ということになる
人の死に対して火葬の儀式だけは平等である
絶対に差があってはいけないのである
その平等性が守れるのであればそれらに付随するのもは逆に自由であって差し支えない
ただその自由度は一番先に故人の気持ちの反映であるべきである
自分の末路として自分の葬儀の形を選ぶのは望ましいことである
が、実行されるかどうかは分からない

平たく「終活」などと言う言葉はそのことを言っている
気が付いた時には間に合わないのもこれである
鯵(30.11.9)

by ajiankyoto | 2018-11-09 08:01 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

葬式のレール⑵孤独死

b0355451_16432846.jpg
同じ死でも辛いことの第一は"孤独死”だろう
例えば、賃貸し住宅で独り暮らし、誰にも看取られることなく亡くなる例は年々増加している
統計では65才が境目だ、65才以上の人はこのパターンに入る
近親者や隣近所の人との付き合いが減っているのは都市だけもない
何故、"賃貸し住宅"かと言うと、そういうことでしか統計値が得られていないのである
我が国はそういう事態(独り暮らし)に至ったことに極めて冷淡である
そう言っている間に、金を持ったままあるいは施設や病院でも"孤独死"する事例がたくさん顕われてくるだろう
いつまでも個人の経済的問題(貧困)だと考えている
それが冷淡だということだろう
鯵庵(30.11.5)

by ajiankyoto | 2018-11-05 17:16 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

葬式のレール⑴火葬

b0355451_09075717.jpg
葬式は辛いものだ
しかし、葬式を成し遂げることで自分の死という別の辛さを感じることができる、という
今の葬式は火葬という極めて厳粛なしかも化学的な酸化によって肉体の処理をする
現代では誰もが避けて通ることのできないことになっている
魂は気化し、他人には捕えられない宇宙哲学の世界に入ってしまう
地獄で裁かれるのは仕方がないとしても肉体がさいなまれることは実感がない
火葬の一番の利点は地獄まで肉体を持って行かないことである
鯵庵(30.11.4)

by ajiankyoto | 2018-11-04 08:15 | 地蔵菩薩 | Comments(0)