ここまで書いて、お歯黒と暦の話をまとめようとしていたら・・また新しい事件が起こった
明治5年のお歯黒改革(前)に続く


そう、舞鶴の巡業相撲のことだ、相撲の伝統のことだ
相撲ファンが相撲のことを決めればいいので小生はコメントしない
本来危機管理の問題だ
しかし、その話題の中に・・
「相撲の神様は女の神様で、女が土俵に上がると嫉妬する」というくだりが気になる
仮説ではあるが、それが伝統の謂れだと説明したい人がいるようだ
たとえ神様でも女は嫉妬深いということだ
そんな話確かに昔、山の神は女神だから、
トンネル工事には女を入れたらアカン(落盤する)ということでも聞いたことがある

人間が持っている煩悩の第一が嫉妬心である
世の中の風習は男の嫉妬深さが底にあることが多い
平たく言えば女は女に嫉妬するが、男は女にも嫉妬する
だからむしろどちらかと言うと男の方が・・??
いずれにしろ神様にまで当てはめるの二重にトンチンカンな話だ
単純に力を競う男の職場だという方がまだましだ

王政復古から5年目のこの時に明治政府は大改暦を行った
明治5年12月2日(旧暦)の次の日を明治6年1月1日(グレゴリオ暦)とした
お歯黒問題も相撲に婦人の見学を許したのも、どちらもこれと時を同じにすることだった
明治天皇の皇后(昭憲皇太后)は率先してお歯黒をやめただけでなく
また皇后として初めて洋装をしたともある
その後のことを知っている我々はその聡明さをも知ることが出来る
皇后の旧名は一条美子、もちろん高貴なる姫君ではあるが京都の女性でもあった
明治天皇とともに幕末動乱の京都で生まれ育った人であった
そのことを書きたかった

相撲のことが入ったため少し長くなった
鯵庵(30.4.7)


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by ajiankyoto | 2018-04-08 20:12 | 女紋 | Comments(0)

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近世の女性の風習に「かねつけ(鉄漿)」がある、お歯黒のことである
謂れは色々あるが、
明治の初め、あの福沢諭吉が本に書いた
「既婚の女性が眉を剃り落としお歯黒を染めるのは奇異な風習だ」
一方、「眉をつけ白い歯をむき出した女など化け物だと」いう反論を書いた人もいた
その翌年、明治天皇の皇后が率先してお歯黒をおやめになった
一人前の女の証しというのだけど多くの女性があえてお歯黒をつけるのを遅らせていたのも事実らしい
そうなればどうせ明治以降の新生活習慣の中で消滅しただろうと思われる
本(和歌森太郎)に書いてある

一方その同じ項に相撲のことが書いてあった
相撲は元神事だった、土俵は神聖であると
江戸時代になって勧進相撲(興行)で木戸銭をとっていた時代ですら
女性は接近させるべきでないというのが相撲だった
女性は不浄性を含む・・?ということらしい
だが、お歯黒論争と同じ年、旧暦明治5年11月(12月に改暦した)から初日以外は本場所への女性の入場を許したとある
その後確かに約150年相撲は変化がなかったことになる

小生も思う
お歯黒をやめたとしても相撲の見学を婦人に許したとして何にも堕落した訳でもない
堕落などと言うことは逆に謂われなきことにこだわることにあるのだろう
そんなことですぐに何かが無くなってしまうほどのものだと白状しているに過ぎない

(実は、ここらで上手く結論しようと思っていたのが続編がある・・この項続く)
鯵庵(30.4.7)

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by ajiankyoto | 2018-04-08 13:35 | 女紋 | Comments(0)

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早咲き種のソメイヨシノが花見の中心になるまでは、
そう、昔はやはりモモの方がサクラより早く咲いた
春は桃から始まった
岡山の友達は桃の花の満開を投稿した
桃の節句は健康と厄除けを祈るもの、上巳(じょうし)節句と言った
一方、丹波に帰ったチームのどんこ氏から餅が届いた
餡餅やらよもぎ餅やらである
もちろん孫娘に送ってやるためである
実は4月の雛祭りだという

雛祭りは節句だから3月3日と決まってる、が
どんこ氏の里では〝月遅れ″で行事をする
草餅も雛飾りで言えば菱餅にあたる
太陽暦(新暦)になって3月3日では寒いし、花もない
ちょうど一月遅らすと、桃もサクラも咲く
4月の始め二十四節気の〝清明″の頃だから、子供は春休みだし一番都合の良いタイミング
ということで〝月遅れ″で祈り、祝う、のが合理的だということ

旧暦の時の風習は太陽暦になって、ほぼ大きくは1ヶ月のズレが出ている
雛祭りもところによっては旧暦でするところもある
ただ、現代は雛飾りはほぼ新暦(太陽暦)の3月3日に固まってしまった
例えば5月5日の端午の節も新暦で5月5日のままである、その方が要は一番気候のいい時
七夕は新暦では梅雨の真っ最中、一方仙台では月遅れの8月7日にやるのが有名だ
月遅れの最大の事例がお盆、お盆は7月15日、これも月遅れ8月15日でほぼ全国定着している

そんな自由な都合のいい換算が日常である
日本人の季節感や風俗・風習というものは自然の知恵があって成立しているものである
年中行事として定着するにはそれなりの合理性が要る
暦というのは暮らしやすさが命
ただ今年の3月からの気温上昇は少し違和感がある
本当は今が一番いい季節なのだ
だからスプリングという
鯵庵(30.4.5)

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by ajiankyoto | 2018-04-04 19:24 | | Comments(0)

おさん茂兵衛事件

天文方京暦・おさん茂兵衛に続く

5代将軍綱吉の時代、京都所司代は稲葉正通(後の老中)
天和(てんな)元年(1683)
京都四条烏丸(しじょうからすま)にあった大経師(だいきょうじ)家の嫁・おさんが手代の茂兵衛と不義密通(ふぎみっつう)・・?、丹波への逃避行の末見つかって京で磔(はりつけ)にされた事件

井原西鶴が「好色五人女」の第3話に「中段に見る暦や物語」で書いた
それを、近松門左衛門が浄瑠璃の戯曲に書いた
磔(はりつけ)の後の三十三回忌にあたる正徳5年(1715)大坂で初演したのが「大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)」
暦の名ではない、おさん茂兵衛の話である
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この「おさん茂兵衛」事件を脚本に書いたのが昭和の大御所川口松太郎
映画はなんと昭和29年(1954)の大映作品である
おさんが香川京子・茂兵衛が長谷川一夫だった
題が示すように近松物の仕上がりになっている
現代でも、芝居だけでなく歌にも浪曲にも落語にもなっている
島津亜矢が歌う「おさん」がそれである
おさん茂兵衛の逃避行を恋の道行と歌っている
もちろんなぜ逃げなければいけなかったのかは歌詞からは分からない

暦の専売権を持った大経師家というのは商人としても別格であった
大事件であった
それを理由に改易(かいえき)になった
改易になったことから遡ればそこに改暦(かいれき)にともなう朝廷と幕府の権力争いがあった解説している歴史研究家も出てくる
現代人が好色という言葉で受けるイメージとは少し違うだろう
史実はどうだったかは別にして、おのおの鑑賞されたい

(今回はすんませんネットから拝借)
鯵庵(30.3.14)




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by ajiankyoto | 2018-03-14 18:00 | おなご編 | Comments(0)


文明の最初は天体観測と暦である
それは世界史が証明していることである
わが国でも天武天皇の時代(674)に「占星台」というのが記録にある
時代が下って、平安期には加茂氏の弟子の安倍晴明(あべのせいめい)が活躍する
晴明以降安倍氏が天文と陰陽道で朝廷に仕える
安倍氏は室町期に土御門と名乗る一流が江戸期を通じて陰陽頭として続く

一方江戸時代には幕府の天文方の研究が進み、幕末時には世界に比する天文知識を蓄えていた
当時の暦は太陰太陽暦の最新型「天保暦」であった
天保暦で1年を365.242..日と計算しており太陽暦より誤差が少ないとも言われる
江戸幕府崩壊の時、幕府天文台方は瓦解
朝廷側の陰陽頭の土御門家は暦に関しての権勢を戻す
が、明治政府は陰陽頭土御門氏の説によらず、
明治5年12月2日の次の日をグレゴリオ暦(太陽暦)の1月1日と改める改暦を行った
その後陰陽寮という役所も廃止

日々の暮らしにはカレンダーが必要である
江戸では江戸暦(えどごよみ)、京都では京暦(きょうごのみ)という庶民向けの刷り物が売り出された
各地にもあった、いわゆるカレンダーである
京暦には大経師暦(だいきょうじごよみ)と院御経師暦(いんみきょうじごよみ・菊沢家)の2種があった
その大経師暦の版元(はんもと)が大経師(だいきょうじ)浜岡家であった
大経師というのは元来表具師であるが、朝廷から暦の発行の特権を与えられた御用商人である
11月初めに翌年の暦を発売したという
江戸時代の暦はこういう形で頒布されていた

実は大経師家はその後、幕府によって取り潰しになった
その発端となったのが、「おさん・茂兵衛事件」である
鯵庵(30.2.14)

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by ajiankyoto | 2018-02-14 07:38 | | Comments(0)

正月と立春


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太陽暦では一番寒い時期に向かって正月が来る
冬至が過ぎた途端に正月である
日本人の潜在的暦では正月と立春が重なるのがちょうどいい
正月を「新春」ということに抵抗は感じてないのに春の気配が無くても平気なのは少し不思議である
それなら太陰暦(旧暦)の方がいいかというと必ずしもそうではない
農耕生活は旧暦の方がいいと今でもいう人がいるがそれはむしろ嗜虐的な発想である

正月は立春から始まるようにしたいのだが・・
立春が含まれる月を1月に定めたのでは、正月そのものが幅が大きすぎる
だから旧暦では立春のほぼ15日の後の雨水が含まれる月を1月としてその朔日を正月とした
雨水は太陽暦では2月19日ごろに当たるので
旧暦の月の真ん中に雨水が来れば、それより15日先の立春が1月の初めに限りなく近づくのである
少なくとも半月ほどの幅でしか動かないことになる

平成30年の立春は2月4日、雨水は19日である
これは太陽と地球の関係だけで決まるものである
その時、月はどこにいるかというと
1月31日に皆既月食の大満月があったぐらいだから
(その月の月が)新月になるのが2月16日(太陽暦)である
あの時の月は12月15日の満月だったのだ
だから、太陽暦の2月16日が旧暦の1月1日、正月なのである
しかし、月の満ち欠けで決めた旧暦の朔日である
1日ではあるが立春とは違う

ただ、立春と正月は相思相愛の間柄である
そういうことだから、約30年に一度は立春が朔日になる
それを縁起を担いで朔旦立春(さくたんりっしゅん)という
平成4年(1992)がそうだった、次はなんと2038年になる
旧暦ながら節分が大晦日で立春が元旦となる・・が
なかなかこない・・
太陽暦(日本)では、春は3月~5月に区分される
が、間違いなく3月に立春が来ることはない
この微妙なずレを楽しむというのが暦の文学である
写真はセツブンソウ(今年はまだ咲いてない)
鯵庵(30.2.3②)

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by ajiankyoto | 2018-02-03 19:42 | | Comments(1)

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暦を開くと、一番先に出てくるのが女神である
名を歳徳神(としとくじん)という、牛頭天王(ごずてんのう)の后とも言われたりする
この女神の居ます方角を恵方(えほう)という
今年、「何人にも吉」の方位はこの歳徳神のいる方向だと言う
江戸時代からある恵方詣で(えほうもうで)というのは、毎年この恵方の方角の寺社をお参りすることを言う

正月の民間信仰の一つであるが、この神様歳によって移動する
今年は戊戌(つちのえいぬ)で、戊(つちのえ)の歳の方角は巳(み)と午(うま)の間の丙(へい)と定まっている
暦では十干、十二支などを用い、二十四の方向を表す、北が子(ね)、南が午(うま)になる
丙はその11番目で方位で言えば「南南東やや南」になる、360度で表現すると165度になる
その方向というのはその年の干支(かんし)の十干(じっかん/甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)によっている
だから、恵方は4方向が5年周期で回っている・・だけのことである
ところがどっこい、この恵方と言う言葉をパクったのが恵方巻(えほうまき)である

節分は暦の上での大晦日である
大晦日に厄払いして正月に恵方参りをする・・その祈りの気持ちを表現したい?ことはなんとなくわからないでもないが・・
どうにも分からないのがその方角を向いて巻きずしを"まるかぶり”するという・・その風習だ
もう一つ分からないのがその恵方の方角のことである
すし商組合や大手コンビニのパンフレットなどにはいずれも大きく「南南東」と書いてある
残念ながら微妙に(7.5度も)ずれている

正しい恵方ではない、方角にも幅があり許容の範囲とは言えるが・・
この場合の方角という観念を16等分の東西南北の表現をしたことが誤り
暦で言う方位は24等分であることを理解していない
陰陽道や日本の暦では方角を大きく12分・24分している
最小単位は360÷24で、だから1単位が15度になる。
むかし、日本の時刻も同じ単位で表していた、24時間で一周した
・・今の時計は12時間で一周するわけだから、時計の短針を30分単位で表現すればいいのだ
だから165度とは5時半のこと、こちらの方が、陰陽道の正確な方位の表現になる

芸術も文化も歴史もいつか大きくデフォルメされていく
コンビニの販売促進というのは所詮熾烈なサラリーマン世界の産物である
ただ、新しいものを生み出す強引さの中にも簡素であっても正しさは大事にしたかった
そうでないと恵方神(歳徳神)も迷惑である
元来、「今年は5時半の方角です」としてた方がコンビ二客向きの表現だったような気がする
世に罪をしないということは大事なことなのだ

方位盤、この間に一つずつ入る、蛇(巳)と馬(午)の間が今年の恵方になる
鯵庵(30.1.19②)



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by ajiankyoto | 2018-01-19 10:29 | | Comments(0)

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京都の地の人は″おしょうらい(お招霊)”さんと発音のする人が多い
いかに招いた霊であっても所詮一緒に長い間暮らすことは叶わない
16日にはまたあの世に送り返す訳であり、それを精霊送り(しょうりょうおくり)と言う
今は音頭の声が聞こえなくなったけど盆踊りも精霊送りでもある
お供えと一緒に川に流したり、松明の火で現世の穢れを清める行事が行われる
各家庭・各町内やお寺や墓地でも精霊送りの行事が行われる
大量に供物を川に流す精霊流しは問題がありとのことで、代わりに京都市ではお供えの処分もしてくれる
それを大がかりにしたのがおそらく室町時代にはあったとされる「送り火」である
送り火が見えるところでは、も一度各家庭のご精霊さんもまとめて送ってもらえる
その上、旅の人も参加できる観光にも都合のいい送り火である

今は京都のお盆の観光は「五山の送り火」が代表する形になった
午後8時に東山銀閣寺の上の如意が岳の大文字が点火される
「妙法」「船形」「左大文字」続いて、一番西の奥嵯峨野の「鳥居形」が点火されるのが8時20分ごろになる
そのころはもう最初の大文字は消えかかっている
小生が初めて送り火を見たのは、親に手を引かれ田舎から京都駅に帰ってきた列車の中だった
東海道線はその時まだ蒸気機関車だった、列車が鴨川鉄橋を渡るころだったかな
眠たいのに起こされたように記憶している
京都駅のあの辺りからも大文字は見えたように思う
ただ、大文字が見えるのはいつも一瞬なのだ

昔(旧暦の頃)の送り火は天気がよければ必ず満月とセットである
山の陰の黒と群青の空の色は明らかに違う
月と大文字と精霊流しの灯りを一緒に見ることのできた昔の人の感慨は想像できない
月遅れで行われるお盆の行事では毎年8月16日の月齢は変わる
この時間に東山に上手く月がかかることの方が珍しくなった
それでも、鴨川堤防から見る大文字は絵になりやすい
今出川橋や丸太町橋あたりまで行けばよく見えるかもしれないが
わざわざ出かけていく大人は少ない
実は燃えているのは15分にも満たないからだ

この一瞬の静寂ゆえに、俗っぽい京都のお盆もこの日だけは侘しさを感じさせられる
五山の火を全て楽しめるのは難しいが、それでも数十分だ
テレビ中継ではそれぞれの火床の周りの人が映し出される
その人たちにとっては行(ぎょう)なんだと思う
そうなんだ、それもまた精霊を送る送り火なんだと思わされる
全ての火が消えてしまって京都のお盆が終わる
地上には現に生きている人だけのまた迷い多き生活が始まる
これで盆が終わるのかと思いきや、京都の夏は24日の地蔵盆に向けての準備がはじまる
鯵庵(29.8.14改

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by ajiankyoto | 2017-08-14 07:25 | 後生 | Comments(0)

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織女(しょくじょ)星、七夕の主役は織姫あるいは織女である、中国の神話的伝説の姫神である
天文や星座に詳しい人なら、こと座の中で最も明るいのが織女星ベガである、と言うだろう
牽牛星のわし座のアルタイルと白鳥座のデネブ、ともに明るい星で「夏の大三角」と言う
この頃は小学校の教科書にも載っているらしいので覚えのため記した

7月7日は5節句の一つである、奈良時代から宮中行事であったり神事であったりしたが、近世は7月15日のお盆の行事と関連したものであったと言う
が、明治の太陽暦採用に以来お盆の行事が7月15日の”月遅れ”8月15日に定着したために、新暦(太陽暦)の7月7日では間が空きすぎて関連性を言うことが出来なくなった
七夕の神事は7月6日の夜から行われる
天頂の星が一番きれいなのは7日の夜中1時ごろである
天の川を挟んで伝説の世界へ導いてくれる
ただし、7月は梅雨の時期でもあるし、晴れても星座は地平線から低く見えにくいのだ
8月に入れば梅雨も明けて、かつ高くよく見えるようになってくる

旧暦の7月7日であれば月齢6日の上弦の月でほぼ深夜には西に片付く、明るさもほどほど星座を見るのに邪魔にならない
その意味では旧暦で、星を見るなら・そういう訳であるが
それが今更そうもいかんと言う
5月に閏月が入ったこともある
今年は何と8月29日で世間のお盆の行事も・夏休みも終わってしまう頃となる
星の勉強にはいいタイミングながら・・もはや月が出番を待っている
イベントとして季節感に合わないという商売などがある

有名な仙台の七夕は月遅れ8月7日に定着している
立秋である、しかも、満月の日に重なることも覚悟の上である
織姫もどちらにしても座り心地がよくないと言っている
俳句の季節感では七夕は秋の季語となっている
出囃子は鳴っているが・・いつ出たらいいのでしょうかと聞いている
梅雨の合間だったり、立秋の前だったり後だったり・・(幽霊ではないが)・・せめて夏なのか秋なのか?
写真は北野天満宮にて(日・月・星の神様である北野の七夕祭は8月上旬に行われる)
鯵庵(29.7.4改)


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by ajiankyoto | 2017-07-04 06:00 | | Comments(2)

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暦の話の前提にもう一度解説が入るのでご辛抱願いたい
ただ、これだけ知っていれば後のことはたいてい理解できる
太陽暦の19年は6939.6・・・日、月の満ち欠けのサイクルで235にあたる
29.53・・×235で6939.6・・で同じ
235ヶ月は19年+7ヶ月であるので太陽暦の19年に7度(約2.7年に1度)閏月を入れればほぼ解消できると言うことになる
これは、紀元前433年にメトンというギリシャの数学者が発見していたものである
これが旧暦の閏月である

2012年に閏3月があり約2年半後の2014年9月に閏9月が入った
そのまた約2年半後の今年2017年の5月に閏5月が続く
太陽暦の今年6月24日は旧暦であれば閏5月1日でもう一度5月が続く
だから今年(平成29年)は夏が来るのが遅くて長いと言うわけではない
そういう人が必ず本を書いているから注意が必要である
むしろ旧暦の季節感が余りにもズレて来たのを一気に修正していることなのだ

旧暦での暮らしとはどんなものだろうか
そんなズレに悩んでいたと思う
日々を暮らす人
月を暮らす人
年を暮らす人さまざまだったのだと思う
天候は摩訶不思議な現象だったろう
二十四節気が言われている限り地球が太陽をぐるっと回っていたことは知っていただろう
暦は共通語である
季節は人それぞれの言葉の感じ方でよかった
俳句のように静かに暦と季節の両方を見ていたものもある
それでなくともたしかに旧暦での季節感を楽しんでいたような気がする
鯵庵(6.16)

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by ajiankyoto | 2017-06-16 07:07 | | Comments(0)